37.シュタイナーの都合
夜、自室で日課の筋トレをしていると、こんこんとノックされた。
ノックの音が力づよい。家の者ではない。
「だれ?」
「リーゼ、遅くに済まない」
警戒しながら開けると、そこにはシュタインがいた。
仕事着ではなくラフな格好で、当然のように我が家の廊下に立っている。私の顔を見て、ぱあっと目を輝かせた。昼間のきりりとした表情とは大違いだ。
しかし、私の認識では、家族も使用人も通さず、直接私室まで来るほどの仲ではないと思っているのだが……
「不法侵入か?」
「ち、ちがう。確かに裏口から入ったが、ちゃんと奥様には挨拶してきた」
「……」
なぜか母は、最近シュタインに甘い。父は家の立場としてフォルクライと言ったのに、母は絶対にシュタインがいいと言っている。なんでもヴィンツェルじゃあ裏切られるような気がすると言うのだ。
そう言われると逆に、ヴィンツェルはいい奴だし、落ち着いて考えれば友達同士で仲良くやれそうな気もしてくる。
この前はヴィンツェルの美貌に息をのんでいたし、一年前は、シュタインを悪魔の手先のように扱っていたのに……不思議だ。
そんな母は、シュタインが娘の部屋に行くのを止めなかったようだ。部屋で二人で話しても良いという事だろうが、私は少し……なんというか、困る。
「……まあ、いいや。居間に行こう」
「え、部屋には入れてくれないのか」
「……」
心底不思議そうな顔をされる。いや、逆に、何故入れてもらえると思ったのだ!?
「淑女の寝室には入れません」
「前は入れてくれたのに」
「入れたんじゃない、お前が入ってきたんだろ!?」
舞踏会の後に倒れそうな私を連れてきてくれた時は、別に許可したわけではないのに押し入ってきたのだ。あれが元気になる切っ掛けではあったけど、あの時より元気な今の私は、シュタインに押し入られるようなことはないのである。
油断すると入ってきそうなシュタインを押しのけて外に出る。シュタインは少し残念そうに口を尖らせた。
「ほら行くぞ」
「待てリーゼ、……ほら」
「?」
こちらに手を差し出してくる。なんか渡す約束でもしてただろうか?
「エスコート」
「必要ないだろ、家だよ?」
呆れて言い返すと、もにゅもにゅとまたなにか言いたげに口を動かす。
「何?」
「慣れてくれ。いつでもどこでも俺といる時はべったりくっついてくれ」
「なっ」
「し、仕事の時は俺が我慢するから」
昼は物凄く我慢しているのだと、くう、っと顔をくしゃくしゃにした。
「あんなに近くにいるのに、触れないなんて、拷問だ」
「……」
素直なのはシュタインのいいところである。うん。しかし、なぜだろう、私はすごく真面目にやっていたのに、仕事中そんな風に思っていたのかと思うと、ちょっと嫌だ。
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきたが、哀れな子犬のような顔を見ていると放っておくのも可哀想な気がしてくる。私はこいつのこういう顔に弱いのかもしれない。
家の中でエスコートは恥ずかしすぎるので、ばしっと手を握って引っ張った。されるよりする方がまだマシだ。
「ほら、いくぞ」
「り、リーゼ」
短い廊下に、二階から一階までの階段。ちょっとだけの距離だ。恥ずかしいのを堪えて、大きなごつい手を引いて速足で進んでいると、ばったり行き会ったノアが目を丸くした。
「ラブラブ?」
「ちがう!」
「ちがわないぞ!」
ああ、もう何なのだ。
++
「いいからもう、本題に入って!」
居間のソファーに、向かい側に座りたい私と隣に座りたいシュタインの攻防が一通り繰り広げられ、結局私が折れた。誰も味方してくれない。母は、あらあら、ごゆっくり、おほほ、と出ていってしまった。
最後の抵抗とばかりに、間にクッションを置いた。そうしないと隙を見て膝に抱え上げようとしてくるのだ。何とか動きを読んで避けたが、シュタインは力が強いのだ。捕まったら終わりだ。本当に勘弁してくれ……
侍女がお茶を用意してくれた。ちょこんとノアが端っこに座っている。ノアも一緒に行くわけだし、いてもらってもいいだろう。少しでも二人きりになると何をされるかわからない……
「そんなに嫌がらなくても……」
肩に伸ばしてきた手を掴んで、シュタインのお膝に乱暴にお返しすると、やっと、しおしおと大人しくなった。こうなるとまた、少し可哀想な気がしてくるが、今は心を鬼にせねば話が進まない。
「ならば、今はぎゅっとするのは諦めて本題に入る」
シュタインは名残惜しそうだった。
ぎゅっとしたかったのか…… ならばそうと言えばよい……いや、言われても困るな。
「まず、ノアには伝えたか?」
「うん。行けるよね」
「楽しみー」
ノアはわくわくしている様子で楽しそうにしている。
「俺の話を聞いてから、どうするか決めてほしい。どうしてノアに来てもらいたいかというと……俺が実家があまり得意でない理由とつながるのだが、クラウゼヴィッツ家はな……古いんだ」
なんだかものすごく言いにくそうだ。気まずそうに口を閉じる。
「それはさっきも言ってたな。古いって、長く続く家柄なんだからそうだろう」
「いや……建物や街並みも古いが……」
ちらりと私を気遣うように目をやって言った。
「リーゼに不愉快な思いをさせるかもしれない」
連れて行かない方がよいかもしれないが、今リーゼと離れたらどうなるか恐ろしくて……と、ごちゃごちゃと言い訳する。




