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カスタムじじい  作者: サケ/坂石遊作
老兵復活
15/30

じじいの過ち


 謁見が終わった頃、既に日は跨いでいた。

 夜更けの肌寒い風が、肌に走った業火の熱を冷ましてくれる。それでも形容し難い不安が胸中に留まった。自分が正気を保っているのかよく分からなくなる。自分は既に、あの大いなる怒りに蝕まれ、無意識に変容してしまっているのではないか。


 他の隊員を起こさないよう、エイガルは物音を立てずに特機武装隊の基地に戻った。ほとんどの照明が切られていたが、研究室の奥にぼんやりとした光が見える。


 研究室を覗くと、部屋の片隅に置かれたソファにマーセリアが腰を下ろしていた。

 ソファの片側が空いていた。誰かが座るのを待っているかのように。


 エイガルはマーセリアの隣に腰を下ろした。

 互いの唇から、静かな吐息が零れる。


「父は……どうでしたか?」


 消え入りそうな声で、マーセリアは訊いた。

 エイガルはマーセリアの身体を片手で抱き寄せる。


「辛いのぅ。自分の父が、ああなってしまうのは」


「…………はい」


 肉親が憎悪に飲まれる光景なんて、見るべきではない。

 まして、こんな二十歳にも満たない少女が……。


「……父は、この戦争に勝ったら満足すると思いますか?」


 マーセリアの質問に、エイガルは先程まで話していた業火のことを思い出した。


「ひょっとすると……満足せんかもしれんな」


「私もそう思います」


 ウルゼイルの怒りは帝国を滅ぼしたところで収まるようには見えなかった。帝国を倒したら、次は帝国を野放しにした諸外国にも憎しみをぶつけるのではないか。


 第二の魔王。そんな言葉が思い浮かぶ。

 ウルゼイルの怒りは、世界を巻き込むのではないか。


「エイガル様、お願いがあります」


 マーセリアは、エイガルを真っ直ぐ見据えた。


「この戦争が終わったら、父を殺し――」


「――人は変わる」


 エイガルはマーセリアの言葉を遮った。


「特に、戦争と関われば、な。……戦争が終わった後のことは、戦争が終わった後で考えればよいじゃろう」


「……そうですね」


 マーセリアは聡明だった。しかしやはり子供だ。

 長く生きてきたエイガルは知っている。人間は時と共に変化するのだと。ギュスターも、ウルゼイルも、何より自分自身も、たった二十年で見違えるほど変化した。


 幼いマーセリアは、父ウルゼイルの変化しか知らない。だから過剰に背負ってしまっている。


 人は変わる。

 誰でも。何度でも。


「……儂も、昔は酷いもんじゃったよ」


「エイガル様も、ですか?」


 マーセリアがきょとんとした顔でエイガルを見つめる。

 恥ずべき過去を語るべきか逡巡した。だが、父の変化に傷ついている彼女には、語ってみせてもいいかもしれない。それで少女の見識が広がるというなら、老いぼれの恥など安いものだ。


「儂が九九魔狩りと呼ばれるのを嫌っているのは、倫理観とは別の、ちゃんとした理由がある」


 魔狩りの称号が倫理的な問題を孕むことは明らかだ。二十年前、勇者と魔王の時代においても、終盤にはその名を禁忌とする空気が生まれつつあった。


 だがエイガルが魔狩りの名を拒む理由は、それではない。

 多分、誰も知らない。今、初めて他人に説明する。


「九九魔狩り……キリの悪い数字だと思わんか? あと一人殺せば百になったというのに」


「それは……確かに、思ったことはあります」


 だろうな、とエイガルは思った。

 九十九なんてキリの悪い数字……()()()()()()()()()()()()()


「戦場に、酔っていたんじゃ」


 エイガルは、恥ずべき過去を語り出した。


 二十年前。エイガルは魔族を次々と屠った。血湧き肉躍る戦いはエイガルにとって心地よく、このまま闘争の中で息絶えたいと思ったほどだ。


 だが、誰もがエイガルのように戦いを愛しているわけではない。過酷な戦争で心が荒んでいった兵士も多く、そういう者たちが慰めのために作ったのが魔殺しという称号だった。


 魔殺しの名は流行った。兵士による、兵士のための名誉だった。

 エイガルもこの流行りを存分に楽しんだ。一人また一人と魔族を殺すごとに、エイガルの称号は更新されていく。やがてそんなエイガルに張り合おうとする者たちも現れて、彼らとの競争はエイガルにとって久々の青春になった。


 九九魔殺しになった時、エイガルの頭は三桁の大台に乗ることしか考えていなかった。


 あと一人……あと一人で百魔殺しになれる。

 血眼になって魔族を探した。

 見つけた時は歓喜に打ち震えた。

 百魔殺しの記録が破られることはないだろう。己の勇姿は歴史に刻まれ、未来永劫語り継がれるとエイガルは確信した。


 興奮と共に、エイガルは魔族に近づく。

 その魔族はおかしかった。普通、魔族は護衛となる魔獣を大量に引き連れているが、その魔族は一人で行動していた。護衛を不要とするほど本人が強いのかと思えば、そうも見えない。魔族は少女の形をしていた。触れるだけで手折れてしまいそうなくらい、華奢で儚い少女だった。


 おかしな魔族もいるものだと、エイガルは思った。

 だが、すぐに気づく。


 おかしいのは――――自分だ。


 そこは深い森の中だった。豊かな植物と穏やかな動物に包まれた、戦場から離れた土地だった。

 そんなところにいる魔族が、戦いを好んでいるわけがない。少女は平和を愛していたのだ。


 戦いを好むエイガルと、平和を好む魔族。

 二人は本来なら鉢合わせするはずがなかった。


 何故出会った? ――疑問の余地はない。

 エイガルが、それほどまでに執念深く魔族を殺そうとしたからだ。戦場にいる魔族だけでは物足りず、獲物を探して駆けずり回ったからだ。


 ――――(くず)が。


 その時ほど自責の念に駆られたことはない。

 エイガルは自覚した。己が魔族を生き物として見ていなかったことを。魔族を点数のように捉えていたことを。


 深い森が訴える。

 お前は異物だ。

 平和な世界にとっての、異物だ――。


「……儂は、その魔族を見逃した。償いにすらならん、ただの自己満足だがな」


 過去を語り終えたエイガルは、僅かに心が軽くなったような気がして、思わず自嘲した。懺悔のつもりで語ったわけではない。これは贖罪ではない。


 事実、魔族を見逃したのは自己満足だった。その魔族が戦争に参加しない保証はどこにもない。エイガルが見逃した魔族は、エイガルの知らないところで人間を虐殺しているかもしれない。


「終戦後、勇者に功績を集めるというプロパガンダに儂が反対せんかったのも、これが理由じゃ。……儂は決して英雄ではない」


 多分、同じように考えた戦士は多かったはずだ。

 当時の敵は、人間ではなく魔獣が多かった。人の形をしていない分、罪悪感が霞みやすかったのだ。


 勇者だけが、最初から最後まで正しい心の持ち主だった。

 あの少年だけが、ずっと悲しそうな目で戦っていた。


「……エイガル様の行いを、肯定することはできません」


 そう言って、マーセリアはエイガルを見つめた。 


「ですが、エイガル様に救われた人がいることも事実です。……私は貴方を尊敬します。私が生まれ育ったこの国を、守ってくれた英雄として」


 マーセリアの円らな瞳は、彼女が子供の頃と変わらなかった。

 帝国との戦争が本格化する前、ウルゼイルが隠居したエイガルに会いに来たことがある。マーセリアと初めて会ったのはその時だ。


 当時まだ三歳か四歳だったマーセリアは、既にエイガルのことをキラキラした瞳で見ていた。ウルゼイルめ、一体何を吹き込んだんだ……とエイガルは困惑したが、今思えばあの頃からマーセリアはエイガルの功績を正しく理解していたのだろう。


 自分が生まれる前のことに、ここまで当事者意識を持てるとは。……歴史を他人事で済まさない感性は、王の資質であるように思えた。


 そんな彼女だからこそ、エイガルの陰に埋もれた功績に注目できたのだろう。


「父のことも信じてみます。いつか変わるかもしれないと」


「……それがいいじゃろう」


 なんだか、どちらが慰めているのか分からなくなった。

 どちらでもいいか。年長者としては相応しくないかもしれないが、偶には歳を忘れるのも悪くない。


「エイガル様が逃がした魔族は、どうなったんでしょう」


「……死んだはずじゃ。魔族は全滅したからのう」


 魔族は全滅した。そう記録されている。現に、この時代では統率された魔獣を全く見かけない。


 時が経っても、変わらないものもある。

 己は偽善者だ。その事実は未来永劫変わらない。




 ◆




 無秩序に枝葉が絡み合っていた。

 人の手が入らない深い森は、恐ろしいほど静謐で、生命が豊かであるにも拘らず、息が詰まるほどの濃厚な緑の気配が立ち込めている。


『アル ジ』


『ジョウ オ ウサ マ』


 草木を掻き分けて、魔獣たちが顔を出す。

 深い森は絶好の隠れ蓑だった。一匹、また一匹と魔獣たちは主のもとへ集う。一体どこにそれほどの数が隠れていたのか。優に千を超える魔獣たちが、彼女のもとへ集まった。


『マ ダ?』


「うふふ……まだよ。まだ焦っちゃ駄目」


 焦れる獣たちを見て、彼女は可愛らしく微笑む。


「獣の時代は終わった。今は人類に、そう思わせておきましょう」


 枝葉の天蓋から木漏れ日が差す。

 一筋の光を、少女は掌で受け止めた。温かい。あの人のように。

 離したくない。少女は優しく掌を閉じる。


「育てなきゃ、今度こそ負けない最強の国を。……愛しいあの人を迎えられる国を」


 木漏れ日は掌から逃げ、足元に零れ落ちた。

 まだ掴めない。まだ焦っちゃ駄目だ。


「邪魔なのは……やっぱり、あいつらよね」


 傅く魔獣の頭を撫でながら、少女は呟いた。


「北の帝国――オズボード」


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