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第七十六話 晴れた空の下/家族との再会

 俺はセディに、三日後に家で開く会食に来てくれるように頼み、メアリーさんと共に領主の館をあとにした。


 メアリーさんは騎士団の駐屯地からやってきた兵士から伝令を受け、一度軍師としての指示出しをするために騎士団の砦に向かった。砦にいるクリスさん、ジェシカさんにもうちに来てもらうように伝えておいたが――こうして行動を起こし始めると、今まで彼女たちに対するけじめを行動で見せなかったことは何だったのだろうと思えてくる。


 魔王を倒したことで、ようやくその先のことを考えられるようになったからか。

 身体が成長したときから、いずれは責任を取らなければ、と思い続けていたのは確かだ。そう思いながらも、俺は婚約するべき相手を、ミゼールに戻ってきてからも増やしてしまった。


 みんなのおかげで、俺は強くなれた。魔王を倒せたのはみんなのおかげだ――それを改めて伝えたい。今の気持ちを、一生変わることのない誓いに変えることで。


 三日後に、父さんと母さんの前で、俺はみんなに求婚する。


 しかし俺がかけがえのない存在だと思っている人たちの中には、まだ結婚できる年齢にない人も多い。それは俺も含めてなのだが――。


 それでも、7年後まで待つことはもうできない。俺がまだ赤ん坊だった時から、待たせ続けているようなものなのだから。


 ミルテ、ステラ、ルシエ。まだ結婚できる年齢ではないこの三人は、将来も俺と一緒にいることを選んでくれるだろうか。


 そして、リオナ――俺と一緒になるはずのなかった陽菜に、今の何も覚えていないリオナのままで、ついてきてくれと言っていいのだろうか。


 家に向かう道の途中で、俺は立ち止まった。ミゼールの町の北門の外にある領主の館から、町の西側にある家に向かおうとすると、教会の跡地を通り過ぎ、草原の丘に辿りつく。


 そこから見えるのは、モニカ姉ちゃんの家、リオナの家、そして俺の家――。


 幼いころ、本を読んでいる俺のもとに、スライムのジョゼフィーヌが姿を現し、リオナも俺のことを探し当ててやってきて、よくリンゴを渡してくれたことを思い出した。


 俺はあの頃からもう、リオナを守りたいと思っていたのかもしれない。気が付くまいとしていただけで。



 ◆◇◆



 家に着く前にリオナに会わなかったのは、心の準備をする上では良かったのかもしれない。


 他のみんなに対して大切だと思う気持ちと、リオナに対するものは少し違っている。まだ俺は、前世で彼女を傷つけたこと、彼女の気持ちを尊重できなかったことを忘れられていない。


 こんな俺でいいのか。だけど俺以外の誰にも、リオナを渡したくない。


 今のまだ幼いリオナに対してそんなふうに思っても、重荷になってしまいそうだ。大きくなるまで待っていてくれ、その時にどうするか決めて欲しい。そう約束するにも、もう少し成長して、リオナが色々なことを知ってからの方がいいとは分かっている。


 それは、幼馴染みの全員に対して言えることだ。7年待って、みんな15歳以上になったあとに式を挙げればいい。しかしそうすると、とても現実的な問題として、二度に分けて結婚式を挙げるということにでもしなければ、年長のみんなは長い間ウェディングドレスが着られないということになってしまう。


 アレッタさんは現在二十八歳である。彼女が何度も年齢を意識する発言をしていたというのに、それを知らぬふりをすることは、男としてどうなのかと思う。あれだけ彼女の胸の発育に貢献させてもらい、俺の人生において役に立つ衛生兵スキルを与えてもらったというのに。


 しかし年齢のことを言うなら、メアリーさんは123歳である。彼女は少女の姿のままだが、131歳のサラサさんと比べても幼く見えるということは、エルフとハーフエルフでは成長の速度に差があるか、メアリーさんが特に幼い容姿ということになるのだろうか。改めて思うが、神秘的な種族だ。


 そう考えたところで、俺は教会の地下でのことを思い出した。

 魔剣に魂を吸われ、ハインツは命を落とした。本当の夫婦ではなかったとはいえ、長く彼と過ごしたサラサさんは、今何を思っているのだろうか。


 そして俺は気が付く。サラサさんが自分の家から出てきて、どこかに出かけようとしている――彼女は、その手に何かの瓶を抱えていた。


「サラサさん、こんにちは」

「ヒロトちゃん……」


 サラサさんは俺を見て少し驚いていたが、微笑んでくれる。けれど、その笑顔はどこか寂しそうに映った。

 彼女が持っている瓶は、酒の瓶のようだった。そこで俺は、彼女の行き先に思い当たる。


「ハインツさんのことを、弔いに行くのか……?」

「……はい。これは、彼が家に残していったものの中でも、一番大事にしていたものです」

「酒か……父さんからも聞いたことがあるよ。ハインツさんは、きつい蒸留酒を少しの水で割ったものが好きだったって」

「彼は、お酒を飲むと気分が楽になると言っていました。子供の頃から、あまり器用には生きられなくて、15歳からすぐに飲み始めたと言っていました。私は、体を壊すから控えめにしてみてはと、お節介なことを言うばかりで……薬師の知識を使って、お酒の毒を和らげる薬を作ったりもしました。彼は、いらないと言っていましたが」


 そう語るサラサさんは、穏やかな顔をしていた。

 最後は喧嘩別れをしてしまったが、全てが悪い思い出ばかりでもなかったということなのだろう。


「やっぱり、リリムを恨んでるよな。ハインツを操っていたのは……」

「いいえ。ハインツは、心から彼女を慕っていました。それと同じように、他の女性のことも……でもそれは、リリムに気持ちが通じることがないと知っていたからなのかもしれません」


 俺と戦い、敗れるまでのリリムは、言うなれば破滅主義者だった。

 周りの全ても、そして自分さえも、壊れてしまって構わないと思っているような、捨て鉢なところがあった。

 それでもハインツはリリムに従い、彼女のために働いた。

 ――しかし、魔剣の力を解放するために自分が生贄にされたことには、最後まで気づかなかった。


「……俺は、リリムを殺せなかった。ハインツさんは死んでしまったのに」

「もし、ハインツが魔剣の力を手に入れて、その持ち主になっていたとしたら……彼はきっと、多くの人を手にかけたでしょう。鍛冶屋のバルデスさんを殺めようとしたのは、バルデスさんに、魔剣を手にするための小手を頼んでいたからです」


 バルデスじっちゃんから俺が譲り受けた、『混沌を掴む手カオス・グラスパー』。

 ハインツは俺に敗れて不死者となる前に、あの小手を用いることで、魔剣を手にしようとした――それが、事実ならば。

 俺もまた『混沌を掴む手』を使えば、リスクなしで魔剣を手にすることができるということだ。そんなものを作るだけの技量を持つバルデスじっちゃんが、改めて凄い人物だと思い知らされる。


 しかし俺は魔剣の選定者ではない――例え魔剣を手にできても、聖剣に変えることはできないだろう。持てるということは、真価を引き出せるということではない。


「……その小手なら、俺がもらって着けてる。サラサさんは、この小手のことをどこで知ったんだ?」

「彼の遺品を整理しているときに、書きかけの手紙を見つけたんです。リリスへの報告書……彼は、それを使わずに残していました。リリムと直接話す機会が得られて、必要がなくなったのだと思います」

「そうだったのか……」


 ハインツは家にいつでも戻ってこられると思っていたのかもしれない。それならば、手紙を残していったことも理解はできる。サラサさんに見られてどうなるものでもない、そう考えていた可能性もあるが。


「……教会を建て直す前に、地下を掘り返すことになると思う。それで形見が見つかったら、ハインツさんの墓を作ろう。それまでは、拙い墓標かもしれないけど、俺が作るよ」

「……リオナには、彼のことは……」

「今はまだ、言わないでおく。時が来たら、俺から話すよ」



 俺はそれから、教会の近くにある共同墓地のはずれにある大木の近くに、ハインツの墓標を立てた。


 ハインツ・カルナック。それが、彼の本当の名前だった。サラサさんと彼は結婚していない――だから、二人の家名は違ったままだったのだ。


 名前を刻んだ墓標に彼の好きだった酒を手向けて、俺はサラサさんと共に祈った。


 やがて祈りを終え、丘を降りるとき、サラサさんが立ち止まり、空を見上げて言った。


「……こんなに空が青く晴れているのに。どうして、私は今まで、気づかずに……」


 俺はサラサさんに倣い、空を見上げた。白い雲はまばらに流れ、青い空に浮かぶ太陽が、柔らかな日差しを降り注いでいた。



 ◆◇◆



 サラサさんを送ってから家に戻ると、母さんとソニアが戻ってきていた。家に入るなり、居間にいたソニアが俺に駆け寄って、胸に飛び込んでくる。


「おかえり、お兄たん! あのね、あのね、お母たんと一緒に、お外でお泊まりしてきたの!」

「お帰り、ソニア。いい子にしてたか?」

「うん! お母たんのおともだちもいっしょで、いっぱい遊んでくれたよ。ステラお姉たんが、おままごともしてくれたの!」


 俺もステラ姉に絵本を読んでもらったことがあったな……と懐かしく思い出す。彼女の面倒見の良さには、兄妹でお世話になってしまっている。


「ヒロト、お帰りなさい」


 抱きついていたソニアを降ろすと、今度は母さんがやってきて、俺を抱きしめてくれた。


「お父さんも、無事でよかった……きっと大丈夫だって信じてたけれど、やっぱり夜は眠れなかったわ」

「ごめん、心配かけて。でも、もう大丈夫だから」

「お父さんが二階のお部屋にいる女の子たちが魔王だっていうから、お母さん本当にびっくりしちゃったわ。魔王だっていうから、すごく怖いのかと思ってたのに……ヒロトがやっつけて、大人しくなっちゃったのかしら」

「ま、まあ……そんなところかな。もう危害を加えたりすることはないけど、もし心配だったら、すぐに場所を移ってもらうよ」

「ヒロトが大丈夫だって言うなら、お母さんも信じるわ。ご飯の用意なんかは、任せてくれていいのよ。魔王だっていっても、お腹はすくんでしょう?」

「ありがとう。でも、なるべく早く別の場所に連れて行くよ。母さんたちには、いつもの暮らしに早く戻ってもらいたいから」


 そう言ったところで、ようやく母さんは俺を離してくれた。しかし何か気になるのか、背伸びをして俺の髪を整え、肩をぽんぽんと払う。 


「ヒロトが魔王を倒した勇者だなんて……お父さん、もう息子に勝てないって笑ってたわよ」

「俺は父さんにはかなわないよ。父さんがすごく強いんだってことを、目の前で見せてもらったから」

「そう言われると照れるんだがな……おうヒロト、おかえり。父さんは、母さんたちのために風呂の準備をしていたところだ。後で一緒に入るか?」

「う、うん……」

「こんなときくらい、久しぶりに家族で入りましょうか。なんて、それはうかれすぎかしら」

「え、えっと……母さんと父さん、ソニアで入ってきなよ。俺はもう、大きくなっちゃったしさ」


 こんな時くらい気にせず親子で入るべきかもしれないが、やはりここまで身体が大きくなってしまうと、母さんに見られることは避けたいという思いがある。 


「む……し、しかしだなヒロト。ソニアはお父さんと一緒に風呂に入るくらいなら、一人で入るって言っててだな……」

「んーん、お母たんと一緒なら、お父たんもいいよ。お兄たんもはいろ?」


 そう言われてしまっては、俺も変なこだわりを捨てて入るしかない。結局俺も父さんも、ソニアには逆らえないということだ。


「ふふっ……ヒロト、お母さんと一緒に入るの恥ずかしい?」

「普通はこの年になると、誰でも恥ずかしいと思うんだけど……」

「気にするなヒロト、親にとってはいつまで経っても、お前は可愛い息子だ。魔王を倒したとしても、俺の息子であることは変えられないぞ」

「……ありがとう、父さん」

「おおっ……? い、いや、そこでお礼を言われるのは予想外というかだな……父さんに呆れるところじゃないのか?」

「ヒロトったらすっかり落ち着いちゃって。もうお父さんより大人びてるんじゃない?」


 ――そうだ。父さんと母さんに、言わなければならないことがあった。


 俺のことを、息子として可愛がってくれている両親。まだ本当は八歳の俺を、体の大きさに関係なく、子供だと思って接してくれている。


 そんな二人に、ちゃんと言わなければならない。


「……父さん、母さん、ソニア。俺、三日後に、大事な人たちをこの家に招きたいと思ってるんだ」


 その一言だけで、おどけていた父さんが真面目な顔になり、母さんも少し驚いたように俺を見る。ソニアは、まだどういうことか分かってないみたいで、不思議そうに俺たちを見ている。


 まず口を開いたのは、父さんだった。


「いずれその時は来ると思ってたが……早いな。ヒロト、いいのか?」

「うん。俺、ずっと前からそうしたかったんだ。子供だからできなかったけど、魔王を倒した今は違う。国王陛下から副王の地位を授かったら、俺は大人として責任を持てるようになるんだ」

「……はぁ~。せっかくお母さん、少しの間はヒロトのことを可愛がってあげられると思ったのに。結婚しちゃったら、私はお姑さんになっちゃって、お母さんじゃなくなっちゃうじゃない」

「か、母さん……そんなことないよ。母さんは母さんで、それはずっと変わらないから」


 母さんが拗ねたように言うので、俺は思わず慌ててしまう。

 しかしそれは冗談だったみたいで、母さんがふっと笑う。


「今のはちょっと言ってみたかっただけ。大丈夫よ、ヒロトのお嫁さんとは仲良くするから。それで、結局どの子を選んだの? 髪を切ってくれた子たちの中にいるの? やっぱりフィリアネス様? リオナちゃん?」

「え、えーと……それは……」

「母さん、ヒロトは副王になるんだぞ? つまり、王族の方々と同じで、複数の奥さんを持てるっていうことだ。父さんとしては一人を一途に大事にすることを推奨する立場だが、ヒロトはちょっとそれじゃ済まないというか、みんなを不幸にしてしまうみたいだからな……だったらしょうがない、父さんは許そう。そういうことだよな?」


 父さんにはすべてお見通しだった。俺がみんなに髪を切られるところを見ていたとき、もう分かっていたんだろう――俺とみんなが、どれくらい親密な関係なのかを。


「お兄たん、どこかにいっちゃうの? おむこさんにいっちゃうの……?」

「ソニア、心配かけてごめんな。でもお兄ちゃんは、ずっとソニアのお兄ちゃんだから。ソニアが困ってたらいつでも助けに行くし、家にだってちゃんと帰ってくるよ」

「ほんとう……?」

「ああ、本当だ」


 俺はソニアを抱き上げて、ぽんぽんと背中を叩いてやる。泣いてしまいそうだったソニアは、少し目を赤らめながらも、可愛らしく笑ってくれた。


「お兄たん、おめでとう。そにあ、お兄たんのこと大すき……ずっと、ずっとすき」

「……ありがとうな、ソニア。ほんとに嬉しいよ」


 思わずもらい泣きしそうになる。父さんまで目を赤くしてるくらいだ――やはりソニアにはかなわない。

 母さんも目元を押さえていたが、母は強しというやつか、切り替えは早かった。さっぱりした笑顔に変わると、俺からソニアを受け取って抱っこする。


「三日後にみんなが家に来るまで、ヒロトは毎日一家団欒の時間を作ること。わかった?」

「ははは……母さん、ヒロトにもいろいろと事前の調整があるんじゃないか?」

「あら、私だって調整するわよ。ターニャとフィローネ、モニカとも話しておきたいしね」


 その三人はまさに、俺が婚約を申し込もうとしている中に含まれている――ターニャさんとフィローネさんとはずっと一緒に過ごしたわけじゃないから、絶対に受けてくれると確信はできない。しかし、誠心誠意をもって、俺の妻になってくれと頼むつもりだ。


 モニカ姉ちゃんには、改めて気持ちを伝えるためにどうすればいいかと悩んでしまう。ずっと一緒にいて支え続けてくれたからこそ、結婚してほしいと伝えるときに、どうしても照れてしまいそうだった。


「……ヒロト、あのとき断髪式に来てた女性だけか? 他にもいそうで、父さんは戦々恐々としているぞ。このダイニングルームに全ての婚約者が集合できるのか?」

「それについては問題ございません。もし席が足りなければ、中庭に続く扉を解放し、オープンスタイルのパーティにすることも可能です」


 ずっと控えていたスーさんが、ここぞとばかりに発言する。

 彼女と目が合い、俺は微笑みかける。スーさんは少し戸惑ったように頬を赤らめるが、目をそらさずにいてくれた。


「スーさん、あとで大事な話があるんだ。俺の部屋に来てくれるかな」


 父さんと母さん、そしてソニアの前でも、恥ずかしがってはいられない。俺は、堂々と彼女を誘う。


「……かしこまりました、坊っちゃん。いえ……ヒロト様」


 スーさんは恥じらいながらも、俺の提案を受け入れてくれる。彼女に対する求婚の言葉は、もう決まっていた。


 メイドではなく、俺の妻になってほしい。いつか彼女と手合わせして、その力を貰った時に思った――スキルだけじゃなく、彼女自身を手に入れたいと。


「スーもヒロトのことを……最初に会ったときはまだ小さかったのに、もう身長も追い越しちゃったものね」

「ただ大きくなったからだけじゃないだろう。俺たちの子供は、やはり天才だったっていうことだよ」

「お兄たん、めいどさんとけっこんするの? りおなお姉ちゃんとはしないの?」


 ソニアの疑問はもっともだが、どう説明するのが一番いいのか――お兄ちゃんはみんなと仲良くできるから、みんなと結婚するなんて、納得してもらえるだろうか。


 俺にとって人生における最大の交渉が始まろうとしている――妻になってくれという『依頼』。それを受け入れてもらえるのならば、どんなカードを切ることも辞さない。


「……坊ちゃん、それでは、機を見てお部屋にお伺いします」


 しかしカードを切る以前の問題で、スーさんがすでに受け入れ態勢にあるということを、目を見るだけで察してしまう。今夜彼女が部屋に来たときにどうなるかを想像し、俺はいくつかのスキルが確実に上昇するであろうと、婉曲に想像するほかはなかった。


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