表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シャナと花のバラッド  作者: 藤和葵
第三章・玉響に咲く花
21/61

05.交錯する思惑

 

「婚約……パーティー?」

「――と言うのは親父の勝手な言い分で、単に夜会を催したいんだ」


 ラス・アラグルに滞在して三日目の朝。食事も終え、ダイニングと呼ぶには広いホールからの帰りにアサドが言った。

 広すぎる王宮に長い廊下。与えられた私室とホールとの往復の道がまだ覚えられない雛菊はアサドに先導されている際に持ち出された話題に、人の目がない所為か露骨に眉を顰めた。


「そのパーティーに私も参加するの?」

「嫌か? 一応セラフィムとして公表してる以上、その後ろ盾に王家がついてると言っときゃ腹に一物ある妙な輩を抑制するって目的もあるんだけど……」


 鼻の頭を掻いて歯切れ悪くアサドが言うのは、その王家にセラフィムがついた事を利用しようとする者がいないとは限らないからだ。雛菊も内情について詳しく知っている訳ではないが、何となく不穏な空気を感じ取っていた。

 直接誰かが話してくれた訳ではない。普段の王宮内部の状態を知っている訳でもないので比べようもないのだが、全体に漂う物々しい空気は異常だと思った。

 一見平和で静かなのに一皮捲れば兵士も給仕も何処か緊迫した雰囲気で、雛菊を見掛ければ声を潜めて影からこっそり窺う。

 朝食時、耳に届いたメイド達のひそひそ話は「セラフィムが今後の戦を左右するかも知れない」というそんな会話だった。

 それは間違いなく雛菊自身が関わる話で、しかし本人の意識しない所で広がっている。池に投入れた小石から生じる波紋が止められないのと同じだ。

 勿論、投じられた小石は雛菊自身だが、自ら転がり混んだ小石とした方が表現としては正しいだろう。

 それを自覚しているからこそ、雛菊はこのままアサドの影にこそこそ隠れているのも気が引けてくる。


「不安なら付き人のシャルーンもドレスアップして傍につけるよう手配も出来るが?」


 雛菊の不安を拭うつもりもあるだろうが、半分はシャナへの嫌がらせの提案を含ませているのだろう。気を軽くする発言のつもりなのだろうが、つい眉を顰ませてしまった。


「ただでさえ今の格好に不機嫌なのにパーティードレスなんて火に油でしょ」


 言外に別にいなくていいと言ってしまえば、素っ気無さ過ぎたと気付いて慌ててアサドの顔色を窺う。


「それより私、踊れないけど、出席してもいいの?」


 アサドは微笑して頷く。


「別に踊れなくても構わないけど、不安なら試す? ベッドの上なら練習してやるよ?」


 あまりに冗談めかしてアサドは言うが、先日の婚約の申し出が尾を引く雛菊は笑い話に持ち込めなかった。


「アサド君のアホ……」


 頬を赤くし、悔し紛れに子供っぽい文句を言って雛菊が返すのをアサドは楽しそうに眺める。齢十六の恋愛経験乏しい少女が上手く躱せる方が不自然なので、その反応こそ望んでいた節に雛菊は頬を膨らませる。それでもアサドはまだ余裕だ。雛菊の戸惑いなどとっくに承知で、左手にはめていた指輪が実はネックレスとして首元に飾られている事についても何も言わない。まだ雛菊がアサドを一人の男として見ていないのを知っているし、そもそもそういった段取りも踏まえないでの唐突だったのだから仕方のない事だとも思っている――そんな様子だ。

 毎度部屋まで送られながら雛菊はこっそりアサドを見やる。

 この余裕はどこから来るのだろう。

 からかわれているだけなら相当たちが悪いが、そんな性根でないのを雛菊は知っている。全く遊ばない訳ではないが、冗談で済む言葉と相手を選んでいる。

 ただ、大人の男の人とは告白したあとになんでもない顔が出来るのだと思うと狼狽えた姿ばかり見せられないとばかりに雛菊もなるだけいつも通りに徹するのだが、なにせ場数が違う。

 探るような雛菊の視線に気付いたアサドから、蜂蜜のような濃い色合いで熱っぽく見つめ返されるともう駄目だ。顔が熱くなり、まともに視線も交わせない。

 駄目押しのように別れ際に頬に頬を重ねて挨拶をされた時は腰を抜かしかけた。


(その余裕さを分けてもらいたい)


 考える事は他にもあるのにこれではどこに気持ちを集中させたらいいか分からないではないか。

 雛菊は半ば八つ当たりで宛てがわられた私室のベッドに俯せに沈んだ。 



 ――誰のどこが余裕なんだ。

 雛菊を部屋まで送り届け、完全に扉が閉じられたところでアサドは頭を抱えてその場でしゃがみ込む。

 余裕ならどんなに良かったかと思い隣の部屋の扉を睨めば気が晴れるとかそんな事はない。

 彼女の中には別の男がいる。シャナと雛菊の問題だ。

 元々人前に出る事を好まないシャナが、朝食に呼んでも部屋に籠って出て来ない事は珍しくはない。そんなシャナを話題に出せば不自然なくらいに雛菊が顔を歪める。さっきの夜会の話題でもそうだ。

 それだけ心を揺さぶる相手がいるのに余裕を保てる筈もない。


「――つか、俺三十路越えて何ろくに手も出せないでウブな事してんだろ」


 アサドは厄介そうに呟いた。

 ダイニングから私室までの僅かな距離。ありがとうのキスもなしに手ぶらで女性を送った試しがない男は、肩を落としつつも立ち上がり、自室への道を辿って行くのである。



 一方、扉の締まる音にシャナは目を覚ました。

 音の元は隣りの雛菊の部屋からで、中の様子はよく分からないが時計の時間から察するに朝食を終えて部屋に戻って来たといった所だろうとシャナは頭を掻き上げる。

 女装して城内に潜入する為に伸ばした髪がやたらと指に絡んで鬱陶しいが、いちいち切るのも面倒臭い。そもそも、アサドと同行する雛菊を守る為にわざわざプライドをかなぐり捨てて変装までした筈なのに、既にその「守る」という目的すら果たしていない。


「役目を果たさないでこれじゃあただの変態だ……」


 鏡に写った姿は少女そのもので、元々の少年の姿は中性的ではあったが髪を伸ばした今は更に少年からかけ離れている。これでは雛菊がシャナを異性と意識する筈もない。


「別に、意識されたい訳じゃないけど……」


 なろうと思えば青年の姿にだってなれる。ただ、青年の姿を取る事はシャナにとって具合が悪い。だから敢えて青年の姿はしないようにしているのに、雛菊の事を思い浮かべるとその意志も揺らいだ。

 アサドと並ぶと絵になる身長差。

 シャナの今の華奢な体では肩幅も掌も力も全て足りない。守るには不足している。

 雛菊を守ると言った割りには余りにも頼りない自分。

 アサドがいずれはあの行動をとるとは予測していた。それでも構いなしに雛菊の護衛は出来ると思っていたのにどうであろう。

 アサドと比べて自己嫌悪に落ちる自分が酷く情けなかった。

 心の奥でモヤモヤと渦巻く感情がシャナを焦燥に駆り立て、怒りも湧く。

 何よりも雛菊に相談を持ちかけられた事に腹が立った。少女の無神経さもそうだが、それに傷ついてしまった自分にも苛々する。

 まるで恋の病のような症状だと考えてそれをすぐに思考から振り払い否定した。


「……有り得ない」


 小さく呟いてシャナは拳を握る。無意識に爪を立てた為、肌に食い込む痛みがあるが気にはならなかった。むしろ肉体的痛みがある程、余計な考えが薄れて行く。

 窓の外を見ると西側に面した為か、まだ青々とした色は帯びていない海。だが、薄く白く輝いた海はやけに眩しすぎてシャナは目を細める。

 眩しすぎるくらいの海が陰鬱とした心とは裏腹に明る過ぎて更に惨めな気にさせた。



 * * *


 陽射が斜めに傾いて、赤く染まった海へと沈んで行く。

 反対に館の壁の影が差し込み陽射の入らなくなった中庭にリリィローサの明かりが灯り始めた。

 少女は一輪の花を手折り、匂いを嗅ぐ。懐かしい香りに胸が詰まる想いがある気はするが表情は変わらない。

 いつの頃からか、少女には記憶が欠けていた。しかしその欠けた記憶が特別気になるといった事はない。欠けた記憶を埋めるように大切な主が傍にいる。それだけで胸は満ち足りた想いだった。

 だが、その想いにも陰りが差している。

 一輪の花。

 たった一輪の花に、主は心奪われた。

 傍にいる少女よりも、その花を傍に置きたいと願う主。

 自分以外の他人など傍に近付けたくないのに、大切な主の願いであれば逆らう事も出来ない。

 胸の中でモヤモヤとした葛藤が渦巻く。

 この心に沸き上がる気持の悪い感情の名前など少女は知らない。ただその名前の知らない感情をぶつけるように、リリィローサの葉の裏で羽根を休める蝶に手を触れる。蝶は音もなくハラリと地に落ちた。

 小さな虫の命を摘み採って気持が晴れた訳ではないが、大きな獲物であればいい訳でもない。ともすれば主に迷惑がかかるかもしれない。

 少女は影で生きなければならなかった。

 はっと誰かがこの場所に近付いた気配に気付いたので少女は足早にその場から離れる。

 誰にも見つかってはいけない。

 影で生きる上で主からきつく命じられている。それ故少女は音もなくさっと姿を消した。




「ルビさん、あまりはしゃいで花につっこんだら駄目だよっ」


 リリィローサの庭園に息を弾ませた真っ赤な毛玉が突っ込む。

 日に一度の散歩に此処までルビを抱いてきた雛菊は、外に出た途端腕を振りほどいて興奮する聖獣に振り回されて乱れた髪を手櫛で直しつつ、花に埋もれた目立つ赤を見つけ出した。


「あーぐちゃぐちゃ! 光る貴重な花なんだからね、悪戯すると首輪とリード付けて散歩するんだから」


 走り回って少しは満足したのか、やっと立ち止まるルビに追い付いた雛菊が大きく息を吐き出す。


「ルビさん、何してるの?」


 立ち止まったルビは鼻を土に押し付けるように屈んで、夢中に尻尾を振っている。

 気になった雛菊も腰を屈めてルビの鼻先を伺えば、羽根が閉じられた一匹の蝶がそこに落ちていた。

 生きているのか死んでいるのか分からない。


「食べちゃ駄目だよ?」


 今にも口が出そうなルビの鼻先から避難させるように雛菊は蝶を掌に掬った。


「死んじゃってるのかなぁ」


 ピクリとも動かない蝶を少し指先でつつく。鱗粉が付着したがそれでも蝶は動かない。

 綺麗な紋様の蝶。雛菊はその羽根が二度と開かれず、このまま誰にも気付かれずに踏まれて朽ちて行くのが気の毒でならなかった。


「まだ飛べそうなのに……」


 残念そうに肩を落として呟く。もう動かない蝶はルビに悪戯されないようにリリィローサの根元にしっかり埋めてあげようと雛菊は屈んだ。その時だった。

 蝶はピクリと眠りから覚めたように触角を震わせ、羽根を広げて茜色の空をヒラヒラ飛んで行った。


「良かった、生きてたんだ」


 自然と笑みが零れて雛菊は掌についた鱗粉を払いながら立ち上がる。空を見上げながら急に立ち上がった所為か、少し立ち暗みのような眩暈を覚えるが辛うじて踏み止どまった。


(最近よく眠れてないからかな)


 足下でルビが心配そうに鼻を鳴らすので、雛菊は安心させる思いで彼を抱き上げる。ルビは普段より甘えた声で雛菊に擦り寄り、何処か落着かない様子である。


「どうしたの、ルビさん。急に甘えたさんだね」


 愛らしい生き物の毛皮に頬を埋め、雛菊はよしよしと背中を撫でた。

 これと言って何もないただの散歩の一コマ。

 それなのに何故だろうか。

 この場所に来て嫌な予感が雛菊の胸を騒がせる。


「気にし過ぎ、だよね」


 己にそう言い聞かせるが、一度過ぎった不安は簡単には拭えなかった。

 雛菊は落ち着かない気分で更にルビを抱き締め、リリィローサの灯が消える中、蝶が飛び立った虚空を見詰めていた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ