赤獅子
地下空間の奥へ向かったエイガルは、嫌なプレッシャーを感じた。
(……肌がヒリつく)
粟立つ肌。武者震いする身体。
この薄ら寒い感覚は、かつての戦場で何度も経験したことがあった。
強者との邂逅には、予兆のようなものがある。戦場が熟れていること。兵士の口数が減ること。そして何より己の鼓動が激しいこと。
じわりと肌が汗ばむのを自覚しながら、エイガルは走った。
その先に、赤髪の人影が佇んでいる。
男は胸当て、脛当て、篭手を身に付けていた。肩周りには雄々しい鬣のような毛皮を纏っている。内側に鎖帷子が見えるため、ただの衣服ではないだろう。
武器は剣が二つ。どちらも左腰に差しているため、二刀流ではなさそうだ。それぞれ形状が違うため、片方は脇差しのように使うのだろうか?
エイガルの視線を感じても、男は微動だにしなかった。
その余裕を見て、エイガルは声をかける。
「赤獅子か?」
「お~~、なんだ。知ってんのかよ」
赤獅子は楽しそうに声を発した。
新世代の英雄。世代交代の象徴。地形を変えるほどの破壊力。その脅威は仲間たちから嫌というほど耳にしている。
「お察しの通り、俺が赤獅子だ。アンタみたいなじじいの耳にも、俺の名声は届いてるんだな」
「儂らからすれば悪名じゃがな」
赤獅子は軽薄な笑みを浮かべていた。
戦場には似つかわしくない、チャラチャラした態度。浮ついた声音。明らかにこちらを見下している目つき。
その言動はとても幼かった。
本気で苦しんだことのない、無垢な子供のようだった。
「一応、俺もアンタの名前は知ってるぜ? 部下が騒いでたからな。……確か、熊狩りだったか?」
「九九魔狩りじゃ」
「そうだったそうだった」
赤獅子はケラケラと笑う。
「昔の名じゃ、あまり呼ばんでくれ」
「呼ばれたくねぇのか? まあ気持ちは分かるぜ」
赤獅子はエイガルを見た。
「過大評価だもんな?」
赤獅子は、エイガルを嘲笑う。
「錆びついた時代遅れの称号。魔族ってのも、所詮ただの蛮族だろ? この時代の英雄である俺なら、千匹くらい狩れるぜ」
エイガルは静かに武器を構えた。
勇者と魔王の時代。命を賭して戦場を駆け抜けたエイガルにとって、今の赤獅子の発言には思うところがある。
「年寄りがゴテゴテ装備したって、みっともねぇだけだ。手足が震える前に降伏しな?」
「ブースト」
言葉よりも先に拳を出すことにした。
青白い閃光と共に、エイガルは赤獅子に肉薄する。
赤獅子は楽しそうに飛び退いて、エイガルの射程から外れた。
「ははははッ!! じじいらしく生き急ぐじゃねぇか!!」
上機嫌に笑った赤獅子が、剣を抜く。
「死に損ないは田舎に引き籠もってろ!! 時代は俺たちが作ってんだよ!!」
赤獅子が剣を掲げた。
予想はしていたが、やはりあれは魔剣か。
「帝国の剣を見よ!!」
赤獅子が握る剣の、刀身が淡く光る。
来る。あの光の斬撃が。
「魔光剣!!」
三日月状の斬撃が、エイガルに迫る。
その威力は、これまで見てきた魔剣よりも強かった。武装の力をどこまで引き出せるかは、使い手次第。赤獅子は魔剣の扱いに長けるようだ。
赤獅子が放つ、一際巨大な光の斬撃。
エイガルはそれを――普通に殴り飛ばした。
「ぬぅん!!」
光の斬撃が、破裂したように散る。
「……は?」
赤獅子が口をポカンと開けたまま硬直した。
やがて、その頬に一滴の冷や汗を垂らしながら、再び剣を掲げる。
「な、何かの間違いだ!!」
光の斬撃が放たれた。
エイガルはまた、握り締めた拳で応じてみせる。
「せぇイ!!」
パァン!! と光の斬撃が消し飛んだ。
「て、てめぇ、なんだその拳は!!」
「さてな。うちのメカニックが言うには、叡智の結晶とのことじゃ」
エイガルは「ブースト」と唱え、青白い閃光を走らせる。
「く、来るな!! こっち来んじゃねぇ!!」
赤獅子は光の斬撃を乱発した。
何度も撃てるものとは思わなかったが、焦っているせいで太刀筋がめちゃくちゃだ。ほとんどの斬撃を躱し、直撃する斬撃だけ拳で破壊する。
エイガルは赤獅子を壁際まで追い詰めた。
もう逃げ場はない。
「歯を食いしばれ」
「ひ――ッ!?」
エイガルは力強く拳を握る。
赤獅子の軽薄なツラに、一発叩き込む――――――寸前に、エイガルはその場を飛び退いた。
刃が閃く。
恐ろしく速い刃が、先程までエイガルのいた場所を斬った。ほんの僅かでも飛び退くのが遅ければ、今頃エイガルは真っ二つになっていただろう。
「あ?」
「ふぅむ、やはりか」
赤獅子が眉間に皺を寄せる。
その様子を見て、エイガルは己の予感が正しかったことを理解した。
「偽りじゃろう? その、チャラチャラした態度は」
いつの間にか、二本目の剣を抜いている赤獅子に、エイガルは言う。
「儂はな、勘の鋭さには自信があるんじゃ。……だからカイレム要塞の時は疑問に思った。何故、赤獅子がいないんじゃと」
敢えて言語化するならば、兵士たちの流れか。
英雄がそこにいると兵士たちの動きは変わる。果敢になり、背中への警戒を緩め、瞳に希望を宿す。カイレム要塞にいた帝国兵たちはそういう動きをしていた。かつて英雄と謳われていたエイガルだからこそ、この勘は外さない。
「お主、やっぱりあの場にいたじゃろ」
赤獅子は黙る。
赤獅子はあの場にいたのに、姿を見せなかった。
その理由は――。
「儂から逃げたじゃろ?」
エイガルは眦鋭く赤獅子を睨む。
「お~~」
赤獅子は、初めて視線を交わした時と同じように驚いて見せた。
「なんだ――――知ってんのかよ?」
炎の化身が、正体を露わにした。
ぎらついた眼光は、欲する未来を自ら照らす。猛々しい声色は、どんな宣言も現実にせんとする。溢れんばかりの生命力は、あらゆる無茶を可能とする。先程までの未熟な若さとは違う、今を生きる者だけが手に入れられる覇気を、この男は惜しげなく迸らせていた。
「アンタの言う通りだ。ほんとはカイレム要塞で倒す予定だったけど……アンタ、かなり強そうだったからな。準備のために一度退かせてもらったぜ」
「今の演技が準備とやらか?」
「その一つだな。まあ、あんま期待はしてなかったけど」
「なかなか堂に入った小物っぷりじゃったぞ」
「だろ? 実際、何人かはこれで殺ったぜ」
エイガルは赤獅子に対する警戒を最大限高めた。
戦場において、最も警戒せねばならない者は何か。
それは、なりふり構わない者である。
最初から最後まで、エイガルの熟練の脳は赤獅子に対して警鐘を鳴らしていた。この男はまさにその類。勝利のためならなんでもするタイプである。
「俺みたいなケツの青いガキにも、教訓があってな」
剣を鞘に入れながら、赤獅子は言った。
「敬意だ」
赤獅子は告げる。
「先人への敬意。兵士への敬意。戦場への敬意。……俺は敬意を忘れねぇ。赤子だろうが、じじいだろうが、戦う相手には敬意を払う」
赤獅子が抜刀の構えを取った。
掌が二本の柄の間で留まっている。独特な構えだ。どちらの剣が抜かれるか分からない。
帝国の英雄。世代交代の象徴。
かつて英雄と呼ばれたエイガルだからこそ、悟る。
この男は、己に匹敵する実力を持っている。
「敬意を以て――アンタを殺すぜ」




