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薄氷の月光…side Seirios…

 

 ――花よ、花……わたしに光を与え給え。



「あーもう苛つくなぁっ」


 感情に任せて扉を叩くと、思った以上に大きな音を立てて閉まるから余計に不快さを逆撫でる。

 靴裏にまとわりつくような絨毯からの浮遊感すら煩わしくて、早々に素足になると窓際の長椅子に寝転がった。

 窓際と言えど此所は暗幕のカーテンで固く閉ざされている。

 暗室のような外界から閉ざされた部屋。

 此所はぼくがヨシュムからあてがわれた、小さな城だ。

 要人用としてある迎賓館をまるまる一つ貰い受けた、資産でもある。

 いくら端女の血を引くとは言え、敵国であるアーシェガルドの王族のぼくがヨシュムに優遇されるのは、ある一つの契約のおかげだろう。


『セラフィムを手土産にヨシュムへの亡命』


 亡命なんて気はさらさらないけど、取り敢えず向こうが納得する建前で。

 影でアーシェガルドの滅亡に暗躍するなら、結果は同じなんだからいっそヨシュム側から正面きって滅ぼした方が清々しいと思っただけの事。

 けれど、これはこれで此所での立場も面倒ではある。先刻、セラフィム強奪に失敗したせいだ

 敗因は分かってる。遊び過ぎたんだ。

 アサドが醜い姿を晒して暴れる姿が一興だと、見物に徹してしまったのがいけない。その敗因が勿論ぼくにあるのだろうけど、それを認めるのも面白くない。

 腹立たしく爪を噛むと、傍でお茶を淹れていたニタムがそれは駄目だと言いたげにぼくの手を取った。


「セイリオス様、ハーブティーは心を安らげると窺っております」

「煩い。大体お前があの時にヒナを取り逃していなければ、セラフィムは今頃我が手中にあったんだ」


 代わりのように渡されたティーカップをニタムに突き返しながら叩き付ける。毛脚が長く柔らかい絨毯に落ちたカップは破れはしないが、中の液体は染みを作って広がった。

 鼻の奥をつくスッとする香り。たかだかお茶一杯にどんな効能があろうとも、とても今のぼくの機嫌を良くするとはとても思えない。

 そんな気休めの一杯を吐き捨てるように視線を動かし、黙って跪くニタムにかけ捨てる。


「申し訳ございませんでした」


 ドレスをお茶で汚され、ぼくの命令で戦い、傷付いてもぼくに逆らおうとはしない傀儡。——奴隷。

 近くにいても存在の希薄な彼女がやけに疎ましい時があるのは何故だろう。

 止まない憤りを抱きながら、取り敢えずニタムを部屋から追い出す。ぼくの方から気儘に外に出て行けるなら飛び出すのに、そうも出来ない体が憎い。

 呪われた体。

 深い憎しみを持って人の心臓を食らったぼくはカタカネスという魔物になった。

 心狂う程、地に堕ちた者の終焉だ。

 憎悪に心駆られた者が、人を捨てる事で心操る術を得るという黴の生えた昔話の再演が自分だ。

 得られた力の代わりに、日の下は一生歩けない。

 日暮れ時の日陰なら何とか無事なのだが、一度陽光を浴びるとたちまちそこが焼けただれてしまう。

 不便なカラダ。足りないカラダ。

 いくら命を毟り取る力があろうと、常に渇いている飢えている欲しがっている。


「くそっ」


 力任せに長椅子の脇息を叩くと、脆くもそこは崩れて木片が散った。趣味のいい調度品だったのに、それを失った事がまた気に食わない。

 欲しいなぁ。

 ぼくの身を飾る全て。

 欲しい。

 全て欲しい。

 富も名誉も地位も。

 国と玉座。

 ヒナ。

 人の命も操る、異界の少女。

 ヒナ。

 ヒナギク。

 セラフィム。


 欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。


 彼女がいればぼくは完璧になれる。

 全てになれる。

 心が埋まる。

 埋まるような気がする。

 そう、セラフィムだ。

 至高の花。

 天上の花。

 あの時ぼくは目の前で宵闇に咲く花を見た。

 手を伸ばせば今にも届く距離の所で伸ばした掌が空を掴んだ――夢を見た。


 いつの間にか微睡んで夢を見ていたらしい。

 現実に引き戻したのは耳障りなノックの音。

 いくら叩かれてもぼくが反応を示さないので、扉は蹴破るように乱暴に開かれた。


「セイリオス殿、おられるかっ」


 ノック音に負けず劣らない耳障りな野太いしゃがれたがなり声が鼓膜を突き刺す。


「リゲル国王、セイリオス様は就寝中でございます」

「黙れ下女が。セイリオス殿なら起きているではないかっ」


 起こされたんですよ。貴方に。


「いい、ニタムは陛下に椅子をお出しして下がってなさい」


 来訪早々、血相を変えて飛び込む無礼者を見上げ、ぼくは体を起こして取り敢えずは着座で彼を迎える。

 東を治める大国の長、ヨシュム国王リゲル。

 ヨシュム人特有の浅黒い肌と彫りの深い顔造り。やけに筋の通った所為で褐色の瞳は影になり、見る度に沈んだ印象を覚える。

 けれど今は気が昴ぶっているのだろう。やけにギラギラとギトついた瞳がこちらを睨んで、逆に生き生きと見えた。


「それで、陛下。本日は何用でしょうか?」

「何用かだと?」


 薄い唇を引きつらせて、リゲルは無理に笑みを作ろうと気色の悪い形を成す。


「セラフィムが参る約束は今日と聞いたのは、余の記憶違いか」

「いいえ。本日未明の予定でした。――が、ご覧の通りセラフィムはおりません」

「しくじったのか」

「そうではございません。日が悪いので出直しただけでございます」


 実際は遊びが過ぎた故の時間切れなのだが、馬鹿正直に話す義理はない。

 ぼくを見る油っぽい視線から吐気を隠し、舌の動くままに任せる。


「セラフィムはまだ力の使い方がまだ未熟でありましたから、熟すのを待つのも一興かと思ったのです」

「しかし、そうしてる間にアーシェガルドが力をつけないとも限らないだろう」

「セラフィムは力を貸しませんよ」


 人の好い性格でしたからね。

 あの手の者は戦には力は貸しはしないだろう。

 そうであれば、私利私欲を考える輩には面白くない。

 その内セラフィムの信頼が揺らぐであろうとすれば、その時が好機だ。

 が、その本意は隠し建前だけの言い訳を口にするぼくを、欲深いリゲルが信じる筈もない。

 自分でもうわっついた内容だと思う話に、彼もとうとう痺れを切らした。


「もうよいわっ!」


 気前良く、いらぬ唾と共に吐き出した怒声に目を閉じる。

 肩を怒らせ、立ち上がったリゲルはぼくの胸ぐらを掴むと、乱暴に床に押し倒した。彼の背後でニタムが瞬時に動くが、こっそりそれを制する。


「どんな理由があれど違反は違反だ。そちの亡命を受け入れる条件として、セラフィムを余に献上する約定をよもや忘れた訳ではあるまいに……」

「ええ、忘れてなどいませんよ。セラフィムは必ずあの国から奪い取ります」


 その彼女を貴方に渡すかは別だけれど。


「何を笑うかっ」


 密かにほくそ笑んだつもりが表に出ていたらしい。それを見咎めると、頭に血の昇ったリゲルがぼくの前髪を乱暴に掴んで、強引に首を持ち上げる。


「この状況で笑えるとはいい度胸だ。セラフィムを盾に取れば全て余が許すと寛大な措置を期待したか?」


 生温い息に肺が犯される気分だ。

 眼前で薄汚くせせら笑うリゲルは、これまでに見た事がないくらい目を見開く。


「約定を違えるならば、その綺麗な首を祖国に突っ返してもいいのだぞ」


 更に武骨な指が前髪を絡め取って、粗雑に振り回す動きに我慢の限界が来た。

 不浄な手、醜い言葉に下品な顔。

 何もかもが気に食わず、何もかもに虫酸が走る存在。


「……本当なら、無駄に濃くて油っこそうな貴方など食らう気はなかったけれど……」

「何をほざくかっ」


 殴りかかろうと振り下ろされた、毛深い腕を逆に掴み取った。

 玉座のお偉いさんは、まさか自分が反撃に合うとは考えないめでたい性格をしていたのだろう。

 晴天に霹靂でも見たように驚いて、こちらを凝視する。

 振りほどこうにもぼくに掴まれた腕は、容易くは逃れられない。


「悦びなさい。誇りとしなさい。お前みたいな下郎がワタシに仕える事を許されるのだから――」

「うっ……あっ……」


 震えた唇からは言葉が出る事はなかったが、別に耳障りなこの声をまともに気かずに済むのならどうでも良かった。



 * * * * *


「――ではセラフィムの件は全てワタシの一存でよいな」

「御意のままに」


 蝋燭で灯された薄暗い中に、跪いて叩頭するリゲルの姿が浮かぶ。


「分かれば下がれ。ワタシは眠い」

「かしこまりました」


 そう言って一礼するとリゲルはあっさりと退却をした。

 いつ見ても一転して態度を翻す様は見てて心地良い。

 先程までがなり立てていた者など、首筋の噛み痕一つで御する事も容易いものだ。

 対象者の血を取り入れる事で、他者を征服する力。

 それがカタカネスに与えられた能力。

 君臨する者としてこれ程相応しい力はないだろう。

 ――代償を覗けば、だが。


「まぁいい。セラフィムの前にこの国を内から食い潰すのも一興だ」


 独り言として呟き、ぼくは微睡み始める。どうにも日の高い内は意識を保つのが辛くなる。


「セイリオス様、掛物を……」


 今までずっと黙って静かに傍観していたニタムが傍らで傅く。

 かつて愛した人を入れ物にしたぼくの奴隷。

 たまに、不意にむこの無表情な傀儡の女に過去の姿が重なる瞬間がある。


「何か?」


 視線に気付いたニタムが問うが、何でもないと誤魔化した。


「セイリオス様、御手が……」

「ん、ああこれか」


 ぼくの上着を取り替えながらニタムが顔を青くするから何かと思えば。彼女が取り上げた左手は、先程ぼくが脇息を殴り壊した時に負ったらしき傷だった。

 特に痛みはないが、小指の付け根から掌の側面に沿って血の滲んだ擦り傷だ。


「舐めて」


 傷口を向けて差し出すと、ニタムは何も言わずに血の滲んだ箇所に舌を這わせた。

 触れる唇すら体温を感じない舌の愛撫を、静かに眺める。

 血を吸う魔物に屍の傀儡(ニンギョウ)

 何処となく倒錯的な光景を見つめ、それでも表情を崩さない少女を思う。

 昔はよく笑う人だった。

 願えばセラフィムは彼女に感情を与えてくれるだろうか。

 少しでも、昔愛した彼女に近付く事が出来るだろうか。

 ……。

 …………。

 ………………。

 くだらない。

 早々に馬鹿な思い付きに蓋をして、ぼくは夢想の中に入る。

 次に夢見る時は、是非傍らにセラフィムをと願いながら――……。


 しばらくはヒナも好きなな時間を過ごせばいい。

 彼女もいずれぼくの可愛いお人形になるのだから。


 


 

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