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北の魔女…side Sonora…

 

 どんな花でも花は花。



 久しぶりに夢を見た。

 果てしなく続く萌葱色の大地にずっしりと根を下ろす、深緑の大樹。

 母なる樹、イグディラ。

 そのイグディラに一つの蕾があった。

 その中からは呱呱の声。

 でも、誰も声の主に差し出す手はない。

 孤独な泣き声。

 だけどあたくしには手がないから、この声を止める事も出来ない。

 悲痛な声。

 蕾という殻に閉じ込められた赤子。

 耳に痛いくらい響いた頃、樹上から差し込む薄明光線。

 そこから舞い降りたのはむせ返るような花の芳香に、ヒラヒラと不規則に漂う無数の花びら。そして――……



 目覚めはとても気分の悪いものだった。

 象徴的な夢を見た後はいつだって酷い頭痛があたくしを襲う。それが預言者も担う魔女の役目だと言うからマジ最悪。

 おまけにその憂鬱さに拍車をかけるタイミングで、扉を叩く響くノック音。


「ソノラ様、失礼致します」


 傾いで入室したのは、まだ年若く、少々幼い雰囲気の侍女。

 あたくしが朝に弱く、呼んでも起きない事は侍女達にも知れているから、世話係りの侍女は返事を待たずに入る慣習になっている。

 しかしこの侍女は、起こす前にあたくしが起きている事に驚いたのか一瞬目を丸くし、“おはようございます”と丁寧に頭を下げた。

 珍しい事くらい知っているわよ。しかも時計を見れば、普段の起床時間よりも早いのだから。いつものあたくしが寝こけてるだけに、彼女を責められないのが何か癪。


「いつもより早いじゃない。何かご用?」


 起床時間より早い時間に侍女が来るのも珍しい事。その疑問をぶつければ、彼女は腰を低くし、頭を下げる。


「はい。女王陛下様がお呼びでございます」

「伯母上が……?」

「はい。朝儀の前に話されたいとの事でございます」


 一体何の用かしら。

 まぁこちらとしてもあのお告げ的な夢の所為で早起き出来たんだから、丁度いいっちゃいいか。


「分かったわ。用意して向かうから、お湯を溜めてちょうだい」


 寝汗で背中に張り付いた髪を掻き上げ、あたくしは裸のままベッドから這い出す。


「ですが……」


 侍女が戸惑うのはあたくしが裸だからではない。それはもうあたくしの就寝スタイルだから彼女も分かり切っている。歯切れが悪いのは急用に対してのあたくしの腰の重さだろう。

 あたくしから言わせれば朝からだるくなる夢を見せられて憂鬱のまま、謁見の間という堅苦しい所にも行きたくはないのだけれど。


「貴方が責められる事はないようにするわ。禊は魔女の大事な儀なの。分かったら早くお湯を溜めてちょうだい」


 いちいち説明しないと分からないのかしら。これだから日の浅い侍女と話すのは面倒なのよ。

 その想いを込め、少し睨みを利かせて言えば、侍女は当惑しながらもすぐに従い浴室へと赴いた。


「何の話かしら」


 一人ごちてあたくしは自分の銀色の毛先を弄る。あ、枝毛。

 手入れの届かない毛先を爪で切り取り、ベッドに腰を下ろす。

 この前の儀は特に問題なく終わったわ。あたくしが魔術に関してしくじる事がある筈ない。

 だとしたらアレ? しつこく下品な誘いをかけてくる馬鹿子爵のを起たせなくさせた事?

 本人は無能とはいえ、一応公爵子爵だしなぁ。やっぱ半年も使い物にさせなくしたのはやり過ぎだったかしら。

 呼ばれる理由をそうこう考えている内に湯浴みの用意が整ってしまい、あたくしはどうせ行けば分かるからと考えるのをやめた。


 暦の上では夏とはいえ、高山に聳える王宮はかなり寒い。

 外に面する渡り廊下も柱の根元に溶けきらない雪が残っている。

 だからこそこの王宮内でのあたくしの格好は異様となるだろう。

 薄い布、さらけ出した素の手足、年頃の娘がお腹を出すなんてはしたないとも言われるし、寒くないのかとも問われる。

 望めば天をも新たに創り変える事が出来ると言われるあたくし達一族を人は‘創天の魔術師’と呼ぶ。けれど此処より更に北の小国のまた更に奥地に住む少数民族の血も継ぐあたくしの出で立ちはこの国でも目立つ為、“北の魔女”という異名の方が出回っている気がする。

 とは言え、そもそも魔術師の末裔だからと言っても必ず力が扱える訳ではない。一代に一人いればいい方で酷いと百年も席を空けた事も歴史にはあるそうだ。

 この力はその血を継ぐものにしか現れないみたいだから、魔術師が空位の際でも政治的手腕を発揮し、あたくし達一族はこの国では王族に並ぶ程までの地位がある。

 おまけに母様の兄様が現女王陛下の婿なものだから、あたくしに指図出来るものは誰もいない。

 だからあたくしは自分の好きな格好を楽しめるし、また実力もあるから暑さも寒さも関係なく自己を調整できるのだ。

 そして力の証しである腰の古代文字を見れば平の民なら平伏ものでもあるという事。

 ま、この国では特に神聖視されるあたくしが気儘に市井を歩く訳がないんだけど。

 小さく欠伸を噛み殺して長い廊下を渡り終えると、大きな白い扉の前に出る。

 扉の両脇を見張る衛兵がいるその先が伯母である女王陛下がおわす謁見の間だ。


魔術師(エッダ)のソノラ=イスラ・デ・ピノスが陛下に拝謁参りました」


 あたくしの姿を認めるや否や衛兵が一礼をし、扉を開ける。

 俯く顔が赤いのはあたくしの服装の所為かしら。やーね、スタイルがいいと殿方を惑わすから罪作りだわ。

 ついでに自慢の銀色の髪を派手に払い、彼の前を横切る。過ぎ去り際に緩む顔を盗み見るのは快感だ。自分の美しさを確認出来るもの。

 寝起きの嫌な気分もこれで少しは気が晴れて、あたくしは颯爽と夜明け前の空を模したような群青色の絨毯を歩く。

 馬鹿みたいに長い道。その先の階段上の玉座に居座る伯母様は、この時間が間怠いと思わないのかしら。どうにも格式ばった所って全然合理的じゃなくて性に合わないわ。

 気の所為でなければ、ニヴェル史上、指折りの賢君とされる女王ブリジット陛下は疲れていた。

 こんな早朝からあたくしを呼び出したのも多分関わりがあるのだろう。


「いかがされましたの、伯母上」


 本来ならいくら身内でも公の場でこの呼び方は不躾な行為。それでも伯母様はあたくしの意図を汲んでくれたようで、ニコリと口許を緩めた。


「……ありがとう。本当なら私室で話したかっのだけれど、そんな時間もなくてね。こんな場所になったけれど、少し王の殻も脱げたわ」

「お力になれて光栄だわ。それで、何にお悩みなの?」


 息抜きにもっと他愛ない言葉も交わしたかったけれど、余裕もさほどないだろう。

 それは伯母上の顔色で分かる事で、多少名残惜しそうなのが姪として嬉しく思う。だけど、立場を忘れてはいけない。


「息抜きの時間はまたいっぱい作れるわ。あたくしが伯母上の悩みをすぐに解決するのよ。創天の魔術師に不可能はないんだから」


 柄にもなく力いっぱい言うと、伯母上は小さく吹き出した。


「頼もしいわね」


 ふうと息を吐くその笑みはやはり疲れている。

 一体何が彼女を悩ませるのか。

 伯母上は頭を支えるように指を額に添え、眉間に皺を寄せて悲痛を漏らすように言った。


「――アーシェガルドの方でセラフィムが召喚されたようなのよ」


 途端、あたくしは先程の夢が何の象徴なのか分かった。



 * * * * *


「くれぐれも粗相のないように頼むわね」

「心配なさらないで母様。これでもあたくしは若くて美しく、実力も兼ね備えた優秀な魔術師という誇りを持ってるんだから」


 安心させるつもりであたくしはそう言ったのだけれど、何故か母様は余計不安そうに眉を顰める。


「……体には気を付けなさい」


 何かもっと多くを言いたそうにも見えたけど、自己完結させたのか溜息一つで話が終わった。

 伯母上との会見から翌日、あたくしは南のアーシェガルドへと急遽旅立つ事が決まった。

 女王陛下の書状をアーシェガルド国王陛下へ届ける使者の役割を担う為だ。

 とても重要な任務だけど、かく言うあたくしは初めての国外に胸が踊っている。

 本当は浮かれている場合ではないのだけれどしょうがない。

 アーシェガルドには優秀な精霊師(ウィッカ)がいると耳にする。

 ニヴェルは魔術師という祭事役がいる為か、精霊師という存在は他国と比べ、極端に少ない。

 力の使い方は似ているとも聞くが、根源は異なるとも言う。だからあたくしはその異種の力がとても興味深いのだ。

 伯母上には黙っているけど、魔術師であるあたくしは他にも見定める必要のものがある。

 それはセラフィムは勿論、あの預言的な夢。

 最後の花は確かにセラフィムかも知れない。

 けど、あのイグディラの樹はニヴェルの失われた神木の筈だ。

 セラフィムがアーシェガルドに現れたなら、イグディラは関係がない。それとも何かしらの関わりがあるとでも?

 ――面白いじゃない。

 代々ニヴェルの魔女は夢を神託とし、国を守護して来たのよ。

 これはあたくしへの挑戦状とみた。力を試すなら試せばいいわ。北の魔女に不可能はないんだから。


「それでは、行ってくるわ母様」


 母に見送られ、あたくしは送迎の馬車へと乗り込む。

 術でも使って、颯爽と空から赴いてやっても良かったけど、疲れるし、間違っても敵襲だと思われてはたまらない。

 それでもあたくしにしては喧嘩上等な気分に違いはないので、心なしか足取りも軽い。


「さあ、いっちょセラフィムとやらを拝むとしますか」


 人の夢食う禁忌の花を――……。


 さあ、魔女の力を魅せましょう。


 

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