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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第四章・願い事ひとつ
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04.傷口と恋心

 

「ヒナ、シャナと何かあったのか?」

「……何もないよ」


 アサドへ向き直り、雛菊は力なく微笑う。空元気を振る舞っても意味がないのは知っていたが、体を動かしたい衝動が湧いた。


「お茶、飲む? カップ、一つ落として汚れちゃったけどアサド君だけでも……」

「いや、いい」

「そう?」


 空回り。手持ち無沙汰になってしまい、戸惑う雛菊は何となくサイドテーブルの周りをフラフラ歩く。


「シャナは何しに?」

「治療しに、だよ」


 シャナが出て行く話は黙っていた。口にしては認めた気になるからだ。


「アイツの治癒は効いてるか?」

「うん。痛みは殆ど感じないかな」


 証拠を見せるように雛菊は三角巾を取り払う。更には腕を動かしても見せるが、先ほどの治療の効果か痛みが殆ど失せていた。


「ね?」

「良かった」


 傷を負わせた罪悪感がある為か、アサドは元気に見せた雛菊に胸を撫で下ろす。だが露わになる雛菊の右肩に目を見張った。


「どうしたの?」


 様子が変わった事に窺えば、アサドは雛菊の剥き出しの傷口に右手を伸ばす。


「これ……」


 当惑しているのか、彼にしては珍しく動揺して掠れた声。示すように指先が触れた箇所は雛菊の傷痕だった。


「やっぱシャナでも消せないんだな」


 悔いるような絞り出す声。

 アサドの親指が雛菊の右肩の地肌と色の異なる部分を円に描くようになぞる。その行為に雛菊は小さく息を飲み込んだ。

 触れられ、赤面する顔を逸らす仕草に気付いてすぐにアサドが手を離すと、雛菊はいいのと首を振る。


「アサド君が気にすることないよ。私、この傷は少しでもアサド君を助けられた証みたいで誇らしいくらいだもん」

「でも、女の子の肌だ」

「綺麗には消えないけどね。でも、他にも小さい頃の転んだ傷痕と同じようなものだよ」


 そう言って笑う雛菊には気休めさはない。

 年頃の乙女として肌に残る傷を全く気にしない訳ではないが、それでも雛菊はアサドを責める気はなかった。責める以前にアサドの所為だとも考えていない。


「なぁ、その慈愛ってヒナの天性か?」


 嫌われて、怯えられて当然の場面を目の当たりにして尚、平然と垣根を飛び越えて来る少女はとても稀有だ。少なくともアサドはそう簡単に受け入れて貰える存在とは思っていない。


「大げさだなぁ。慈愛に溢れていたら芝生に八つ当たりなんてしないでしょ」


 クスクス笑えば、アサドがまるで眩しいものを見るような目をするから雛菊は急に照れ臭くなって結論づけるように畳み掛ける。


「だから責任を感じないでよ。私は大丈夫だから。むしろ自ら飛び込んで負った怪我の所為でアサド君が負い目を感じる方が私は嫌だな」


 それでこの話はおしまいだ。そのつもりで正直な気持ちを話したらアサドは残念そうに肩を落としていた。


「ヒナの温情は有り難いが、個人的には凄く残念だ」


 雛菊は瞬いて首を傾げた。


「実はこっそり責めてくれればと思ったんだ」

「なんで?」

「俺が悪ければ、責任を取る口実が出来るだろ? 傷物にした詫びに娶るとか」

「なにそれ。それじゃあ私の意思とは無関係になるじゃない」


 雛菊ははにかみながら小さく笑い飛ばしたが、真剣なアサドの瞳に口を閉じる。


「俺は、どんな理由を付けてもヒナが欲しいんだよ」


 きっぱりとアサドが答えると、少し乱暴に雛菊の腰を掴んで抱き寄せた。

 縮まる距離に雛菊は逃げるように後退るが、腰を引かれてはもつれ込むようにベッドに倒れる形になる。

 視界が反転し、染み一つない白い天井が輝くように飛び込んだ。その手前には更に光を放ち、金糸の髪を落とすアサドが見下ろす。


「最初に此処に来た日から、パーティーの夜、昨日とさっき。考える時間はあったろ?」

「で、でも、簡単に決められるものじゃ……」

「かも知れねぇけど、もう、待てねぇよ」


 雛菊は首を横に向けて逸らし、この状況を緩和しようと試みるが何も変わらない。それどころか、首筋が晒されてアサドの唇の標的になる。


「んっ……」


 吹き掛けられる息に背筋が泡立ち、反射的に漏れた声にアサドが吹き出した。


「なかなか色っぽい声が出るな」

「アサド君……やだ……」


 雛菊は懸命に腕を突っ撥ねるが、力敵わずアサドに組み敷かれるばかり。


「アサド君……」

「言ったろ。ヒナが欲しいんだ」

「やっ……!」


 熱い吐息が吹き込まれた。もがけばもがく程息が混ざり、その内呼吸困難になった雛菊は涙目でアサドの胸を叩く。

 頭を右に、左に。それでも雛菊を解放せず、アサドの唇は傷口に添えられた。


「この傷は、俺のだ」


 更にそこを吸い付かれ、雛菊は声にならない悲鳴を上げる。


「や、だぁ……」


 終いにはボロボロと涙に崩れ、アサドの頭を抱えて指が髪に絡まった。アサドはそんなの事も構わずに雛菊の膝の間に足を挟み、手放すまいと拘束を堅くする。それでも雛菊は尚も抵抗し、もがく内に伸ばした手がアサドの頬に赤い線を作った。


「あ、ごめ……」


 指先に残った皮膚の感触が生々しく罪悪を呼んだ。

 雛菊は現状も忘れてアサドを見上げると、彼は痛みに少し顔を歪ませたが、赤く滲んだ頬は血を拭うと傷は消えていた。


「これぐらいなら体質上、治るのが早くてな」


 気が逸れたか、アサドは半身を起こして雛菊を解放する。ほっとしつつも、まだ強張る体を抱くように身を縮こませながら雛菊は逃げる選択肢を取り払った。

 内心、お人好しだと気付きながらも尋ねた。


「……それは、呪いの影響なの?」


 雛菊の問いにはアサドは無言で肩を竦める。肯定の意だろう。


「便利ではあるんだが、リスクが大きくてな」


 アサドは拭った己の血を舐めると、口許は歪を見せる。傷付いたような、泣きそうな顔に見えた。


「シャナの所為、なんだよね?」

「まぁな」


 頷くと、アサドは完全に居住まいを正し、雛菊との距離をはっきりと取ってみせる。

 互いに決まりが悪かったが、よそよそしくも出来ずに雛菊はちらりとアサドを窺って思い切って口を開いた。


「その、アサド君の体のことって、聞いていいのかな?」

「いいぜ。何から聞く?」


 膝に手をつき、楽な構えでアサドが先を促がす。

 雛菊は何から尋ねようか迷いながら、また先程の熱で逃げ出したい衝動との葛藤に暫し悩み、質問を取った。今このタイミングを逃すと次はいつ機会があるか分からない。その上、シャナが出ていこうとしている今は時間がない。引き止められる材料が欲しい一心で雛菊は口を開いた。


「――アサド君の体に、シャナがどう関わったのか教えて欲しい」

「ま、それが気になるよな」


 それを承諾とし、アサドはぽつりぽつりと昔話を始めた。


 語られる過去の話を聞きながら、雛菊はぼんやりと知る限りを頭の中でまとめていた。

 心臓がなく、不老不死というアサドの体。そうしたのはシャナだという。

 初めてアサドと出会った時、彼はその事でシャナを憎んでいたが、二人の関係は微妙で、単なる憎悪の繋がりではなかった。親友という仲の複雑な想いがあり、はっきりとシャナの口から聞いた訳ではないが、好きでアサドを不死にしてはいないらしい。

 アサドはシャナの複雑な心境を知った上で呪われた自分の肉体に苦しんでいる事は、今回の件で雛菊にも理解は出来た。

 アサドの不老不死とは、単純に驚異的な回復力からなるもの。

 だがその代償は大きく、人間の肉体が機能しない程の傷を負った場合は獣の姿に変わり、回復力を底上げするのだ。しかも自我もない獣の体は、周囲に己に敵意を向ける者がいなくなるまで手当たり次第に殺める。


「――嫌なんだ。目覚めた時に他人の血で濡れているのが。口の中に血肉の味が残っているのが……」


 もう嫌なんだと、雛菊に話しながらアサドがぽつりと零した。その際に雛菊の肩に頭を預けて甘えたが、抵抗はしなかった。

 アサドは瞳を濡らさないだけで、悲しみや痛みに耐えていると思ったから肩ばかりは貸してあげる。

 そして雛菊はアサドから聞いた話を元に、再び自分の中で整理した。

 アサドの十年と、もう一人の十年。

 悪意はなかったが、結果が悪かった。

 引鉄を引いてしまった少年の苦悩。

 生き方が無器用で、何を考えているのか本音を隠したがる難儀な性分。

 思い起こせば夢の中であんなにも苦しんで、何かを切に願っていた姿が本心なのかも知れない。

 そんな姿を見続けていたからこそ今の自分がいるのだと、雛菊は思い出した。

 全ては、一人の少年への想いから始まっている事を。


「――アサド君。私、アサド君の願いは叶えたいと思ってるよ」


 頭を預けるアサドの背中を撫でながら、囁くように雛菊は言った。

 その声にアサドは顔を上げ、間近で少女の黒い双眸を覗く。猫のような金色の瞳を見つめ返し、雛菊は微笑んだ。少し、悲しそうに歪んでしまったのは仕方がない。


「アサド君の気持ちは凄く嬉しい。私だってアサド君は好きだし、その気持ちに応えられたらって思うよ。でもね……」


 最初に出会う順番が違えば変わっていたのかとふと考えるが、すぐに意味のないもしもだとその想像は振り払う。


「でも、私がこれからずっと守りたいと思ってる人とアサド君は違うの。私が隣に立っていたい人は別なんだ」


 だから、アサド君の希望には応えられない。

 そう雛菊が申し訳なく頭を下げると、アサドの笑い声が聞こえた。顔を上げると、破顔ではなく苦笑ではあるが、責める様子はない。


「やっぱりな。結構前から気付いてたんだが、気付いた上で選んでもらいたかったようなそのまま気付かなければ良かったような」

「結構前からって……。私はたった今気付いたばかりなのに」


 雛菊が唇を尖らせると、アサドはまた笑った。


「なぁ、どうせならもっとはっきりした答えを言っちまえよ。俺をフるんだから尚更な」


 どんな理屈なのか。

 アサドの言い分に釈然としないながらも、雛菊は確信を高める上でも良いだろうと唇を引く。

 正面ではアサドが雛菊の言葉を待つ。

 太陽のように輝く髪と瞳、優雅でしなやかな肢体。絵に描いたように整った端整な顔立ちの王子様。そんな人に愛される自分はどんなに贅沢かと知りながら、それを受け入れないのは馬鹿だと思う。

 馬鹿な選択と知りつつ、それでも自分の心に嘘はつけない。

 それこそ、夢で出会った時から雛菊の気持ちは決まっていたのだから。


「私、シャナが好きなんだ」


 雛菊ははっきりと、真っ直ぐにアサドに伝えた。

 長い時間をかけて漸く自覚した真実だった。

 

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