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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第五章
58/61

04.そこにある手のサイン

 

 王宮内と言えど、雛菊の一人歩きは基本禁止されている。

 セラフィムという立場もあるが、以前、王宮内で拉致された件が尾を引いていた。その際に、セイリオスの息がかかった一派の存在も明らかになったのだが、掃討した不穏分子の残党がいないとも限らないらしい。

 華やかな宮廷でも全ての人間を信じてはいけないのがなんとも言えない。

 そんな警戒が敷かれた中で、今日は特別だった。

 行き先が国内随一の剣の使い手であるチェリウフィーの私室だからだ。まず普通の手練れでは老いても尚現役の彼女に敵う者は少ない。それに今の雛菊には心強い護衛がいる。


「お待たせ、ルビさん」

「ガウ」


 燃えるような真紅の鬣を振り、嬉しそうに身体を起こす大型獣が雛菊の腰に擦り寄った。以前よりも大分重さの増した巨体で寄っかかられ、雛菊は反対の足で踏ん張ってそれを受け止める。


「ルビさん、重い」


 めっと嗜めると淋しげに鼻を鳴らして耳を下げ、赤い大型獣はお座りの大勢になる。

 一見して猛獣使いのようだが、どんなに動物の扱いに長けているものでも彼を雛菊のように従える事は出来ない。


「それにしてもホントに立派になってまあ……」


 耳の後ろを撫でれば喉が鳴る。まるでネコ科の大型獣だが、顔付きはどちらかというと犬寄りである。しかし尾は馬のような房状なので、厳密にはイヌ科ネコ科と雛菊の常識で種別化は出来ない生物なのだと分かる。


「最初見た時はすぐに分からなかったよ、まったくもう、ねえ……」


 改めてしみじみと一人ごちた。

 聖獣フラーメは雛菊の留守にしていた半年余りで随分と成長し、その様相を大きく変えていた。

 可愛い小型犬が如何にもな肉食動物然としていれば仕方もない。

 口には立派な犬歯。太い前肢には黒く硬い爪が絨毯に浅く溝を掘る。


(弁償請求されたら冗談でなく命削るしかないな)


 見間違えるほど立派に育った聖獣に雛菊が頭を痛めているとも知らない当事者は、尻尾を振ってもっと撫でろとせがむ。

 甘えん坊な所は小さい時と変わらない。正確にはまだ大人ではないらしいのだが、成長仕切ったらこれより大きくなるのかと思うと身震いがした。

 ともかく、この立派な聖獣は元来セラフィムの守役として勤めていたので、ルビが側にいれば範囲は限られるも比較的自由に出歩けるのが良かった。

 もう一人の護衛のゾフィーもいるが、あいにくと本日の彼女は休暇である。しかも今日はアサドが手ずから剣の指導に入るらしく、朝から落ち着きのない彼女を「こっちは気にしないでいいから」と鍛錬場へと送り出したのだった。

 まだ付き合いの浅いゾフィーだが、無表情なのに彼女の感情は存外読み取りやすい。実年齢を聞けば数え十五と雛菊よりも歳下だったので成る程と思った。


「ーーさて、せっかくだし鍛錬場でも覗こうか」


 ルビにそう告げて雛菊は長い廊下を突き進む。

 剣と剣が交わる男の溜まり場である鍛錬場は少し怖くてあまり興味はないのだが、実は今回、雛菊にはある目論見があったーー。



「ヒナギク様、このような場所にいらっしゃったのですか?」


 僅かな抑揚を含ませ、ゾフィーは紅潮した顔に焦りを見せた。

 いつものメイド服とは違い、麻のシャツに細身のズボンですっきりとした出で立ちなので少年ぽく見える。


「従僕の身でありながら主にわざわざ足を運ばせて申し訳ありません」


 少女にしてはハスキーな声と頭一つ高い上背に短く切り揃えた髪に加え、今日の出で立ちでいつも以上に中性的な彼女に頭を下げられると、雛菊の方が身構えてしまう。


「ううん、気にしないで。鍛錬場ってどんな感じの場所か見たくて勝手に来ちゃっただけだから。ほら、それに私まだゾフィーの事よく知らないしさ! な、仲良く

なりたいなってさ」


 取り繕えば、恐縮だと、あまり変化のない顔でゾフィーはそれでも何処か嬉しそうにして見せた。

 休暇の日に仕事を思い出させる顔が押し掛けて迷惑面をされるのではなくて良かった。雛菊はこっそり胸を撫で下ろす。


「あとこれ、チェリウさんから頂いたお茶菓子! ゾフィーの分にって頂いたから後で食べてね」

「先生からですか……。わざわざどうもすみません。お手を煩わせてしまいました」

「そんな! 全然気にしないでいいよ! 私もゾフィーに食べて貰いたかったもん」

「お気遣いありがとうございます」


 突き出した袋を戸惑いつつ受け取り、ゾフィーは感謝を述べる。どうにもぎこちないやり取りに雛菊は力なく笑った。

 この世界で同年代の友人の少ない雛菊が、よもや友達作りに奮闘してるとは思いもしないゾフィーは、彼女の落ち込みが分からずに所在なさげに立ち尽くす。


「あれー、ヒナ。俺の勇姿を見に来たの?」

「アサド君」


 一通りのやり取りを見計らったのだろうか。ゾフィーの後方からひょっこり顔を覗かせたアサドに、雛菊は肩を竦めて苦笑を浮かべる。


「違いますー。鍛錬は気になるけど、剣と剣がぶつかってると思うとやっぱりちょっと萎縮しちゃうかな」

「鍛錬は模造刀だから怖くねーって」


 笑い飛ばされ、それなら今度見に行くと答えたら世間話は続く。

 なんでもゾフィーは男だらけの新米騎士の中で、かなりの逸材らしい。チェリウフィーの推薦で雛菊の護衛を任せられるのもその才にあった。

 雛菊がここぞと褒めちぎるとゾフィーは「まだまだ未熟です」と謙遜する。


「でも、練習次第ではもっともっと強くなれるんでしょう?」

「ああ。女ながらタッパもあるしリーチもある、それで持ってパワーを補う身軽さで男相手にもなかなか引けを取らないからな。これが将来、第二のチェリウになったらどうしようかと俺は指導に迷うんだが」

「いいじゃん、チェリウさん。私、好きだよ、かっこいいもん」

「先生は素晴らしい方です」


 女二人の高評価にアサドは苦虫を潰した。


「あの暴君が男以上に女性人気高いのも解せないんだがなぁ」


 過去に苦い記憶があるらしいアサドは小言のようにチェリウフィーの仕打ちを漏らすが、内容から近所の悪ガキと肝っ玉母さんの絵面が浮かぶ話だったので雛菊は微笑ましく聞いてしまった。


「ーーと、確かにありゃあ暴君だが、見習う箇所が沢山あるのは認める。ゾフィーもチェリウを目指すなら視野も広げとけ」


 途端、真面目口調になるアサドにゾフィーは背筋を伸ばす。


「視野とはどのように広げるものですか?」

「そこ、糞真面目に聞いちゃう、簡単に言えば付き合いを増やすんだな。ヒナと友達になるとか」

「ちょ、アサド君!」


 すぐさま反応した雛菊は、アサドの腕を引っ張り無言で抗議する。


「あれ、余計なお世話? ヒナが告白する女の子みたいな目でゾフィーを見てたからそうだと思ったんだけど、違った?」

「違くないけど、なんか保護者に仲介されてるみたいで恥ずかしい」


 悪びれもしない大きな子供は軽く謝ってゾフィーに向き直る。

 ゾフィーは細く釣り上った目を丸め、首を横に振った。


「それは……とても恐れ多い。自分はただの従僕です」

「うん。ゾフィーならそう言うだろうな」


 こうなる事は分かっていたと言う顔でアサドは頷き、雛菊に向かって諦めろと優しい目で語りかける。

 ゾフィーが従僕だから駄目なのか、納得のいかない雛菊は唇をきゅっと引き絞り、食い下がろうと口を開きかけて留まった。


「ランフィー君」


 雛菊の視野の中、向かってゾフィーの後方部にある出入口から覗く眼鏡の反射に覚えがあってすぐに呼び掛ける。


「坊っちゃま?」


 続いてゾフィーも振り返り視認すると、ランフィーはバツが悪そうに肩を震わせ、何故か困惑の色を見せた。


「や、やあ、ゾフィー。ヒナギク様、それにアサド様もいらっしゃっていたのですね」


 覗き見をするような姿勢から一転、ランフィーはしかと鍛錬場に足を踏み入れて背筋を真っ直ぐに伸ばした後に会釈する。そこで雛菊がおかしいと思ったのは、真面目が服を着て歩いているような見本のランフィーが軽い挨拶で済ませた点だった。

 ランフィーと言えば、宮廷精霊師という花形職に属し、その身分に恥じぬよう誇りを持った威厳ある振る舞いと国への忠義を第一に行動する堅気質な青年だ。その彼が自国の王子に会釈で済ませるような挨拶はとても解せなかった。初めのうちこそ雛菊への態度は不審者を見る目ではあったが、今ではすっかり敬意を示していたのにこの対応。

 不敬だとは思わない。雛菊自身が元はただの女子高生であるのに、敬えだとか偉そうに振る舞いたくなかった。それでも見るからにいつもと違う態度を前にされると訝しむのは人の性である。


「ランフィー君、何かあったの?」

「いえ! 別に何も隠してはおりません!」


 より不信感を煽る形で否定するランフィーを雛菊はじっと睨めば、不意に肩を抱くように押し出された。


「ラン、悪い。俺ら別の用があるからもう行くわ。ゾフィー、ランの話を聞いてやれ」

「へ? え? アサド君!?」


 ぐいぐいと外へ押しやられ、雛菊は強引なアサドを見上げる。アサドは小声で「いいから黙って従って」と、珍しく強めに雛菊を誘導して二人は鍛錬場を出た。



 扉が閉まり、アサドは何処へと行くでもなくすぐ脇の壁にもたれると、人差し指を唇に持って行きにこりと微笑む。静かにしろという合図らしい。

 突然の待機命令で手持ち無沙汰になった雛菊は、大人しく追従していたルビの頭を撫でて暇を潰す。

 黙ってアサドの様子を窺えば、彼は壁に耳を向けているのか少し傾いて体を預け、時折頷いてはニヤニヤ怪しげに笑っていた。


(悪い顔してるなー)


 今にも指差してからかいだしそうな様子を眺めながら、雛菊はだんだん状況が掴めた気がした。

 去り際、一瞬振り返った時にランフィーが背後に隠し持っていた物を見た。当人以外に見られるのが気恥ずかしかったのだろう。


「……背中に花束隠していたら最敬礼なんて出来ないわ」


 一人ぼやけば、それを漏れ聞いたアサドが吹き出す。


「でもあくまで“この花の花粉が打ち身擦り傷に効能があるから、良かったら使え。痛みを抱えたままセラフィムの護衛に就いていざ有事の際に傷が疼きましてでは話にならないからな”と添えなければ素直に貰ってくれないんだから気を回すよな」


 未だ喉の奥でくつくつと笑うアサドに雛菊は感心する。


「やけに具体的な代弁だね」

「実際に本人がそう言ってんだよ」


 壁に耳をあててアサドは当然と胸を張る。要は盗み聞きなのだから自慢出来たものではないのだが、それでも雛菊が真似した所で出来る芸当ではないので溜息は零れる。


(そう言えば耳がいいのだっけ)


 耳だけでなく五感含めて鋭敏なアサドは、満足したのか背中を浮かせるとこの場から距離を取るため歩き出した。自然と雛菊も後に続く。


「……青春?」


 進んだ先の廊下の角を折れた所で雛菊はつい野次馬根性が抑えられずに尋ねた。アサドは笑って頷き、雛菊の頭に手を置く。


「分かった通りゾフィーはランが攻略中だ。ヒナも乗っかるならそれなりに頭使わなきゃな」

「言い訳作って花束あげたり?」

「そうそう」


 返事をしながらアサドは不意に宙を仰ぎ、胡乱な表情を浮かべた。


「……ゾフィーな、あいつ、孤児なんだと。十年前のヨシュムとの諍いで父親を兵役に取られて亡くし、母親は戦火に巻き込まれたらしい」


 そう言ってアサドは首を掻く。この仕草が出る場合、大抵話し辛い時だとアサドの癖が分かって来た雛菊は黙って続きを待つ。


「戦争と言っても戦場はほとんど国境付近で、市街への物理的な被害はない筈だったんだ。ゾフィーの村が例外でな。戦後すぐ俺はシャナを追って城を出たから人から聞いた話なんだが、ともかく出る筈のない犠牲にチェリウが引き取った孤児の一人がゾフィーな訳だ。だからか、ゾフィーとしてはチェリウに恩義を感じてるんだな。そのおかげで年頃の娘らしい感情を放って、騎士一直線に鍛錬鍛錬鍛錬の日々だ。ーー結果、下っ端精神がすっかり板に付いたゾフィーは、主君に尽くすのが第一なのでセラフィムなヒナとのお友達は普通に難しいって精神構造になってしまった訳よ。長い話ですまんが理解した?」

「諦めろって事?」

「そーとは言わんがな……」

 うーんと唸ってアサドはまた首を掻く。

「本人に悪気はなくとも、一線を置かれると傷付くと思うのね、ヒナは」

「そりゃショックは受けるけど、ゾフィーがそう言う性格なんだと思えば私もそれなりに工夫して親しくなろうと頑張るよ」

「……相手がつれないと妙なやる気出すよな、ヒナ」


 それは誰を相手にした話をしているのか。突っ込んで聞かずに雛菊はとりあえずお礼を言う。お節介ではあっても心配は嬉しかった。


「あ、私、メイズさんにもよろしければってお呼ばれされてるんだけど一緒に行く? 多分女子会みたいな感じだから、アサド君の都合が合えばでいいんだけど」


 メイズはアサドの兄嫁で、宮廷生活に暇を持て余す雛菊に何かと世話を焼いてくれる穏やかな夫人だ。今は臨月間近の身重なので、お呼ばれした時は負担専ら専ら編物教室のようなものを開催している。なので男のアサドには退屈だろうと窺いを立てれば案の定返事に間が空き、少し言い淀む節が見えた。

 だが、言い淀んだのはその会合が水に合わないという理由ではなさそうだった。

 アサドは力ない微笑を湛え、定位置の様に首に手を置く姿に雛菊は話し辛い話題はこれからなのだと気付く。


「出来ればゆっくり話したい。二人きりで」


 茶化しなしの真剣な申し出に胸が痛くなるのを感じながら、雛菊は小さく頷いた。

 

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