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ヒロイン様にフラグが立たないその理由  作者: 逢月
第三章 アルヴァン・グランドベルグ
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彼女の暴走

 夏の舞踏会を終えたら、学園は二カ月の夏休みに入る。

 ヒロインは舞踏会に参加できないことが不満で何度か騒ぎを起こすことがあったが、それも終わってしまえばすっかりおとなしくなって、私達は昨日穏やかに前期の終業式を迎えられた。

 というか、ヒロインは夏の舞踏会が終わったら終わったで、今度は夏休みの旅行計画に夢中な様子で、私達のことなど一旦忘れてくれているようだった。

 監視も付いているおかげかランスにはあれ以降近づく気配はなく、一年目のこの夏休み中に旅行イベントがクリアできそうな攻略対象者達と仲良くやっていて、どうかこのままランス以外の誰かとゴールインしてほしいと彼女にとって幸せなのか不幸なのかわからないエンディングを私は祈る日々である。

 今日も今日とて、私は蝉がけたたましく鳴いている校門近くのベンチに腰掛けて、とりあえず今頃お忍びで一緒に馬車の中にいるだろう第二王子とヒロインの仲がより一層深まるようにと燦々と降り注ぐ太陽に祈った。

 むしろ深まりすぎて今夜中に最後までいってしまえとまで願っていなくもない。


 あの馬鹿女なら本気でやらかしそうなおぞましい未来を想像していたら、学園の十時を告げる鐘が鳴り、私はとうとう首を傾げた。

 待ち合わせの時間なのに、ランスが来ない。


 ランスは私との待ち合わせに遅れたことがなかった。

 いつも私が来る前にちゃんと待ち合わせ場所にいて、初々しい恋人同士の定番、「待った?」「いいや、今来たところだよ」のやり取りを楽しみにしているくらいだ。

 ましてや今日は私達もこれから新婚旅行に出発する予定で、馬車が苦手なランスの為にザイレを足代わりにするついでに、家族旅行をしたことがないというエレノア達も一緒に連れて行くことになっているから、ランスが遅れるはずがないのだが。


 多くの生徒が昨日終業式が終わってからすぐ実家に帰省したため、学園内は人の気配がほとんどなかった。

 蝉の声しか聞こえない校門前でゆっくりと目を閉じて、ランスに掛けた私の防御魔法を探す。

 半径五メートル、十メートルと捜索範囲を伸ばし――やがて学園の敷地を越え、王都の端まで捜索範囲が広がった頃、私の背中には暑さの所為ではない汗が流れていた。




「リリア様! 此処は女人禁制の男子寮ですよ!?」


 男子寮の管理人が制止する声を振り切って、寮に残っていた男子生徒達が騒然とする中を走り抜けた。

 鍵が掛かっていたランスとアルヴァンの部屋の扉を、防御魔法を掛けた足で思い切り蹴破る。

 ぶわっと咽返るほどの甘い香りが、開いていた部屋の窓から風に流れされてきた。

 この独特の香りは、グランドベルグ産の香だ。

 それも娼館でよく使われる類の媚薬効果のある香りと――その香りの後に少しだけ後を引く癖のある薬草のような匂いは、睡眠薬や幻惑剤に使われるレムレス草の残り香か。


 口元を袖口で押さえて部屋の中に入ると、隠しきれていない戦闘の跡があった。

 布で乱暴に拭われたような血痕と、床に落ちて割れたグラスらしきものの破片。

 窓枠には此処から出入りしたような多数の足跡が残されており、ランスのベッドは寝相の良い彼には有り得ないほど乱れていて冷くなっていた。


「……夜、この部屋から物音を聞いた人は?」


 蹴破った扉から部屋の中を興味津々に覗いてきていた数人の男子生徒達に声をかければ、答えはすぐに返ってきた。


「そういえば、深夜に何かが割れる音が聞こえたような……でも僕はどうにも眠かったので、そのまま寝てしまいましたけど」


「アルヴァンとランスが外出したのを見た人はいる?」


 男子生徒達は一様に顔を見合わせて首を横に振り合った。


「アルヴァン・グランドベルグとランスロット・オルトランドの外出届は?」


「え? えっと……深夜に記入されています」


 私はようやく息も絶え絶えに追いついてきた管理人から、生徒の安全管理の為に肌身離さず持っていろと厳命されている管理簿をひったくって、外出のページにある午前二時三十分の時間とともに書かれたランスの名前を確認した。


「これはランスの字じゃないわ。外出届は本人が書くのが原則じゃないの? これは本当にランスが記入を?」


「い、いえ……アルヴァン様が国のほうで火急の用事が出来たとお急ぎの御様子で……それにランスロット様も協力するからと、お一人で来たアルヴァン様が……」


「…………」


 管理簿を管理人に踏鞴を踏ませるくらいの強さで叩き返して、私は魔力制御回路を解放して指先に思い切り魔力を凝縮させた。

 男子寮を軋ませるほど魔力を高めれば、ザイレが不機嫌そうな顔で転移してきた。

 あのダンスの授業での事件以来、教会への抗議やら何やらでうんざりと手間を掛けさせられたザイレが、私の魔力が高まればもう余計なことにエレノア達を巻き込ませたくないと自ら飛んでくるようになっていた。


「今度は何だ?」


「ランスが攫われたわ。グランドベルグに飛んで」


 ザイレにはこの情報だけで十分だった。

 即座にパチンと指が鳴り、私の周りの景色は一変した。




 弾かれた、と認識したときには、すでに身体が宙を舞っていた。

 転移が終わる前に物凄い勢いで何かに衝突して叩き返されたのだ。

 空中に投げ出された私の身体をザイレが二度目の転移で受け止めて、そのまま一緒に垂直に地面に着地する破目になった。


 地上に降りて私が見たものは、ゲームには存在しなかったものだった。

 アラビアンリゾートをイメージして作られたグランドベルグの城を、巨大な水の膜が覆っていた。

 水の膜の表面に光の加減で浮かび上がる術式は、防御を表す文字の羅列で――それはとてもよく見慣れた、私がまだ改良を重ねている途中の未完成の術式だった。


「高位精霊だ。私の邪魔をしてきた」


「……精霊?」


 精霊が何故、と不可解そうに眉間に皺を寄せているザイレに問う。


「精霊が、どうして私の術式で防御魔法を使っているの……?」


 私自身も自分に確認するように口にした質問にザイレが驚愕の表情をみせた。


 ……いや、今はそんなことどうでも良かった。

 それよりも問題なのは、ランスが何処にいるかで――


「お前達、何をやっている!?」


 突然お義父様の怒鳴り声が聞こえて振り向けば、私達の背後にはズラッと並んだ王国とグランドベルグの騎士達の驚きに染まった姿があった。

 何をやっているなんてこちらの台詞だが、生憎と今はそれに構っている暇はない。


 私の足はすでに水の膜に向かっていた。

 ランスに掛けた防御魔法の反応は、水の膜で守られた城の中にあった。

 それも何個も防御壁を崩されているようで、反応が薄い。

 いくつかある窓からよく見れば、水の膜で隔絶された城の中で植物の根のようなものが蠢いていた。

 この時期、この場合、この状況。その植物は魔素の種しか有り得ない。


 侵入を拒むように立ち塞がった水の膜に私はダンッと身体を弾かれ、殴りつけた拳を弾かれ、蹴りつけた足を弾かれて、叩きつけようとした手を――後ろから掴まれて。


「落ち着け、お前らしくもない。ランスロットは城の中か?」


「あの二階の開いている窓の部屋よ! ランスに掛けた防御魔法がいくつも崩されているの!! 何かあったとしか思えない!!」


 まさに言う通り、らしくもなく大声を上げる私を、ザイレは身体一個分遠ざけて、窓を確認した。もう一度、指が鳴る。


「ッ……!!」


 一瞬だった。ザイレが後方に吹っ飛ばされたのは。

 私達のほうに駆け寄ってこようとしていたお義父様を巻き込んで、ザイレは後方の騎士達の列に突っ込んで行った。

 数秒後、その場で普通に立ち上がってまた指を鳴らす。

 今度は吹き飛ばなかった。足に力を入れて耐えてみせたが、代わりに反動を受けた右手が裂かれて血が舞った。

 次に左手を鳴らして。ザイレは先程よりも強い力で弾かれたのか、数歩後退した後、身体を折って地面に手をついた。


「ランス……」


 最強の魔族でも侵入できない防御魔法を、防御魔法と治癒魔法しかまともに扱えない私はどう突破すれば良いというのだ。

 私はこれ以上近寄らせてくれない水の膜に縋るように額をぶつけた。


「ランス……ランスがいないと私は駄目なのよ……助けて……」


 水の膜に無駄に爪を立て、そう呟いた声が、届いていたかどうかはわからないが。




 ――苦しい呼吸。

 自由にならない熱い身体。


 遠ざかる意識への恐怖から彼が呼んだ名前は、私の名前で。

 気を失う前に彼が選択したのは、そのときの彼の思いと同調した、この国で誰よりも助けを求めていたあの精霊との契約で。




 水の膜を介して、ふいに私の頭の中にそのときの誰かの視点が流れ込んできた。

 お義父様に肩を掴まれ、私はハッと顔を上げた。


「リリア、此処から離れなさい。グランドベルグの魔素の種が本格的に活動し始めた。これから我々は総攻撃を仕掛ける。ランスロットが城の中にいるのなら私が助けるから、君は下がっていなさい」


 王国の騎士とグランドベルグの騎士が総攻撃を仕掛けたところでこの防御壁が破れるのかといえば、答えは否だ。

 元々、この防御魔法は攻城戦級の戦力でも耐えられるよう私が考えていたもの。

 人間なんて足元にも及ばない高魔力を持つ精霊が術者となって発動した今、人間が束になったところで破れるはずはない。


「ザイレ、ナイフを貸して」


 そもそも防御魔法も治癒魔法も使えないお義父様が、どうやってランスを助けると?

 そんなわかりやすい嘘に私は従う気などなかった。


 近くに戻ってきていたザイレに手を差し出すと、何の躊躇いもなくナイフを渡してきた。

 代わりに傷ついた身体に治癒魔法を掛けてあげると、微かにザイレは笑った。

 頭が冷えた今ならわかる。

 私達が敵対していたあの頃のように、いちいち治癒魔法に対価を求める私が私らしいとでも思っているのだろう。


 私は勢いよく左手の掌を斬って、水の膜に押しつけた。

 私の血は見る見る水の膜に広がり、紅い波紋をつくっていった。

 流れ出す血に込めた望みは、契約の続きだ。


 グランドベルグの水精霊の身体から流れ込む魔素に途中で耐えきれなくなったランスが、意識を失って続けられなくなった精霊との契約を。

 ランスから無理矢理に魔力を奪い、中途半端に力を取り戻した所為で魔道具を侵していた魔素の種を活性化させてしまった精霊が、国を守る為に咄嗟にランスに掛かっていた私の防御魔法の術式を読み取って、水属性に変えて発動した後の続きを。


「ウンディーネフェンタリトスレティーシア。ランスが最後までできなかった契約の続きを私としましょう? 貴女はこの国を守る為の防御魔法がほしいのでしょう?」


 掌から伝わってきたのは、精霊の肯定だった。

 元より精霊はこれが狙いで、私の頭の中に情報を流し込んできたと考えられる。


 私はランスが気を失う直前まで唱えていた契約の続きを口にした。

 ゲームではヒロインが他の精霊と行っていた契約の文言を、名前の部分だけ私達がゲーム内で知り得たこの精霊の真名と自分の名に代えて。


 すべて唱え終えたとき、精霊の声が聞こえた。

 契約は成った、と。


 水の膜に押し当てたままだった私の左腕が急速に黒く染まっていく。

 契約により精霊と私の魔力制御回路が繋がってお互いに自由に干渉できるようになったことで、精霊側から精霊の身体を侵していた魔素と私の魔力を強制的に交換させられているのだ。

 水を介して水精霊が私に寄こしたのだろう映像の中では、ランスは契約の途中からもうこの状態にされていた。

 ランスは水精霊と同じ水系統属性で相性が良すぎるから、人間よりも遥かに高位の存在である精霊に契約途中からでも一方的に自分の魔力制御回路を煽られ、抗えずに――。


「………ッ………」


 精霊は私の魔力は簡単に奪うくせに、私が水属性の防御魔法の主導権を奪おうとしても渡さなかった。

 それならばと私は吸い上げられていく魔力に術式を組み込んで、精霊側の魔力制御回路を通じて必死に防御魔法を書き換えた。

 外に出した魔力で術式を編むのではなく、身体に流れる魔力を使って体内で術式を編み込むなんて無謀なことをして、左腕が四方八方に裂けていく。

 でも、たった一文、たった一人が通れるようにこの防御魔法を書き換えられれば、私の腕なんてどうなろうとも構わなかった。


「行って!!」


 そうして行ってくれるなんて保障は何処にもなかったが、私には誰かに頼ることしかできなくて。

 私が叫んだ瞬間にザイレの指が鳴り、数秒後にランスがいるだろう部屋で轟音が響き、城の一部が崩れ始めた瞬間には、ザイレに抱えられたランスが私の傍に戻ってきていた。


 右半身を真っ黒な魔素に染め、ぐったりと意識を失っている()手錠(・・)に捕えられたランスが。


 ランスのその姿を直接見たとき、私の喉から出た声は、悲鳴だったか、慟哭だったか、それとも誰かに向けた呪詛だったのか。

 私もよく覚えていないが、ただ一つ言えるのは、その日、魔素の種が暴れまわっていたというグランドベルグ城は氷に閉ざされた。

 真夏の砂漠にあっても決して欠片一つ溶けない氷の檻は、魔素の種の活動を完全に止めたという。


 水属性の進化型である氷属性と、防御魔法の発展型である封印魔法。

 前代未聞のそれを同時に使役した術者は果たして誰だったのだろうと、後に人々は魔素に対抗できる手段を見つけた歓喜とともに噂したが、真相は語られず。

 呆然としていた騎士達が正気を取り戻したときには、氷の城の前から私達の姿はすでに消えていた。

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