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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第四章・願い事ひとつ
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14.汝、希望を抱く事なかれ

 

 彼にとっておそらく、この世で一番不可解な謎は己自身にある筈なのに、それを解こうなんて関心を持った記憶がなかった。

 自分の年齢や、親兄弟などの出生に関する一切が謎。

 記憶喪失かと問われればそうかも知れないが、なんとなくはじめから俗世のような関係を持っていた感覚はない。

 数ある古い記憶の中でも新しいものはとある女軍人との出会いだった。

 その頃は情勢が不安定で、ヨシュムとの国境でよく小競り合いが頻発していた。

 戦争の理由に詳しく興味を持たなかったが、森が焼かれ、泉や川が汚染されるのを堪らなく不快に思った。

 微かに覚えている古い記憶から精霊は彼の傍にいた。家族との絆を持った事はないが、それに近しい存在が精霊と言えたかも知れない。

 その精霊が人の争いで住処を追われていると嘆いている。だから単純に争いが終わればいいと思い、たまたま戦場で出会った初老の女将軍に拾われてその下で働く事にした。どっちかの国が勝利を収めれば戦が終わるのならと、アーシェガルド国についたのだ。深い理由はなかった。

 ただ、チェリウフィーと名乗った女将軍と国王レオニスは気の良い人間であった。

 戦力になるからと囲った面もあるだろうが、客として友人として家族として扱ってくれた。その中でも国王に気性もよく似た次男のアサドとは不思議と馬があった。

 その頃は普段取っている少年の姿の年齢と変わらないくらいの子供であったが、生まれて初めて出来た親友というのがアサドであった。

 戦は数年にかけて長く続いた。最初は小さな争いで、間が空くこともあったが下火になったと気の緩んだ所に火種を激しくさせる。

 血と火薬の匂いの日々が続いた。それでも心が荒まなかったのは友人が幾人も出来たからだ。

 人の温もりは知らなかった。心地良いものだと覚えて、胸の辺りがなんとも言えない温かさを感じた。

 これが幸せかと思った。

 これが望むものだと思った。……失うまでは。

 仲の良かった少女が消えた。大量の血痕だけを残し、生死不明のまま姿を消した。心が荒れた。

 そこから数日とも経たずに今度は親友が死んだ。

 何一つ間に合わず何一つ救えず、ただ失った。

 初めて感じた喪失感はとても抱えきれるものではなかった。認めたくなかった。だから呪いを唱えた。

 それが誤りだと気付くのは後悔する時だ。

 そこから時間の感覚は酷く曖昧だった。

 城遣いで得た高い給金に明かせて各地を歩いた。

 歩き、調べ、また歩き、そして各地で調べ学んだ結果を集結させようと儀を始めた。

 一縷の望みにかけた。伝説でも絵空事でも幻でも最後の希望に賭けた。

 願い、祈る、乞う。

 失ったものを取り戻そうと歪めてしまった。せめて元の形に戻したい。失ったものを奪うというなら、我が命を差し出すからこの願いを叶えて欲しい。

 何時間何十時間何日何十日祈り続けただろう。

 あの頃の記憶は最近の事の筈なのに未だに不鮮明だ。

 何も変わらない日が続いていた。なんの成果も得られない時間が過ぎていった。

 時間の感覚はない。

 はっきりしているのは、ある日なんの前触れもなしに陣が光り出した瞬間だ。

 気付けば光が部屋を埋め、地から生えるように扉が現れた。

 古ぼけた扉。少し錆びた鍵穴のないドアノブが回る。


「シャナ……」


 そこから現れた少女は、全てを許し包み込むように微笑んで彼の名前を呼んだ。

 呼ばれた彼は泣き出したい気持ちに駆られたが、それよりも安堵が上回って意識を手放したのだけれど。



 * * * * *


「シャナ様、国境沿いに不穏な動きはないようですわ」


 真夏の濃い青々とした草木を匂わせる双眸に覗かれて、シャナは夢から醒めたように我に返る。


「どうかなさいまして?」

「いや、監視役すまない。君にしか任せられなくて負担をかけさせる」


 訝しむソノラを誤魔化すように労えば、彼女は褐色の肌を赤く染めて頬に手を添えてはにかむ。


「そんな! シャナ様のお力になれるならこれくらいなんともありません。あたくしの愛の力で一歩たりともヨシュムの侵入など許しませんことよ!」


 豊満な胸を張り、細い腰をくねらせてソノラはうっとりと吐息を零した。反対にシャナは仕事を終えると一変して乙女になるのはどうにも面倒だと、密やかに嘆息吐く。

 仕事のパートナーとしてなら、彼女は今までに見て来た術師の中でおそらく一番の腕前で、さすが北のニヴェルの女王の懐刀とシャナさえ感心するほど実にソノラは有能だ。

 いくらアーシェガルド隣国のヨシュムの動きが不穏とはいえ、それは水面下での事。それを表沙汰に国境沿いでの警備を増やせば、これこそ火種を大きくする理由になりかねない。かと言って警戒を緩めるのも出来ない現状に彼女の力は実に有効的だった。

 まずシャナの精霊術を基盤とした結界を国境線に張る。その上に彼女の魔術を被せて気配を隠してしまうのだ。言葉にすると単純な工程だが、これが余所では簡単に真似が出来ないのが強みだ。

 この世界は大地や大気に息づく精霊の力や加護、知恵を糧に動いている。

 太古、人は精霊の知恵を借りて薬を作り命を延ばした。けれど精霊と言葉を交わせる人間はごく僅かで、その者らが学ぶ薬湯作りが精霊師ウィッカの原点である。その中でより精霊と言葉を酌み交わし、より大きな精霊の加護を得て精霊の力そのものを引き出す稀な人間こそが精霊師として台頭するようになった。

 その現在の精霊師の中で、一番精霊に愛され、加護を受けるのがシャナだ。

 この世は不可視の精霊によって廻っている。

 だからこそ研究され、研磨され、その力を知り破くものもいる。したがって、いくらシャナの力が強かろうと、見破られてしまっては警戒を抱かせる意味では役に立たないのだ。

 そこにソノラの力だ。

 彼女の力は精霊師よりも希有なものだ。生まれつき精霊を視る精霊師の素養を備え、尚且つ我が身に魔力を内包する。精霊師は基本、精霊を介して外から力を得るのに対して、彼女は自分自身からそれ同等の力を生み出せるのだ。さらには精霊術ウィスも織り交ぜた術も合わせるとその力の可能性は天井知らず。天をも創造する魔術師の二つ名は伊達ではない。

 その上、彼女の力は一族にのみ伝わる血の継続である為にその中でも特級だ。

 その力は北の王国ニヴェルだけが擁する力であるから、実態を知るものもほんの一握り。ヨシュムの有能な精霊師といえど、原理が違う術をそう易々と見破る事は出来ない。

 また今回の術に置いては遠隔視も可能で、異変があれば境界線付近を術者自身が俯瞰で覗く事が出来る。

 一人で兵士の何役もこなせる彼女は、これ以上ない味方だ。それだけに邪険にも扱えないので、ソノラの誘惑にはいつも頭を痛めていた。


(乗れば楽なんだろうけど、その気にもならないしなぁ)


 取り敢えずは彼女好みの幼い形態は控え、現在も青年の姿を取っているのだが彼女の熱はそれでも覚めない。青年姿には心なし距離を置いてはくれるが、効果の程はよく分かっていない。

 いつ開戦になるかも分からないのに、女の子ってのは呑気だと心で呟き、その時よぎった影を振り払うようにシャナはキュッと目を閉じた。


「意外にも大きな動きを見せないのですね」


 口調を改めたソノラの問いかけにシャナはそっと目を開く。今更後悔している素振りを悟られたくなかった。


「多分、こっちにセラフィムがいないのを知っているんだよ」

「向こうにはプリンシパティウスがいらっしゃるのでしたっけ」


 頷いて肯定したが、苦い気持ちになる。セラフィムの眷属で、骸に咲くと口伝される花だ。その苗床となっているのは、幼い頃から見知った少女だった。

 きっかけは遺体亡き失踪をした彼女の手掛かりを見つけたからだ。

 思えばその頃にセイリオス側でアサドとセラフィムの繋がりに気付き、呼び寄せたのだろうと考えている。憶測でしかないが、異世界の少女が来た頃に自分を探る存在がいた。あれは離宮の遣いではないとチェリウフィーやランフィーに後から確認も取っているので、可能性としてセイリオスの配下だと踏んでいる。


「きっとニタムがセラフィムの気配を感知出きるのだと思う」


 有り得なくはない説にソノラも同意のようで、難しい顔をした。


「だとしたらセラフィムがいない事に、むしろ逆上してもおかしくなくて?」

「……新しいセラフィムが存在する可能性は?」

「ないですわ」


 きっぱりとした即答だ。ソノラは自信を持って強く否定した。


「セラフィムが同時期に二人いたなんて、イグディラを管理する魔術師エッダの中でも伝わっては来てません。それどころか、セラフィムの存在の記録は過去に一人しかないくらいですの」

「一人だけ?」

「それも五百年も昔の記録です。それ以後、セラフィムの巫女の確認は幾度かありましたがそれさえ大した数はいませんわ」

「それだけ稀有って訳だ」

「そもそもプリンシパティウス程の感度はなくとも、セラフィムが現れれば魔術師のアタクシが気付きますわ」


 揺らがない自信になんの根拠があるものかとアサドやランフィー辺りは食って掛かりそうだが、シャナはすんなりとその主張を飲み込んだ。

 この空間にいれば、術者に携わる者なら誰だって魔術師の彼女の、魔術師たる所以を思い知るからだ。

 今、シャナとソノラは国境線上空に立っていた。

 上空からアーシェガルドとヨシュムの国境を空から見下ろしているのだ。

 しかし此処では雲を泳がせる風もなければ、耳を切る空気の流れる音もない。此処はアーシェガルドのラス・アラグル離宮内にあるただの個室。元は離宮に住まう精霊師達が瞑想に耽る為の何もない、窓すらない小さな小部屋だ。

 その四方を囲む白い壁を丁度良いと気に入ったソノラが、シャナを招いて壁、天井、床の全てに自分の魔力が漂うその場の風景を投影したのだ。

 シャナが風の属性の術を得意とするように、ソノラが得意とし、司るのは次元といっても良かった。限度はあるだろうが、彼女は空間すら繋げる事が出来る。それは雛菊を元の世界に送り返す魔法薬を作る事さえ可能なのだ。

 それはシャナさえなし得ない業である。

 その創天の魔術師たる彼女が有り得ないと言うなら、その可能性はほぼゼロだろう。疑う余地はない。

 しかし、それでも聞いておきたい事をシャナは口にした。


「――彼女が戻る可能性はあるのだろうか」


 期待はしていない。してはいけないのだと言い聞かせながら尋ねる。

 これは可能性の話だ。

 単なるたとえ話なのだと聞かれもしない言い訳を念じ、ソノラを見る。

 彼女は艶やかな唇で弧を描くと、夜空に流れる銀河の如き輝く髪を掻き上げて、やはり揺るぎない自負を持って答えた。


「ありえませんわ」


 

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