第三十四話 死霊の女王
屋敷の三階まで上がり、捨て身の攻撃ばかりを繰り出してくる兵士たちを退け、俺たちはようやく館の主の居室に続く扉に辿り着いた。
そこには、二人の人物が立っていた。今までと違い、その顔には生気がある――しかし、感情はない。
そのうちの一人は、栗色の短い髪をした女性だった。軽鎧を装備しているが、武器らしき武器は持っていない――格闘か、それとも別の方法か。戦闘能力を持ってはいるようだが、どんな戦い方をするかは見えてこない。
もう一人は恐ろしいほどに上腕が鍛えられ、革鎧から露出した腕が筋肉で盛り上がっている――二人ともが、他の兵士とは一線を画す威圧感を放っている。
(この二人が、グールドの護衛……只者じゃないな)
「ミコトさん、俺たちが二人を引きつける。そのうちに扉を抜けてくれ」
「……分かりました。私も、それが最善だと判断しますわ」
グールドを倒すことさえ出来れば、必ずしもこの二人を倒す必要はない。ミコトさんなら、部屋に入ってしまえば俺たちよりも迅速にグールドを狙うことができるだろう。
「グールドの下に行かせてもらうぞ。邪魔立てするならば、斬らなければならない」
フィリアネスさんは銀色に輝く細剣を二人に向ける。そのとき、女性の方が何かを呟いたように見えた。
「……我が身体は、冥狼の化身となる……」
◆ログ◆
・《シスカ》は呪文を詠唱している……。
・《シスカ》の獣魔術が発動! 《シスカ》は一時的に冥狼の力を宿した!
「獣……魔術……」
そのログを見た瞬間、俺の思考が止まる。俺の知る、獣魔術の使い手はたった一人――。
ミルテは、その母親から獣魔術を受け継いだ。シスカという名前は聞いていない、しかし、俺は可能性を考えずにはいられなかった。
「――ヒロトッ!」
◆ログ◆
・《シスカ》の攻撃!
・《フィリアネス》が割り込みをかけた!
・《シスカ》の攻撃がキャンセルされた。
「っ……」
獣魔術を使った女性――シスカの身体は全身が紫の体毛に覆われ、狼のような姿に変わっていた。その手の爪は鋭く伸びていて、俺を狙って手刀を繰りだそうとした――フィリアネスさんは細剣で突きを繰り出し、それを横から妨害してくれたのだ。
「気を抜いている場合ではないぞ、敵はもう一人いるっ!」
「ごめん、フィリアネスさん……我がまま言ってるって分かってるけど、二人とも殺さずに倒してくれっ!」
「っ……ギルマス、なぜ……っ」
「どうしても、気になるんだ! この二人が、何者なのかがっ!」
もう一人の男が動き出して、袖の中から引き出した2つの武器――チャクラムを構える。恐ろしいことに、それをほとんどノーモーションに見えるほどの目に止まらぬ動きで、こちらに向かって投擲してきた。
(考えてるヒマはないっ……!)
◆ログ◆
・《ナヴァロ》は「ダブルチャクラム」を放った!
・あなたは「ブーメラントマホーク」を放った!
・《ナヴァロ》の攻撃を妨害した!
放たれたチャクラムを、俺の放った斧が弾き返す。軌道が少しそれたものの、それでも斧は俺の手元に戻ってきた。スキルを使わずにただ投げるだけでは、こんなことは不可能だろう。
ナヴァロという男はチャクラムに紐をつけており、それを引くことで瞬時に手元に戻す。技名こそ「チャクラム」だが、あれはヨーヨーのようなものだ――そんな武器が、エターナル・マギア時代にも存在はしていた。ヨーヨーは、まるで曲芸でもしているような戦闘スタイルを可能にし、一部の玄人を楽しませていた。そのうちの一人が、暗殺武器を極めようとしていたミコトさんだ。彼女と手合わせした経験がなければ、投擲技で撃墜できるという発想には至らなかっただろう。
「……なかなかやる。子供を殺すには忍びないと思っていたが……どうやら、本気でやる必要があるようだ」
「敵は殺すだけ。私たちは、そう命じられてる」
他の兵士とはやはり違う――男の方は、比較的感情を感じさせる。女性の方は全く無感情に、狼のような目を暗がりの中で銀色に輝かせている。
「ミコトさん、行ってくれっ! 俺たちもすぐに追いかける!」
「分かりましたわ……死んだら許しませんわよ、二人ともっ!」
「承知しているっ……はぁぁっ!」
ミコトさんが駆け出すと同時に、フィリアネスさんは大技を繰りだそうとする。しかしシスカが鋭敏に反応し、技の出かかりを潰しにかかる。
「させないっ……!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》は「ダブル魔法剣」を放とうとした!
・《シスカ》は「シャドウクロー」を放った!
・《フィリアネス》の行動がキャンセルされた。
「速い……しかし……!」
「ああ……勝てない相手じゃないっ!」
「思い上がるなっ……行かせるかっ!」
俺とフィリアネスさんが二人を引き付けているうちに扉を抜けようとしたミコトさんに、ナヴァロがチャクラムを投げつけようとする。しかし、それを許す俺ではなかった。
「『炎よっ』!」
◆ログ◆
・あなたは「ファイアーボール」を詠唱した!
・《ナヴァロ》の「アサルトシュート」をキャンセルした! 《ナヴァロ》に53のダメージ!
「ぐっ……魔術まで……小僧ォォッ!」
「俺たちは進まなきゃならないんだっ……!」
激昂し、チャクラムを再び放とうとするナヴァロに向けて、俺は大技を叩き込もうとする。
「手加減」はセットしているが、この屋敷の敵を相手に、容易に致命的なダメージを与えられるとは思えない――しかし、これなら。
「氷の精霊、雷の精霊よ……俺に力をっ……!」
◆ログ◆
・あなたは「ダブル魔法剣」を放った!
・あなたは「アイスストーム」を武器にエンチャントした!
・あなたは「ライオットヴォルト」を武器にエンチャントした!
・あなたは「メテオクラッシュ」を放った! 「氷雷流星撃!」
「なん……だとっ……!?」
俺の斧が凍気と雷を纏い、稲光の走る氷の竜巻が発生する。魔法剣で使える魔術の組み合わせは多々あるが、今使えるものの中では、これが間違いなく最強だった。
「こんなに強い相手に、他の技は選べない……行くぞっ!」
「馬鹿な……っ、こんな子供にっ……!」
「うぉぉぉぉっ!」
振り下ろした斧が、まるで隕石のような衝撃を生む。同時に広がった凍気が屋敷の床から壁までを瞬時に凍りつかせ、空気を切り裂いて雷光が轟く。
◆ログ◆
・《ナヴァロ》は防御に徹した!
・《ナヴァロ》に1874ダメージ!
・「手加減」が発動した! 《ナヴァロ》は昏倒した。
「がっ……ぁ……」
属性攻撃を防ぐ装備をしているのか、凍結にも感電にもかからない。しかし防御で軽減しても軽く4桁に達するダメージが出ては、立っていられるわけもなかった。ライフの最大値は、限界突破しなければ1240が最大値だからだ。
「ナヴァロ……!」
「逃がすかっ……雷の精霊よっ!」
相棒が倒されたからか、シスカはナヴァロを救出しようと動く。それを阻止しようと、フィリアネスさんが雷の魔術を短縮して詠唱する――しかし、シスカは文字通り獣のような動きで跳ね回り、フィリアネスさんの放った「ボルトストリーム」を回避しきった。
「――冥狼の力を、甘く見るな……!」
◆ログ◆
・《シスカ》は「絶影」を発動した!
・《シスカ》の敏捷性が大幅に上昇した!
(っ……速い……今まで見た中で、誰よりも……!)
スキルの名前通り、俺はシスカの影すら目で追うことは出来なかった。瞬きの後には、シスカはナヴァロの身体を担いで、窓の近くに立っている。
「……この借りは必ず返す」
「待てっ……まだ聞きたいことがあるっ! ミルテ・オーレリアの名前に、聞き覚えはっ……!」
「……そんなものは知らない。私を惑わそうとしても、そうはいかない」
シスカは窓から飛び出していく。追いかけて窓の外を見ると、眼下には二階だというのにものともせずに着陸し、逃げていくシスカの後ろ姿があった。
(……変身する前に見た、彼女の髪の色は……ミルテと同じだった。そして、同じ魔術を使った)
もし、シスカがミルテの母親ならば。グールドこそが、ミルテの両親を隷属させている当人だったということになる。
ネリスさんの無念と、ミルテの両親への想い……その2つを知りながら、俺はみすみす、二人を逃してしまった。ナヴァロを倒す前に、シスカの動きを止めていれば――しかし、今は悔やんでいる時間すらない。
「ヒロト、逃してしまったのは惜しいが、今はミコト殿を追う方が先だっ!」
「うん、ごめん、フィリアネスさん!」
グールドを倒せば、ミルテの両親も解放できる。
扉の向こうに、今まで見えなかった宿敵の姿がある。ミコトさんならきっと、グールドを追い詰めてくれている。
――しかし、俺の想像は、無慈悲に裏切られる。
扉を開けた先。暗い部屋の中で、女性の苦しそうにうめく声が響く――その声の主は、ミコトさんだった。
「ぐぅっ……うぅっ……ぎ、ギルマス……来てはいけませんわ……この、男は……あぁぁっ……!」
信じがたい光景だった。痩せぎすの老人――貴族の衣装を着ていることから、おそらくグールドなのだろう――が、ミコトさんの首をつかみ、片手で宙に吊り上げている。
「……なぜ、生きていられるのだ……あの姿で……っ」
フィリアネスさんの言うとおりだった。「あの姿」で、生きていられるわけがなかった。
グールドと目される人物の胸には、大きな穴が開いている。着ていた衣服を貫通されている――ミコトさんは、グールドを一撃で殺そうとしたのだ。
そうするしか、戦いを終わらせる方法がない。俺にもそう分かっていたつもりだった。
ミコトさんは俺などより遥かに真摯に現実に向き合い、自分の手を汚すことを予め心に決めていた。
そんな彼女を、先に行かせた。それこそが、俺の間違いだった――。
◆ログ◆
・《グールド》は《ミコト》の首を締め上げている!
・《ミコト》は振りほどけない! 窒息により、137のダメージ!
「ぐぅっ……うっ、ぁぁ……っ!」
グールドはミコトさんの一撃を受けて、生きている。心臓を穿たれてもなお血の一滴も流すことなく、ミコトさんを死に追いやろうとしている……!
――死。
この異世界に蘇生はない。一度死んでしまえば、それで終わり。
目の前が赤く染まる。倒さなければならない、グールドの腕を切り飛ばしてでも。
「グールドッ……!」
「人間でなくなってまで、この国が欲しいのか……っ!」
俺はフィリアネスさんと共に切り込んでいく。俺はグールドを不死者と見なし、最も有効な炎の魔術を選択する。フィリアネスさんは得意な雷の魔術を選び、同時に魔法剣を発動した。ダブルを発動させている時間はない、互いに単独付与で、最速の攻撃を放つ――!
◆ログ◆
・《フィリアネス》は「魔法剣」を放った!
・《フィリアネス》は武器に「サンダーストライク」をエンチャントした!
・あなたは「魔法剣」を放った!
・あなたは武器に「クリムゾンフレア」をエンチャントした!
・コンビネーションが発生した! 「雷撃・紅炎・剣斧撃!」
暗闇を炎と雷の光が貫く。俺の一撃はグールドの腕を切り飛ばし、フィリアネスさんの刺突は、その胴体を貫通していた。
◆ログ◆
・《グールド》に1354のダメージ!
・《グールド》は一時的に活動を停止した。
(また……なんなんだ、このログは……!)
確実に倒せるダメージを与えても「倒した」と表示されない。焦りを振り切り、俺はグールドの手から解放されたミコトさんを受け止めた。
「ミコトさんっ……!」
「っ……ぁぁ……ごほっ、ごほっ……!」
首の骨を折られかけていたのか、ミコトさんは血混じりの咳をする。俺は持っていたポーションを取り出し、彼女の口元に運んだ。飲むのは苦労するが、それでもライフを回復しなければ、彼女の命が危ない。
◆ログ◆
・あなたは「応急手当」をした。《ミコト》の状態異常が回復した!
・あなたは「ポーション」を《ミコト》に飲ませた。《ミコト》のライフが回復し始めた。
応急手当スキルを使ってミコトさんの喉を嚥下できる状態に回復する。それほど喉に損傷がなかったので、俺の拙いスキルでもなんとか治療してあげられた。
俺が作ったポーションは品質が高く、飲めば通常のポーションよりライフが多く回復するが、45秒かけてゆっくり回復するので瞬時に完全回復とはいかない。
「ギルマス……情けないところを、みせましたわね……」
「そんなことないよ……俺こそごめん。グールドの危険さを、想像もしてなかった……」
「……不死者だったというのか。南王家の血を引く公爵が……一体、いつから……」
――人間は脆く、その生は苦痛に満ちている。
「っ……誰だ……!」
グールド以外に、誰もいなかったはずの部屋。
しかし何の前触れもなく、忽然として、『それ』は存在していた。
窓際で月光を浴び、微笑んでいる――真っ白な髪をした、金色の瞳を持つ、恐ろしいほどに美しい女。
まるで葬礼に出るための衣装のように、彼女は頭の飾りから靴まで、黒とグレーのモノトーンに染まっていた。
その美貌は精緻に作られた人形のように無駄がなく、文字通り人外のものだった。
ゴシックドレスのような衣装の胸の部分は大きく張り出し、大胆に開いた襟元からは、蒼白い肌が覗いている。
広く作られた袖で口元を隠し、彼女は俺たちを見ながら薄く微笑んでいた。
しかし、人間の持つ喜びや、楽しみの感情で笑っているわけではない。
彼女は俺たちを――この場にいる生者をあざ笑っていた。
「その男……グールドは、不死の肉体を望んでいた。幾らこの国の王の座を渇望しようと、病に蝕まれた彼は、もうそれほど長くは生きられなかった。私は、彼を救ってあげたのよ」
「……戯言を。グールドを殺害し、不死者に変え、操り人形にしたというなら……それを救いと呼べるわけがないッ!」
フィリアネスさんは怒りをあらわにして、細剣を女に向ける。それを意に介することなく、むしろ面白いとでも言わんばかりの顔をして、女は話を続けた。
「私はグールドの意志を代わりに遂行している。今は使い物にならないけれど、それなりに面白い企み事をしていたのよ。この国を手に入れようとしていた……そのために私は、大事な駒を貸してあげたの」
「……ここの扉を、あの二人に守らせてたのも。黒騎士団長のヴィクトリアに、『悪の鉄仮面』をつけさせたのも……全部、お前の仕組んだことなんだな」
「っ……ヴィクターが、この女に操られていたというのか……!」
そうとしか考えられない。グールドを影で操っていたのがこの女なら……『駒』というのが、黒騎士団や、この屋敷を守っていた連中を指しているのならば。
「何をそんなに怒っているの? 私は退屈で仕方がない国を乱してあげているだけ。他にも方法は色々あるけれど、今回は泥臭い方法を選んだの。そういうのも、たまには悪くはないものね」
「遊びのつもりか……グールドだけでなく、その配下の兵までも不死者に……っ」
「――あまりきゃんきゃん鳴かない方がいいわね。せっかく、綺麗な顔をしているのに台無しよ?」
現れた時からそうだった。俺たちには、敵の動きがまるで見えていない。目で追うことすら出来ない――。
「顔だけじゃなくて、髪もきれいね。透き通るみたいな金色……まるで、天使の輪を溶かしたみたい」
「っ……!?」
フィリアネスさんが背後を取られている。窓際にいたはずの女がすぐ後ろにいて、凄絶なまでに妖艶な微笑みを浮かべている。
(シスカが『絶影』を使えるのなら、彼女を従わせているこの女に、同等の芸当が出来ても不思議はない……でも、そんな存在がいるのか……?)
そう考えて俺は、ようやく思い当たる。
不死者の頂点に君臨する王。その容姿は、白い髪に、金の瞳を持つと言われていた。
未実装のままで、俺が前世で触れることなく、情報のリークだけがされていたクエスト――『死霊の王』。
「死霊の王……なのか……?」
「王というのは違うわね。私は見ての通り、女だもの。女王と言ってもいいけれど、あまり好みの呼び方ではないわ」
「死者を操って……屍鬼にしたっていうのか。この屋敷を守ってた人たちも、全部……」
「選ばれし資格のない者はそうなるだけよ。けれど、この子は違うわね。フィリアネス・シュレーゼ……前から、目はつけていたのよ。聖騎士は人間にしてはそれなりに強いし、男を知らない処女でもある。私の下僕にしてあげるには、とても具合がいいと思っていたの」
「っ……ふざけるな……誰が、貴様の仲間になど……っ!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》は「雷の棘」を詠唱した!
・《メディア》に27のダメージ!
フィリアネスさんが、触れた敵にダメージを与える低級魔術を発動させた――雷精霊の力が起こす光を見てから、遅れて理解する。死霊の女王――メディアは一瞬だけ隙を作り、フィリアネスさんが間合いを取るだけの時間を与えた。
「おとなしくしていると思ったら、詠唱していたのね。呪文は声に出すのがマナーというものよ」
「黙れっ……これで終わらせるっ! はぁぁぁぁっ!」
それでも余裕を示すメディアに、フィリアネスさんは突きを繰り出す――それはこれまで見てきた中で最速にして、最小の動きによって放たれるものだった。
◆ログ◆
・《フィリアネス》は「ゼロ・スラスト」を放った!
細剣の基本攻撃である突き。それを奥義中の奥義にまで昇華した技――発動からダメージの発生までのタイムラグがほぼ「ゼロ」であることから名付けられた技。
こちらが視認できないほどの速度で移動できる相手も、この技なら確実に捉えられる――俺もそう思った。
フィリアネスさんの放った突きは、メディアの身体を貫いた。
そうであるはずが、まるで空気を貫いたように、見ていて手応えを感じさせない。
「惜しかったわね……私に攻撃を当てるなら、あらかじめ聖水を用意しなければ。他にも色々方法はあるけれど」
メディアの身体の一部が、もやのようにぼやけている――何が起きているのかは、ログが教えてくれた。
◆ログ◆
・《メディア》はオートカウンターを発動した!
・《メディア》は形態変化を行った! 身体の一部が霧になった。
・《メディア》はダメージを無効化した。
(オートカウンター……物理攻撃を受けると同時に、身体を霧に変える……それじゃ、無敵を何度も発動出来るのと変わらない……!)
「くっ……あぁ……!」
霧に変わったメディアがフィリアネスさんの後ろに周り、今度は羽交い締めにする。華奢な体躯に見合わない力で、フィリアネスさんは全く振りほどくことが出来ずにいた。
(強い……あまりにも……なんでこんな奴が、こんなところに……)
――こんな敵が出てくるなんて想像もしていなかった。ユィシアとの戦いを経てなお、俺は自分の手に入れた強さに安堵し始めていた。
そんな甘えが許される世界ではないと分かっていたのに。フィリアネスさんを人質に取られてようやく、俺は気がつく。
このままでは、全滅させられる。
これまでの攻撃は全く通じず、敵は手の内をまだ幾らも見せていない。
「ねえ、知っている? この世界に君臨する最強の存在は、漏れなく女なのよ。男はそうなれるように作られていないの。偏った世界だと思わない?」
「……だから、どうした。俺が、勝てないって言いたいのか……?」
心を折られるわけにはいかない。俺は強がりに聞こえると知りながら、メディアを睨みつけた。
「ふふっ……ああ、そういうこと。あなたの目には、あの女の気配を感じるわね……憎らしいくらい。やはり、ここに出てきたのは正解だったわ。こんな出会いがあるなんて、最高の退屈しのぎだもの」
「くぅっ、うぅ……ヒロト……逃げろ……この女は、私が刺し違えてでも……っ」
逃げられるわけがない。そんなことは考えていない。
「麗しい愛情ね。まだ小さなあなたに本気で恋をしているのよ、この子は。ふふふっ……滑稽ね。滑稽で、とても愛おしい……」
「やめろ……私に触れるな……っ、あぁ……!」
フィリアネスさんの自由を奪い、メディアはその首筋に口をつけようとする。
斧を握る手に力を籠める。ウェンディのおかげで手に入れた『勇敢』のスキルが、恐怖を忘れさせてくれる。
それが、例え蛮勇であったとしても。二人を守ることが出来れば――。
――早くヒロちゃんに会いたいな。
――ヒロトがいなかったら、別に見なくてもいい。
――また町に戻ったら、私と一緒に勉強しましょう。
脳裏をよぎった言葉は、ささやきの貝殻から聞こえたみんなの言葉だった。生への執着と渇望が際限なく強まり、それでも俺の足を前に進ませる。
(ごめん、リオナ……ちょっと生き残るにはキツそうだけど。やるしかないみたいだ)
「ヒロト……逃げろ……逃げてくれ……っ」
「そこまで言うのなら、あなたとそこの黒髪の子を残して、男の子だけは見逃してあげる。それとも、あなたも私のものになりたい?」
圧倒的な強者。しかしそれを驕る相手に、媚びへつらう気などない。
「フィリアネスさんに、触るな。その人は、俺の大事な人だ」
「……ヒロト……ッ」
どうして逃げないのか、フィリアネスさんがそんな目をする。それを痛いほど理解しながら、俺は斧を握る手に力を込めて、メディアと対峙する。
「……嫌だと言ったら、どうするの? あなたは私には勝てない。無駄な戦いはやめて、あなたも私に服従しなさい。そうすれば永遠に年を取らず、死の恐怖からも逃れられるわ。そうして一緒に、享楽を貪ればいい……魅力的な提案でしょう……?」
言い終えると同時に、メディアの瞳が妖しく輝く。
(やっぱりそう来るか……そうだよな。『そういう力』も持ってるよな……!)
俺は、メディアが何をしようとしているか予測できた――その読み通りならば。
相手に、一瞬の隙ができる――!
◆ログ◆
・《メディア》は「魅惑の魔眼」を発動した!
・あなたは抵抗に成功した。
「俺には魅了は通じない……っ!」
「っ……!?」
――俺が反撃の方法として選択することが出来たのは、一つだけ。フィリアネスさんを傷つけずに奪還する、唯一の方法がある……!
◆ログ◆
・あなたは《ジョゼフィーヌ》を呼び寄せた。
(頼む……これ以外に方法がない。フィリアネスさんを無事に取り返すには、これしか……!)
窓を押し破って、巨大なスライムが突入してくる。ジョゼフィーヌはメディアを射程圏内に捕らえると、即座に「捕縛」スキルを発動した。
◆ログ◆
・《ジョゼフィーヌ》の捕縛!
・《メディア》は身動きが取れなくなった。
・《フィリアネス》の拘束状態が解除された。
「スライム……ふふっ、面白い趣向ね。もう少しだったのに、残念だわ」
メディアは四肢を絡めとられ、フィリアネスさんから離れる。それでも俺は、全く安心など出来ていなかった。
「はぁっ、はぁっ……あの女……触れただけで、体力を奪ってくる……氷のように、冷たい……」
「フィリアネスさん、ミコトさんと一緒に逃げてくれ。俺はあいつを食い止める」
「っ……だめだ、ヒロト。お前だけを戦わせることなどっ……」
「頼む、フィリアネスさん。俺は、みんなに生きててほしいんだよ」
「何を……っ、自分が何を言っているか、分かってっ……」
「――与えられた時間は長くはないのよ。それに、何を勘違いしているの? 一人も逃がす気はないわ……!」
◆ログ◆
・《メディア》は「マナバースト」を発動させた! 魔力が身体を覆っていく……。
・《メディア》は魔力を爆発させた!
・《ジョゼフィーヌ》に374ダメージ!
・《メディア》の拘束状態が解除された。
(マナ……バースト……そんな技、どうやって……)
未知のスキルを前にして、恐怖を覚えたのは初めてだった。メディアの身体が魔力の光に覆われ、それが炸裂し、ジョゼフィーヌにダメージを与えた――今はライフが1000を超えているジョゼフィーヌでも、数発で死に追いやられてしまうほどの打撃を。
「ジョゼフィーヌ、下がれ……っ!」
「……きゅぅん……」
ジョゼフィーヌに命じても、動いてはくれない。爆散した身体が再生しきらないというのに、逃げようとしない――俺は仲間を逃がす時間を作るために、メディアに向かって斬りかかる。
「魔物を守るために死のうというの? 優しいわね……そして、愚かだわ」
「だまれっ……!」
◆ログ◆
・あなたは「ダブル魔法剣」を放った!
・あなたは武器に「クリムゾンフレア」をエンチャントした!
・あなたは武器に「ホーリーウェポン」をエンチャントした!
・あなたは「ギガントスラッシュ」を放った! 「巨斧聖炎斬!」
発動の速さを重視すれば、最大の威力は出せなくなる。それでも、法術レベル3の「ホーリーウェポン」を使えば、不死者にダメージを与えられる――そう信じるしかなかった。
――しかしメディアは、胸元に手を差し入れ、一本の短剣を取り出し――俺の攻撃を、その先端で受け止めた。
(なっ……!?)
◆ログ◆
・《メディア》の「パリィ」が発動した!
・あなたの攻撃は無効化された。《メディア》のスーパーカウンター!
(そんな、馬鹿な……俺の斧が、短剣一本で……)
短剣で俺の攻撃を受け、無効化する。武器の性能か、それともスキルの成せるわざなのか。
不死者に有効なはずの神聖剣技が、通じない。どんなダメージすらも、メディアには通らない。
唯一、フィリアネスさんが密着して使った雷の魔術だけだ。それが、何かのヒントになったはずなのに……俺は、攻略の糸口を見つけ出せなかった。
「あなたは、壊すには惜しい……あの子たちみたいに、そのまま玩具にしてあげるわ。魔眼が効かなくても、色々と方法はあるのよ……?」
その時俺は初めて、すぐ近くでメディアの顔を見た。
死霊の女王であるはずの彼女の目は皮肉なほどに生気に満ちて、俺に対する興味を隠しもしない。しかし、それは彼女の言うとおり、面白い玩具を見つけた子供と同じだった。
「ぐぅっ……ぅぅ……!」
「ヒロトッ……!」
スーパーカウンターによる俺の硬直時間が終わるまでに、メディアは俺の胸ぐらを掴んで釣り上げた。細い腕からは想像もつかないほどの力で、首が締めあげられる。
時間経過と共に窒息によるダメージが加算されていく。そのログに意識を向けることも出来ず、俺は抵抗する――大人の身体なら攻撃が届くのに。
(もっと大きくなれば……もっと、強くなっていたら。こんな、ところで……)
「うふふっ……ねえ、悔しい? 悔しいでしょう? 私はとても楽しいわ。だって、私はあなたのことを愛しているんだもの」
「……馬鹿……言うな……お前なんかに好きになってもらっても……嬉しくないっ……!」
「そうよ、もっと拒絶しなさい。憎んで、憤って、殺意を抱いて、そして絶望するの。世界には、残酷なことが沢山ある。あなたがくだらない世界を捨てるなら、全ての残酷なことから守ってあげるわ」
「俺は……絶望、しない……絶対に……」
「そう……じゃあ、もうひと押しをあげるわ。強がりは身を滅ぼすだけよ……っ!」
メディアの目が妖しく輝き、その体から溢れた淡い光が、幾つもの球体となって飛び去っていく。
◆ログ◆
・《メディア》が「死霊操術」を再度発動させた!
・範囲内の死者が動き始めた。《グールド》の活動限界が延長された。
・《グールド》の部位損傷が回復した。
「っ……まだ、死者を弄ぶと言うのかっ……!」
「弄んではいないわ。彼らは私に、不死を求めたのよ。けれど彼らは選ばれなかっただけ。そこにあるのは、ただの魂の抜け殻に過ぎないわ。人形と同じよ……千切れてもほら、すぐに修復される」
グールドの腕が元通りになり、胸の穴までもが塞がっていく。起き上がったグールドは、ミコトさんを庇っているフィリアネスさんに、一歩ずつ近づいていく。
「哀れむなら、何度でも殺してあげればいい。いつか、再生もきかなくなる時が来るかもしれないわ。私も試したことはないけれどね……うふふっ。でもね、時間をかけていると、他の人形も集まってくるわよ」
「っ……!?」
窓の外から、金属の鎧を鳴らす音が聞こえてくる。ガチャン、ガチャン、と規則正しく、ゆっくりと、屋敷に向かって近づいてくる。
廊下から聞こえてくる無数の音。一階から、二階から、倒したはずの兵士も、そうでない兵士も、全てがこちらに向かってくる。
「人形は人間の身体の限界を超えられる。身体が壊れることを恐れない彼らは、なかなか良い動きをしていたでしょう? 五十人の兵と、グールドを相手にして、いつまで生き残れるかしらね……あら。その前に、あなたはもう、堕ちてしまいそうね」
「……誰が……堕ちるかよ……お前なんかの、手の、内に……ぐぅぅっ……!」
◆ログ◆
・《メディア》はあなたの首を締めている!
・あなたは振りほどけない! 窒息により、153のダメージ!
(もう、どれだけも持たない……少しでいい……少しだけでいいんだ……っ)
幸運が働くことも、奇跡が起こることもない。このまま意識が途切れれば、次に目覚めた時、俺が俺でいられるのかどうかもわからない。
――絶対に、全員で、無事に帰る。
だから見苦しくても、滑稽でも、俺は抗う。
俺が諦めることを、絶望することを楽しみにしているやつに、最後まで喰らいついてやる――。
「俺は……俺たちは……まだ……」
「早くあきらめた方がいいのに。できるだけ長く、私を楽しませてくれるつもりなのかしら」
「――違う。ヒロトは、私たちは、まだお前たちに負けていないだけだ……!」
(フィリアネス……さん……)
遠のきかけた意識にすがりつき、俺はその光を見た。
フィリアネスさんの全身から放たれる光。禍々しい、呪われた暗闇を切り裂く、聖なる光を。
「グールドを操り、この国を陥れようとした。その罪は、償ってもらう……!」
「……貴女はまだ聖騎士として完成されていない。私の操る不死者を倒しきることは出来ないわよ」
(そうだ……でも、それは……)
フィリアネスさんの持つスキルが、『今の数値のままだったら』の話だ。
俺は彼女が何をしようとしているのかに気がつく。彼女が放つ光こそが、俺たちの希望そのものだった。
◆ログ◆
・《フィリアネス》は【神聖】剣技スキルにポイントを9割り振った。スキルが101になり、新たなアクションスキルを習得した!
この世界の住人は、スキルの概念を知らない。その制約を超え、フィリアネスさんは自分の意志でポイントを割り振り、自分の力を引きあげた。限界突破を1ポイント持っている彼女のスキル限界は101――その値まで、余っていたスキルポイントを振ったのだ。
グールドはフィリアネスさんの放つ光に怯んでいたが、それでも彼女に襲いかかろうとする。それを見たフィリアネスさんは、細剣の刃に額をつけて目を閉じた。
「――せめて、その魂が、約束の場所にて安まらんことを」
祈りの言葉と共に、金色の髪が翻る。メディアさえも、この光の中では目を開けていることが出来ない、それほどの神々しさだった。
細剣が、フィリアネスさんの発した金色の光に包まれる。その刃と柄が作り出した形は、懐かしいあの世界で、神聖なものの象徴とされた形状――十字だった。
「女神よ……不浄なる魂に、永遠の安寧をもたらしたまえ……!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》は神に祈りを捧げた。不死者を浄化する光が広がっていく!
「――破邪聖光陣!」
「くぅっ……!?」
メディアですらその光を前にして怯み、俺の首を放して自分の身をかばう。床に落とされかけた俺は、誰かに受け止められる――この背中に当たる感触は、数時間前に味わったものと同じ……ミコトさんの胸だ。
聖なる光の直撃を浴びたグールドが、初めて苦しみを顔に出す。そして、どれほども存在を保ってはいられなかった。
「ぐぁぁぁぁぁっ……あぁ……!」
叫びながらグールドは消滅していく。外からも、廊下からも、同じ声が聞こえる――フィリアネスさんの放った光は扉の隙間を抜け、窓からも溢れて、不死者たちをすべて浄化していく。
「私を消そうと言うの……っ、そうはさせないっ……!」
◆ログ◆
・範囲内の不死者は消え去った。
・《メディア》は結界を展開した! しかし、聖なる光によってかき消された。
・《メディア》に448のダメージ!
「くぅっ……うぅ……!」
聖なる光が収まり、フィリアネスさんを包んでいた光も薄れていく。しかしその残滓は蛍の光のように、ほのかな煌めきを放っていた。
「ギルマス……今度は逆の立場になりましたけれど。残念ながら、まだ戦いは終わっていませんわ」
「ゴホッ、ゴホッ……ああ……ありがとう、ミコトさん。でも、攻略の糸口はつかめた……」
持ちうる限りの手を尽くせば、倒せないボスなど居ない。エターナル・マギアにおいても、それは最初から最後まで貫かれたルールだ。
メディアの鉄壁の防御も、フィリアネスさんが破れることを証明してくれた。
メディアの着ていたモノトーンのドレスはぼろぼろになり、胸の周りと、腰の周りだけを辛うじて覆い隠している。ところどころ肌が焼け焦げていたが、メディアは何事か呪文を呟き、そのすべてを治癒してみせた。
◆ログ◆
・《メディア》は再生の呪詛を唱えた。
・《メディア》の「火傷」が回復した。
ずっと顔を覆っていたメディアが、手を離す。その下にあるのは、聖光陣に焼かれる前と同じ――いや、それ以上に美しさを増した、氷の美貌がそこにあった。
「……いけない子ね。見込みがあるとは言ったけれど、主人に逆らっていいと誰が言ったの……?」
「おまえに仕えるつもりはない。それこそ、何度生まれ変わったとしても、ありえないことだ」
「メディア……もう、グールドも、兵士たちも居ない。三対一だ」
「それでも、こちらが優勢とは思いませんけれど……勝てない、と思うこともありませんわ」
ミコトさんは今まで使わなかった忍刀を抜く。どうやら彼女の黒装束は、ところどころがインベントリーになっているようだ――隠し武器を得意とする忍者の装備には、ゲーム時代もアイテム所持量を多くするギミックがついていた。
俺も小型斧を構える。ライフの回復はポーションで行う――奥の手のエリクシールは持っているが、これはミコトさんとフィリアネスさんのために残しておきたい。
――やがて月光が途切れて、部屋は真の闇に包まれる。おそらく雲に月が隠れたのだろう。
「……私は愛すると言ったものは、必ず手に入れる。ヒロト……あなたを奪ってあげる。そのためにはあなたはとても邪魔なのよ、聖騎士フィリアネス」
「本当に愛しているのなら、命を奪おうとなどするものか。それが愛だというなら、あまりに歪んでいる……!」
「どうかしら? 私はあなたたちよりも、ヒロトが欲しいものをあげられるかもしれないわよ。だって、彼を愛しているんだもの」
「馬鹿なことをっ……ギルマスは、そんな言葉に決して惑わされませんわっ!」
二人の言うとおりだ。メディアの言うことはデタラメで、俺は彼女から何かを欲しがることなんてない。
――そのはずなのに。メディアの瞳には狂気が感じられない。
「さあ……続きを始めましょう。そして、確かめなさい。私の言っていることが、真実だということを」
大きな動きで肌を露わにすることを厭わず、メディアは両腕を広げる。
もう一度月が姿を現したとき、メディアの背に現れ、ばさりと広がったものは――。
蝙蝠のような形をした、けれど遥かに大きな、黒い翼だった。




