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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第四章・願い事ひとつ
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03.勝手な言い分

 

「あーもうっ!」


 堪らず雛菊は大口を開けて空に吠えた。

 その声に驚いたルビがこちらを見たが、雛菊は笑って誤魔化す。

 炎色の聖獣は丸い目玉をくりっと動かすと、再び空翔ぶ羽虫を夢中で追いかけ出した。

 微笑ましい光景なのだが、雛菊の心中は穏やかではなかった。

 無償に腹立たしく、胸の中でぐるぐると黒い塊がうねっているような気分だ。そしてその感情の捌け口を探しあぐねて唸ったり地団駄踏んだりと情緒不安定になる。

 せっかく気分を変えようと外出許可を得て、宮殿内の見事なガーデンへと赴いたのにまるで無駄足だ。

 雛菊自身も自分がみっともなくヒステリックだと自覚している。しかしどうにも腹の虫が治まらないのだ。

 あのソノラという魔女と出会った所為で。

 まだ昨日の出来事だ。

 突然現れて、シャナを口説いて雛菊に喧嘩を売った魔女。

 セラフィムだからという理由で、気に入らないと言っていた。

 セラフィムだからという理由で敵意を持つ人に会ったのは初めてで、雛菊は不思議に思う。

 つい最近、セラフィムだからという理由で雛菊を利用しようと誘拐されたばかりだ。

 全てを叶える花という事で得ようと手を伸ばす人の気持は分からなくもないが、敵意を持たれる理由が分からなかった。

 別にセラフィムだからとちやほやされたい訳ではないが、あからさまな挑発行為は神経を逆撫でさせる。

 それに、どうしてわざわざ雛菊の目の前でシャナを奪う理由も解せなかった。

 一体何の意味があるのか。

 わざわざ見せつける意味があったのか。

 異名通りの魔女ぶりに雛菊の心は荒れていた。


「うー。もぉやだっ」


 意味の分からない気持を抱える事自体、自分らしくなくて嫌だった。

 何かを吐き出したいのに、中にあるモノの正体が掴めず分からない。ジレンマだ。


「大体あの魔女、セラフィムをどうしたいってのさ!」


 ぶちぶち足下の芝を抜きながらぶつぶつ一人ごちていると、ふっと頭上から影が差して来た。


「ヒナ。あまり芝を傷めるなよ。庭師が気の毒だろ」


 驚いて見上げると、太陽の逆光を浴びてより輝きを増したアサドが雛菊を見下ろしていた。


「アサド君」

「隣り、いいよな」


 アサドは雛菊と目が合うとニコリと微笑み、地べたにしゃがむ彼女の隣りに腰を据える。


「外、出歩いても大丈夫なんだ」

「そんなに重傷じゃないもん。外出禁止だって大袈裟だよ」

「外出は仕方ねぇだろ。まだシィリーの様子見が必要だったんだからよ」


 右肩を擦り、僅かにむくれる雛菊にアサドは苦笑いで言った。その上優しく諭されるように言われては雛菊も不平ばかり零せない。


「それにしても今日は荒れてるな」


 アサドが芝の残骸を手に取り、ぱらぱらと落とす様を眺めながら言い辛そうに膝に顎を埋めて黙る。


「昨日の話はランフィーから聞いてる。あの北の魔女が派手に喧嘩売ったって」

「あれは押し売りだよ」


 唇を尖らせる雛菊にアサドは笑って、雛菊の頭を弾むように撫でた。


「大体、あの人は何しに来たの? 私、何かした?」

「うーん。あの魔女の国は色々と隔絶してるからなぁ」


 頭を掻きぼやく姿は説明に困っているようだった。


「ヒナも世界地図は見た事あると思うけど、まずこの世界には中心にデカい大陸が一つあるのな」


 アサドは頭を捻り、人差し指で空に描くように動かす。線が残らないが、それが円を描いている事は雛菊にも分かった。


「で、その大陸は内海を挟んで西のアーシェガルド、東のヨシュム、北のニヴェルの大国に大きく分かれるんだ。ここまではいいか?」


 確認され、雛菊は頷く。此処まではこの世界に来た当初にシャナに教えて貰った事があった。

 他にも大陸の周りに点在する島などで独自の文化圏を築かれている。だからまだこの世界に馴染んでいなかった雛菊は街に下りる時はいつも島の娘として通していたものだ。


「ヨシュムは軍事に力を入れて、虎視眈々と国土拡大を狙っている。反対にニヴェルは穏健派なんだが、イグディラ信仰の総本山的な国柄なんだ。イグディラは……知らねぇか」


 返事を聞く前に、眉間に皺寄せて首を傾げる雛菊を見てアサドは吹き出す。雛菊が少しムッとするが、アサドは気に止める様子もなく「イグディラは――」と言葉を継いだ。


「イグディラはラキーア創世記に出る世界樹の事で、命の源としてその樹を信仰するものだ。そっからちょいと派生したセラフィム信仰をうちやヨシュムや他の諸島が奉ってんだけど……」

「えーと、よく分からないんだけどそのイグディラとセラフィムの違いは何かな?」

「ざっくり言うと、イグディラは世界樹、セラフィムは花ってとこだな。ニヴェルは生命を創るイグディラを……命そのものを崇拝するのに対し、セラフィムは人の願いを叶えるってんで、具体的に救いを求める者達の間で広まったんだ」


 アサドの話を耳に、雛菊は更に唸る。分からない訳ではないが、あまり気分がいいものではなかった。

 雛菊がセラフィムだらこそ感じるものなのだろうか。元の世界でも救いを求める人の想いが神を作り上げている。大きく違うのは信仰対象が実態としてあるかないかだ。


「あの人は、セラフィムがイグディラ信仰から人の信心を奪ったみたいで嫌いなのかなぁ」

「さぁな。本来あるべき姿はイグディラの世界なのに、人間の欲を表すセラフィムが邪道だと言う奴もいるのは確かだ」

「邪道なんだ」

「ショック?」


 首を傾けたアサドに雛菊も首を傾げた。


「嬉しくはないよね。私、一応セラフィムみたいだし。セラフィムとして呼ばれた訳だし。否定されたら私、居場所なくなっちゃうよ」

「俺の嫁さんって居場所が空いてるけど?」


 そう言って伸びた手が雛菊の鎖骨をなぞり、首に下げたジオンの指輪に触れる。

 その一連の流れに籠ったアサドの想いが伝わり、雛菊は逃げるように立ち上がった。


「私、ちょっと疲れたから部屋に帰ろっかな。ルビさん」


 ルビを呼び寄せると、雛菊はそそくさとその場を去ろうと落ち着きない。はぐらかすつもりで雛菊は別れ際に手を振ろうと左手を上げる。だが、その手はアサドに捕まり、雛菊は留まるしかなかった。


「逃げるなよ。話したい事がまだあるんだ。いいよな?」


 鋭い金色の瞳が雛菊を射竦める。

 これ以上ははぐらかせないのか。

 まだ整理の付かない気持を前に、雛菊は戸惑いながらも頷いた。



 * * * * *


 話したい事がある。

 そう言ったにも関わらず、アサドはすんなりと雛菊を部屋に帰してくれた。

 一瞬、拍子抜けをした雛菊に対し、アサドはこう続けた。


「後で見舞いに行くから」


 気遣いなのか、時間は与えられたものの、束の間の猶予だ。心の準備もあったものじゃない。


「多分、婚約の話、だよね……」


 呟き、雛菊は片手でこれから訪れる客人の為にお茶を用意する。メイドに頼めば、快く貸し出してくれたティーセット。世話まですると申し出てくれたが、人払いをしたかったのでそれは断った。

 何かをしている時が落ち着いた。

 ラス・アラグルに来てからずっと客人扱いで、家事の必要性もなく退屈していた雛菊にとってはお茶を淹れる行為も久々だ。

 瓶の蓋を開けた時に吹き出す茶葉の香りが心を落ち着ける。

 気休めにしかならない。答えが導き出せる訳でもない。

 それでもアサドを待っているのは辛かった。


(逃げ出そうか)


 そんな思いが脳裏を過ぎるが、ずっと逃げ続けられる筈もない。

 正直、アサドは男性として素敵だと思う。たまに夜遊びが過ぎる時もあったが、雛菊に対する態度は誠実だった。

 好きか嫌いか問われれば、迷いなく好きと答えられる。けれど、婚約となると即答は難しい。

 元の世界でも雛菊は法的には結婚可能な年齢ではある。但し、保護者の承諾が必要ではあるが、今となっては雛菊の一存になるのだろう。

 されどそんな決断など下せる筈もなく、カップを温めながら雛菊は重苦しく息を吐き出す。

 カップに張った透明な湯が悩ましげな雛菊の表情を映した。そこにある自分の情けない顔を見て雛菊は再び零れそうな溜息を飲み込んで、カップを包み隠す。


「お湯、捨てなきゃ……」


 紅茶を用意してくれたメイドがご丁寧にワゴンも置いており、湯切り用の桶もあった。丁度カップも温まり、アサドの来訪にも頃合だろうと動きを早めた。

 その時だ。まるで驚かす為に見計らっていたように、硬質の木製の扉を叩く高い音が雛菊を縮み上がらせた。


「あつ……っ」

「どうしたんだ、ヒナギク。入るよ」


 驚いた拍子にカップを傾け、雛菊の指に湯がかかる。落ちたカップは柔らかいカーペットの上で割れずに落ちて伏せたが、悲鳴に近い声が聞こえたのか扉は返事を待たずに開いた。


「馬鹿。お湯を被ったの? 火傷は?」


 扉を開いたのはシャナだった。

 シャナは中に入るなり状況を察したか、雛菊の手を取りすぐに濡れた布巾で患部を冷やす。そのまま雛菊を誘導しベッドに座らせると後片付けを始めた。


「私がやるよ」

「いいから座ってて。片手しか使えないのに、面倒な仕事を増やさないでくれ」


 キツく睨まれ、雛菊は渋々と上げかけた腰を落ろす。

 カップはテーブルに上げられ、濡れたカーペットはシャナが手を翳すだけで瞬く間に乾いていく。不思議な光景だったが、感心に浸る前に今度はベッドサイドに膝をつけると雛菊の手を取り赤く腫れた部分を癒しだした。


「軽くて良かった。大きい傷だと一気に治せないからね」


 そう言ってシャナが雛菊の肩に目配せるから、何の話か分かった。


「前も思ったけど、精霊師ウィッカって凄いんだね。怪我なんて薬より簡単に治しちゃう」

「精霊師が凄いんじゃないよ。精霊の力が凄いんだ。僕はたまたま彼らの力を引き出すのが上手いだけ」

「ふーん」


 頷いて雛菊は肩の治療に入るシャナを眺める。


「ところでシャナは私の治療に来てくれたの?」

「そんな所……」


 治療を終えたのか、翳した手を引き、シャナは先ほどのカップに目を移して顔をしかめた。


「それよりも何でお茶を? メイドにでも頼めばいいだろう。怪我人のくせに」

「それは……一人の方が良かったから」


 歯切れ悪い雛菊にシャナは訝しんで探るように見つめた。その視線が居心地悪く、雛菊は作り笑いを浮かべて目を逸らす。その様子に何かを察したのか、立ち上がるとシャナは踵を返し始めた。


「もう行っちゃうの?」

「人払い、したかったんだろ。僕の用事はもう終わったし」

「でも、少しくらい話しても大丈夫だよ」

「いや、やめとく。来るのは多分、アサドなんだろ。それなら僕はいない方がいいよ」


 引き止めも空しく、さらりと雛菊の希望を躱してシャナはドアノブに手を延ばす。しかし捻る前に何故か雛菊は身を呈してまでそれを止めた。追いかけて、左手でそのシャナの手を握る。


「ヒナギク?」

「ごめん」


 謝るがそれでも雛菊の手はシャナを掴んだままだ。シャナは困ったように眉を顰めるが、雛菊自身も何故か離せずにいるから困惑の笑みを浮かべる。


「アサドが来るんだろ。長居は良くないんじゃないの?」

「やましい事はないもん」

「それなら何、また君の婚約の相談なわけ?」


 そんなの、僕が決める事じゃないと冷たく言い放ち、シャナは雛菊の手を振り払った。睨む先は首に下げられたジオンの指輪だった。


「……ヒナギク、僕、考えたんだけど、君をこの国に、レオニスやアサドに任せて出ようと思うんだ」

「――え?」


 まるで冷水を浴びせられたような衝撃だった。


「冗談だよね?」

「冗談は好きじゃない」

「何で? だって私を守ってくれる約束でしょ?」

「何も守るのは僕だけじゃなくてもいいだろ」

 雛菊の責める声にシャナは気まずそうに目を背けたが、言葉ははっきりとしていた。

「でも……」


 言い掛けて扉を叩く音に遮られる。来客の合図だが、それが誰か予想がつくのでシャナは雛菊の返事を待たずに開いた。


「やっぱりシャナがいたかよ」

「鼻が利くと便利なものだね。でも心配しなくていい。どうせ出る所だったから」


 突然の対面でばつが悪そうに暫し沈黙する三人。それを先に破るのはこれに乗じて部屋を出たシャナだった。


「それじゃあ、ごゆっくり」

「シャナ!」


 呼び止めてもシャナは聞き入れず、隣りの部屋にも戻らずに廊下の奥へと行ってしまった。

 小さくなる背中を雛菊はじっと見つめたが、振り返る素振りもないシャナに落胆し、無言で扉を閉めた。

 

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