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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
幕間・少し前の日々の一幕
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とある少年の独白…side Shana…


まだ三人の共同生活が行われている頃。

その最初ら辺。





 それは日溜まりに咲く可憐な花で、僕は摘み採る事も叶わずに、ただ、暗い部屋の中から眺めるだけなんだ――。




「もー! 何をどうしたら一晩でこんなに汚せるのさっ! 本が山積みっ書面ぐちゃぐちゃ! あーやんなっちゃうっ」


 朝靄けぶる時間も過ぎただろうある日の朝。今日も威勢のいいヒナギクの声が冴え渡る。


「煩いな。僕の部屋を僕がどう使おうが僕の勝手だろ」

「そんな屁理屈通じません! ほら、また片付けるからシャナは部屋から出てって出てって」


 書面に並んだ小さい文字をずっと読んでいて視界がおかしくなっていた僕が、目を細め一際不機嫌に応じても彼女は怯みもしない。僕などお構いなしに箒、はたき、バケツと雑巾を持ち込むとその代わりのように部屋から主を追い出した。


「ほーら、早く一階に上がって朝ご飯食べちゃって。いつまで経っても片せないんだから」

「君が此処まで食事を運べば――」


 言い掛けて口を噤む。ヒナギクに物凄い形相で睨まれたのだ。


「……リビングに行くよ」

「よろしい。ご飯はテーブルに用意してあるよ。お茶はお湯を注ぐだけでいいようにしてるから自分でやってね」


 早速てきぱきと掃除を始めながら説明するヒナギクに、僕は溜息一つ零し、のそのそと自室を後にする。

 彼女みたいなのを世に言う肝っ玉母さんと言うのだろうか。母親というものを情報でしか知らないけれど、鬱陶しいお節介は噂と酷似している。噂によれば母親たる存在は惰眠を許さず、部屋に篭る事を否とし、こっちの事情など聞く耳持たずに外に追い出すのだ。

 多分に漏れず自室を追い出された僕は、読みかけの本を一冊片手にリビングへと続く階段を上がる。よれよれに立った襟が歩く度頬を撫でてくすぐったい。ヒナギクが綺麗に洗濯してのりを効かせたシャツに着替えれば良かったとも思うが、今更引き返すのも面倒臭い。ーーなどと言ったらヒナギクにまたお小言を貰うんだろうな。

 彼女が現れてから僕の生活は随分変わった。

 地下から光差すリビングに出ると、その明るさに目を細めて入口付近でつい足を止める。つい少し前は常にカーテンが閉め切られ、地下も地上も昼も夜もなかった。太陽の動きに合わせて活動するなんて人間らしい暮らし振りは久しくなかったけれど、やはり身体の具合というのは改善されているように感じる。

 それもこれも彼女のお陰だと頭では分かってはいるが、今のところ感謝の意を述べる予定はない。




「おはようさん。こっちまでヒナの声が響いてたぜー」


 リビングに出れば長い足を優雅に組んで出迎えるもう一人の居候に出会す。世間的な評価で喩えるなら美丈夫の類いの男を前にするとたまに目がチカチカするのだけど、ああ、差し込む光に金毛が反射するからか。

 それにしても朝から目に優しくない光景だ。


「寝坊助は今頃起床か?」

「朝まで起きてたから寝坊じゃない」

「ははっ。俺とお揃いだな」


 太陽の申し子のような金の髪をさらりと背中に流したアサドを一瞥し、僕は自分の席の椅子を引いて座る。


「お前の方はまた朝帰りか」

「そ。紅と白粉おしろいを服に付けて帰宅したらヒナに怒られちまった」


 “洗濯に手間がかかるんだと”と、一言加え、僕の向かいに座る金色の長髪と同色の瞳を持つ派手なアサドは、新聞片手に珈琲をすすった。


「そんな所帯染みた理由じゃなく、“余所の女の所に行っちゃやだ”とか言われてーのになぁ」


 ぼやくアサドを無視し、僕は用意されていたポットから自分のカップにお湯を注ぐ。立上ぼった湯気が鼻の辺りに溜まり思わず顔が歪んだ。その上お茶を注いだはいいが、熱過ぎてすぐには飲めそうもないので次にパンに手を伸ばす。ふっくらとした焼きたてのパンは、口に含むとじんわり甘みを増して美味しかった。


「それ、毎朝早起きして町まで買いに行ってんだぞ。こんな町外れから小半時かけて」


 アサドが指さすパンを、僕は物言わずただ食す。


「不思議に思うんだが、何でヒナはそこまでやってくれんだろなぁ」

「性格だろう?」

「実も蓋もねぇ。男なら“俺の為に尽くしてくれるのかも”ってぐらいの想像力も働かせられねぇのかよ」


 ぼやくアサドの言葉に促されてヒナギクの姿を思い浮かべる。

 綺麗な黒い髪と瞳を持ち、僕がセラフィムと誤って異世界から召喚してしまった少女。

 今は元の世界に帰るまで此処に居候を許している。

 性格は良く言えば快活。悪く言えば騒々しい。

 普通の町娘と同じ事で笑い、怒る。変わった所と言えば年頃の娘より少々所帯臭い性質だろう。

 朝から掃除洗濯料理と忙しなく動き回って、同じ所に止どまらない風のような少女。

 クドウヒナギクという名の女の子は僕より随分と年下なのだが、僕よりしっかりしている。

 思うに、アサドはヒナギクのそんな母性に惹かれつつあるんじゃないだろうか。

 別に誰が誰を好きになろうと本当は僕には関係のない事だ。

 関係はないけれどヒナギクを追うアサドの視線が気になるのは、僕がアサドを哀れに思っているからだ。


「アサドはヒナギクが、好き?」

「は?」


 丸くなる金色の瞳をぼんやり眺めてから数秒。

 僕はやっと尾が切れた事に気付く大型爬虫類の如く鈍い反応で、自分が何を言ったか気付いた。

 とゆうか無意識だ。

 無意識の内になんてことを尋ねてるんだ!

 あまりに馬鹿げた己の質問に耳が熱くなるのを感じ、僕は動揺を隠すようにお茶を一気に飲む。が、お茶はまだ熱く、舌と喉が焼けたけれど、重ねて失態は見せられないので我慢する。

 何をやっているのだろう、僕は。

 失言に失態を重ね、肩を落とすとそんな僕の動揺を見透かしているのかアサドがニヤリと笑う。


「気になるか?」


 あんな風に聞けば煽るのがアサドの性格だ。


「――そんな訳ないだろ。ヒナギクがそういった対象になるかい?」

「なるんじゃねぇ? 可愛いし、家庭的だし、何か温かいし。母性って奴は男にゃかなり効くし」

「暗にマザコンなんだろ」


 少し憎まれ口を叩けばアサドはそれでも楽しそうに破顔した。

 忘れていたが僕はコイツのそんな純な所に弱いんだよな、くそ。

加えて器も広いから僕みたいなのを友人としてくれたんだ。それは決して悪い気はしない。だからこそ、かつての親友を思えば僕は忠告せざるを得ないんだ。それだけだ。


「……これは忠告だけど、ヒナギクはいずれ元の世界に帰るんだからね。僕が帰す約束をしているから」


 それでも深入りするの?

 婉曲に伝えた真意は届いただろうか。

 アサドはその言葉に神妙な顔付きになり、組んだ足を解き、前傾になって膝に肘をついて頬杖つく。真面目な話をする時のコイツの姿勢だ。


「シャナ、お前さ……」


 抑揚のない声。覇気がないというより、呆れた声でアサドが僕に向かって長い人差し指を差し向けた。


「女に根暗って言われてフラれた事ねぇ?」

「はぁ?」


 脱力したのは僕だった。真面目な顔で身構えさせて何を言い出すんだろうか。悪戯好きな馬鹿な子供みたいなニヤけ面にだんだん腹が立って来る。


「図星か?」

「ないよ! 大体それと今の話にどんな関係があるんだよ」

「関係あんだろがよ。始まる前から終わりの事考えてたら、いつまで経っても先に進めねぇだろ。あ~阿呆くさ」

「阿呆って……人が親切に忠告してんのにその言い草……」

「心配なんか頼んでねぇよ。まだ俺だって本気じゃねぇし。それとも何か、そう脅してライバル駆逐してんのか?」

「有り得ないだろ」


 さらりと出した答えにアサドが黙った。

 多分、コイツにとって僕が即答した事が意外だったらしい。つまり、今の発言は僕がヒナギクを好きで、そのライバルを減らす為の姑息な根回しだと考えてたって訳だな。

 そんな下世話な印象を持たれたのが凄く心外だ。

 予想は外れたがアサドはそれを悪びれる様子もなく、ふと思い付いたようにまた口を開いた。


「“ヒナはいずれいなくなるから、好きになってはいけねーんだ”って、自分自身に言い聞かせてるって説も有り?」

「――……っ」


 何故か今度はすぐに言い返せなかった。


「あら、今度は図星か?」

「――~っ違う。呆れて物が言えなかっただけだ」


 即座に言い返すがアサドには誤魔化しにしか聞こえないらしく、生返事で濁されて納得はして貰えなかった。

 その後は当の本人が地下の掃除を終えて戻って来た為、この話は尻切れ蜻蛉に終わる。

 でも、それからまるで気持に付箋が貼られたようにこの日の会話は僕の心に残った。


『ヒナギクはいずれ帰るべき人だから好きになってはいけないという、心の歯止め』


 それではまるで僕がヒナギクの事を好きみたいじゃないか。

 なんて笑えない冗談だろう。

 彼女は日だまりの下で笑う花。

 僕は闇。花に必要な水も光も持たない存在だ。あまりに眩しすぎる光の下では影は掻き消されてしまう。

 そもそも、僕は誰かを好きになる資格も、幸せにする事も出来ないのに――。



 一方でその後も僕とヒナギクとアサドの三人の生活が続くにつれ、アサドの気持が育って行くのが分かった。

 僕の忠告が通じていたのか、たまに踏み止どまっているようなのに理屈ではないのだろう。それでも一歩ずつ歩んでいる。

 その傍らで僕は何もない。

 何も変わらない。


「シャナ」


 君が僕を呼ぶ声が心地良く聞こえるのだって他意はないんだ。

 好きにはならない。

 好きになる筈がない。

 僕がこの僕である限り――。


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