86.シュタイナーの心
「おおっ」
「本当にできた……」
上に向けたシュタインの手のひらから、ふわりと柔らかい光が溢れた。
「最初から詠唱しないなんてすごいなー!」
「超初級の魔術だ。構成式も簡単で、子供でもできる」
私は、不思議そうな顔のシュタインをべた褒めする。口ではそう言っているが、やはり嬉しそうだ。
しかし、初めてで一発でできるなんて、やっぱり才能はあるんだな。さすが魔王にもなれる男だ。
「教えてよ、私もやってみたい。魔術はどうしてもできないんだ」
「頭の中に構成の形を描くんだ。あー、平面で考えれば簡単だろ。それから発動の軸を立体化するんだが……」
「え、何? 構成の、形……?」
シュタインからやり方を教えてもらうが、やっぱり私はできなかった。
……理解が、出来ない。
フェアンヴェーに、『魔術はアタマが必要だからな』と言われたのを思い出し、少し凹んだ。
じっと手を見るが何も発動しない私をかわいそうに思ったのか、シュタインは簡単な詠唱と呪文を教えてくれた。
しかしやはり、何も起こらない。
「言葉は補助だ。構成の助けにしかならないから、唱えれば使えるものでもない」
なんだかシュタインが頭よさげな事を言う。つまらん。
むくれていたらシュタインは「ふっ」と小さく噴き出した。
「じゃあ、リーゼが使っていた、身体強化を教えてくれ」
「うん、いいよ!」
それなら教えられる。
私はその場でぴょんと跳ね、使う筋肉を示して説明する。
「動きながら、必要な筋肉を意識して、そこに編み込むんだ」
ぴょん、と、かるく天井に頭が届くくらいに跳ねてみせる。室内なので、本当に軽くだ。
「う、動きながら……? 編み込む?」
シュタインもその場で跳ねてみるが、さっぱりわからないという。それでも思いっきりジャンプすると、ごん、と、天井に頭をぶつけた。
……そうか。身体が大きくて力があれば、小賢しく考えなくてもいいんだな……正直羨ましい。
やってみて、これは向き不向きの問題だと、決着がついたのである。
話がずれてしまった。
魔力が欲しいと思わせなければいけなかった。
「……魔王の種があれば、もっとすごい魔術も使えるんだよ!」
「いや、俺はもう魔術を使いたいとは思わない。先ほどのは知っていたから出来ただけで……」
「手に入れれば考えも変わるって。無尽蔵の魔力だぞ」
「そんなもの今は欲しくない」
念願の魔法のはずなのに、またシュタインは腕を組んで、口をへの字にしている。
か、頑なだなあ~~~
……考え方を変えよう。魔王の種は、「欲望」に反応する。執着と妄執だ。あの時は本当に魔力があれば後は何もいらないと思ったからなあ。
それは別に魔力でなくてもいい。何か欲しいものがあって、それを叶える力を望めばよいのだ。
私はシュタインの欲望に意識を向けてみた。
……
……なんだこいつは。聖人か? 修行僧か何かなのか?
いや、修行僧だって、何かを知りたいとか、得たいから、修行してるんだろ。
じゃあ何か? 悟りをひらくとか、そういう境地?
シュタインが?
そう思うほど、シュタインの心は清廉だった。
富も、名声も、権力も興味がない。驚くことに、強さを欲しているわけでもない。
考えてみれば、聖冠騎士で、騎士団の師団長だ。辺境伯を継ぐ権利もある。……そんなモノ、この男はすでに持っていた。しかし、それは結果であって、欲して得たわけではない。
シナリオのシュタイナーが魔力を欲したのは、それがなければ認められなかったからだろう。
今のシュタインは、何なら「魔法は卑怯」くらい思っている節がある。
「……シュタインは、何でも持ってるんだな。もう、欲しいものなんてないのかぁ……」
本来なら、まあ凄い、と、うっとりするところだろうが、付け入る隙がないのは困った。
「欲しいもの、だと」
私のぼやきに反応して、シュタインが呟く。そして、頭を抱えこんでしまった。
「……それを、リーゼが言うか……?」
ん?
シュタインの「欲望」に少し変化があった。清廉なその心に小さな穴が開き、……そしてすぐに、抑え込まれるように閉じた。
その中のものが少し見えてしまって、……私はただ、赤くなる。
シュタインの目を見るのも恥ずかしくなり、手で顔を覆った。
あーーー、見るんじゃなかった。
「リーゼ?」
先にシラフに戻ったシュタインが心配そうに私を見る。
「どうした?なんか、赤いぞ」
テーブル越しに伸ばされた手を、つい、少し身を引いて避ける。
「あ、」
なのに、そのまま戻っていく大きな手を、少しだけ惜しく思った。
「だ、大丈夫」
「ああ。ならいいが」
困った。これでは、……それだって、すでに手に入ってるようなものだ。
し、しかし。
本人はまだそうとわかっていないだろう。
私はごくりと喉を鳴らす。
「手合わせしよう、シュタイン。私に勝ったら、お望みのものをくれてやる」
「は? 何だ突然」
「そのかわり、私が勝ったら、私の言うことを聞くんだ」
++
そんなに広くないシュタインの部屋。物を壊さないようにと、結局、腕相撲で勝負した。
当然だが、私の圧勝である。
大変、気持ちが良い。
いくらシュタインといえど、魔力を存分に使い身体強化したこの私に、かなうわけがない。ねじ伏せられて、シュタインはうめいた。
「身体強化は卑怯だぞ……」
「少しは私の気持ちがわかったか? すくすく育ちやがって」
「……」
私はこれまで力の差があっても、卑怯とは言わなかったのに。
……いい気味だ。
「じゃあ約束。大人しく、これを受け入れなさい」
私は魔力の塊を、外に押し出すようにする。黒いモヤが、私からズルズルと抜けていった。
魔力も一緒に抜けてしまう。自分が弱くなった不安、それと激しい喪失感を感じる。
あーあ。シュタインは魔力、分けてくれるかな。
「これを……どうするんだ」
欲しいと思わないと受け入れられない。心なしか、魔王の種も戸惑っているようだ。
「私から魔王の種を奪わないと、いつまでも組み伏せられないぞ」
「い、いや、リーゼを無理やりどうこうしようとは思っていない! むしろ強い方が安心だ!」
「あーもう!!」
まどろっこしい!!
紳士ぶるのも良いが、それでは何も進まないだろうがっ!!
痺れを切らした私は、シュタインの首根っこを掴み──
ちゅっ
と、唇の横のあたりにキスをしてやった。
「な、な、え!?」
そして、戸惑うシュタインの肩を抑え、正面から見据えて、笑顔を作る。
「続き、したいんじゃないの?」
もう見えないけど、シュタインの心に、欲望の穴を開けられたのだろう。
その隙に魔王の種は、やっと本命に──シュタインに飛び込めたようだ。




