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シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第三章・玉響に咲く花
24/61

08.影に落つる

 

「いたっ……」


 小石の尖った部分が足を刺す痛みに雛菊は声を漏らす。血が流れる程の怪我ではないが、足の裏に窪みが出来た。とにかくあの場から早く逃げ出したかったからと裸足で飛び出した事を後悔して、雛菊はその場にへたり込んで空を仰ぐ。

 月の明るい夜空。宮殿の夜会にドレスを着て、綺麗な花が咲く噴水のある中庭で王子様とファーストキスをした女子高生ってこの世に何人くらいいるのだろうかとかぼんやり考えて無意識に己の唇をなぞる。


「泣いちゃうとか、失礼だったかなぁ」


 涙が渇いた頬をこすり、ぽつりと呟く。

 元の世界に戻れば雛菊も今時の女子高生な訳で、恋愛に関する知識は人並みある。経験がないだけで今日までキスというものがどんなものかが分からなかっただけだ。

 少女漫画では恋人未満同士のキスは、ほぼ告白と同義語のようなものではあるが、現実では付き合う前からキスをしてくる積極的な男子を雛菊は知らない。知らないだけで、実際は探せばいるのかも知れないが、雛菊の聞く範囲では友人を含めてそんな経験者はいなかった。

 果たして次はどんな顔を合わせればいいのだろう。

 解析処理が追い付かない悩みに頭を痛め、雛菊は更に盛大な息をついた。

 伏せた顔を上げると、視界の端に忽然と現れた人影が映る。金の髪色が月明かりに反射し、一瞬アサドなのかとドキリと心を震わせるが、人違いなのだと気付くと雛菊は落ち着きを払って相手と対面した。


「シィリー君も散歩?」


 声をかけようした所を雛菊に先を越されたか、セイリオスは出かかった言葉を飲み込むように一拍置いて頷く。


「そのようなものです。ヒナも散歩ですか?」

「そう。慣れないパーティーを抜け出しちゃった」


 悪戯っぽく肩を竦める雛菊の元にセイリオスは歩み寄り、唐突に雛菊の目許へと手を伸ばして指の背でまだ湿った箇所を拭い取った。


「パーティーを抜け出してひっそり泣いてたんですか?」


 まだ涙の名残のある目を擦り、雛菊はバツが悪そうに苦笑う。


「またシィリー君に格好悪いとこを見られたね」

「えぇ。ワタシとしては笑顔の方が見たいのに残念です」


 恥ずかしげもなくサラリと言ってのける度に雛菊はアサドを思い浮かべる。アサドとは違い、髪質に癖はあるもののその金色の髪も瞳も今は少し胸が痛む色だった。

 雛菊は目を逸らすつもりで視線を下ろすと、セイリオスの白い絹のシャツが目に付いた。それから更に下に移すとサテンのパンツと高い生地をもサラリと着流すラフな格好に気付く。

 パーティーの夜というこの日に、主催者の王族達は皆それぞれに着飾って参加しているのにセイリオスだけはそれに相応しいとは言えない為に雛菊は小首を傾げた。


「シィリー君はパーティーに参加してないの?」

「しませんよ。ワタシが参加すると嫌がる顔をする人がいますから」


 事も無げにセイリオスがにこやかに口にするものだから、思わず雛菊は聞き流す所だった。

 つい眉を顰める雛菊の問い掛けたい気持が分かったのだろう。セイリオスは深刻そうな顔は一切見せず、笑い話のようにうっすら笑みを浮かべて答えた。


「妾腹なんですよ、ワタシ」


 一瞬、何を言っているのかが分からなかった。

 普段聞き慣れない言葉だからなのだろう。セイリオスが親切に「前王と愛人の間に出来た不貞の子ですよ」と言い直してやっと理解した。そして、こんな時はどんな顔をしたらいいのか考える。セイリオスはただ微笑むだけだから殊更に。


「シィリー、君……?」


 セイリオスの張り付いたような笑みがまるで知らない人に見えて、雛菊は戸惑いがちに声をかける。

 一纏めに右肩に流した三つ編みは、緩くほつれて金糸のようで、とても繊細で儚げな存在に見える。一方で触れると電気でも走りそうな緊迫した空気を張り詰めているようでもある。

 それが何だか少し怖くて、雛菊は表情の窺えない眼帯で隠された右顔を見詰めた。


「ところでヒナはアサド兄様からレオニス国王の後妻の話を聞きましたか?」

「え?」


 突然話題を変えられて、雛菊はぽかんと口を開けた。しっかりと向き合ったセイリオスは間の抜けた雛菊の顔を面白そうに見詰め、破顔した。その自然な脱力具合に雛菊はさっきまでの危惧がすっと抜け、それと同じくして「そう言えば」と言葉を紡いだ。


「アサド君から少しだけ。確かセラフィムの巫女だとか、だよね?」

「はい。アガート様と言うのですが、彼女の指輪が今、貴方が身に付けている指輪なのも、知っていましたか?」

「うん。セラフィムの巫女が生まれながら持ってる石が、この指輪の石で、ニタムさんがこの指輪を継いだんだって」


 左手の薬指にハマったままの指輪。アサドから貰ったこの指輪が大事な形見なのは知っていたけれど、それがセラフィムであった人の指輪でもあったと改めて言葉にすると余計に重みを感じた。


「アガート様始め、セラフィムの巫女は己と共にした石から力を引き出し、神の恩恵を民に与える者でした。それ故に国王以外の子を受胎しても尚、当時王位第二継承者だった叔父上に嫁ぐ事が出来たのでしょうね。それでも異例の輿入れだったようですが……」

「前例があるから私もアサド君の婚約者として簡単に受け入れられたのかな」

「そうでしょうね。あの親子はとてもよく似ていますから」


 婚約者と言う響きに内心複雑な想いを抱える雛菊だったが、セイリオスの指摘する微笑ましい親子の共通点には口を緩めた。


「それじゃあよく考えたら、アサド君ってセラフィムとかに関わりが深い人なんだね」

「ですから彼がセラフィムだと確信して言うなら、ヒナはやはりセラフィムなのですよ」


 自信たっぷりの断定した言葉には流石に雛菊も閉口した。

 いくら言われても雛菊にはまだセラフィムである自覚はまだ生まれていない。可能性として提示されているのだとぼんやり捉えているだけだ。

 物語のように不思議な力に目覚めるのを待ち構えているのにそんな兆しは全くない。

 何かが足りないのだろうか。


「……私も巫女って事はないのかな」

「いいえ。ヒナが己の石を持っての生まれでないなら、やはり巫女ではないのですよ。セラフィムの証明はワタシも知りませんが、ワタシもアサド兄様同様、貴方をセラフィムだと信じてますよ?」

「そう……」


 力なく相槌をして、雛菊は肩を落とす。

 己の力の予兆など何一つ感じられないのに、セラフィムなのだと呼ばれる事にどうしても素直に頷けない。けれど此処でセラフィムではないと否定をしては、王宮での雛菊を守る肩書きがなくなってしまう事を意味するので何も言えない。


「そうだ。それで、そのセラフィムの巫女だった人はそれからは?」

「彼女もニタム姉様が八つ、ワタシが五つの時に。まだ三十半ばだったかと……」

「そう……なんだ……」


 指輪が形見なのだから当然なのだろうが、やはり気持は陰鬱になる。


「元々、力を使うセラフィムの巫女達は短命なんです。ですから、子供まで無事生めた巫女のアガート様は長命の方だと思います」

「それでもやっぱり普通の人と比べたら短いよ……」


 特別な存在だからと、それでも巫女の短命さを割り切る事が雛菊には出来なかった。

 雛菊が元々セラフィム信仰のない異世界の住人の所為もあるのだろう。


「私には分からないな。どうして自分の命を縮めると分かっていて力が使えるんだろう」

「健気な姿ですよね」

「そうかなぁ」


 不納得な雛菊の隣りで、セイリオスは小さく吹き出した。その音に馬鹿にされたのかと思った雛菊が反射的にセイリオスを睨むと、彼は悪びれた様子で「すみません」と零す。


「ワタシも同じ事をアガート様に言った事があるんですよ。その時の彼女の答えが未だにワタシにはよく分からないんですがね……」


 アガートがセイリオスに何と答えたのか気になったが、彼が何も言わない事から二人だけの大事な思い出なのかと雛菊はせっつく事もしなかった。


「セラフィムの巫女は、どんな人だったの?」


 代わりに別の質問をすれば、セイリオスはすぐに答えてくれた。


「普通の方ですよ」


 ただ、あっさりとし過ぎた回答に雛菊はイメージが全く湧かない。それに気付いてか、セイリオスはにこやかに付け加えた。


「アガート様は庶民出な事もあって、貴族のような気取った所も高慢さもなく、花や緑が大好きで、使用人よりも泥だらけになって庭いじりをして笑っている人でした。噂では叔父上の寝室に悪戯で蛙を忍ばせた事もあったとか」


 話しながらセイリオスは思い出し笑いを浮かべて腹を抱える。その姿が無邪気で、また目許がとても優しくて雛菊は直感的に思ったままをつい口にした。


「シィリー君は、アガートさんが好きだったの?」

「はい」


 戸惑いもしない返事に雛菊は思わず赤面する。


「まだ小さな子供でしたが、アガート様が好きでした。初恋です」


 名前を口にするだけで、セイリオスは愛しそうに目許を緩めた。


「勿論、既に皇后であるアガート様には失恋なんですが、ワタシはそんな彼女の面影を追うようにニタム姉様に想いを寄せるようになりました」


 瞳を閉じて彼の人を思い浮かべているのだろうか。

 雛菊は黙ってセイリオスの話に耳を傾けた。


「ニタム姉様はワタシより三つ程上で、既に両親がいなかったワタシをウル兄様、アサド兄様、ニタム姉様らの弟のように可愛がって貰っていました。それでもワタシにはニタム姉様は姉ではなく、一人の女性でした」


 元の世界でもそうだけれど、好きな人の話をする時はその人がとても輝いて見える。

 今も雛菊にはセイリオスが眩しくて、微笑ましく思えた。反面、そんな風に人を好きになるというのはどんな気持なのか雛菊は深く理解はまだ出来ないのだが。


「ニタムさんは、どんな人だったの?」

「母親似の快活な方でした。菫色の髪が豊かに波打って、いつでも笑顔が絶えない明るい方で、ワタシの婚約者になる方でした」


「でした」という過去形の言葉に胸が傷む。

 セイリオスの初恋のアガート同様、ニタムもまた今はいない人なのだ。


「やっぱり、悲しいよね」

「いいえ。それよりも悔しいです」


 心なし低くなった声音に、雛菊は僅かに首を傾げる。見るとセイリオスはまた張り詰めた笑みを浮かべて、何処でもない虚空を見詰めていた。


「彼女は奪われたんです。ワタシのモノになる前に、ひょっこり現れた流浪の精霊師に……」


 形のいいセイリオスの唇が噛み締められる。緩やかに変貌するセイリオスを雛菊はただ黙って見守る事しか出来ない。


「ひょっこり現れた彼は、横からワタシの大事な彼女の心を容易く手に入れた。ヒナはよく知っているでしょう? 稀代の精霊師、シャナ・ステラ・ミラを。彼が貴方を喚び出したのだから――」


 一瞬、時が止まったような気がした。

 聞き慣れない響きにそれがシャナの名前だと気付くのに暫しかかる。だが、それよりも「何故」「セイリオス」が「雛菊とシャナの関係を知っているか」その事に驚いて咄嗟の反応が出来なかったのだ。

 話した覚えはない。誰かが話したのか。それも考えにくかった。シャナの事を知っているのは国王レオニスとチェリウフィーだけの筈だ。


「どうして……」


 底知れない不安から声が震える。


「どうして?」


 復唱してセイリオスが鼻で笑った。


「何もセラフィムを喚ぼうとしたのは彼だけじゃないんですよ。ワタシは望むモノを横からさらわれた。妾腹と言うだけで影で蔑まれる。表向き体面を装う為に王籍に名を連ねるけど、誰もワタシを認めない。ヒナ、おかしいと思わないですか?」


 両肩を掴まれ、問い質されて雛菊は体を硬直させる。

 向き合わされた金色の隻眼は何処か濁って見え、三日月のように開いた口が酷く歪んでいた。

 初めて人を見て怖いと思った。

 静かに壊れているセイリオスと向き合い、雛菊は震える唇を抑えて息を吸う。


「私はこの世界で何が正しいかとか分からないけど、シィリー君は私に何か言いたい事があるんだよね?」


 毅然として見える態度も所詮は虚栄。今のセイリオスを刺激しない事が賢明と考えての結果だ。

 そんな雛菊の強がりが分かるのだろう。当たり前だ声が震えている。セイリオスはうっすらと唇を吊り上げては余裕の態度を見せる。


「聡い方は好きですよ」


 囁くような声でセイリオスは雛菊の左手を取り、薬指を親指でなぞる。蛇が這うような動きに背筋が泡立つが、声に出して拒絶をする事は何とか堪えた。


「その指にアサド兄様が我が物顔でジオンをはめたかと思うと不愉快ですね。あの人達はまたワタシから大事なモノを奪おうとする」


 憎々しげに舌打ちする音が僅かに響き、怒りで歪んだ顔を雛菊に向ける時は、仮面を被ったかの如く涼しげに眉尻を下げた。


「ワタシの願いは、セラフィム……ただ一人」


 手に取った雛菊の甲に優雅な流れで唇を落とし、セイリオスは続ける。


「父からの権威も財産も愛する人さえ全て、ワタシの血には何も与えてくれないこの国。本来なら前王であった父の長子であるワタシのモノでしょう? この国は歪んでいる。元ある形に正す為には、ヒナ……貴方が必要です。もうワタシには貴方しかいないんです」


 乞うような声でセイリオスの頭が雛菊の肩に置かれた。首筋を柔らかな髪が撫ぜてくすぐったいが、笑う気分にはなれない。

 それ以前に、何をどう捕らえて答えればいいのかが分からなかった。

 切にセラフィムの力を望む青年が目の前にいる事以外、状況の把握が出来ない上、かと言ってその願いを叶える訳にもいかない。叶える術もない。

 混乱する頭を努めて冷静に静めるのが精一杯だった。

 その為セイリオスを振り払う考えまで追い付かなかったのだが、それも二人の間に割って入った一陣の風によって引き剥がされる。

 不自然なまでの旋風。こんな風を雛菊は以前にも見た覚えがあり、身を捩って風の元を探った。


「セイリオス様、お戯れも度が過ぎれば謀反となりますよ」


 茂みの影から藍色のマントがはためく。灰色の瞳は暗闇でも突き刺すように射抜き、胸に飾った碧石のブローチは燦然と輝いていた。


「ランフィー君っ!」

「……離宮の犬が無礼ですよ」


 突如その場に姿を現したランフィーに対し責める口調のセイリオスだが、少年は怖ける事はなかった。


「不本意ですが、セラフィムの護衛を影から任された身としては厚かましくも馳せ参じた次第です」


 形だけ取り繕い、王族であるセイリオスに膝をつくランフィーだが、それでも送る視線は険しいものだった。

 先程の会話を全て聞いた上でも独断で姿を表したのだろう。

 主の一族に歯向かう覚悟の瞳を雛菊は感じた。


「ところでセラフィム、邪魔なので引いていてくれませんか」

「ちょっ⁉︎ 邪魔ってねぇ――っ」


 こんな時まで邪険に扱われ、思わず憤る雛菊だったが、気迫に圧されて仕方なく不満を飲み込み、言われた通りに対峙するセイリオスとランフィーの視界から外れるように身を引いた。


「そうは行きませんよ」


 しかしあっさりとセイリオスに腕を捕らえられ、彼の胸に背中を預けるように引き寄せられてしまう。


「ヒナは誰にも渡しません」


 セイリオスは強気に口の端を上げると余った左手を翳し、人差し指の先を頭を下げるようにランフィーに向けて折り曲げた。途端、ランフィーの胸に掲げていたブローチの石は粉々に砕け散る。


「なっ――⁉︎」

「増幅石に頼るような精霊師ウィッカ程度にワタシを止められるものですか」


 歪んだ三日月を形作る唇で冷笑する瞳がランフィーを挑発する。相手が目上と言えども無力さを笑われて冷静でいられる程ランフィーも大人ではない。己の職と地位に対するプライドを傷付けられた怒りか、主君たる血筋への攻撃の躊躇いを取り払ったようにギラついた瞳は敵を見る目だ。

 通常、攻撃精霊術(ウィス)を繰り出すには詠唱と力を増幅させる貴石によって術の性能を上げるのだと応急までの道すがらの暇潰しに聞いた話を思い出す。胸の碧石は宮廷精霊師のシンボルだとも。

 その増幅器を失って大丈夫だろうか。

 雛菊の心配を他所にランフィーの攻撃は素早いもので、左手の人差し指を目標に突き付ける。その指先に溢れた光を弓の弦の原理で右手で摘んで引き絞る。


「殺しはしませんが自由は与えませんよ!」


 きっと威力は低いのだろう。殺傷力はほぼないものとみてもいい。本人も言っているのだから殺しはしない筈だと信じながらも雛菊は固唾を飲む。

 狙う相手は国政に不穏をもたらす危険があるとはいえ王族で先代の遺児だ。易々と命まで奪うつもりなど毛頭なく、きっと威嚇のつもりの攻撃だと頭では言い聞かせるものの雛菊は矢が放たれる瞬間、それでも竦み上がった。

 光の矢は闇夜を灯すように疾る。

 一矢与えれば流石の相手も痛みで人質を手放す。その隙にランフィーの元に駆け寄れば逃げ延びれる――筈だった。

 けれど、矢はセイリオスを貫かなかった。

 狙いは外れていない。目測に誤りはなかったように見えた。セイリオスも一歩たりともその場を動いていない。第三者が割って入ったのだ。何処からともなく影のように現れ、矢がセイリオスに触れる直前に延びた何者かの手が掴み取り掻き消したのだ。


「そんな……」


 予想だにしなかった第三者の介入にランフィーは動揺が隠せないようだった。それ以上に精霊術を素手で払う力を前に、彼の自尊心が砕かれたようでもあった。


「……セイリオス様、お怪我は?」

「ないですよ。ニタムのお陰です」

「ニタム――……?」


 突然現れた少女の呼び名に雛菊は目を向く。

 歳は雛菊とさほど変わらない少女。紫暗の長い柔らかな髪に、頬に影を落とす長い睫毛。陶磁器のような白い肌だが、血の気はない。まるで動く人形のような出立ちに雛菊は戸惑った。

 顔を知っている訳ではないけど、先程聞いた外見の特徴は一致しているのは単なる偶然なのか。

 その呼び名が目の前にいる少女の実名であるとしたら耳を疑うものだ。


「ニタムって――シィリー君、まさか……」

「有り得ない! ニタム様はもう十年も前にお亡くなりになられたっ」


 雛菊の疑問を打ち消すようにランフィーの言葉が被さった。まだ動揺を拭えない少年は、幽霊を目にしたかのように青褪め、ニタムという少女に視線を釘付けにする。


「ランフィー君、この子ってまさか本当にアサド君の――」

「確かに記憶のままのニタム様ですが、残された出血量からはとても生存は望めない惨劇だったと聞いていました! セイリオス様、これはどういう事なんですかっ」


 張り上げるランフィーの非難の声を耳痛そうにセイリオスは顔を歪めた。


「どうもこうも、彼女は正真正銘ワタシだけのニタムですよ。あ、変化と言えば彼女がプリンシパティウスになったって所でしょうか」

「そんな、まさか! どうやって――っ」

「それは、秘密です」


 子供っぽくウインクでランフィーの叫びもいなし、セイリオスは雛菊へと向き直る。


「さて、大人しくしているのも面倒だから、ヒナはワタシの“城”にでも参りましょうか」

「え? え?」


 逼迫した状況について行けず、訳が分からぬまま雛菊が狼狽えていると無慈悲な声が囁かれるのを聞いた。


「ニタム、殺せ」


 あまりの言葉に一瞬、何を指しているのか理解に遅れた。その所為で気付いた時にはランフィーが地に伏せていた。


「ランフィー君っ! ランフィー君⁉︎ 嘘、そんな、シィリー君酷いっ」

「ワタシ自身で手を上げていないのでワタシは酷くないです。ヒナも興奮し過ぎですから、少し眠ったらどうですか?」


 そう言ってセイリオスが何かの粒を雛菊の目の前で潰すと、甘い匂いに眠気を誘われる。それが睡眠を誘発させる何かだと察しがついた頃にはもう遅い。自由が効かなくなる体を抱き上げられ、深く泥に沈む感覚に陥る。


「ランフィーく……逃げ……」


 重い瞼の間から辛うじて頭から血を流して起き上がるランフィーの姿を見て、絞り出すように言った。

 何で、どうしてこんな事に。

 今は責めたって理由など分かる筈もない。ただ、誘われるまま眠りに落ちるだけだ。

 しかし意識が途絶える前、漆黒の髪に赤い瞳が揺れるシャナの姿が瞼の裏に浮かんだ。


 

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