悪役令嬢予定な彼女の場合
リリア・オルトランドという公爵令嬢は、元々は狩人の父と薬師の母の間に生まれた平民の娘だった。
平民によくある茶色の髪と、平民の割には綺麗な翡翠の瞳を持った彼女は、幼い頃はとても心の優しい少女だったらしい。
狩人の父が薬師だった母の死後、たまたま森で行き倒れていた女性とその息子を見つけて家に連れ帰った頃から性格が変わったという。
大好きだった父には反抗的になり、やがて新しく母となった女性には辛く当り、兄をまるで小間使いのように扱き下ろしたと。
新しい母が実は公爵家の元侍女で、当主の御手つきとなって息子を産んだため、公爵夫人に追い出されてこの辺境の村に辿り着き、父とともにその新しい母も流行病で亡くしてから、公爵本人が息子を迎えに来たときに偶々魔力を持っていたことを買われて、ついでに公爵家に養女として引き取られた後で、さらに性格が高飛車な方向に悪くなる予定だ。
公爵の父に似て美形な兄に群がる女どもに嫌がらせの限りをつくし、魔法学園で出会った元平民のヒロインを自分のことを棚に上げて侮辱しまくって蹴り落としつつ、兄との恋愛を邪魔する立派な噛ませ役――もとい、悪役キャラに育つのだ。
……まあ、それは、あくまでゲーム上の話なのだが。
何の因果か知らないけれど、死の間際までやっていた乙女ゲームの世界に転生してしまった私。
そう、私の名前もその境遇もまさにその“リリア”だということに気付いたのは、薬師の母が魔物に襲われて死んだと父に聞いた直後。
五歳児の脳は、前世二十八年分の記憶のフラッシュバックに耐えられず、私はその場で気を失った。
そして、目が覚めた頃には、もう件の女性とその息子は家に運ばれていた。
物語の流れだとはいえ、もう少し間を空けようと、父に対して残念な視線を送ってしまったのは仕方のないことだろう。
しかもあろうことか、何もかもが夢ではないかと、母の部屋に恐る恐る行ったらこの展開。
亡くなった母が普段寝ていた場所に、突然見知らぬ綺麗な女性が眠っていたら、子どもが多大なショックを受けるのは当然だ。
森で魔物に襲われていた女性に父が母を重ねていたからだと理由を知っていた私でさえ、胸を抉られた。
という訳で、心の整理をするためにも物語通りにプチ家出を敢行している私なのだが。
「お兄様が一向に迎えに来ない件についてどう思いますか? お母さん」
夕日がすでに沈みかけている丘に建てられた簡素な墓標に対して問うが、答えは返ってこない。
ゲーム通りなら、ここで将来的に兄となる彼が迎えに来て、銀髪にアメジストの瞳を持つ美形な彼にこっそり恋に落ちるのだけれど。
兄への恋情に身を焦がしながらも素直になれない少女は、とっても大好きな兄にたくさん意地悪しちゃうのに。
世の中上手くいかないものだとは前世で痛感したけれど、せめて夕日に照らされた美少年のスチルくらい生で見せてくれてもいいのにと溜息を吐きながら、私は月が照らし始めた丘を一人でトボトボと帰るのだった。
家に帰ると、どうしてか台所で鍋の底を見詰めている彼がいた。
何も入っていない鍋を見詰める姿すら絵になる彼に首を傾げると、彼は無表情のまま鍋を差し出してきた。
「おかえり。リリアは、料理はできるのか?」
ああ、お腹が空いたのか。私もそういえばお腹が空いていたわ。
彼の言動に何となく違和感を抱いたが、今時の王都出身の六歳児はしっかりしているんだなぁと勝手に納得して返す。
「ただいま。昔はできていたので、大丈夫だと思います。何か食べたいものはありますか?」
安っぽい鉄製の鍋を受け取り、コンコンと強度を確かめる。
今世初挑戦となる訳だが、焦げ付きに注意すれば、できないこともないだろう。
「……うどんが食べたい」
え、うどん?
この中世ファンタジーな世界にしては聞き慣れない言葉に顔を上げると、相変わらず無表情な彼と目が合った。
「うどん自体はともかく……塩どころか、醤油なんてうちにはありませんよ」
「うどん、あるのか?」
「いや、それを聞きたいのはこっちなのだけど。醤油とか味噌とか、王都に行けばあるんですか?」
「王都にあるのかは知らない。でも、君が知っているということは、醤油や味噌がこの世界にもあるということなのか?」
顎に手を当てて考え込む彼。
その六歳児らしからぬ冷静さと言葉の節々にふと思い当たることがあり、私は目を見開いた。
彼もやがてその可能性に行き当たったのか、ハッと急に驚いた顔をして私に詰め寄った。
「もしかして……君は、転生者なのか?」
「……まさか貴方も、転生者?」
お互いに驚愕の表情で数十秒、同じタイミングで鳴ったお腹の虫に仲良く目を逸らすまで私達は見詰め合っていた。
結局、その日は庭の野菜をたっぷり入れたすいとんを作って食べた。
久しぶりに日本的な料理を食べたため、私と彼は気付けば泣いていて、私を探すために外に出ていたらしい父が途中で帰ってきて、どんな勘違いをしたのか変に涙を流されたりしたが、それ以外は概ね平和に日々は過ぎた。
長旅で体力が落ちて寝込んでいた女性も、薬師の母が残した薬と、私と彼の日本的創作料理で元気になり、今では父と笑い合っている。
そんな新婚さんを若干半眼で生温かく見詰めている私と兄の仲も、ゲームとは違ってとても良好だ。
私は新しい母に礼儀作法や文字を教わりながら、薬師の母が残した手記を読み解いて、今では薬の調合に挑戦している。
兄は元々生まれたときから記憶があって、貴族的な礼儀作法も読み書きも公爵家で学んで完璧ということなので、今は父に狩りや戦い方を教わっている。
攻略対象になるほどスペックが高い兄のおかげで狩りの成果も増えたので、我が家は村の中でも裕福な生活を満喫中だ。
その所為で、というか、精神年齢がなまじ高いものだから、村の子ども達と仲良く遊べない私達に対する餓鬼どものやっかみがすごいが、兄と一緒にゲームの舞台となる学園で教えていた通りに魔法の練習もしていたから、暴力沙汰も特に問題には至っていない。
石を投げるどころか、鎌などの農具を投げてくる子どももいるけれど、おかげで反射速度と防御魔法のレベルだけはぐんぐん上がるので、私達に対してはもっとやれとすら思う。
ただ、綺麗な母に対して、大人がこの余所者がと嫉妬のやっかみをぶつけるのはいただけない。
母もたしかに悪いところがないとは言わない。侍女経験があるとはいえ、母も元は貴族なのだ。
礼儀作法はできても料理はできないし、洗濯も洗濯物を運んだことはあるけど洗ったことはないからできないし、金銭で買い物はしたことはあるけど物々交換はしたことがないから感覚がわからないときている。
しかし、できずにいるのは元を正せば私達、転生者兄妹が高いスペックを以って、母を俗世に出していないだけなので、責めるなら私達を責めてほしいのだが。
身体が恐らくは普通の人よりも大分弱い母に、村での生活は辛いと思う。
朝早く起きて農業して、食事を作って、近くの川まで行って水を汲んで、洗濯をして――綺麗な手をしている母には、いつまでも綺麗でいてほしいと思うのは、私達の我儘なのだろうか。
「お母さんは、お母様のことどう思う?」
墓標に兄が森で摘んできてくれた色とりどりの花で作った花輪をかけて。
「私は、お母様はこのままお姫様でいいと思うんだ。私が侍女で、お兄様が騎士で、お父さんは柄じゃないけど王子様。そんな生活が続けばいいと私は思っているよ」
そこにお母さんがいれば、尚更良かったと思うけど。
……とは、口に出さないけれど、それでも今の生活は私にとっては幸せそのもので。
「……おい。暗くなる前に帰るぞ」
振り返れば、夕日に照らされた銀髪とアメジストの瞳を持つ彼がいて、いつか見たスチルのように私は彼に恋をする。
そんな日常の中でいつまでも過ごせたら良いのにと、私は微笑みながら彼と歩いていった。




