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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第四章・願い事ひとつ
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15.察しろ、言わせるな

 

 定例の監視が終わり、報告はソノラに任せて別れるとシャナは長い廊下を一人渡る。

 仕事上がりに農夫が襟元を緩めるように子供の形態に戻りながら、足跡を打ち消す絨毯の上を歩く。

 そのまま突き当たりから出られる外階段を上がれば、空中庭園と名高い植物園があった。城仕えをしていた頃に宮廷精霊師の権限で作らせたそれは、市場ではなかなか手に入らない植物が無数に管理、栽培されている。しかし珍しい植物以上にこの場所の価値は別の所にあった。


 ――おかえり。


 庭園に一歩足を踏み入れると、ふわりと風に乗った声が耳元を擽る。

 向こう側の人は知らないだろう光景。

 精霊は清められた泉や緑が好きで集まるのだ。

 淡い光が無数に散らばる。ふわりと飛んでシャナを歓迎して出迎える。この庭園の精霊は昔馴染みで、友好的な兄弟のようなものだった。口々におかえりと出迎えては、人には見えない草花の健康状態を教えてくれる。その中でひとりの精霊がある知らせをくれた。

 ――コワイひと、きてるよ。

 なんだそれはと首を傾げて奥を見やれば、成る程とシャナはつい頷いた。

 庭園に射す日差しを逃れるように木陰から長い足が交差して伸びている。足の主は幹を背もたれに、積み上げた蔵書を肘置きに別の本を読む。長い豊かな金の髪が邪魔なのだろう。首の後ろでひとまとめにされた髪が苦しそうに背中と幹に挟まれている。

 彼はシャナの存在に気付いていながらなかなか視線を上げずに本を読んでいる。此方からも読める本のタイトルは彼の分野とは遠いもので、また何を目的にしているかが明白だった。


「確かにこれ以上なくコワイよ」


 教えてくれた精霊に呟いて、シャナは待ち人に声をかける。


「君から僕に会いに来るなんて珍しいね。アサド」


 呼び掛けられた青年はゆっくり顔を上げると、髪色と同じ瞳をきつく絞るように細めるとシャナを容赦なく睨みつけた。


「デートは楽しかったかよ」


 酷い揶揄にシャナは肩をすくめ、その場に腰を下ろす。


「君が子供なら代わって貰えたのに」


 嘯いてもアサドは笑わなかった。

 アサドとはもう半年近くまともに口を聞いていない。それを考えるともう半年なのか、まだ半年なのか分からずにシャナは未だ褪せそうにない記憶に胸が痛む。されど痛む権利は己には無く、目の前の彼こそ嘆き怒る事が許されるのだとシャナはアサドからの非難を受けていた。

 無視は仕方ない。必要ならば姿を消しても良かった。本来ならその予定であったのだが、セラフィムという大きな鍵が突如消失しその事実を伏せている今、万が一に備えて守りを手薄にしてはいけないと結局王都での滞在をしているのだ。シャナの存在が必要なのは承知であるから、顔を合わせるアサドはいつだって苦々しい表情だった。

 だからこそ此処で彼の方から歩み寄るのは何かの理由があるのだろうと、シャナは腰を据えて話すつもりでその場に尻をつける。


「世間話なんてつもりはないだろう? 率直に本題から入ろうか」


 その呼び掛けを合図にアサドは今手に持っている本をシャナの鼻先に突き付け、いきり立つのを抑えた声色を発した。


「今すぐあの子を呼び戻せ」

「無理だ」


 何となく言い出す内容を予測していたシャナの返答は速い。


「“同じ扉を使って次元を往き来は出来ない”って返事は聞き飽きたからな」


 既にこの半年の間何度も訴え、その度に同じ理由を聞かされたアサドも引かない。開いた本のページを見せつけてもう一度少年を見据える。


「例え次元が変わろうが、対になる物を呼び寄せる方法はあるだろうが」

「……門外漢のくせして、随分熱心に調べたね」


 感嘆と同時にその執念に呆れもしてシャナは目頭を押さえ、横目でその本を見る。相当読み込んだのだろう。開き癖と手垢のついたそのページは小さな可能性を示唆していた。


「要するに君の持つジオンを寄り代に彼女の持つジオンを引き合わせる訳だ。理論は確立していても誰も成功させた事のない転移の術をしろなんて夢みたいな方法を掘り出したのか」

「セラフィムを召喚する以上の夢はないだろ」

「セラフィムが付属してるなら同義だ。それに彼女が手放していない可能性は考えないのか」

「大事な形見だと知っている物を無造作に放り出すような子じゃないのはお前だって知ってる筈だ」

「そうかもね……」


 アサドが持ち掛けた方法は理論上は可能かも知れないものだった。物質を構造する組織が同様なものがあれば、別の場所にある対象を引き寄せる空間転移の術だ。

 それは例えば呼び寄せたい人の髪でもあれば、その髪の主本人に繋がる道を繋げるというものなのだが、実際に成功させた例を見ないものであった。

 つまりアサドは元は一対であるジオンを使い、その片割れを持つ雛菊への道を繋げようと言っているのだ。この術式が異世界までの道を繋げるのかは定かではないが、式自体はセラフィム召喚の基盤になってもいるので無駄とも言い切れないのを知っているシャナは強い否定も出来ない。

 ただし、成功したとしても石にのみ繋がる場合を諦めさせる理由にしようとしたのだが、彼にはそんな理由は説得の内にも入らないらしい。


「……発想としては良い線かも知れない」


 アサドの研究を認めた上で、しかしシャナは希望を打ち消す。


「彼女を強制的に帰した僕を頼るのはお粗末でないかな」

「仕方ないだろ。出来るのはお前しかいない。それにお前は俺に借りがある」


 ぐっと親指で自分自身の胸を指すアサドはシニカルに笑った。実にシャナの弱みを突いている。


「お前は俺を戻す手段で彼女を呼んだ。なら、目的を果たす為に誠意を尽くすのが筋だろう」


 依然として呪われた体は、腕捲りをしているアサドの手の甲までに深い印を刻んでいる。雛菊が元に戻したのは獣からの沈静化であって、呪いそのものを取り消すものではなかった。

 あの状況はただ傷付いた者達を癒やす願いが強かったからだろうとシャナは踏んでいる。だから傷の癒えたアサドも結果的人に戻ったに過ぎないのだと。

 詰まる所、目的の当初は何一つ叶えられないままなのだ。


「……呪いの件は別の道で探るよ。幸いニヴェルの魔女もいるし、二つの知識が合わさればどうにかなるんじゃないかな」


 でまかせではない。ソノラの力があればその見通しは明るく、現実的な提案だ。が、アサドがそれで納得していないのは百も承知だ。


「大体、君の方こそ今すぐに元の体に戻る気はないのに、よくも自分を餌に言い出せるものだね」

「理由がなんだろうと、あの子を呼び寄せるならなんだってするさ」


 戦がいつ起きてもおかしくない現状で、呪われていようと今の身体が便利だと実感しているのはアサド本人だ。しかし、そんな皮肉も正面に受け止めて返すのだから敵わない。シャナは臍を噛む思いでアサドを見た。

 彼の気持ちなど痛い程よく分かる。

 アサドの浮き名など過去何度も耳にしたが、これまでに一人の女に固執した事はなかった。それが大切な形見のジオンを渡すくらいに想いを寄せる少女が現れた。正直、相応しい相手だと思える。

 それでもこれ以上いないだろうと思える‘彼女だけは’駄目なのだ。想いを寄せても報われない事をシャナは知っている。


「……アサド、君は彼女の事がどれだけ好きなんだい」


 こんな事、自分から口にするのも珍しい話題に笑いたくなるが、そんな気力すら起きずに尋ねた。改めて確認を取りたかった。


「報われなくても構わないくらい、それこそ死ぬまで思い続けるさ」


 迷いなく、はっきりとした決意に図らずとも笑ってしまったのでアサドに怒りの蹴りを貰ったのは致し方ない。


「それなら何も彼女がこの世界に存在していなくてもいいじゃないか。 何処かの世界で幸せになるのを願うだけでは足りないのかい?」


 改め直しシャナが尋ねるとアサドは話疲れたか、足を組み替えて一息挟むと呆れた物言いでそのまま睨み返す。


「あの子が此処にいる事を強く願っているから、その通りにしたいだけだ」

「君は随分彼女の気持ちを知っている口振りだけど、どうしてそう思えるのさ」

「一番話してるのは俺だからだ。見てた長さならお前にも負けねー。あの子が望むものなら分かるよ」

「張り合って勝ったつもりかい。おめでとう」

「悔しいか。最初に会ったのはお前かも知れないが、普段接してた時間が長いのは俺なんだからな。あの子の好きな食べ物好きな花、色、向こうの世界もお前より聞いてるし知ってるもんな」

「だからなんだ。それだけ知っているなら向こうが安全で家族もいて、どっちが彼女の為か分かるだろう」

「それでもあの子はこっちを選んでた」

「……連れ戻してどうする。いよいよ本気で輿入れでもさせるの?」


 鼻で笑えばアサドは煽られる事なく淡々とした声で小さく吐息と共に吐き出した。


「言ったろ。報われなくてもいいって」


 声は低く落ち着きがあるが何処か自棄に見える。彼と相手の間で何かあったのかも知れないが、詳しい所はシャナも知らぬ二人の話だ。


「俺はこの世界にいようがいまいが、あの子がどっかで泣いてるのが嫌なんだ。ただ嫌なんだよ。どうしてあの子に選ばせないんだ」

「危険だからって理由は何度も説明した」

「蒸し返すな! 守るって言ってんだろっ」


 もう何度となく繰り返した問答にとうとう堪えきれずにアサドが声を張り上げる。空気がビリビリと震えた。正確には特定の目でしか見えない存在が、彼の怒りに怯えてざわめいた揺らぎなのだが感情を発する本人は知る由もない。


「敵の正体は分かってんだ。北の魔女もいるから監視の目も事足りる。何がそんなに不満なんだよ。何がそんなに心配だ」


 やや声量を下げてアサドが問う。何がと聞かれ説明出来ればどんなにいいかとシャナは口を噤む。

 説明が難しいのではない。口にする事態を忌避しているのだ。

 前回までならそこで何の進展もなくアサドが怒ったまま退室の流れになる。それを見越してシャナはこれ以上の会話は無駄だと黙っていたのだが、今日に限って粘りを見せるアサドは顎に指をあてた思案顔だ。立ち去る気配はない。だがシャナから言わせれば定例の無駄話は店仕舞いだと背中を向けると、構いなしに声をかけられた。


「此処にいる方がまずいのか?」

「……当たり前だろう。聞く分には彼女の元の世界の方が拉致られる確率は十分低いんだ」

「聞き方が悪かったな。それ以外での危険だよ。お前、何か隠してるだろ」

「隠す必要があるのかな。セラフィムを抱えるのはリスクが高かった。戻る手段を得たから約束通り帰しただけ。何度も言った。何回も説明した。あといくつ言わせたら満足するんだ君はっ」


 肌にすり寄っていた者達が離れる。今度はシャナの怒気に怯えたようで、この世を循環する者達はひっそりと木陰に形を潜めに行った。

 あとで謝らなければならないなと繊細な彼らを思い、取り繕うように息を整えていると突拍子もなくアサドは不意をついて確信に触れる言葉を放った。

 覚悟もなく予期もなく唐突に聞かれてシャナは表情を隠す余裕も与えられなかった。

 聡いアサドはそれで確信を持ち、眉を潜める。始めに絶望が出て次に縋るような哀願をシャナに見せて徐々に憤怒が湧き上がる。それが自責から来るものだと分かるのは自分も共犯だからだとシャナは唇を噛んだ。

 知られたくなかったのはアサドが思い詰めるからではなく、彼が思い詰める事で思い知らされる事だ。弱い自分が犯した過ちに無垢な少女が蝕まれるのを知りたくなかったからだ。

 ましてやそれが愛した少女なら尚立ち直れないからだ。


「……どうして気付けなかったか愚かな自分を殺したいよ。考えれば簡単な話だ。“なんでも願いを叶える”なんてそんなのノーリスクで得られるとかとんでもなく甘ったれで浅はかで自分勝手で利己的な思い込みだろうね」


 一気に吐き出すとシャナは力が抜けて芝の上に膝から崩れる。認めてしまうとしまっていたものが次々と雪崩のようにのしかかって行くようだった。


「花占いのそれのように、僕らが彼女の小さな肩にすがってしまえば彼女は花びらを散らして叶えてしまう。僕らが彼女の魂を喰らってしまうんだ」

「つまり、そういう事なんだな……」


 アサドの理解にせき止められず、シャナは涙を零す。


「思う以上に彼女の先はもう長くないんだよ――……」


 

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