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ヒロイン様にフラグが立たないその理由  作者: 逢月
第三章 アルヴァン・グランドベルグ
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彼女の地雷

 アルヴァン・グランドベルグ。

 砂漠の国の第一皇子にして、グランドベルグ現女王の弟――魔法よりも剣が得意で、国内では騎士団の中隊を一つ任され、騎士団数隊で包囲しなければ難しいとされるグランドワームの討伐に単隊で勝利した経験を持つ統率力と物理攻撃力を備えた攻略キャラだ。

 攻略キャラの誰よりも恵まれた環境に居て、アルヴァンが抱える問題はただ一つ――自分が火系統属性内在型の高位魔力保持者としてグランドベルグに生まれてしまったこと。

 純粋な火属性の魔力を反属性の水の化身である水精霊に捧げることは出来ず、アルヴァンは水精霊を維持し続けるというグランドベルグの王族の義務を果たすことができない為、国内では役立たずの皇子と陰で罵られてきた。

 それ故、幼い頃から魔素の種のことを知らないながらに独自のルートを構築し、魔力を生み出すことができる魔道具を探し求め、魔素の種のことを知った後は、聖女を求めて単独で魔法学園に留学し、ゲームでは両方を実際に手に入れた。


 何が役立たずの皇子だ、と思う。

 その行動力と努力の末に手に入れた力は、今も十分、国の役に立っているだろう。

 それにたとえ未だに陰口を叩く奴がいたとしても、グランドベルグが国としてアルヴァンに愛情を注いでいたことは明白だ。

 自分の火系統属性を嫌い、魔法を積極的に使わないアルヴァンに対して、魔法がなくても戦えるように剣を教育し、努力と功績を認め、まだ十八歳という若さであるにも関わらず、国の大事な騎士団を一つ任せた。

 グランドベルグの政治の在り方を考えれば、これは全てあの悪名高い我儘女王が一人で決めたことではないことは誰にだってわかる。

 そもそも聖女獲得という重要任務を任されてこの王国に来た時点で、グランドベルグがアルヴァンを自国で一番使える人間だと認めているということが世界に証明されているのに、彼はその上に何を求めてランスを攫ったのか。


 私からしてみれば、アルヴァン・グランドベルグは生まれ付いたものからしてとてつもなく贅沢な悩みだ。

 元々高位魔力保持者ではない者が高位魔力保持者になる為に、どれほど苦労と我慢を積み重ねなければならないのか貴方にわかるかと問い質してやりたい。

 折角生まれ持ってきたものを蔑ろにして、違うものが欲しいからと他人が持っているものを無理矢理に奪おうとするその考え方。

 今回のこの事件、起こした経緯に同情の余地もなければ、私が許さなければならない道理もない。

 大体、ランスに手を出して彼を死の淵に立たせたのだから、私の中ではアルヴァンは万死に値する。


「ごきげんよう、アルヴァン・グランドベルグ殿下。早速ですが、貴方の妄想は非常に不愉快ですので、この手紙を跡形もなく燃やしていただけません? 大変迷惑なことに一応は王族である貴方から送られた手紙ですので、公爵家の私共では処分致しかねますわ」


 廊下で出会った――いや、出会わされたアルヴァンに貰った手紙を差し出して。

 ほとんどの事実が書かれたその手紙は、アルヴァンにとってさぞかし大事なものだろう。

 他の人間に見られる訳にもいかないので私が態々持っていた手紙を受け取られる寸前に手を放せば、アルヴァンは一瞬呆けた後、慌てて自ら床に手を伸ばして落ちたそれを拾い上げた。

 一歩出遅れた護衛の騎士達の顔に、態と王族の手紙を落とすなんてと私に対する非難が浮かぶが、謝罪をする気なんて毛頭ないから素知らぬふりをする。


 アルヴァンは少し逡巡し、苦々しい表情で火魔法を使って手紙を燃やした。

 その塵すら残さないレベルの炎を見届けて、思わず笑いが漏れる。

 恐らくアルヴァンがこうして緊急事態でもないのに自分の意思で火魔法を使うのは久しぶりだ。

 だって、暖炉の火も見たくないほど火属性が嫌いなんだから。

 自分の得意属性が火だと再認識した気分はどうだ、と些細な嫌がらせに心の中で思い付く限りの罵詈雑言を被せていたら、アルヴァンが視線を上げた。


「……何か言いたいことがあるなら、はっきりと口に出したらどうでしょうか。オルトランド次期公爵夫人?」


「あら、私の前から一刻も早く消えてくださいと先程から態度で申し上げていますでしょう。何処かの娼婦にしか相手にされない浅慮なお子様にはわかりにくかったのかしら。ごめんなさいね、貴方のレベルに合わせられなくて」


 盛大に、厭味ったらしく、傲慢に嗤いながら。

 そうして全員の敵意を引きつけてから、私は表情を真面目なものに変えて声を潜めた。


「自由にしてあげたんだから、さっさと聖女様を口説きに行きなさいよ。王国も教会も、まだ未熟で大切で貴重な聖女様をこんな状況でも派遣しないことはわかったでしょう? 重要な貿易国であるグランドベルグが滅びかけようと、建国から仕えてきたオルトランド公爵家の後継者が死にかけようと、今、王国も教会も何もしてくれないなら、あとは聖女様が自発的にグランドベルグに行きたいと陛下を説得するように仕向けるしかないのよ」


 貴方に頼るのは癪だけど、第二王子の次に聖女様と懇意なのは貴方だから、と付け足して。

 アルヴァンなら、トラウマ並みに植え付けられた正義感で自分は皇子だから国を救わなくてはならないのだと思い込めば、あとは彼の犯罪を知る人間が渋っても、彼の人徳によってその正義感に賛同した他の周囲が協力することになって、私達の良い方に事が動くだろう。それが彼の人脈というものだ。

 アルヴァンの瞳には目論見通り身勝手な正義感が宿り、共闘意識というものだろうか、周りの騎士達も一様に事の真相がこれでわかったと頷いて、私への敵意を緩めた。

 緩んだ隙間から覗いているのは、死に瀕した夫を想う妻への同情――腹が立つ。


「でも、一つだけ覚えておいて。私はランスがどう考えていようと貴方のことが大嫌いよ。役立たずに生きている価値はないと思いなさい」


 場の空気が一瞬でまた鋭いものになったが、あくまで先程言ったのはランスの考えで、私はちゃんと納得していないと印象付けられたのなら、それで結構だ。


 どうせこの廊下、私が向かうこの方向から来たのなら、この人達は先にランスに会っている。

 殺されかけた原因になった相手に碌に敵意も向けないランスの対応には、さぞ毒気を抜かれただろう。

 ランスは自分が怪我をしても、そういうことで誰かが悪いとか決して他人の所為にしない。

 怪我をしたのは自分が未熟だった所為。攫われたのは自分の所為。魔素に侵されたのは自分の所為。

 ランスはそういったことを口には出さないが、何かあればまず自分を責める人だから、アルヴァンに対しても八つ当たり的な厭味は言えど敵意は向けなかったはずだ。

 アルヴァンも含めて、現在、城の人間が敵意を持って警戒すべき対象は、私一人。

 少なくとも今は、ランスよりも私のほうが危険だと認識してもらえれば良い。


 アルヴァンは騎士達に急かされ、礼もおざなりに私の横を客室方面に通り抜けていった。

 ギリッと奥歯が鳴る。

 その感情が乗らないよう気を付けながら、最後に可能性を暗に含めた大きな独り言をアルヴァンの背に投げつけた。


「貴方の遺言なんて渡されても相手が迷惑なだけだから、次の死に際では黙っていることね」


 アルヴァンがこれをどう解釈するかは自由だが、できることならランスが望むような未来になるようにと。




 案内された部屋の中、ランスは窓枠に身体を預けて、疲れた横顔を夕焼け色に染めながら、暮れる街並みをぼんやりと眺めていた。


 ……貴族の常識として。

 客室は美しい庭園が見渡せる場所に置き、部屋の中には招いた側の侍女は配置するが、客には圧迫感を与えないよう、金属鎧で固めた騎士は置かない。

 客が求めない限り、護衛はその客が連れてきた者のみを部屋に置くこととし、招いた側は外部の警備に徹して、客に粗相がないよう細心の注意を払う。


 謁見室から最も遠く離れたこの場所で、普通の客人のように美しく整えられた庭園を眺めることもなく、明かり取りの為に作られた窓から街並みを眼前にして、侍女と騎士に常に言動を監視された状態で軟禁されて。

 水精霊の所為で頭が割れるくらい痛いのに、文句も言えずに慣れない場所に留まることを強要され、色々な人に疑われて、無理をして立っていられないほど疲れているのに、痩せ細った病的な姿に少しくらいの自由すら許されることもなく、容赦なく国に試されて。

 それを当然のことのように受け入れているランスは、きっとこの待遇を大して気にしていない。


「……貴方はアルヴァンを許せるの?」


 ランスはその質問に答えることはなく、私にそのまま返した。

 自分がどう思っているかよりも、私がどうしたいかが大切なんだと言わんばかりに微笑みながら。


 ――違う。作戦とか、そういうのじゃなくて。

 学園に入学して暫く経ったときからずっと聞けなかった本心を知りたかったけれど、見張りの騎士や侍女達の手前、黙ることしかできなくて、すごく悔しくて涙が出てきた。

 情緒不安定すぎてランスを困らせるなんて最悪だが、どうにも涙を止めることができなかった。


 西日しか入らないこの部屋を、ランスは本当はどう思っているのだろう。

 夕焼けに染まった鬱蒼とした木々と街並みしか見えない窓。

 洗面室や浴場が付いてはいるけれど、寛げるスペースは基本の一室のみで、その唯一のスペースにも等間隔で配置された侍女と騎士が硬い表情で立っていることの意味は、理由は、状況は。

 ……これではまるで、ランスのほうが冤罪人だ。

 だから私は、ランスをこのように扱わせる原因になったグランドベルグを、


「許せる訳ないでしょう?」


 ランスがたとえ許そうと、私が許して堪るものかと思う。


「あの男も魔素の種が暴れているのに何もしてくれない聖女様も、こんなに近くにいるんだから、できることならいっそのこと……」


 殺してしまいたいと、こうしていつだって私はゲームの中のリリア・オルトランドのように、満身創痍の貴方の前に飛び出す覚悟はあるというのに。


「俺がもっと強ければ……俺にもっと権力があれば、襲ってきた時点で遠慮なくあいつを殺してやれたのに」


 せめて周りの敵意だけでも私が引き受けようとすれば、私よりも明確に危険な言葉を提示して簡単に周囲の注意を引き戻してしまうランスだから。

 私の所為で余計にランスが正当に評価されないことが悔しくて悔しくて、それを言葉にできない状況に感情が爆発しそうだった。






 “アルヴァンが聖女と旅行に出掛けた。四日後にグランドベルグに聖女を伴って戻る予定だから、直前に封印魔法を解いてほしい”


 私達の部屋を訪れた国王は、アルヴァン達が旅行に出発した十日後にそう言った。

 聖女が自ら魔素の種を浄化することを決めたのなら、女神の意思として受け止めて王国も止めはしない、と。


「元よりそのつもりで、夫は苦痛に耐えています」


 ランスは答えられない為、発言の許可を貰って代わりに私が肯定すると、国王の隣りに控えていたお義父様が呆然と呟いた。


「……ランス、ロット……?」


 珍しく自分で付けた名で呼ぶ、動かない人影に問いかける声は掠れていた。


「先程漸く寝入ったところなので起こさないでください。……ここ数日は、一時間も眠れれば良いほうなので」


 たくさんのクッションの中に埋もれてやっと座位を維持できている私の膝の上で、起きているときよりは幾分穏やかな表情で眠るランスの額に掛かった前髪を払う。

 私の左腕は再びジワジワと水精霊から送られてくる魔素によって黒く染まりつつあったが、まだ感覚はちゃんと残っていた。

 ランスは頭痛によって睡眠がとれず、魔力があまり回復できない為、魔素の被害のほうこそ私よりも少なく済んでいるが、睡眠不足の所為で眉間には深く皺が寄り、隈は色濃く切れ長の目の下に刻まれて、頭を抱えながらも何とか眠ることを繰り返して、再びほとんどの時間をベッドの上で過ごしていた。


「生きて……いるのか」


 この父親は尽く私の地雷を踏んでくるが、死にたいのだろうか。

 ホッとしたような、でも半信半疑でランスを窺う顔を睨みつければ慌てて身体を引いたから無意識だ。

 もう一度痛い目を見なきゃ気が済まないなら、お望み通りにそうしてやるのに。




 かくして、現実は私達の犠牲によって、ヒロイン側からすると一見順調なゲームの世界のように進んだ。

 水精霊の封印によって水の配給をほぼ完全に失い、魔素の種の活性化によって他の国から次々と手を切られた王族不在のグランドベルグも、アルヴァンとヒロインの旅行が終盤に差し掛かる頃には、混乱は治まっていた。

 予め罪の塔に出向く前の早い段階から、グランドベルグが九割方輸入に頼っていた食料をランスがオルトランド公爵家の莫大な財力を動かして援助していたし、こういうときに出しゃばってくる慈善事業が得意な教会には、VIP待遇でザイレとレゼの二人を支援に回してもらって、共同技によって大陸側から街に大量に水を引き入れていたから、グランドベルグ国民は普通に生活を送ることができている。

 ヒロインがグランドベルグを救うと決めてからは、ヒロインを預かる王国側からの支援も入り、城を包囲していた氷の封印が解かれた後のその街の様子はまるでゲームそのもののグランドベルグの姿になった。

 ――唯一、オルトランド公爵家の紋章の入った馬車や教会関係者を見かける度に平伏し、涙ながらに感謝を述べる国民の姿を除いては、と注釈が入るが。

 まあ、砂漠の島国で、ほとんどの領地が生活域として使えないグランドベルグの人口程度であるなら、お義父様の私財だけでも余裕でこんなものだ。

 あとはグランドベルグが滅びた後に我先にとこの精霊鉱に富む土地を手に入れようと企む各国の間者が無駄に暗躍しているのがたまに目に付くけれど、そちらはヒロインにはバレないところで上手くやっているようなので、問題はないだろう。


 懸念していた水精霊と魔素の種は沈黙している。

 私達が途中で封印を解く可能性を考えもしなかった水精霊は、必死に封印を破る為に私から奪った魔力を使い続け、封印を解く段階になったときには封印前よりも力を失っていた。

 魔素の種は、ヒロインがアルヴァンとの旅行中にグランドベルグの魔素の種を一緒に消滅させることを誓い合うイベント後に開花レベルが二段階目になった為、ゲーム通りにちゃんと一時的な休眠期に入っておとなしくしている。

 ヒロインがグランドベルグの港に船で到着するまで、あと二時間だ。

 あと二時間、この好都合が続き、港で旅行最後のイベントが終われば、アルヴァンのルートは強制的にエンディングに突入させられる。


 封印魔法を解く為に連れてこられたグランドベルグの宿。

 その一番良い宿の最上階で街並みを見下ろすが気を引くようなものもなく、頭痛が消えて久しぶりに気持ち良さそうに丸まって眠っているランスの顔を隣りに寝転がって眺めていたら、壁に寄り掛かって休んでいた私達の護衛役のザイレが来客だと静かに告げて来た。


 私達が今いるこの宿は、泊まれる人間も上流の一部に限られていれば、その宿泊客に面会できる人間も限られている。

 しかも、魔素に侵されていてあまり動けない私と、封印魔法の解除で疲れきっているランスに今何の用があるというのか。

 面会に来たのは、私達と共にグランドベルグに見届け人として無理矢理付いて来た国王とお義父様、そして――


「妾の婿は御休み中かえ?」


 魔素の種や水精霊と共に封印魔法を解かれたグランドベルグの女王だった。

 封印魔法に巻き込まれた他の人間達は消耗が激しい重傷者が多いと聞いたが、女王だけは氷の中に閉じ込められていたにも関わらず、肌は艶やかで強烈に女を主張していた。

 水精霊が魔素や氷の檻の脅威から女王を守ったのだろう。

 水精霊の加護がグランドベルグではなく、グランドベルグの王族の血筋にかけられている証拠だ。


「……誰が誰の婿なのでしょうか」


 露出度の高い衣装を褐色の肌に纏った妖艶な女王は、赤を帯びた金髪を靡かせて、不敵に笑った。


「そこに居る銀髪のオルトランドの男が妾の婿に決まっておろう。妾とその男は、男女の契りを交わした仲じゃ。あの時、触れた熱い肌……背筋の先からゾクゾクしたぞ。アルヴァンに命じて攫わせた甲斐があったというものよ」


 恍惚の表情で妄想を語る女王。

 気配に敏感なランスは当然起きていて、片目をうっすらと開けて、私に放っておけと視線で言ってきている。

 この女はアルヴァンの罪を自分が背負う気でこんなことを言っている。

 それはわかっているが――


「その男も、お主のような貧相な身体より、妾のこの豊満な身体のほうが好かっただろうに。何、今からでも遅くはない。その男を妾に寄こせば、お主にはアルヴァンをくれてやろうぞ。褒美にグランドベルグに宮を建ててやってもよい。お主のその細い身体では子はあまり望めなさそうじゃが、その分まで妾がオルトランドの子を多く孕めば問題なかろうて。公爵も庶民の子より王族の血が入った孫のほうが嬉しかろう?」


 ………この女は、私の一番の地雷を踏み抜いた。

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