第三十八話 後編 仮面の向こう
俺たちは塔を離れて、首都の中央をつらぬく大通りに出た。
先ほどよりも行き来する人の数が増している。彼らの服装などはばらばらで、ジュネガン公国の全土から人が集まってきているのだと分かる。
俺ははぐれないように、リオナとミルテとは手を繋いで行くことにした。小さい二人をかばうように、スルスルと雑踏をすり抜けていく――ゲーム時代も俺は人をかわすのが上手かったが、それを再現することになるとは思わなかった。
「すっごくいっぱい人がいる……みんな、おまつりだから来たんだね」
「うん。こういうときは、悪い人もいたりするから、気をつけなさいっておばば様が言ってた」
「二人とも、俺の手を離さないようにな」
「「はーい」」
何だか子守りでもしてる気分になる。さっきまで二人に迫られてタジタジになってしまったが、こういう関係性こそが自然だろう。もう、二人が焼き餅を焼いて大胆なことを言い出すことはない――と思いたい。
名無しさんの様子がいつもと違うように感じて、気になってはいる。俺が急に大きくなって、警戒してるとか――そんなことは無いと思いたいが、子供の俺は良くても、大きくなると男性的な感じがして嫌だとか、そういう可能性は否めない。
名無しさんはウェンディと一緒に、俺たちより少し先を歩いている。彼女も、人混みをものともせず、まるで障害など無いかのようにすり抜けていく。ウェンディの方が引っかかってしまったりして、名無しさんに手を引いて助けてもらっていた。
(……ヒロトさま、私は空から見守る。祝祭が終わったら、宿に戻る)
(ああ、よろしく頼む。無いとは思うが、またリリムが戻ってこないとも限らないからな……)
(それは大丈夫だと思う。リリムは公爵の屋敷までは来られても、王宮には直接近づけない理由があるようだった)
王宮に近づけない――それはなぜだろう。魔王を寄せ付けないための結界でも張られてるっていうんだろうか。
そのために、グールドを手駒として攻めようとしていたということなのか。推論はいくらでもできるが、今はそれを確かめる手段がないので、保留にしておくしかなさそうだ。
◇◆◇
今の時間は、大通りは人で埋め尽くされていたが、一時間後にはルシエの一行がお披露目のために通ることになるため、公王直属の軍によって通行規制が敷かれるらしい。
首都の中心を貫く大通りを、王女と近衛兵、貴族たちによって構成された一行が端から端まで往復し、そして王宮の前庭に戻ってきて、ルシエが王族として認められたこと、王位継承権を与えられたことについて、集まった国民に対して挨拶をするとのことだった。
ジュネガン公国の百万の臣民に対して挨拶をする。それがどれほど勇気が必要なことかと思うと、挨拶に出る前のルシエに声をかけてあげたいという思いが湧く。
王宮へと続く道を案内してくれているスーさんが、そんな俺の様子に気付いて声をかけてきた。
「坊っちゃん……とお呼びして良いのか、今のお姿を見ると迷うところではありますが。やはり私にとって、坊っちゃんは坊っちゃんだという思いがございます」
「ああ、スーさんが好きなようにして構わないよ。でも、驚いたよな……戻ってきたらこんなになってて」
「はい……少しだけ。ですが、無事に戻られたことが何よりの喜びでした。同時に、坊っちゃんについていながら、怪我をさせた聖騎士殿に食ってかかってしまいましたが……そのことは、今では私が間違っていたと理解しております。申し訳ありません、坊っちゃん」
スーさんが立ち止まって頭を下げようとする。先を行くみんなも気にしていたが、俺は大丈夫だというように笑って、スーさんの肩に手を置き、そんな必要はないと伝えた。
「俺のことを心配してくれたんだから、謝ることないよ。俺からも、フィリアネスさんには謝っておくから」
「……はい。申し訳ございません、私の方が子供のようなことを言って」
スーさんは俺と初めて会った当時は十六歳――つまり、今は二十三歳だ。そんな彼女も、今の俺からすると、一人の弱いところのある女性だと思える。
フィリアネスさんに食ってかかってしまった彼女の気持ちを思うと、俺は申し訳ないと思うと同時に、胸に熱いものがこみ上げてくる。
本気で自分の命を心配されるような状況は何度も繰り返してはいけないと分かっているが――そんな時だからこそ、確かめられる想いがある。
「パメラさんも坊っちゃんたちのことを心配していましたから、坊っちゃんが宿に運び込まれたあと、私と一緒にお見舞いに来たのですが……坊っちゃんのお知り合いが看病される姿を見て、帰っていかれました。ここまでしたら、どんな大怪我してても元気になるだろうから、とおっしゃって」
「一体どうやって看病されてたのか、まだちょっとしか聞いてないんだけど……スーさんは見てたのか?」
スーさんは耳にかかる黒髪をかきあげ、メイドのトレードマークであるホワイトブリムの位置を直してから、ほんのりと頬を赤らめ、言いにくそうに教えてくれた。
「……見ていたというか、参加もさせていただきました。ごく短い時間ではございますが、私も坊っちゃんにゆかりのある人間でございますから、居ても立ってもいられず……」
「さ、参加って……え、えーと、その、服を脱いで云々っていうやつに……?」
「は、はい。僭越ながら……三十分ほどでしょうか。寄り添って、身体を温めさせていただきました。坊っちゃんはとても苦しそうで、沢山汗をかいておられて、その次には身体が急速に冷えたり、熱くなったりを繰り返していたのです。私や他の皆さんは、とても黙って見ていることができず……あの、銀色の髪の方は、『絶対に治るから』とおっしゃっていたのですが……」
ユィシアからエリクシールの効果について説明を受けてなお、みんな身体を張って看病をしてくれたのか。
それは想像を絶する光景だったのかもしれないが、ひたすら感謝しかない。邪念など感じてはいけない、みんな俺を助けるために必死だったのだから。それにしても裸で添い寝って大胆すぎやしないか……いや、感謝だ。今の俺には、感謝することしか許されていないのだ。
「それは、一人ひとりお礼を言わないとな……スーさんは、どんなお礼がいい?」
「お、お礼でございますか? いえ、私はそのような、見返りを求めてしたのではありません。あくまでも、奥様と旦那様への恩義もございますし、坊っちゃんとも、力比べをする約束をしておりましたし……そ、そうです、私は約束を果たしたかったのです。私の我がままなのですから、何も気にされることはございません」
こうやって、人が饒舌になるのがどんな時か。色々な場合はあると思うけど……どうやらスーさんは、恥ずかしがっているみたいだ。
こういう時に、彼女が言う通りに何もお礼をしなかったら、それはそれで一つの答えなのだろう。しかし今の俺には、そうすることは正しくないと思える。
コミュ障のままだったら、「お礼なんてしなくていいならそれに越したことないな、面倒だし」とか考えていたところだろう。だが俺は、ゲームの中だけは、理想の自分を演じるように、みんなに「そこまでしなくてもいいのに」と言われるほどマメにするように努めていた。
お礼をしなくていいと言われても、その人が喜ぶことを見つけて必ずお礼をする。それこそ、見返りが欲しいわけじゃなく、喜んでもらえる顔が見たいからだ。もうそれはお礼ですらないのだが、それでいい。
「分かったよ、スーさん。でも、本当にありがとう」
「……お礼を言われることではないのです、と申し上げているではないですか。坊っちゃんったら」
スーさんはそう言いながらも微笑んでくれた。彼女にしては珍しく、俺の肩を控えめに押すなんていうこともしながら。
「……あっ。も、申し訳ありません坊っちゃん。皆さんと一緒だというのに……」
気が付くと、先を歩いていたマールさんとアレッタさんが、俺たちの様子をじーっと見ていた。俺と目が合うと、マールさんは長いおさげをいじりつつ、裏表のなさそうな笑顔を見せる。
「なんでもなーい。ちょっと隙があるとヒロトちゃんってすぐ他の女の子といちゃいちゃするよね、って思ってたの」
「全然なんでもあるじゃないですか……ヒロトちゃん、気にしなくても大丈夫ですよ、私たちは見守っていようってことにして、心おだやかに見ていましたから」
「ご、ごめん……やっぱり、皆が居るときはしっかりけじめをつけるべきだよな。気をつけるよ」
本気で反省する俺だが、マールさんと一緒に歩いていたリオナとミルテがとてて、と走ってくる。何を言うのかと思えば――。
「ヒロちゃんとスーお姉ちゃんも仲良しだけど、私とミルテちゃんは、もっと仲良しだよね」
「……ヒロトにお薬を飲ませたのは、私と、リオナと、フィリアネスさん。あと、ユィシア」
「薬って……そ、そうか。エリクシールを飲ませてくれたのか……俺、ほとんど意識なかったと思うけど、どうやって飲ませたんだ?」
「それはねえ……え、えっとねえ……」
「……秘密。フィリアネスさんも、そうするように言ってた」
リオナとミルテが顔を見合わせて、視線だけで相談してから言う。聖騎士の人もって……そんな、フィリアネスさんが内緒にしたくなるほどエキセントリックな方法で飲ませてくれたというのか。
「き、気になるな……どうしても秘密なのか?」
「うん、あとでフィリアネスお姉ちゃんにきいて。ね、ミルテちゃん」
「……恥ずかしい」
いつも寡黙なミルテが、耳まで真っ赤になっている。そこまでのことをしたのか……いや、裸で添い寝をする以上のことなんて、早々ない気がするけど。
そうだ、すぐ後ろをついてきているウェンディたちに聞いてみよう――と思って振り返ると、ウェンディと一緒に歩いていた名無しさんが、目に見えて反応した。
「っ……ど、どうしたんだい? ヒロト君」
「お師匠様、すごく皆に慕われていて、弟子として誇らしいのであります! と思って見てたのでありますよ。あっ、私と名無しさんのかっこうはどうですか? 今日は冒険者の装備は置いてきて、町で買った服に着替えたのであります!」
いつもポニーテールにしているウェンディだが、今日は髪をおろして、ブラウスとスカートを身につけている。異世界の服なので仕立てなどがファンタジー風味ではあるが。
名無しさんもそうで、いつもの制服みたいな装備と違って、今日は私服を着ている。祝い事だからか、いつもの彼女のシックな感じと違い、ゆったりとしたシルエットの服の上からショールを羽織っていて、そのままパーティにでも出られそうな格好をしている。日差しの強さはどうやら、法術で緩和しているようだ。
しかし、それでも仮面は外さない。こうして太陽の下で見ると、黒だと思っていた彼女の髪色は少し青みがかっていて、背中の辺りまで長く伸ばされている。
「二人とも、そういう服は新鮮だな……その服、町で買ったのか? すごく似合ってるよ」
「本当でありますか? 嬉しいです、お師匠様っ……あっ……」
ウェンディは感激して俺の腕に抱きつこうとして、触れる前に何かに気付いたように顔を赤らめた。
「うう……お師匠様がお小さいときは、遠慮なく抱き上げられたのでありますがっ、わ、私より大きくなってしまわれると、触れるなんて恐れ多くなってしまいますね……っ」
「い、いや……まあ、抱きつくのはちょっと大胆だけどな。触るくらいは、遠慮しなくていいよ」
「……で、では……っ、ぜひ触れさせてください、なのであります……え、えいっ!」
ウェンディはちょこん、と俺の肘をつつく。俺は全然気にしなくていい、というように、彼女に微笑みかけた。
「ほら、なんてことないだろ? 遠慮しないでくれ、これからも同じパーティの仲間なんだから」
「は、はい……私、この手はしばらく洗いたくないのであります。何だか、記念という感じがするのであります……!」
そこまで感激してくれるなら、改めてよろしくという意味で握手なんてしたらどうなってしまうのだろう。いや、あまり調子に乗ってチャラい感じになってはいけないな。
「……ウェンディ、良かったじゃないか。ヒロト君が、今までと変わりなくて」
「はいっ! 名無しさんも、ご遠慮なくどうぞ!」
「っ……い、いや。私は……いや、小生は、特に理由もなく触れるのは、失礼だと思うからね。ヒロト君、そうだろう?」
「あ、あの、名無しさん。もしかして、俺が急に大きくなったから、何か気にしてるんじゃないか? それだったら俺、言ってもらったほうが……」
(あれ……今、『私』って言ったよな。ものすごく久しぶりに聞く気がする)
なぜ、彼女が動揺していて、口調が乱れてしまったのか。俺はその理由を何とかして察しようとして――そして、ひとつ、今まで失念していたことを思い出す。「ささやきの貝殻」を介して、名無しさんが俺に教えてくれた内容だ。
「そういえば……名無しさん、ささやきの貝殻で俺に伝えてくれたことだけど。この国に最近入国してきて、強者を見つけると手当たりしだいに挑んでる人がいるって……多分、それは……」
ミコトさんのことだと思う。そう言う前に、名無しさんは手を上げて制した。
「……分かっている。それは、小生も把握しているよ。だから、まだ続きは言わないでほしい」
「……名無しさん」
「もう少しすれば、話さずにいることは出来なくなる。だから……小生がもしいつもと違って見えるとしたら。それはただ、緊張しているだけなんだよ。だから、あまり心配しないで欲しい」
名無しさんは努めて冷静に話そうとしているけれど、声が少しかすれている。その細い肩だって、何かを怖がっているかのように、かすかに震えていた。
何に対して緊張しているのか。ミコトさんのことが、名無しさんにどう関係しているのか――。
それを考えたとき、俺は、薄々と答えに辿り着かずには居られなかった。
名無しさんと出会ったばかりのとき、ありえない可能性だと打ち消したこと。
それは俺が、前世でのギルドメンバーだった「麻呂眉」さんを男だと思っていたから。
そんな俺を彼は一度も咎めはしなかったし、男として扱われても否定しなかった――けれど、その「彼」が、「彼」ではなかったのだとしたら。
(もし……この言葉に、彼女が反応したら。それは……いや、でも……)
もう、うろ覚えになりつつある。けれど、転生して8年が過ぎてもなお、麻呂眉さんの言葉は俺の記憶に残っている。
そのうちのひとつ……スーさんが装備している「ギルド娘装備」に対して、麻呂眉さんが言ったこと。
声が震えそうになる。それでも俺は勇気を振り絞って、その言葉を口にした。
「……ギルド娘装備は、ロマンだ。俺が尊敬してるある人が、そんなことを言ってた」
「っ……!」
もう、歩きながら話すことはできなかった。名無しさんも俺も、立ち止まっていた。
「……? お師匠様、何のことでありますか?」
ウェンディが疑問に思うのも分かる。俺と、前世を知る人にしか分からないことなのだから。
名無しさんの震えていた唇が、すっと一文字に引き結ばれる。怒っているのかとも、一瞬思った――だけど、違った。
彼女は、微笑んでくれた。その艶やかな唇が動いて、答えを紡ぐ。
「……もう少し、心の準備をさせて欲しかったのに。ジークリッド……君って人は、本当にときどき、意地が悪い」
――やっぱり、そうなのか。
どうして、何も言ってくれなかったんだ。何も言わずに、俺の傍にいてくれたんだ。
他のパーティに入って、あんな無茶をして。危ない目に遭って……それでも、何も言わないで。
「……どうして、って聞くのは後にした方がいいのかな」
「ああ……そうしてもらえると助かる。一つ言っておくと、私は元から男っぽい口調なんだよ。『小生』という自称だけは、素性を隠すためのフェイクだったんだ。長い間、黙っていてすまなかった」
すまないなんてことはない。前世で俺とエターナル・マギアをやっていたとき、男だということにしていたのは、理由があってのことだろうから。
「名無しさん……お師匠様との間に、何かなみなみならぬご事情が……?」
「うん。でも、それはウェンディは知らない方が良いことだ。悪い意味で秘密にしたいわけじゃない、私とヒロト君のことについては、大事な人にほど言えないことがあるんだ……分かってもらえるだろうか」
ウェンディはまだ驚いていて、俺と名無しさんの顔を交互に見やる。
しかし彼女はふるふると頭を振ると、ふぅー、と長く息をつき――その後には、少しだけ落ち着きを取り戻していた。
「正直なところを言うと、びっくりしてるのであります……でも、人には歴史ありなのであります。全部を知らなくても、私にとって名無しさんが大切な仲間だというのは、変わりないのであります!」
「……ありがとう。ウェンディは、本当にいい子だね。さすが、ギルマスが見初めた子だ」
(おわっ……な、何を言い出すんだ。とも言いづらいぞ、名無しさんの雰囲気が柔らかすぎて)
ウェンディは名無しさんの言葉に思い切り反応して、何やら意味もなく周囲を見回している。落ち着きの無さが限界突破している……そんなスキルは存在しないが。
「み、みそめただなんて、そ、そんなっ、私の方こそ、お師匠様に初めて会った時から、今みたいに立派な方になられるだろうなと、将来性を感じていたのでありますっ……あっ、現金でありますよね、そんなっ」
「そんなこと考えてたのか……ははは。俺も、ウェンディは育てれば伸びると思ってたよ。色んな意味で」
「はぁぁっ……そ、そんな、色んな意味でだなんて、私、こちらの方は最近成長が悪いというか、あまりお師匠様にかまってもらえてないのでっ……な、何言ってるんでしょう私、少し頭を冷やしてきまーすっ!」
体育会系にもほどがあるウェンディは、よそゆきの格好にも関わらず、スカートの裾を押さえて走っていった。
それでもそこそこ見えてしまう健康的な脚線美に感嘆していると、つん、と名無しさん――もとい、麻呂眉さんにつつかれる。
「みんな待っているから、これ以上は後にしよう。ステラちゃんと男の子たちは、先に王宮に行って待っているよ。パドゥール商会のつてで、観覧席の招待券を持っているからね」
「おっと……そうだ、三人のことをすっかり……俺、薄情だったな」
「ふふっ……ギルマスのことだから、後で一人ひとりとまた話すんだろう? それならば薄情とは言わないよ。多くのメンバーと行動するときは、やはり補佐するために片腕になる人物は必要だね。私よりも、聖騎士殿やミコトが良いのかなとは思うけれど」
ミコトさんが俺の右腕なら、麻呂眉さんは左腕だ――と考えて、俺はふと気がつく。
「そういえば……ミコトさんは本名と同じだったけど、麻呂眉さんは……?」
「……それは、仮面が取れた時に教えることにしよう。隠者の仮面を外す方法は、すでに見つけられている。それについても、祝祭が終わった後に話させて欲しい」
「ああ、分かった。最後に一つ……」
「ん……?」
大事なことを、まだ伝えられていない。名無しさんの正体が分かった時から、ずっと思っていたこと。
「もう一度会えて嬉しいよ、麻呂眉さん。普通だったら、二度と会えないもんな」
「……本当に、君は……そんなことを、恥ずかしげもなく言えるなんて。大したものだよ」
そう答えた彼女は微笑んでいて――けれど、仮面の下に、しずくが伝っていく。
泣いている彼女に対して、俺がしてあげられることは……でもそれは、今はまだ、許されていないことだ。
「その仮面を取るためなら、俺は何でも協力する。また、前みたいに一緒に冒険してもいいかな」
「今さら尋ねるまでもない。私がどうしてこの世界を選んだのか、分からないわけじゃないだろう……? 君と、まだ夢を見ていたかったからだよ」
「ははは……それは、麻呂眉さんが男だと思ってた頃に聞いたら、ちょっと身の危険を感じるセリフだな」
「違いない。だからこそ私は、君を驚かせたくて、あえて言ったかもしれない……なんてね」
でも、麻呂眉さんは女性だ――それを、俺はこれ以上なく確かめている。法術スキルを与えてもらうために、何度もしてきたことで。
かつて仲間だったミコトさんに続いて、麻呂眉さんにまで。二人がこっちに来てること自体が、奇跡というか、普通に考えてありえないことなのに……また、『天国の階段』のトップ3が揃ってしまった。
麻呂眉さんは最後に、俺の肩に手を置くと、耳元でこんな囁きを残していった。
「ギルドの副リーダーに、これで二人とも手を出してしまったわけだね……それって、リア充とか、肉食系って言うんじゃないのかな?」
「っ……そ、それは……っ」
皆の前では、まだ名無しさんと呼ばないといけない――とか考えてるうちに、彼女は先に歩いていって、マールさんたちの隣を歩き始めた。まるで、女子グループで仲良くするから、ギルマスは今は一人で歩いているといい、と言わんばかりに。
(前世だったら、俺と麻呂眉さんは男子グループだったのにな……まさか、中の人が女性だったとは……)
中の人の性別が違うことは往々にしてあることだが、麻呂眉さんの発言は完全に男性だと思っていたので、チャットの文章だけでは分からないものだなと痛感する。
他のメンバーが知っていたのかどうかは分からないが、もし誰も知らなかったら、俺はここに来て、みんなの中で初めて知ったというわけだ。転生し、八年が過ぎてようやく。
――いや、俺が初めてでは多分ない。ミコトさんに対する麻呂眉さんの反応を見るに、おそらく……。
「ヒロトちゃん、走ってこっち来なさい! 置いてっちゃうよ! ぷんぷん!」
「あっ……ご、ごめんっ!」
マールさんが大きな身振り手振りで俺を呼ぶ。慌てて走り出す俺を見て、みんなが笑っている――なんて照れくささだろう。
そして、人に受け入れてもらうということがこんなにも嬉しいことなのだと、不意に確かめさせられたりもする。
俺はこみあげてきてるものを皆に悟られないように、走りながら乱暴に目元を拭った。名無しさんが麻呂眉さんだと分かったことが、それだけ嬉しかったのだということにしておこう。
※ 次回は来週水曜日、20:00に更新予定です。




