03.淑女のお茶会
チェリウフィーに招かれるお茶会は雛菊の楽しみの一つだった。
彼女は騎士団元帥総司令官といういかにも厳しい肩書きとは裏腹に、お茶や菓子などの嗜好品の趣味はとても繊細なものだった。
口当たりの柔らかい紅茶、見た目も味も可愛らしいケーキなど、国のあちこちから見付けては取り寄せて、雛菊をよく招いてくれる。
宮廷で出されるデザートも美味しいのだが、チェリウフィーの出す茶菓子はもう少し庶民的だ。
例えるなら前者が高級レストランで、後者が街のケーキ屋さんといったところだろうか。
テーブルマナーなど気負わずに楽しめる所が、中流家庭育ちの雛菊の舌に合うのだ。
「おいしー! これ、とっても美味しいですよ、チェリウさん」
「そうかい。口に合ったかい。そりゃ良かった」
お代わりのお茶を継ぎ足し、チェリウフィーは長いスカートの裾を少し上げて雛菊の向かいのソファーに腰掛ける。日常的に軍服姿でいる彼女も、休日は他の老婦人と同じようにドレスを身に付けるらしい。
「いつもこんな格好ではいけないんですか?」
そう聞いた時、チェリウフィーは軽く笑い
「荒くれ者共纏めるのにスカートは邪魔臭いんだよ。咄嗟に蹴りも入れ辛いったらありゃしない」と煙草をくゆらせて言った。
騎士の男衆に蹴りを入れる八十目前の老婆とは思えない運動量に雛菊はいつも驚かされる。
チェリウフィーは爵位もあり、国内でも上位の権威を掲げる。尚且つこの歳でも前線に立つ猛者だ。雛菊は同じ女としていつも毅然としているチェリウフィーに憧れた。
チェリウフィーもまた、雛菊を孫のように気にかけてくれる。面倒見の良さと気性の荒さは、共に国内随一だとシャナがボヤいていたなと雛菊はお茶を飲みながら笑みを零した。
「ん。顔色も精神状態もいいらしいね」
何よりだと、いつの間にか取っていた頬杖の態勢を解くとチェリウフィーは安堵したように口元を緩ませる。
「その節は大変ご迷惑をかけました。私がいきなり元の世界に戻った所為で騒動があったとアサド君から聞きました」
思えば戻ってからも体調不良だとかでまともに顔を出していなかったと、雛菊は慌てて頭を下げる。
「本来はもっと日と場所を改めるんでしょうけど、アサド君から特に何もしないでいいと言われてそのままになってしまいました」
「いいっていいって。そもそも今回のはシャナの阿呆が勝手にやった事だと言うじゃないか。しかも裏で創天の魔女ねーちゃんが糸引いてたらしいし、上もとやかく責められないのさ」
「ソノラってそんなに偉いんですか?」
歳上だろうが既に雛菊の尊敬対象から除外されている為、ソノラに対する評価に雛菊は眉を顰めた。その顔を面白そうに眺めてチェリウフィーは頷く。
「偉いよ。まずあの魔女ねーちゃんの伯母上は大国ニヴェルの女王陛下であらせられる。ニヴェルは知ってるだろ?」
「この世界の北を占める大陸の王国ですよね? あとイグディラ信仰の総本山とか……」
確かアサドからそう習ったと、記憶を紐解きながらたどたどしく答えた。そのイグディラ信仰から派生したのがセラフィム信仰だとチェリウフィーが付け足し、その話に聞き覚えがあった雛菊は首肯して先を促す。
「要約するとあの魔女ねーちゃんは信仰の大元である世界樹イグディラを守護する一族の末裔なんだね。今ではあの一族が信仰対象に近いものを持ってるし、特にその中でもねーちゃんの力は創天に相応しい強力な術者らしいし、こちらとしては穏便に済ませたいのさ」
「あの人が態度デカイのが分かった気がする」
詰まる所物理的に怖い物なしなのだ。
「ま、それだけじゃないんだけどね。この国の建国にはニヴェルの擁護もあったからとか歴史背景も絡むんで、あまり強気に出れないのさ」
「立場が弱いって事ですか?」
「国力が劣ってる訳じゃないが、ニヴェルが友好国であると東にとっても牽制になるからね」
話せば色んな柵とか腹の探り合いだからとチェリウフィーはお茶を飲むのと同時にその先も流した。
「ああ、でもシャナのおかげで魔女ねーちゃんがうち寄りになってくれてるから儲けたわ」
笑い話なのだろうが当事者としては開き直って笑い飛ばせないと、雛菊は唇を尖らせた。
「いやいや、悪かった。上層部でもかなり持ちきりだからさ。魔女ねーちゃんにシャナをやっちまったら行く先安泰なんじゃないかって」
「なんですかそれ!」
いよいよ笑えなくなった話に思わず立ち上がると、チェリウフィーはまあまあと雛菊を宥める。
「馬鹿な爺共が余計なスケベ心出しただけさね。そもそもこの話はねーちゃん自ら断ってるよ」
「……そうなんですか?」
「なんでも“周りに頼らず自身の魅力で振り向かせて、あのちんくしゃから略奪する方が何倍も気持いいからですわ!”だと。面白いねーちゃんだから今度茶会に誘おうかと思うが、いいかい?」
「チェリウさん主催なんだからお好きにしたらいいです」
その時、険悪にならない保証はないけれどという言葉を飲み込み、雛菊は残りのケーキを一口で押し込んだ。
スポンジに挟まってるのは木苺のジャムだろうか。これと似たようなものを作れないか思考して、ふと、そう言えば最近シャナにプリンを作ってなかった思い出す。思い起こせばプリンで随分寛容になった節があるので、ソノラから施されたら絆されるのではとも勘繰ってしまう。
(そりゃあ、いつもは子供だけどあれで顔は綺麗だし、ソノラが夢中になるのも否定はしないけどさー)
ブチブチと小言を口にし、側でチェリウフィーにニヤニヤされながら聞かれるとも気付かない雛菊はお代わりのケーキにフォークを突き刺し、一つとても大事な事を思い出した。
「ーーそう言えばシャナ、ニタムさんと婚約してたと聞きましたが、本当ですか?」
もしかしたら好きな人の昔の想い人かも知れないという可能性。思い出すのに随分遅れが出たのは、聞かされた直後にそれ所の騒ぎではなくなったからだ。
チェリウフィーも突然の話題に目を丸くし、何処で聞いたと問うた。
雛菊は今この名前を出していいものかと迷いながらもセイリオスだと答える。
この話を聞いたのは夜会の日だった。何度振り返ってもあの日以上に濃い一夜はなかったと、今だからこそしみじみとする。ただし、この話題にはあまりのんびりと構えてはいられない。
「シャナとニタムさんてその……実際に付き合っていたりしていたんですか?」
過去に色々抱えるシャナだ。恋人の一人や二人の存在もおかしくはない。ましてや倍以上の人生を重ねた規格外であるから、結婚の一回や二回もあったかも知れない。
その可能性に気付くと雛菊は青くなって、チェリウフィーの解答にも耳を塞ぎたくなる。
その様子をチェリウフィーは初々しく見つめながらも、堪え切れずにからからと笑い出した。
「安心おし。あの婚約話も今回のようにあれをこの国に繋ぐ為の爺らの勝手した事だから。大体、あいつがあんたにご執心なのに驚くくらい、シャナの奴が女とどうこうって話は聞いたこたぁないよ。あたしはあれが過去に何人も女がいたような器用な男には見えないがねぇ」
最後の方は独り言にも近かったが、付き合いの長い彼女の言葉に安堵してまたすぐ塞いだ。
「でも、何もなかったとしてもこの話でシィリー君を傷付けたのは確かなんですよね」
“この国は自分に何も与えない”と彼が言った事を思い出す。それ以上に酷い仕打ちも聞いた。
積もり積もった鬱屈した感情が、セラフィムに対する妄執に繋がっている気がする。
境遇には同情するが、子供の駄々みたいな印象もあった。少なくとも心の何処かが歪んでしまっているのだろうというのが雛菊の見解だ。
(この世界に戻ったからにはあの人ともまた対峙しないといけないんだろうな)
そう考えると体が震えるのだが、放っておくにはあまりに気の毒過ぎた。
「ーー何を考えてるが想像つくが、気に病むんじゃないよ。あいつはあたしらが落とし前つけなきゃいけないんだからさ」
それはこの結果を招いた事への彼女の悔恨だろう。
「現王一族と前王一族は居住区域が別で、教育係も別だったから気付けなかってぇのは言い訳でしかならないけどねぇ……」
妾腹だからと継承権から遠ざけられ、早くに親を亡くし身内の情に飢えた少年。
何処かで気付いて手を差し伸べられたらと、面倒見の良い彼女は思っているのだろう。
「おや、湿っぽい茶会になっちまって悪かったねぇ。今日はしまいにしようか。また近いうちに声かけるからさ」
「はい。またお邪魔します」
腰を上げ、雛菊は丁寧に頭を下げた。それに対し、チェリウフィーも今日の装いに見合った淑女らしい仕草で応える。
「お節介ついでに言うけどね、ヒナ嬢は難しいこたぁ考えず、ただあいつを幸せにしたげんのを一番に動いたらいいんだよ。この国の行く末やセイリオスの坊やとか気にしないでいいんだ。だってあんたはこの世界の為じゃなく、シャナの為に来たんだろう?」
まるでお嫁に行く孫を慈しむようにチェリウフィーに頬を撫でられ、雛菊は置いて来た郷愁の念で鼻の奥がツンと痛くなるのを感じた。
涙は堪えたが、人生の先輩は誤魔化せないようだ。
「何を覚悟して来たかは追及しないが、あの子を幸せにしておやりよ。あんたなら出来るから」
覚悟を決めた女は戦地をも駆け抜けるからねと笑い飛ばすチェリウフィーに、雛菊も小さく笑みを零して、三度深々と頭を下げるのだった。




