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カスタムじじい  作者: サケ/坂石遊作
老兵復活
1/30

老兵は死なず、消え去るのみ


「うーむ……今日もいい天気じゃ」


 じじいの朝は早い。

 特に意味もなく早い。加齢によって体内時計が変化したのと、必要な睡眠量が減っているだけだ。だが、その現象をありのまま受け入れられる身分を手に入れたのは、紛れもなくじじい本人の意思だった。


 かつて、この身は戦場を駆け抜けていた。迸る血、うねる魔力、幾度となく振り抜かれる鋼の剣。終わることがあるのだろうかと思っていたその嵐は、一人の少年によって力強く幕を下ろされた。


 戦いが終わった直後、じじいは隠居を決めて、都会の喧噪から離れた田舎に家を買った。年老いた男が一人住むだけの家にさほど金はかからない。木造建築で、家というより小屋のような狭さだが、それゆえの素朴さをじじいは気に入っている。


 晴耕雨読の人生はじじいを幸福で包んだ。老人一人を食わせるだけの畑なら大した苦労もなく耕せる。畑というより彩り豊かな家庭菜園だ。好きな野菜を、思いっきり丁寧に育てることにした。


 適度に日を浴び、適度に汗をかき、川の水で身体を洗ったらコーヒーを淹れ、穏やかな風に揺られながら本を読む。目が疲れてきたら顔を上げ、澄み渡る青空を一瞥し、それから虫や動物が息づく自然に意識を傾け、軽くあくびを挟んでから再び本に視線を落とす。

 誰かに急かされることのない日々、その尊さを実感した。


「これも、勇者が魔王を倒してくれたおかげじゃのう」


「まるで他人事のようだな」


 来訪者は無遠慮に声を発した。

 無視を決め込んでいるうちに帰ってほしかったが、仕方ない。じじいが振り返ると、上等なコートを纏った男が深刻な表情を浮かべて立っていた。


「いつにも増して恐ろしい顔をしておるな、グレイン」


「お前がいつまでも首を縦に振らないからだ、エイガル」

 

 閑静な田舎に不釣り合いな、厳めしい声音が響いた。

 この声を聞くと穏やかな日々が遠ざかる。名も無きじじいが、叙情的な気分に浸ることを許されなくなる。


「エイガル、聞いてくれ」


 溜息交じりに本を閉じたエイガルに、グレインは言った。


「ウテム要塞が墜ちた」


「なんじゃと!?」


 エイガルの叫びに、小屋の屋根にいた鳥たちが一斉に飛び立った。

 ウテム要塞は、帝国との国境線に建てられた巨大な防衛拠点だ。すぐ後ろには軍事施設があるため、要塞には大量の戦力が配備されているはずだった。


 そのウテム要塞が陥落した。ということは、軍は帝国相手に大幅な後退を余儀なくされている。


「帝国の脅威は日に日に迫っている。……もう余裕はない。今こそお前の力が必要なんだ」


 グレインは深々と頭を下げた。


「頼む、エイガル。軍に来てくれ」


 エイガルは溜息を吐いた。

 もう何度目だろう、この言葉を聞いたのは。


 軍に来てくれ。

 再び剣を握ってくれ。

 田舎のじじい相手に、頭のおかしな相談だとエイガルは思った。


「グレイン、頭を冷やせ。この国の宰相となったお主が今やるべきことは、こんなじじいに頭を下げることか?」


「ああ、間違いなくそうだ」


 グレインは間髪を入れずに断言した。

 顔を上げたグレインの目尻には深い皺が寄っている。グレインは今年で六十になる男だが、その顔は年齢以上に老けて見えた。


「何故、儂なんじゃ」


 エイガルの口から、掠れた声が漏れた。


「救国の戦士が欲しいなら、もっと他に適任者がいるじゃろう。儂は魔王を倒した勇者でもなければ、勇者パーティの一員というわけでもない。一介のじじいに何故そこまで期待する?」


 かつて、魔王という存在が人類を脅かしていた。

 十年以上に及ぶ長い戦争の末、人類は魔王を討伐した。その最大の功労者が勇者と呼ばれる一人の少年だ。その少年は光り輝く聖剣を握り、魔王を一騎打ちで倒したという。


 勇者と、勇者の仲間(パーティ)が、人類を脅かす暗雲を切り裂いた。

 その時代において、エイガルの名は民衆に知られていない。


「エイガル。お前の目には、私が幼子に見えるのか?」


 グレインの目から、微かな怒りを感じた。


「勇者が魔王を倒した……なんて喧伝は、我が国のプロパガンダだ。確かに、魔王を倒した人物こそ勇者だが、その陰には彼を支えた数多の英雄が埋もれている」


 グレインは、エイガルを真っ直ぐ見据えた。


「お前はその最たる例だ、エイガル。伝説の老兵よ」


「……昔のことじゃ」


 グレインのコートが風に揺られた。その内側に着ているのは礼服だった。こんな田舎に、何故そのような厳めしい服を着てきたのか、答えは決まっている。エイガルに対する礼儀だ。宰相であるこの男はエイガルに敬意を払っている。


「今回は、私以外にもう一人来ている」


 グレインは背後を振り返った。

 ずっと木陰でこちらの様子を窺っていたのだろう。現れた少女は、老いた男たちの間に物怖じすることなく割って入る。


「お久しぶりです、エイガル様」


 金髪碧眼の美しい少女が、エイガルの前に立った。

 白磁の如き美しい肌が、穏やかな陽光を照り返している。まるで光を灯したような美しい少女に、エイガルはしばし魅入った。


「マーセリア殿下……麗しくなりましたな」


「ありがとうございます」


 マーセリアの微笑みが、エイガルの心に穏やかな風を運んだ。

 気の和らぎをしばらく噛み締めたエイガルは、それからグレインの方を見る。


「図ったな」


「ははは、お前は昔から子供に弱いからな」


 グレインが快活に笑う。その隣でマーセリアはぷくっと頬を膨らませた。子供呼ばわりが気に入らなかったのだろう。その反応を見るに、まだまだ子供だ。


 だが、ただの子供ではない。

 マーセリアはこの国の第二王女だ。エイガルは彼女が今より幼かった頃に何度か会ったことがある。当時からずば抜けて聡明だった彼女の印象は強い。


 今年で十五歳だったか。

 蝶よ花よと育てられるはずだった娘は、大人顔負けの厳しい双眸を備えていた。


「エイガル様、単刀直入に言います。このままでは我が国は負けます」


 マーセリアは、本来なら国民に聞かれてはならないようなことを、エイガルの前でははっきり言った。王族が敗色濃厚を認めるなど、軍の士気に関わる。


「二十年前、勇者が魔王を倒しました。しかし、その先に待っていたのは……更なる戦争でした」


 憂いを帯びた瞳で、マーセリアは語る。

 今、この国がどれほど追い詰められているのか、エイガルに知ってもらうために。


「魔王の討伐に力を注いでいだ我が国は、一時の平和と引き換えに、国力の低下を免れませんでした。その隙を狙って帝国が我が国の領土を侵略し始め、今日に至ります。我が国は未だ財政再建もままならぬ状態です」


 勇者と魔王の時代、人類は確かに結束したはずだった。敵は魔王で、味方は人類。そんな共通認識で戦っていたはずだった。


 だがその戦いが終わると、次は人類同士で争うようになった。

 この世界はどうなっているんだ。……多くの国民が憤っただろう。


「この劣勢を覆すには、英雄が必要なのです。……エイガル=クラウス、かつて伝説の老兵と呼ばれた貴方のような」


「……買いかぶりすぎじゃ」


「そうは思いません。戦場を知る者は、誰しもが口を揃えてこう言います」


 マーセリアは告げる。

 かつて戦場を駆け抜けていた者たち。彼らの、エイガルに対する評価を――。


「魔王を倒したのは勇者ですが……あの時代、最も強かったのは貴方だったと」


 時代に鍛えられたマーセリアの鋭い眼光が、エイガルを貫いた。マーセリアの信頼は、砂漠を日照りで追い込む太陽のように眩しくて、厳しかった。


 しかし彼女が無意識に放った言葉の中に、エイガルの苦悩を言い当てるものがあった。


 あの時代。


 無意識ゆえに、本心からの言葉だろう。

 そう、そうなのだ。

 それらは全て、あの時代の話なのだ。 


「時代が違う」


 エイガルの語気に力が入った。

 赤ん坊の頃から知っている遥か年下の少女に、己の無力を説くのは恥そのものだった。だが彼女の眼光を退けるにはそれしか術はない。


 エイガルは服を脱いだ。

 裸になった上半身には、戦場で宿した無数の傷跡がある。

 だがそれ以上に関心を引くのは、この衰えた肉体だ。


「見ろ、この老いさらばえた四肢を。痩せ細り、骨と皮だけになった我が肉体を」


「い、いや、わりと筋肉もあるように見えるが……」


「全盛期と比べればカスみたいなものじゃ」


 話の腰を折るな、グレイン。

 エイガルが睨みつけると、グレインは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙った。


「あの頃から、儂は既に老兵呼ばわりだった。今年で齢は七十になる。……醜いと思わんか? いつまでも儂のような老人が幅を利かせる世の中など。世代交代ができない国、それこそ衰退の一途を辿るのではないか?」


 エイガルとて、現実から目を逸らして余暇を堪能していたわけではない。

 己の出る幕はもうないと判断したからこそ、今に至るのだ。


「この時代の歴史は、この時代の人々が紡ぐべき。そう思う儂は間違っておるか?」


「いいえ、正しいと思います」


 マーセリアはエイガルの主張を肯定したが、


「ですがそれは、平時に限った話です」


「………………ぬぅん」


 戦時に常識を語るなと、十代の女子に叱責されてしまった。

 だが、戦時だからこそ語らねばならない常識もある。モラルと、未来への想いだけは、いついかなる時でも失ってはならないだろう。


 その時――吹き抜けた風に、荒々しい気配を感じた。


「エイガル?」


「何か来るぞ」


 反応したのはエイガルだけだった。熟練の戦士としての勘がエイガルに臨戦態勢を取らせる。皮肉にも、その淀みない動きこそグレインとマーセリアが期待していた強さだった。


『グオォオオォオオォオオォオオ――ッ!!』


 獰猛な化け物が、森の奥から現れる。

 牙と爪を持った獅子のような見た目。だがただの肉食獣とは思えないほどの圧力と巨躯。


 この生物は、間違いない。

 かつて、嫌というほど戦ってきた――。


「魔獣――ッ!!」


 魔王が従えていた化け物たち。

 勇者が魔王を倒した後、統制されていた魔獣たちは一斉に世界へ解き放たれ、野生に還った。その一匹が目の前にいる。


「エイガル!? この辺りに魔獣は出ないはずでは!?」


「儂も初めて見た!! 恐らく、戦火から逃れようとした末に、この地へ流れ着いたんじゃろう!!」


 この辺りは係争地から離れているため安全だと思っていたが、エイガルの知らぬ間に戦火は近隣まで及んでいたのかもしれない。


 魔獣は人を喰う。

 眼前の獅子はエイガルたちを睨み、涎を垂らしていた。奴がこちらを獲物と見ているのは一目瞭然である。


「護衛は連れて来とらんのか!?」


「すまない、席を外してもらっている。お前と内密な話をするために」


「馬鹿もんが!!」


 仕方ない――。

 保ってくれよ、この老体。


 魔獣がマーセリアに向かって爪を振り下ろした。老いぼれ二人より若い女の方が旨そうに見えたのだろう。


 エイガルはマーセリアの前に立ち、その爪を受け流す。


「ぬぅん!!」


 腕、腰、足。順に力を入れ、魔獣の爪を逸らす。

 理性のない猛獣の荒々しい力を受け流すには、全身を駆使して力の向きを統一してやるのだ。法則のない力には、法則を与えてやればいい。己の骨をしなやかに使い、振り下ろされた力を一箇所に傾ける。

 受け流した獣の爪が、足元の地面を深く抉った。


「お、おぉ……流石だな、まだ現役じゃないか」


「馬鹿言っとる場合か!! これ以上は保たんぞ!!」


 暢気なグレインに、エイガルは切れ気味に言った。

 何故、逃げない?

 今の一瞬で二人には逃げてほしかった。だがグレインは一定の距離を取ったところで立ち止まり、マーセリアに至っては木陰に置いてあった鞄に手を突っ込み、ガサゴソと何かを探している。ピクニックでもしているつもりか?


(やはり儂は、弱くなった)


 魔獣が爪を横に薙いできたので、エイガルは深く屈み、その爪を上方へ受け流した。


 受け流す。性に合わないやり方だった。本来、己は真っ向からの力勝負を得意としていたはずだ。それが耐えるだけの戦い方しかできず、防戦一方を強いられる。


 これでは力になれん。

 この程度の力量で、誰を、何を守れるというのか。


 老いた肉体は既に疲労を訴え出し、震えていた。僅か二回、凌ぐだけで限界が近づいている。


 許せなかった。

 惰弱した己自身が。


「エイガル様、これを!!」


 マーセリアがエイガルに向けて何かを投げる。

 鞄から取り出したかったのはこれか、と思いながらエイガルは受け取り、そして驚愕した。


 なんだ、これは?


 それは見たことのない剣だった。

 まず、柄に妙な突起がある。指で押し込むことができそうだが、何のためにあるのかさっぱり分からない。


 鍔の辺りに折り目のような薄い溝があった。まさか、この剣は折り畳めるか? そんな剣など聞いたことないが、折り畳みでもしなければ鞄に入るサイズではない。


 刀身も妙な形をしている。片方の刃に沿って、円錐のようなものが四つ取り付けられていた。まるでタコの吸盤が剣から生えているようである。これは本当に、刃を犠牲にするほどのものなのだろうか。


「トリガーを引き絞って!!」


 魔獣が攻めてくるのと、マーセリアが叫んだのは、ほぼ同時だった。

 余裕のないエイガルは反射的にマーセリアの指示に従う。トリガー……柄についている突起のことだろうか。エイガルは魔獣に向かって剣を振りながら、トリガーを引いた。


 ゴッ!! と刃についていた吸盤から火が噴き出した。


 噴流の反動で剣が加速する。速い――が、このままでは空振りすると判断したエイガルは、瞬時に一振り目を回転による()()に変更し、次の二振り目で魔獣を切り裂くと決めた。


 なんだこれは?

 なんだこれは!?

 剣から火が噴き出たことに、エイガルは驚きを隠せない。


 だが、この速度は――――()()()()()()()()()


 老いと共に失われた剣速。

 もう二度と実演できないと思っていた、風を断ち切る剛剣。


 それが、今、この手に!!

 蘇った!!!!!


「ぬぉおぉおおぉおおお――ッッ!!!!!!」


 エイガルの回転斬りが、魔獣の胴体を断ち切る。

 獅子の巨躯が地面に落ちた。ズシン、と大地が揺れる。


 実感の湧かない光景だった。

 これを、儂がやったのか?

 かつての自分ではなく、現在の自分が――。


「時間は平等です」


 呆然と立ち尽くすエイガルに、マーセリアが近づいて言った。


「流れる時間は、貴方に老いを与え、技術には()()を与えました」


 技術。

 それは隠居を決め込んで、自然と隣り合わせの日々に浸っていたエイガルにとって、縁遠い言葉だった。


「確かに貴方は老いたかもしれません。しかし現代のテクノロジーなら、その老いを充分に補えます」


 語り続けるマーセリアの目は、強い力を帯びている。


「私は今、先端技術を活用した独自の部隊を保有しています。選りすぐりの技術者は揃えられましたが、それを使いこなす兵士が充分ではありません。……貴方には、私たちが開発した装備の使い手となっていただきたいのです」


 マーセリアは、すぅっと息を吸う。


「エイガル=クラウス!! 歴史の陰に埋もれた、誰よりも偉大な戦士よ!!」


 王の威厳と共に、マーセリアは告げる。


「私たちの技術が、伝説の老兵と呼ばれた貴方を蘇らせてみせましょう!!」


 煌々と輝くマーセリアの双眸を見て、エイガルはようやく、グレインが彼女を同席させた理由を察した。


 グレインはエイガルの、子供に甘い一面を利用したかったわけではない。あの男は、エイガルの胸中にある老衰という名の負い目を見抜き、それを取り除くだけの策を用意してきたのだ。


 マーセリア王女殿下こそが、その策。

 見事、それはエイガルの心を揺さぶった。


 エイガルは否定したくても否定できなかった。この心躍る気持ちを。あとは失うだけだと覚悟していた強さが、ほんの一瞬とはいえ再興してみせた事実を。


 ずっと、おどけてはいたが。

 のらりくらりと躱してはいたが。


 勇者と魔王の時代。人と魔が争っていたあの頃、エイガルは勇者の陰に埋もれたとはいえ、それなりに武功を残した身だ。


 愛国心が、ないはずがなかった。


「そうじゃのう……」


 エイガルは軽く髭を撫でる。


「取り敢えず、その、てくのろじーとやらの話くらいは聞こうかのぉ」



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