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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第四章・願い事ひとつ
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09.忘れられないその向こう

 

「ヒナちゃん、昨日どうしたの! 急に休んだから心配したよぉ。ケータイも通じないしっ」


 翌朝、登校するなり小学校からの親友の桃子ももこが抱き付く勢いで飛び付いて来た。雛菊は小柄な彼女を受け止め、懐かしいというジンとした気持を噛み締めて半泣きの彼女にはにかんだ。


「ごめんね、もっちゃん。昨日はちょっと具合が悪くて。ケータイもさ、鞄ごと水に浸してダメになっちゃったんだ」

「鞄ごと⁉︎」


 何でまたと、大きく反応する桃子に雛菊は少し困った。

 実際はラキーアに全て置いて来てしまったのが正しいのだけど、それには説明に長く時間を擁する。更に言えば主要教科の本、ノート類もラキーアで、今着ている制服も予備のものだ。


「実は転んでうっかり川に落としてたの」

「転んだって、怪我は大丈夫⁉︎」


 心配顔の桃子に内心悪い気をしながら雛菊は大丈夫と言った。そして少しだけこの言い訳を考えた大地を恨めしく思う。

 因みに、ラキーアを抜きにした嘘の理由を提案をしてくれたのは大地だ。何の言い訳も思い付かず困っていた雛菊に知恵を貸してくれたのだから恨み言はお門違いかも知れないが。

 加えて置いて来た分の教科書のお下がりまで貰ってとても助けられている。大地からすれば感謝こそされ、恨まれる言われはないだろう。

 現実世界ではたった数分間だが、向こうで過ごした時間分、こうして大地に助けられるのかと思うと、暫くは兄に頭が上がらなさそうで雛菊は嘆息した。


「どうしたの、ヒナちゃん」


 桃子の声に雛菊ははっとして下がっていた眉を弓なりにしてかぶりを振る。


「なんでもないよ。それより昨日のノート見せてくれない? 授業始まる前に写しちゃうから」


 秘密は笑顔の裏に隠し、雛菊は桃子の背中を押して教室の奥へ向かった。

 それは、現実世界への扉をくぐるような足取りで。

 久々に受ける授業は思ったよりついていけないという事はなかった。

 内容が進んでいないのもあるが、持っていった教科書をシャナが瞬く間に解読し、雛菊に教鞭を取るに至ったお陰もあるだろう。

 ――シャナ。

 その名を思い出す度に雛菊の胸はきゅっと苦しくなった。

 雛菊に初めて芽生えた想いを否定したシャナ。それなのにあの別れ際のキスにはなんの意味があるのか。

 考えると苦しくて、またむかっ腹も立った。

 いつだって考え事を一人で抱え込み、悩みを大きくするシャナ。

 雛菊がセラフィムだと判明した時もシャナは一人で悩んでいた。

 きっと今回だって何かを抱えてるのだと思うと、悔しくて雛菊は歯噛みする。

 詰まる所、自分はシャナの助けになっていないのだと思い知らされた気がして。

 木目の机の席について、深緑色なのに黒板を前にして、あまり好きじゃない授業を受ける。

 確かにそれは雛菊のこの世界での普通の生活かも知れない。シャナが望んだ普通の娘の生き方。

 だからとてそれが雛菊の幸せかは雛菊が決める事である。

 シャナは分かってないんだ。

 いつだって我が儘な少年の考えに、雛菊は教室から見える青空を見上げて深く肩を落とした。


「ヒナちゃん、何か雰囲気変わった?」


 昼休み、桃子を始めとした友人達と弁当を広げている最中に、ふと問われて雛菊はドキッとした。


「何か大人っぽくなったというか、色気が出たみたいな」

「そ、そうかなぁ」

「そうだって。何、昨日一日休んで劇的な運命でもあった?」


 桃子の言葉に嘯いてみるが、他の友人もそれに乗って話題は逸れなかった。


「だけど色気ってそんな急に出るもんなの」

「あるんじゃない? 女ってすぐ変身するって言うし」

「じゃあヒナちゃんやっぱり昨日――」

「な、何もないよっ! ホント、何もっ。だって昨日風邪で寝込んでただけだしっ」


 好奇の視線に慌てて手を振って否定して、雛菊は彼女らに向かって笑みを振りまく。


「まあ、さすがに好きな人もまだいないようなヒナには早いか」

「じゃあ、風邪を引いてる人って色っぽいって言うからそれ? ヒナちゃん大丈夫? ホントに無理してない?」

「無理してないって」


 桃子の心配を前に、嘘を吐き続ける自分に嫌気を感じた。

 変化ならあってもおかしくないと思っている。

 此処では経った十数分だったとしても、雛菊は数ヶ月分先までラキーアで過ごしたのだ。そこで得た経験から、何らかの影響を受けて雰囲気が変わったとしても驚く事ではない。

 ラキーアでは色々な人に出会い、不思議な力に触れて、傷付いて泣いて悩んだ世界だから。

 けど、そこはもう戻れない世界なのだと雛菊は薄々と気付いていた。

 今朝目覚めて自分のベッドにいた事にどれだけ落胆し、苦笑した事だろう。

 いい加減見切りをつけなくてはいけないのに。

 家族に、友人に心配をさせているのに。


「いい加減、目ぇ覚めなくちゃね」

「ん? 今なんて?」


 小首を傾げる桃子に何でもないと添えて、雛菊は瑞子の作った玉子焼きを口に含んだ。久しぶりに食べた母の玉子焼きはダシが聞いていて、冷めているのにふんわりとしていて美味しかった。

 雛菊は今になって熱くなる目頭をきつく搾って堪える。

 母の味の懐かしさを味わいながら、ラキーアへの未練を断ち切る淋しさが同時に襲い、雛菊は今、自分を支える世界がどんなに胡乱なのか怖くなった。



 * * * * *


 閉じた瞼ごしに明かるさを感じる。

 夜は星を張って眠りを見守る明り取りの天窓は、夜明けも教えた。肌で感じる光に雛菊は朝を身を持って知って起きる。

 自身の為に設けられたロフトが雛菊の居住区域で、目覚めたらまずはそこでネグリジェからドレスに着替える所から一日が始まった。

 梯子を下りればそこはリビング兼ダイニングで、椅子に掛けていたエプロンを腰に巻く。キッチン脇の籠にはタマゴとパン、セルス蔵には油の乗ったベーコンも保存されていて、朝食の支度が問題ない事を此処を預かる雛菊が一番理解していた。

 あとは手際良く朝食を作ってしまえば、地下の部屋で眠るシャナとアサドを起こすだけだ。

 地下は廊下がぐるりと正方形描くように渡っていて、全部で四室、全て廊下から内側に部屋が区切られている。アサドの部屋は階段から出て右手の部屋だ。

 雛菊は木製の扉を軽く叩く。乾いた音が廊下に響き、ちょっと待って扉を頭分だけ開ける。この部屋に鍵はない。だから雛菊はいつも顔だけ部屋に覗かせて中のアサドに声をかけ、アサドの生返事を聞いたら部屋を出る。以前、ベッドの傍まで寄って起こした時、寝ぼけたアサドに体を絡め取られてからはずっとこの起こし方だ。

 部屋を出て廊下を曲がると二つ目の部屋がある。そこは一応シャナの寝室なのだが、シャナがそこにいた試しは殆どといってなかった。念の為中を覗くがやはりそこは無人で、綺麗にベッドメイクされた状態の寝具があるだけ。部屋は雛菊が来てから手入れが届いてはいるのだが、最初の頃はベッドは埃を被る程だった。まあベッドだけでなく、家全体が埃と黴と蜘蛛の巣だらけではあったのだが。

 シャナが寝室にいない時、ほぼ確実という確率で彼は書庫兼書斎にいた。

 書斎はシャナの寝室の更に右隣り。アサドの部屋の対角状態にあった。時計周りに部屋を巡り三番目の部屋。この部屋でシャナは一日の大半を過ごし、本を漁り、うずたかく詰まれた書籍を枕に仮眠を取る。あまり体に良いとは言えないが、本人の集中力を前にするといつも強く言えなかった。

 雛菊は書斎の扉をノックする。返事がないのもいつもの事。開けばそこで寝ているか、本を読み耽って音が耳に入らない彼がいるかのどちらかだ。

 しかし何故だろう。扉を開くとそこには誰もいない。それどころかシャナの書斎でもなかった。

 そこは雛菊の世界の、日本の、紛れもない雛菊の部屋だった。

 “当たり前の筈の光景”なのに、酷く愕然と雛菊は部屋を眺めた。

 ふと気になって背後を見ると、今度は廊下から先の世界は何もなかった。

 シャナも家も、その地下も。

 向こうのすっかり世界は閉ざされていた。


 ――目覚めてがっかりするのはこれで何度目だろう。

 布団から這い出て雛菊は何度目と分からない沈痛な息を吐いた。

 毎朝家族の顔を見る度グッと心が安らぐくらいに喜びを感じるくせに、向こうへの未練は未だ残ったままな自分に呆れと怒りを覚える。

 また戻れると淡い期待を抱いている自分が情けなくも恥ずかしくあった。

 戻ったところで自分の居場所などないのに。

 セラフィムの存在など争いの種にしかならないのに。

 頭では分かっているつもりでも、気が付くと雛菊はいつも空を見上げていた。

 虹が架かっていないか。あの坂道の天辺に扉がないか探していた。

 その様子を物言いたげに見ている大地に気付くと、雛菊は苦笑だけ返した。

 こんな日常が幾度も繰り返されていた。


 

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