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第二十二話 プリンセスとパラディン

 止められた馬車の中に入り、中から公女を強引に連れ出そうとしていた男は、走ってくる俺の声に気づいて振り返った。そして、俺の姿を見て鼻で笑う。


「子供が蛮勇を振りかざすか。不運だったな……見たからには、全員死んでもらわねばならない」


(勝手なことを……っ!)


 悪役の定番みたいなセリフを吐く相手に対して、俺はこんな相手すら、手加減して倒すべきなのかと迷う。向こうは遠慮なく殺意を向けて、両刃の長剣を構えて俺を迎え撃とうとしている。やはり、まだディーンに相手をさせるには早いか……まだディーンの強さでは、体格の差が埋められない。


 しかし、敵が公女から離れたのは幸いだった。もし人質に取られれば迂闊に手が出せなくなるところだったが、自分から距離を取ってくれれば、何も躊躇する要素はない。


「見過ごしていれば良かったものを。子供の血で剣を汚すのは、主義に反するのだがな……っ!」


 この物言いは明らかに山賊じゃないが、こんな時にまで演じていられないってことだろう。昏倒させて、後でステータスを見てみれば正体もわかるはずだ。


「はぁぁっ……『烈風剣ソニックブレード』!」



◆ログ◆


・《シグムト》は「烈風剣」を放った! 剣から空を切り裂く刃が放たれる!

・あなたには効果がなかった。



 剣マスタリー30で取得できる烈風剣は、剣のアクションスキルの中では貴重な中距離技で、斬撃と共に魔力の刃を放つという技だ。

 武器も良いものを使っているし、技も悪くはない。しかし恵体が100を超え、防具もある程度整えている俺には、300ダメージ以上の攻撃しか貫通しない。こんな攻撃、見てから回避余裕でしたというやつだ。


「――遅いっ!」

「なっ……か、かわしただと……小賢しいっ!」



◆ログ◆


・《シグムト》の攻撃!

・あなたには効果がなかった。あなたのスーパーカウンター!



 難なくシグムトという男の長剣による突きを避けると、相手が大きな隙を作る。そのままの勢いで、敵は俺の後ろまで駆け抜けていってしまう――背中ががら空きだ。


「一撃で仕留めることにこだわりすぎだ。それじゃ、俺には勝てない」

「――貴様ぁぁぁっ!」


 俺の言葉を侮辱と受け取ったのか、シグムトは振り返りざまに斬撃を放とうとする。カウンターをしなかったのはただの気まぐれだが、舐めていると思われても無理はないだろう。


 だが大振りの剣が俺を捉えられるわけもなく、二回目の大きな隙が生まれる。こんなにブンブン振り回していたら、ソードリザードに勝てるかどうかも怪しいものだ。パリィされたら、痛烈な反撃を浴びて殺されてしまうだろう。


「雷の精霊よ……我が斧に、ひととき力を宿し給え。『パラライズ・スマッシュ』!」

「なっ……そ、それは聖騎士のっ……魔法剣っ……!」

「――喰らえっ!」



◆ログ◆


・あなたは「魔法剣」を放った!

・あなたは「パラライズ」を武器にエンチャントした!

・あなたは「スマッシュ」を放った! 「麻痺脳天撃!」

・《シグムト》に554ダメージ! オーバーキル!

・「手加減」が発動した! 《シグムト》は昏倒した。

・あなたの武器エンチャントが解除された。



「うぐぁっ……!」


 シグムトの脳天に斧の刃のない面を叩き落とす。斧マスタリー50で覚える脳天撃スマッシュは、それ自体も敵を昏倒させる技なので、麻痺パラライズ付与エンチャントするとほぼ100%相手を行動不能にできる。


「シグムト隊長っ……!」

「い、一撃で……あの子供、一体何をしたっ……!?」


 どうやら今の男が敵のリーダーだったらしく、仲間が動揺している。黒ずくめの服装で、フードを被って顔を隠しているが、男女一人ずつらしい。


「人のことを心配してる場合じゃないわよ……『麻痺矢パラライズ・アロー』!」

「小生の眠りから逃げられるか……『眠りの霧スリーピングミスト』!」


 二人が動揺しているうちに、モニカさんと名無しさんがすかさず呪文をかける。風切り音と共に放たれた矢が男の方の右肩をかすめ、名無しさんの発生させた法術の霧が、もう一人の女の方を包み込んだ。


「な、何だ……身体が、しびれて……」

「しまったっ……し、シグムト……さま……」



◆ログ◆


・《モニカ》は「麻痺矢」を放った!

・《グレッグ》にかすり傷を与えた! 抵抗に失敗、麻痺状態になった。

・《名無し》は「眠りの霧」を詠唱した!

・《ジーノ》は抵抗に失敗、睡眠状態になった。


 次々にこちらの攻撃が決まり、敵が倒れていく。決して相手が弱かったわけじゃないが、強くもない。公族を護衛する騎士が、こんな賊に簡単にやられるとは情けない、とも思うが、どうやら彼らはまだ見習いで、修行を積んだウェンディよりもレベルが低い人しかいなかった。武器スキルも20程度だし、これでは勝てなくても仕方がない。


「すっげえ……やっぱヒロトはすげえや!」

「ディーン、商隊のところに戻ってなさい。商隊のほうが山賊に襲われないとも限らないから、何かあったらすぐ呼ぶのよ」

「わかったっ!」


 モニカさんの指示を受けてディーンが走っていく。戦闘に参加できなくて残念がるかと思ったが、いつも俺の戦いを見るだけでも興奮しているので、あまり気にしていないようだ。


(さて……公女は、大丈夫かな。まずは安心させてあげないと)


 俺は馬車の中を覗きこんだ途端に、敵と思われて攻撃されないように気を配りつつ、中を見やる。すると、公女と侍女とおぼしき女性がいた。


 侍女の女性は恐怖からなのか、気絶してしまっていて、公女に介抱されていた。普通逆じゃないかと思うが、公女が若いながらも、精神的に強い人物なのだと感じ取れた。


 ストロベリーブロンドの髪に、同じ系統の色彩の瞳。そして凝脂のような、なめらかな肌というのだろうか――すぐには、その美貌を表現するための適切な言葉が出てこない。公女はまだ十歳ほどに見えるが、その美しさは今の時点で完成されているように思えた。


「賊は倒したよ。もう、何も心配しなくていい」

「あなたが助けてくれたのですね……心から感謝します。見事な戦いぶりでした」


 まだ怯えているだろうに、公女は俺をねぎらう言葉を先に口にする。俺が幼いのに強いということを驚いてもいるようだが、しかしそれ以上に、俺が戦ったことをその目で見て、事実だと受け入れてくれていた。


「俺の名前はヒロト……ヒロト・ジークリッド。良かったら、名前を聞かせてくれないかな」


 公女がこんなところで、山賊を名乗る輩に誘拐されそうになった。それを考えれば、まだ素性の知れない俺たちを信じて、名乗ってくれるかは難しいところだと思った――しかし。


 公女は俺を信頼するということを、その微笑みひとつで伝えてくれた。見るもの全てが好感を持たずに居られないような、どこまでも穏やかな微笑みだった。


「私の名はルシエ・ジュネガン。ジュネガン公国の第三王女です」


 淡い上品な色彩の服を身にまとい、この年齢にして包み込まれるような慈愛を感じさせる少女は、胸に手を当ててはっきりとそう名乗った。



◇◆◇



「公女殿下は、『リシエンセス』っていうんじゃ……?」

「いいえ。その名前は、女神の神殿で洗礼を受けた後に拝領する予定でした」


 リシエンセス・ルシエ・ジュネガン。ゲーム時代に俺が聞いていたその名前は、公女が洗礼によって与えられるはずだった神聖名を冠したものだったと分かった。『リシエンセス』とは、どうやら公国において神聖な扱いを受けている「聖花」の名前らしい。他の聖花は『アースフラム』『シルマリア』などがあり、それぞれ彼女の姉ふたりが洗礼を受けたとき、洗礼名として与えられたそうだった。


「ヒロト様は、なぜ知っていらっしゃるのですか……? 私につけられるはずだった名前を」

「そうです、なぜですか? 余すところなく答えてください」


 馬車の中で、まず俺は公女から一対一で話を聞こうと思ったのだが……侍女も一緒にいて、さっきからじっと俺の一挙手一投足を見守り、警戒の目を向けてくる。彼女はイアンナさんと言って、髪をお団子にして結い上げた、美人だけど気が強そうな女性だ。


「いや、なんとなくだよ。当てずっぽうっていうか……」

「こほん。姫様と私をお助けいただいた貴方に申し上げることではありませんが、もう少し言葉遣いを丁寧にされてはいかがです?」


 イアンナさんは襲撃直後に気絶した失態を恥じ入りつつも、目覚めたあとはこんな調子だ。まあ、確かに公女を相手にして話すのに、俺の身分で気安い言葉遣いは好ましくないか。


 しかし、子供っぽさを残しつつ丁寧に話すのは難しいな……まあいいか。母さんは貴族で、父さんは騎士だ……礼儀を幼い頃から仕込まれたと言っても、疑われたりはしないだろう。


「大変失礼しました、これからは気をつけます。ルシエ公女殿下」

「わ、分かればよろしいのですが……急にがらりと変わられると、逆に落ち着きませんね」

「イアンナ、あまり彼にお説教はしないでください。ヒロト様は、私たちの恩人なのですよ」

「は、はいっ、申し訳ございません、出すぎたことを申しあげました。お嬢様……いえ、公女殿下」


 何となくだが、ルシエとイアンナの関係性が見えてきた。イアンナのステータスを見ると、彼女のジョブは『令嬢』で、14歳……ルシエより年上で、幼い頃からルシエの侍女をしているらしい。


 そしてルシエ本人のステータスは、このようになっていた。



◆ステータス◆


名前 ルシエ・ジュネガン

人間 女性 10歳 レベル22


ジョブ:プリンセス

ライフ:64/64

マナ :84/84


スキル:

 【笛】演奏 72

 気品 83

 王統 32

 恵体 2

 魔術素養 5

 母性 18


アクションスキル:

 弾き語り(演奏30) 演奏レベル7(演奏70)

 演説(気品80)

 命令(王統30)


パッシブスキル:

 カリスマ(王統10) 王族装備(王統20)

 マナー(気品10) 儀礼(気品30)

 風格(気品50) 威風(気品70)

 育成(母性10)


残りスキルポイント:13



(王統……また、超レアなスキルを持ってるな)


 「王統」は王族しか所持できないと言われていたスキルで、伝授することも出来ないと言われていたものだ。王家の証というアイテムで取得できるが、手に入る数が少なすぎる上にスキル上げが出来ないので、皆お飾りのスキルだと思っていた。王族のステータスを見て、どんなスキルなのかと好奇心を煽るだけの存在だったわけだが……改めて、非常に興味深い。


 公女は姫君らしい風雅な趣味を持っていて、笛の名手だった。笛といっても、この世界だとフルートのような形状の横笛を指す。弦楽器、管楽器の一部、ハープ、鍵盤、横笛、あとはパーカッションの類が存在しており、それぞれ演奏スキルは楽器ごとに分かれている。


 王族の固有スキル『王統』は、これからまだ伸びていくのだろうが、30の時点では交渉術と内容がかぶっている――王族には権謀術数がつきものだから、交渉系のスキルが取得出来るということだろうか。容姿だけ見ると「命令」なんてアクションスキルが似つかわしくないくらい優しそうな女性だが、侍女に言われるがままでもないあたり、いざというときには使うのかもしれない。


 女性といっても、10歳――俺より2つ上っていうだけだから、少女と表現する方が自然だ。それなのに母性18って、リオナもそうだけど成長が速すぎる。アッシュもディーンも、もちろん俺も、まだまだ少年という感じなのに。


(おっと……つい、見入ってしまった)


 初見のステータスを前にして考えにふけってしまうのは悪い癖だ。俺の気品スキルを総動員して、王族に対する言葉遣いを心がけて……と。


「公女殿下、さっき怖い思いをさせたのに、すぐにこんなお願いをしてはいけないと思うんですが、ひとつ質問させていただいてよろしいでしょうか」

「いいえ……私はもう落ち着いていますから、ご心配はなさらないでください。私を誘拐しようとした方々のことについて聞きたいのですね?」

「はい。これから、彼らの素性を確かめようと思いますので、立ち会っていただけませんか。イアンナさんはここに残っていてもいいですよ」

「こ、公女殿下が参られるのに、私が残っているわけにはいきません。行きます、行かせていただきます」


 イアンナさんは緊張を隠せずにいたが、ルシエと一緒に馬車から出てきた。シグムトたちはまだ気絶しており、手と足を縛られて座らされている。まだ目覚める様子はないが、ルシエとイアンナさんは恐る恐る、といったようすで、彼らが何者かを近づいて確かめようとする。


 アッシュたちには、こちらに来ないで待っているように頼んである。ここにはモニカさん、名無しさん、ウェンディの三人だけ来てもらって、もし敵の増援が出てきても対処できるように周囲を警戒してもらっていた。


「……その男性が持っている剣は、分かりにくく偽装されていますが、騎士団のものですね。そして、先ほど繰り出していた技は、公国騎士団の御前試合で見たことがある技でした」

「やはり、そうか……」

「そ、そんな……騎士団の人間が、山賊の名前をかたって、公女殿下をさらおうとするなどと……っ」


 イアンナさんは貧血を起こして倒れそうになり、ルシエに支えられる。公女に支えられてどうする……と言いたくなるが、それだけのショックを受けても仕方がないとは思う。


「彼らはポイズンローズと名乗っていましたが……それは、実在する山賊の名前なのですか?」

「はい。言って信じてもらえるか分かりませんが、俺と仲間たちが山賊としての活動を停止させました」

「おそらく、ポイズンローズは一番名前が知れ渡っていたから、騙る名前として利用されたんでしょうね。そこまでして、騎士団の人間が公女殿下を狙うなんて……これは、国に対する反逆そのものよ」


 モニカさんは苦々しい面持ちで言う。イアンナさんは気を取り直したが、自分の足で立っていられずに、へなへなとその場に膝をついてしまった。

 ルシエの白い横顔は青ざめて見えたが、彼女は震えるような息をひとつすると、それで不安と混乱を飲み込んだようだった。


「どうしてこんなことになったのか、想像はつきます……しかし、私の立場から物事を見れば、それは一方的な見方になります。あなた方に私の立場での推論を話して良いものかは、一人では判断することが出来ません。助けてもらって申し訳ありませんが……今は、何も言えません」


 ルシエは十歳にして、公女としての強い自覚がある。自分の発言が政治的な意味を持つと分かっているから、簡単に「騎士団の中に、ルシエに害を成そうとする勢力がある」と言うことは出来ないのだろう。例え、状況がこれ以上なく事実を示しているとしてもだ。


 ここはシグムトたちを捕縛して騎士団の人間に引き渡すのが良さそうだが、それは引き渡す先が信頼に値する場合に限る。


「ルシエ殿下、聖騎士のフィリアネスさんのことはご存じですか?」

「っ……どうしてフィル姉さまのことを?」


 フィル姉さまと来たか……フィリアネスさんはゲーム時代、『フィル』という愛称で呼ばれていた。そう呼ぶのは一部の親しい人間だけ、という公式設定資料集で開示されていて、それを元にさまざまな二次創作が……と、それはいい。


「俺はフィリアネスさんの弟子みたいなものなんです。子供の頃からお世話になっていて……」

「……ジークリッド……思い出しました。公国騎士団の、前副団長の家名ですね。あなたは、リカルド・ジークリッドのご子息ですか?」


 俺は頷きを返す。へたりこんでいたイアンナさんが顔を上げて、俺を見て目を見開き、申し訳無さそうにする……彼女は権威に弱いみたいだな。


「そうだったのですね……お父上のように騎士を志して、フィル姉さまに教えを受けたのですか?」

「はい。といっても、俺は細剣じゃなくて、父さんと同じ斧使いですが」

「その美しい小さな斧で、私たちを助けてくださったのですね。改めて、お礼を言います」

「えっ……あ、は、はい。ありがとうございます」


 思わず照れてしまう。バルデス爺と一緒に作り上げた斧を褒めてもらうのは、正直かなり嬉しかった。久しぶりに挙動不審になってしまうが、なんとか気持ちを落ち着ける。


 バルデス爺の工房に通って小型斧を鍛えてもらったのは、鍛冶師の初歩を教えてもらう過程の延長線上だった。俺がバルデス爺の仕事を見学したいと言ったら、材料を用意できたら見せてやる、と言われたのだ。ドワーフは誰に鍛冶を教える場合でも、最初は素材を集めることから始めさせるそうだった。そうやって作った小型斧を、貴重な素材を使って強化し続けて今に至る。


 俺の鍛冶スキルは、金属武具の簡易的な補修が出来る程度でしかないが、ゆくゆくは自分で特注オーダーメイドの武具を作りたいと思っている。バルデス爺の作る武器の意匠は素朴だが、俺も美しいフォルムだと思うし、こんなふうに作りたいと憧れずにはいられなかった。それを褒められると自分のことのように嬉しい。


「え、えーと……俺だけじゃなくて、皆も協力してくれたから。みんな、公女殿下がありがとうって」

「こ、光栄の極みに存じます……ごめんなさい、とっさに丁寧な言葉遣いが出てこなくて」

「公女殿下がこんなに近くにいるだけで、私はもう、緊張で倒れそうであります……!」

「小生はヒロト君の指示に従ったまでですが……公女殿下、何はともあれ、ご無事で何よりです」


 パーティの皆は恐縮しながら返事をする。それはそうか、自国の姫だもんな……普通だったら、まず直接話す機会はない人物だ。

 そしてゲーム時代は、登場すらしなかった。彼女はゲームの設定では、「過去に洗礼を受ける前に行方不明になった、失われた姫」だったからだ。


(山賊を装った騎士に誘拐された……それが、行方不明になった原因だとしたら。ルシエは……)


 俺たちが通りかからなければ、あのまま連れ去られていた。その後にどんな扱いを受けるのかは……想像する気にもなれない。


(しかし……通りがからなければ、か。偶然にしては、出来すぎてる)


 必然として定められていたのだろうか……ここでルシエに会うことは。そうとしか思えない巡りあわせに、俺は何者かの意図を感じてしまう。


 そんなことが出来るのは、この世界を作った女神だけだ。しかし、全てが女神によって作られたシナリオだとも思いたくはない。


「できれば、フィリアネスさんに保護を頼むべきだ。彼女がどこにいるかはご存知ですか?」

「フィル姉さまは、若くして多くの功績を上げた偉大な方です。彼女は公王様から、このたび領土を与えられることになりました」

「もともとシュレーゼ侯爵家の方ですから、シュレーゼ家の領地が広がったという形になりますが……今は、領地にいらっしゃるのではないでしょうか」


 ルシエの言葉を継いで、イアンナさんが教えてくれる。頼りにならない人かと思ったが、どうやら本来は、ルシエの参謀というか秘書みたいな立ち位置のようだ。

 しかし、フィリアネスさん……あの若さで領主になったのか。22歳って、前世じゃまだ大学に通ってたりする年齢だよな。美人すぎる大学生領主なんていう言葉が脳裏をよぎった。


「フィリアネスさんが領主に……そのことは、俺は今初めて知りました」

「はい、つい先日ですから、手紙などでご報告されるおつもりではあったと思います。フィル姉さま……いえ、フィリアネス様は、あなたのことをとても信頼されている様子でしたから」

「えっ……フィリアネスさんがルシエ殿下に、俺の話を……?」


 ルシエは髪を撫で付けつつ、そのときのことを思い出すような目をして話を続けた。


「フィリアネス様は幼少の頃、短い間ですが私の護衛を務めてくれたことがあるんです。それから、彼女とは親しくさせてもらっています……定期的にお会いしていたのですが、最近はとても忙しくされているようで、しばらく会えていませんでした」

「俺もです。手紙で連絡はしてたんですが……まさか、領主になってたなんて」

「急な決定でしたから。しかしそれも、考えてみれば、何かの思惑があっての決定だったのかもしれません」


 やはりルシエは言葉を選んでいる。信頼出来る人物の前じゃないと、忌憚なく話すことは出来ないか……それなら、やはりフィリアネスさんの所に行くしかない。


「聖騎士さんなら、首都の近くの砦にいるって話じゃなかった? そこが領地かは知らないけど、ギルドの酒場でそんな話を聞いたわよ」

「首都の近く……ということは、そんなに遠くないな。教えてくれてありがとう、モニカ姉ちゃん」

「フィル姉さまの領地は、ヴェレニスという村だそうです。イアンナが地図を持っているので、お見せします」


 イアンナさんがふところに入れていた地図を取り出す……意外に胸が大きいが、谷間に入れていたとでもいうのか。胸の谷間はインベントリーとして使える、これは試験に出そうだ。保健体育とかの。


「ここから半日くらいで着くな……首都まで数時間の場所か」


 いいところに領地をもらったんだな、フィリアネスさん……というのは置いておいて。騎士団にシグムトたちを引き渡し、今後のことはフィリアネスさんと相談して決めよう。


「ヒロト、商隊のみんなはどうするの?」


 モニカさんに聞かれて、俺は地図を示しながら、今後のことについて説明した。ウェンディと名無しさんも、地図を覗きこんでくる。


「みんなには、先に首都に入っていてもらう。敵がここで公女を狙ったということは、首都で大っぴらに問題を起こしたくはないはずだから、大丈夫だと思う」

「確かに、敵の仲間がいたとして、首都の中で手を出してくることは考えにくいでありますね。山賊のふりもできないでありますし……もちろん、気をつけるに越したことはないでありますが」

「ヒロト君、ちょっといいかな。公女殿下は、どこに向かう途中だったのかを伺っていないと思うのだけれど……」


 名無しさんの言うとおりだ。それくらいは聞いても大丈夫かな、目立つ馬車に乗ってたし、お忍びで移動してるわけでもなかったはずだ。


 公国の紋章を入れられた馬車の幌を見ながら、俺は思う。公国内でこの紋章を掲げていれば、危険も避けて通るのではないか――公女の一行は、そう考えていたんじゃないだろうか。その考えは、俺にしてみれば甘いと言わざるを得ないのだが。貴人を誘拐して身代金を取るなんて、いかにも山賊が飛びつきそうな儲け話だ。


 しかし、敵は山賊じゃない。金以外の何らかの目的があって、ルシエを誘拐しようとした――俺には、どうもそう思えてならない。


(この世界では、公女は生きている。それを守りきったら……全く別の未来に変わるんだろうか)


 ゲーム時代のメインクエストにおいては、公王が病没したあと、血みどろの継承戦争が勃発し、多くのものが失われたあとで、ようやく公国に平和が戻る。しかし、どうにも後味の悪い結末だった。MMORPGなのでみんなが決まったストーリーを追うことになるため、実際に国が荒廃したりはしなかったのだが、この異世界においては、継承戦争が起これば多くの人が死に、国が荒れることになるだろう。


 こうして助けることが出来たんだから、ルシエを最後まで守り通したい。そして公国が良い方向に行くように、俺に出来ることをしたい。ただの村人の俺が国のことに干渉するのはあまり好ましくないが、父さんや母さん、みんなが暮らすミゼールの町を守るためにも、戦争なんて起こらない方がいいに決まっている。


「私は首都にある自邸から、公道を通って、南方にあるイシュア神殿に向かう途中でした。十歳を迎えた王族は、神殿で洗礼を受け、正式に王族として認められることになっています」

「それなら、洗礼を受けないわけにはいかないんじゃ……」

「……いいえ、神殿に向かうまでに襲われたのですから、この後も襲われないとは限りません。私を狙う輩がいると分かっているのに、無理をして神殿を目指しても、従者たちが危険にさらされます。今回も、私の従者たちは勇敢に戦ってくれました……ですが……」


 公女の護衛三人は軽傷で済んでいたが、もはや戦う意志など残っていなかった。それはそうだ、俺たちが来なければ殺されていたかもしれないのだから。


「もし、どうしても神殿に行って洗礼を受けないといけないなら、その時は俺たちも一緒に行きます。それなら、心配ないでしょう?」

「……いいえ、それはなりません。あなたたちは、この国の大切な臣民です。私のために傷つくようなことは、決してあってはいけない」


 公女には、簡単に助けを求められない理由があるのだろう。しかし、みすみす彼女の言うとおりにして、俺がいないところで彼女に何かあったら、後悔してもしきれない。

 人を助けたいという気持ちは、時にエゴになるのかもしれないが――それでも。


「……おれが年下だから、公女さまはあんまり頼りにしてないってこと?」

「そ、そんなことは言っていません。あなたの実力は、馬車の中から見ていましたから……あっ……」


 ルシエは俺が戦っているところを見ていた。考えてみれば、シグムトの放った技を見ていたわけで、当たり前のことなのだが……。

 俺の強さをその目で見ていた……ある意味、それは覗き見だ。ルシエの顔は真っ赤に染まり、初めて少女らしい動揺が表れる。


「……私より幼いのに、意地が悪いのですね。あなたの強さを知っていて力を借りないことは、愚かだと言っているようなものです……それは私も、じゅうぶん分かっていますのに」

「馴れ馴れしい口を聞いてすみません。でも、俺はこの国の民だからこそ、公女殿下の力になりたいんです。何より……」

「……?」


 公女殿下が不思議そうな顔をする。俺は仲間たちの顔を思い浮かべながら、言葉を続けた。


「俺の友達はみんな、祝祭を楽しみにしてる。公女殿下が洗礼を受けたことを祝う祭りです。だから俺は、公女殿下には感謝してる。そんな理由か、って思うかもしれないけど……」

「……いいえ。そんなふうに言われては、私は無事に洗礼を受けて、首都に戻らなければならない……そうでないと、皆さんに残念な思いをさせてしまいますし」

「姫さま……ああ……おいたわしや。子供の力を借りなければならないなどと……」

「イアンナ、私もあなたもまだ子供です。そして、子供はいつか大人になります。ヒロト様と、そのお友達が、この国の未来を築くのですよ」


 ルシエが滔々と説くと、イアンナさんは何も言い返さず、はっとしたような顔をする。そして何度目か、俺を申し訳無さそうな顔で見る……根は悪い人じゃなさそうだな、この人も。


「ヒロト様……どうか、私に力を貸してくださいますか」

「はい。こちらこそお願いします……俺たちを頼ってください、公女殿下」


 ――ルシエはまだ、歴史の表舞台から消えてはいけない。彼女を『失われた姫』にしてはならないと、俺は改めて誓っていた。



◇◆◇



 俺はモニカさんたちに商隊の護衛を頼み、自分は単身で、ルシエの馬車の御者となって、彼女たちをフィリアネスさんのいる砦まで連れていった。

 首都まで馬を走らせて数時間の距離。公道から外れた所に村があり、そこに公国騎士団の砦はあった。


 駐留している兵力は三百人ほど。その総指揮官を、領主でもあるフィリアネスさんが務めていた。俺はルシエがいることは伏せて、村にあるフィリアネスさんの屋敷を訪ね、彼女たち二人を引きあわせた。


「ルシエ……っ、よくぞ無事で……!」

「フィル姉さま……申し訳ありません、ご心配をおかけして。ヒロト様のおかげで、ここまで来られました」


 フィリアネスさんは二十二歳になったが、身長はある程度成長したところで止まっており、小柄なままだ。しかしルシエを抱きしめて背中を撫でてやっている姿は、自分もそうして欲しいと思うほど大人びていて、包容力にあふれている。


 金色のさらりとした真っ直ぐな髪は、昔も今も変わっていない。サークレットも変わらず付けているが、今は耐性が大幅に強化された「戦乙女のクラウン」に装備が変わっていた。


 彼女は白い布鎧の上から、白銀の肩鎧と腰鎧、小手と具足を身につけている。胸のあたりを革のベルトのようなもので補強しているが――それはもはや、育ちすぎた母性に満ち溢れた部分を強調しているのかと思うしかない状態だった。鎧を重くせず、胸周りを補強したいという思想のもとに、そういう装備をしているのだとは分かるのだが。わかるのだが、十字に交差した革紐が、はからずも乳袋を最大限に引き立たせている。


(この装備には欠陥がある……同時に、素晴らしく完成されてもいる。この二律背反……悩ましい……!)


「半年ほど会っていなかったが、大きくなったな……洗礼を受けたら、こんな気安い口もきけなくなるか」


 フィリアネスさんは、ルシエに対して妹のように接する。ルシエも彼女には全幅の信頼を置いていて、今までの緊張の糸が切れてしまって、目を涙で潤ませていた。


「姉さまこそ、会うたびに立派になられて……それに、とてもお綺麗になられました」

「そ、それは……あまり、ヒロトの前ではそういうことは言わないで欲しい。ほら、そうやって優しい目をして私を見る……子供の頃からそうなのだ」

「元気そうでよかった、フィリアネスさん」


 俺が言うと、フィリアネスさんはそっと公女殿下から離れてこちらにやってきた。見上げて首が痛くなるくらいだった身長差は、もうかなり埋まってきている……俺の顔の位置が、フィリアネスさんの胸より少し下あたりだ。そのまま頭に胸を乗せられそうな高さだが、さすがにやってはもらえなさそうだ。


「……おまえは、見るたびに……その、何というか。まだ八歳だというのに、こんなことを言うのもなんだが……精悍になったというか……」

「あ、あの……フィリアネスさん、俺、そんなに変わってないよ?」

「三日も会わなければ、人は成長して変化するものだ。毎日見ていたいくらいなのだがな……神聖剣技にしても、私の手で鍛えたかったのだが……いつの間にか才能を開花させるとは」


 フィリアネスさんはそう言うが、現時点での彼女のステータスはかなり凄まじいことになっている。こと、神聖剣技においては、俺と違ってキャップがないので、50を超えて大きく上昇していた。



 ◆ステータス◆


名前 フィリアネス・シュレーゼ

人間 女性 22歳 レベル56


ジョブ:パラディン

ライフ:1132/1132

マナ :996/996


スキル:

 細剣マスタリー 93

 【神聖】剣技 92

 聖剣マスタリー 32

 鎧マスタリー 84

 精霊魔術 82

 指揮 30

 恵体 91

 魔術素養 81

 気品 58

 母性 82


アクションスキル:

 ピアッシング ツインスラスト

 ソニックスラスト ミラージュアタック

 ゼロ・スラスト

 加護の祈り 魔法剣 ダブル魔法剣

 魔力剣精製 精霊魔術レベル8

 号令 布陣

 授乳 子守唄 搾乳 説得 童心


パッシブスキル:

 細剣装備 二刀流 貫通 会心上昇

 手加減 カリスマ

 鎧装備 重鎧装備 鎧効果上昇レベル3

 指導 

 マナー 儀礼 風格

 育成 慈母 子宝



(相変わらず……ユィシアを除けば、この人は間違いなく、俺が出会った中で最強だ)


 ゲーム時代だと二十九歳が全盛期だったので、まだ伸びる余地があるわけだが、このまま行くと幾つかの数値がカンストしてしまう。限界突破を取得する方法が皇竜からの継承以外に見つかれば、100を超えられるんだけど……。


(……あれ?)


 今まで気づいていなかったが、フィリアネスさんのジョブが変わっている。セイントナイトはナイトの上位職で、それ以上はなかったはずなのに……パラディン……?


 ――そして俺は気づいてしまった。見たことのないスキルが、【神聖】剣技の下にさりげなく追加されていることに。


(聖剣マスタリー……な、なんだこれ……!)


 パラディンの固有スキルなのか、それとも何かのきっかけで取得したのか。俺は根掘り葉掘り聞きたい気持ちを抑えつつ、まず、フィリアネスさんの職業が変化した理由について尋ねようと思った。


「あ、あの……フィリアネスさん、領主さまになったって、公女殿下から聞いたけど……」

「む……そ、そうか。もう、聞いていたのだな。私は前線で戦わなければならないし、領地などがあっても困るといえば困るのだが……」

「陛下は、フィル姉さまが公国の外に出てしまうことを心配しているのでしょう……姉さまの気持ちを知らずに、ヒロト様に話してしまってごめんなさい」

「いや、本来なら光栄に思うべきことだ。ルシエが謝ることはない……しかし、私が外に出ることなど、今は考えられないのだがな。この国で成すべきことが残っているのだから」


 フィリアネスさんが言っているのは、魔剣を守ること……そして。

 俺を、教え導くこと。あるいは、俺の傍に居てくれること。彼女がそれを望んでくれているのは、その優しい瞳を見るだけでわかる。


「私は聖騎士より、もう一つ上の位を与えられた。そうすることで、領地を統治する資格を得られるのだ。相応の試練を受ける必要はあったが、今の私には、さして難しいものではなかったな」


 フィリアネスさんはパラディンの転職条件を満たした……そして、聖剣マスタリーを取得し、習熟が始まったということか。


(や、やばい……新しいスキルって言われると、どうしても……)


 どうしても欲しくなる。赤ん坊時代から始まったフィリアネスさんとの交流を思い返し、【神聖】剣技スキルを取得した瞬間の、あの全身から湧き上がるような高揚感が蘇ってくる。


「……どうしたのだ? ヒロトはすぐぼーっとするくせがあるが、直した方が良いぞ。人の話は、目を見て聞かなければな」

「う、うん……ごめん、フィリアネスさん。気をつけるよ」

「ふふっ……本気で怒っているわけではないのだぞ。私は考え事をしているヒロトの顔も気に入っているからな」


 フィリアネスさんは俺の髪を整えて、頬を包み込むように触れ、嬉しそうに見つめてくる。14歳のフィリアネスさんは、あどけなくも神々しささえ感じる美少女だったが……今の彼女が、その輝きを失ったということは全くない。魅了なんてスキルがなくても、俺はフィリアネスさんに心身ともに懐いているのだ、と思い出させられる。


「あ、あの……フィル姉さま……ヒロト様のことを、そんなに想っていらしたのですね……」

「……そうだな。そのことは、否定する余地がない。ルシエには、あまり隠しごとをしたくはないしな」


 フィリアネスさんは顔を紅潮させながらも、俺を想っていることが誇らしいというように笑ってみせた。それを見た公女殿下はきゅーっと顔が真っ赤になってしまう。


「私よりずっと大人のフィル姉さまが、私より年下の男の子を……何だかどきどきしてしまいますね……」

「っ……す、すまないルシエ。まだ、こんな話は早かったな……しかし、少しずつ慣れた方がいいとは思うのだが。私が言えたことでもないがな」

「い、いえ……そうですよね、ヒロト様は男の子で、とても強くて……フィル姉さまは、そんな彼のことを……」


 ルシエは俺に対して結構淡白な態度を取っていたが、それは男だと認識してなかったからじゃないだろうか……という気がしてきた。

 だが、フィリアネスさんが俺を認めているのを目の当たりにして、認識が改められたようだ。ルシエが俺を見る目がさっきまでと違っている……こ、これは……。


「ルシエ、顔が赤いぞ。今、マールに水を持って来させよう。マールとアレッタは、部屋の外で耳を澄ませているに決まっているからな」


 がたっ、と部屋の外から音が聞こえてくる。公女殿下から事情を聞くまでは外で控えているように、と言われていたふたりだったが、フィリアネスさんの言うとおりに聞き耳を立てていたようだ……いけない人たちだ。


『き、聞いてませんけどっ、お水持ってきまぁ~す! マール・クレイトン、いきまーす!』

『す、すみませんでしたっ、フィリアネス様っ!』


 ぱたぱた、と二人分の足音が遠のいていく。マールさんもアレッタさんもすっかりベテランの騎士なのに、昔からフィリアネスさんの前での振る舞いは変わっていなかった。



◇◆◇



 ルシエが水を飲んで落ち着いたあと、俺たちは一度彼女を残して外に出て、馬車に乗せてきた敵の捕虜三人を、フィリアネスさんたちに見てもらった。


「この男……騎士団の……ルシエを襲ったのは、彼らだというのか……!?」


 フィリアネスさんは怒りを隠しもしなかった。レイピアに手をかけるが、ルシエの手前、剣を抜くことはしない。


「すみません、起きてくださーい……事情聴取のお時間ですよ~」


 マールさんがふわふわした口調ながら、ぺしぺしと男の頬を叩いて起こす。そしてシグムトは意識を取り戻したが、マールさん、そしてフィリアネスさんの姿を見ると、諦めたように目を伏せた。


「……殺せ」

「ああ……そうしてやりたいところだ。なぜお前がルシエを狙った……? 黒騎士団二番隊長、シグムト・ユンカース」


 公国の騎士団は、騎士団長、副騎士団長を頂点として、その下は青、赤、白、黒の四つに分かれている。黒騎士団の二番隊長といえば、千人の兵の指揮官ということだ。

 そんな人物が、自分が仕えている公王の娘ルシエを狙った。この事実が露見すれば、黒騎士団が取り潰されてもおかしくはないほどの事件だ。


「二度は言わん……殺せ」

「……死を望んでいる者に、死を与えることは裁きではない。言え、何を隠している?」

「……俺が公女を狙ったのは、私欲のためだ。何も隠してなどいない」


 黒幕の名前を隠すのは当然だと思うし、俺はシグムトの態度に苛立ったりはしなかった。問題は、貝のように口を閉ざす相手から、どうやって情報を引き出すかだ。


(嘘をついてるかどうか……まず、確かめておくか)



◆ログ◆


・あなたは「看破」を試みた!

・《シグムト》は嘘をついていると分かった。



 まあ、これが嘘なのはスキルを使わなくても分かる。これは看破が機能するかどうかのテストだ。

 ――次が本番。シグムトに嘘をつかせ、それを見破ることで情報を得る――例えば、こんなふうに。


「……どうした? ヒロト」


 俺はフィリアネスさんに屈んでもらって、耳打ちをする。そして、シグムトに質問する内容を伝えた。

 フィリアネスさんは頷くと、シグムトに厳しい視線を向ける。そして、俺が言ったとおりに質問してくれた。


「ルシエが洗礼を受ける前に、何としても阻止する必要がある人物がいた。そういうことなのだな」

「……違う。俺は、俺個人の意志で……っ」



◆ログ◆


・あなたは「看破」を試みた!

・《シグムト》は嘘をついていると分かった。



 これで、なぜ公女が狙われたのかは断定できた。他にも知りたいことは山ほどあるが……。


「個人の意志ということでも、おまえの部下を解放することは出来ない。三人とも騎士団の規律に従って審判を行い、そこで出された罰則に従ってもらう」

「……殺せ……!」


 もう一度同じことを繰り返すシグムトの喉元に、フィリアネスさんはレイピアの剣先を突きつける。先端が皮膚を貫通し、赤い血が一筋流れ落ちる。


「ぐっ……ぅ……」

「勘違いをするな。私は情けをかけているのではない。公女殿下にした蛮行は、死を以って償われるべきだと思っている。だからこそ私は、ここでお前に楽をさせたりはしない。騎士の誇りを汚したことを悔いる前に、死なせたりなどするものか」


 氷のように怜悧な言葉だった。こんなフィリアネスさんを、俺は今まで見たことがない――昔、母さんを守るために戦った時よりもずっと、今の彼女の方が恐いと感じる。


 シグムトは項垂れ、抵抗の意志を無くす。フィリアネスさんの部下の兵士たちが、彼らを砦へと連行していった。


「彼らをここで断罪することはできる。しかし、それでは黒騎士団が表立って我らに反目する理由を作ってしまう……公国騎士団は、四つの色が一つでなくてはならない。淀みなく、公王の剣であり続けるために」


 フィリアネスさんの言葉を、マールさんとアレッタさんも、いつになく真剣な面持ちで聞いていた。

 公女の身が脅かされただけの事件ではない。これは騎士団、ひいては国家に関わることだ。


「ヒロト、礼を言う。おまえが居てくれたから、私は手を止められた……おまえがいなければ、とうの昔に突き殺していたかもしれない」

「……ルシエさんのことが大事なんだね。俺も、もし大事な人が傷つけられたら……」


 その時は罪を犯すことも厭わずに、復讐するだろう。だからこそ、大切なものを奪われないように、気を抜かずに立ち回り続ける。

 俺はもう、ただの人間を相手に危機に陥ることはないが……周りの人は違う。本来、魔物などよりもよっぽど、人間の方が敵に回すと怖い存在なのだ。


(……シグムトたちの裏で、誰が糸を引いているのか。それを、無理矢理にでも聞いておくべきだったか)


 迷いはあるが、シグムトは口を割る前に死を選ぶだろう。フィリアネスさんに恐怖を教えられた今では、逆に死ぬことが怖くなったかもしれないが。


「シグムトを拷問にかけるのは、最後の手段だ。その前に、黒騎士団長から話を聞いてみる必要がある。願わくば、黒騎士団全てが敵に回らないことを願いたいものだ」

「本当ですね~……いざとなったら、負ける気はしませんけどね。仲間と戦うのは乗り気じゃないです」

「練習試合だったら、マールさんは思い切り叩いてますけどね。黒騎士団の人たちから、悪鬼のごとく恐れられてますよ」

「メイスとか使わないようにしようかなぁ……レイピアなら、か弱い乙女って言っても許されますよね~」

「私はまったくか弱くはないが……そんな理由で武器を選ぶのは、武器に失礼というものだ」


 フィリアネスさんたちのいつものやりとりを見て、俺はようやく緊張から抜け出すことができた。

 マールさんは24歳、アレッタさんは28歳、二人ともまだ独身だ……出会ったときと比べると、二人共装備がかなり強くなって、歴戦の騎士という風格が出てきている。


「さて……マール、アレッタ、そろそろ夕食にするか。公女殿下の口に合うように、料理を手配してくれ」

「はい、メイド長にくれぐれもお願いしてきます!」

「ヒロトちゃん……ううん、そろそろヒロトくんって呼んだ方がいいんでしょうか。久しぶりですね、元気そうで何よりです」


 アレッタさんが朗らかに話しかけてくる。そういえば、大きくなってからは、マールさんやアレッタさんとあまりゆっくり話せてなかったな。


「うーん、私はまだヒロトちゃんの方がいいかな~。だってヒロトくんっていうと、今までと違うふうに見てるみたいで、嬉し恥ずかしいっていうかね。うん、そんな感じ」


 マールさんは相変わらず長身で、胸が二十歳くらいまで成長を続けていたが、フィリアネスさんに今では追いつかれてしまった。母性80超えの二人を前にすると、空間内のバストの平均値が大きく上昇してしまう――たとえアレッタさんの成長が、24歳時点で止まっていたとしても。


「……二人とも、戦うのに胸はじゃまだと思うんですけど、サラシで押さえててもこうなんですよね」

「あっ……い、いや、俺は別に見てないよ」


 さすがにこの歳では、女性の胸をあからさまに見ることは許されない。慌てて誤魔化したが、なんとかセーフだったようだ。


「考えてみれば、私のところにヒロトを招くのは初めてだな」

「ヒロトちゃん、今日はもう遅いから、出るのは明日にしようね。暗いとオバケが出てさらわれちゃうよ~」

「ヒロトちゃんをさらえるオバケなんて、存在しないと思いますが……夜道は、幾ら強くても危ないといえば危ないですからね。ぜひ泊まっていくべきです」


 みんなの熱い視線を感じる……ま、まあ、リオナたちのことは気になるけど、モニカさんたちも居るし、一分一秒も早く首都に行かなければならないわけでもない。

 それに、ルシエを洗礼の神殿に送り届けるかどうか、ということもあるし。それについては、夕食が終わったあと、雑談の席ででも議題に上げてみよう。


(それより何より……これは、チャンスだ)


 俺はスキル狂ではない。ないのだが……新しい職業にジョブチェンジすると、固有スキルが変わるわけで。

 フィリアネスさんがパラディンになった。彼女はいつも、俺の心を躍らせるスキルを持って現れる……。


(聖剣マスタリー……30ポイントで何も発動してないってことは、相当上げないと意味が無いスキルだ。でも、めちゃくちゃ気になる……気になりすぎる……!)


 屋敷に帰る途中、隣を歩いていたフィリアネスさんが、俺の方をさりげなくうかがいつつ手を差し出してくる。


「……は、初めての場所だからな。はぐれてしまわないように、私の手を握っておくといい」

「あ、ありがとう……でも、なんか恥ずかしいな」


 俺がはぐれるというのも、なかなか無い状況だ。フィリアネスさん、手が繋ぎたかったんだな……。

 俺の手より、まだフィリアネスさんの手の方が少し大きい。しかし、そのうち俺の方が大きくなるだろう。

 彼女が小手を外している理由が分かって、ますます気恥ずかしくなる。こうすることを、屋敷を出る前から決めていたっていうことだ。


「……ルシエのことを、どう思った? 私などよりずっと淑やかで、可愛らしいと思うのだが……」

「確かに可愛いと思うけど、まだ会ったばかりだから、何とも言えないよ」

「そうか……そうだな。今聞いたことは忘れてくれ」


 フィリアネスさんは苦笑して言うが、その横顔はなんだか嬉しそうだった。

 しかし、歩くたびにぽよん、ぽよんと胸が弾んで……もの凄い迫力だ。


(……いけるか……って、何を考えてるんだ。もう、卒業したはずじゃないか……俺は卒業したんだ……!)


 聖剣マスタリーという言葉が俺の頭でぐるぐる回っている。ルシエのこともあるのに、そんなことを考えている場合じゃない。ルシエの王統スキルといい、俺の心をくすぐりすぎる。


 だが好感度最大のフィリアネスさんなら、ほとんど苦労することがない。しかし『依頼』してしまうのは、俺のなけなしの良心が許さない。残っていたのか、良心。


(き、気になって、他のことが考えられない……!)


「……何かそわそわしているようだが……私と同じことを考えてくれているのか……?」


 頬を染めて聞いてくるフィリアネスさん。お、同じことって……俺が考えてることって、スキルとか、授乳とか、そんなことばかりなんだけど……。


 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、フィリアネスさんは屋敷の入り口の前で、不意に屈みこむと……俺にだけ聞こえる声で、耳元で囁いてきた。


「……今日の夜は、私の部屋に来てくれ。個人的な話がしたい」

「っ……!」


 耳を甘やかすような、くすぐったい響き。フィリアネスさんははにかみながら、俺の手を引いて、何事もなかったように屋敷に招き入れてくれる。


 あくまでも、話がしたいというだけだ。昔を懐かしみながら、俺もフィリアネスさんとゆっくり話がしたい。


 清く、正しく、美しく。そんな言葉を頭の中で繰り返しながら、俺は思う。


 みんなで祝祭を楽しむ前に、俺にとって個人的な祝祭が訪れてしまうのではないか。そんな夢みたいなことがあるわけはないのだが、現実にフィリアネスさんは俺と手を繋いだまま、上機嫌な微笑みを絶やさずにいるのだった。


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