90.お互いそれしかないような
リーゼロッテの笑う声。シュタイナーがこの世で一番好きな音だ。
うっとりと聞いていると、遠くでどっと、歓声が上がった。
しかし、砲弾の音は止まらない。まだ、夜明けは遠い。
だが、今は気にならなかった。この柔らかい声以外のことはどうでもよかった。
もしもいまこの城が潰れたとしたら、一番幸せな死に方ができるかもしれない──などと、シュタイナーはぼんやりと思う。
「もう一年も経つじゃないか。シュタインに負けてから」
遠くの戦いの音など聞こえないように、リーゼロッテはゆっくりと話す。
「あの時はショックだったんだよ。でもさ、騎士じゃなくなってから、パーティーに出たり、普通に遊んだり、王宮で手伝いしたり、教官やってみたりして。それもまた、悪くなかったんだよね。ああ、私、こうして生きていくのかななんて、そんなに悲観的でもなく思ってたんだ。今回の騎士団としてのお仕事もすごく楽しかった。”・・・・”との出会いもそのおかげだし」
「だから、誰だ、それは」
また聞き取れない……今回の旅で出会ったのか? 俺が切っ掛けを作ってしまったのか!?
リーゼロッテは、それには答えず、ははは、と笑って誤魔化した。
「いろいろやってみて、面白かったけどさ。騎士の時みたいに、これだ! っていうのはないんだよね。やってもいいんだけど、絶対やりたい、みたいなのは今のところ……剣くらいか。そうだね、剣を持てるなら何でも。……何でもいいんだ。目の前の面白そうな事に首を突っ込むのがいい。……差し当たってはこの城の兵団を叩き直すとか、東の森を冒険するとか」
最果ての村の酒場は、また行きたいなあ、と、独り言のように呟く。
「でもね、何をするにしろ」
ようやく、目の上から手が離れた。ゆっくり目を開けると、覗き込むまっすぐな、蒼い瞳。
「それは、シュタインがそばにいるのが前提なんだ」
その声、その眼差しに──シュタイナーは手を伸ばす。
++
よく寝て、しゃっきりしたシュタインに、私は小走りでついていく。
心なしか、いつもより速い気がする。あと、耳が赤い。耳だけではない。かっかと頭から湯気が出ているようだ。
長い廊下。誰もいない。戦いの声はだんだん近づいてくるが、悲観的な響きはない。こちらが押しているのがわかる、高揚した声だった。
シュタインが不満そうにぼやく。
「一生添い遂げようというプロポーズかと思ったのに」
「……自分を大切にしてゆっくり休んでね、くらいのつもりだった」
昼頃にこちらに着いた。シュタインの活躍を聞いてさすがだなと思った。
初日から冷静に対処し、兵団をまとめ上げ、自ら将となって陣頭指揮を取り続けたそうだ。
魔物が来る道を予想して結界を張り、それを超えてくるものは魔法砲弾で退けられるようにと準備を行う。
指示は的確で、ほとんど被害はない。兵士の士気も高い。
それを、ほとんど一人でやったのだという。
そして昼間は、限界まで魔術の練習をしていたらしい。
倒れそうだったので強制的に寝かせたと聞いて、今日はなんとか休ませようという話になったのだ。
そして私が、シュタインが無理して起きてこないようにする任務に就いたのである。
シュタインが落ち着くように、取り留めのない話をしていたら徐々に目が覚めたようだ。
覗き込んだ目はすっきりしていて、これなら大丈夫かな、と思ったとき、大きな手が伸びてきて私の頬を撫でた。──それで、あ、なんか、いい雰囲気になってしまったなと、ようやく気がついた。
急に恥ずかしくなって、「今はそれどころじゃないだろ」と、ぺしっと手を叩き落としてしまったのだ。
それで状況を思い出したらしい。
夜明けまであと2時間程度だろうか。このまま寝ていても良いと思ったのだが、戦況が気になるという。
それで二人で向かっているのだが、どうもよそよそしい。
寝込んでしまったという後ろめたさもあるのかもしれないが、まあ、……さすがに私も学んでいるのである。
これは、たぶん。いいところで中断させられたから、拗ねてるんだろう。
「言ったことに嘘はないよ。でもほら、今はそれどころじゃないというか」
私もちょっとだけ悪かったと思ったので、フォローしてみた。
一人で空を飛んでいると、とても気持ちが良いのだが、ついシュタインを探してしまう。何をするにしても、シュタインはいて当たり前、と思ってることに気づいたのだ。
シュタインはぴたりと立ち止まると、振り返った。
「……終わったら」
「ああ、そうだね、終わったらの話」
「終わったら、今度こそ続きをするからな」
戦場に向かう男の、命を懸けての宣言に思わずドキッとする。
続き……続きとは……?
……そういえば、「続き、したいんじゃないの」と、言ったのは私だった気がする。
「わ、わかった」
騎士に二言はない。と、頷く。
まあ、シュタインだし、いいだろ。と、思いながら、「続き」の内容を考えてしまい、顔が熱くなる。……私だって、子供ではない。
シュタインは少し驚いたようだ。すんなり頷くとは思っていなかったのだろうか。
じわじわとシュタインの目が……なんというか、温度が上がったように感じた。見つめてくる視線に耐えられずうつむく。
「ほら、負けたら、言う事を聞くってことだったし。す、好きにしたらいいよ」
つい言い訳のようにそんなことを言ってしまう。
つかつかと私の元にシュタインは戻ってきた。目の前で止まったので、ちらりと顔色をうかがう。
彼は、なんとも嬉しそうな、幸せそうな顔をしていた。
「魔王の種が役に立つと、やっと思えた。こういうのがわかるのは助かる」
「え?」
シュタインの腕が背中に回る。ぐいっと抱きしめられる。久々に感じたシュタインの馬鹿力。
「ちょ、くるし」
私は抗議の声を上げるが、シュタインはお構いなしにぐいぐいと力を入れる。仕方なく全身の筋肉に力を込めて耐えた。
シュタインは私の耳元に、少し低い声で囁く。
「俺を受け止められるのなんてリーゼしかいないし、リーゼを押さえつけられるのなんて俺しかいない」
……確かに、これを受け止められるのは私しかいないだろう。
そう言われて、なぜかとても気分が良くなった。そうだな。これは並みの御令嬢では、つぶされてしまう。
そうか、私だけか。
鉄の棒みたいに、まったく動かない腕。身をよじってもシュタインは離さなかった。
しかし、それも嫌ではなかった。シュタインは本当に私が嫌なことはしない。
これも、シュタインだけだ。
何とか顔を上げると、そこには愛おしさを隠せない、デレデレな、蕩けそうな金色の瞳があった。
目を離せずにいると、それは近づいてきて──
「!」
何とも自然に、唇が重った。
だが、それは一瞬だった。シュタインはパッと私を離すと踵を返す。
「え」
「この前のお返しだ。続き、したくなったろ」
「は、はー!?」
ちらりと肩越しに視線を投げて、上機嫌でシュタインは戦場に出て行った。
私も後を追う。
5日目は、元気な王都からの助っ人と士気が上がった兵団の活躍で、圧勝だった。
読んでいただいてありがとうございます。
明日、明後日更新し、完結致します。
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