エピローグ:むこうの見える橋の上で
※
そして、季節は巡りゆく。
あのテイヅカヤマでの戦い(そうクッコローネの本拠地はテイヅカヤマだったんだぜ?)での戦いから、はや四ヶ月。
季節はもう、新緑の時期だ。
オレとムロキはゲンの提案に乗って、みんなでカタノの山中にやってきた。
あの夜の戦い、その最終局面でゲンが口走った吊り橋を見るためだ。
そこへと向かうハイキングコースは、いまや手入れする者も少なく荒れ放題だったが、逆にエルフであるエリスにはこちらのほうが良かったみたいだ。
上機嫌で鼻歌なんか歌っている。
「泣いたカラスがもう笑った、ってヤツだな」
斜面を登りながら、ゲンのヤツが言う。
イヤミ、というよりも微笑ましい、という感じでだ。
だが、エリスは超反応で噛みついた。
「泣いてなどいないッ!!」
「いや、泣いてたろ」
「あ、あれは、オマエが──ちょっと太ったか、とか呟くから」
「ちがうって、すこしだけふっくらしたか、って言っただけだろ」
「いーやちがう、そんなに優しくなかった。悪意を感じたっ!」
ぎゃーぎゃーとかしましいふたりの後を五メートルほど開けて、オレとムロキは追っている。
「うるっせーな、あいつら。車中、ずっとだぞ、あの調子。ホントに仲いいのか、大丈夫か?」
「喧嘩するほど仲が良い、って昔から言いますし。それに相手のささいな変化にも気がつくのは、愛情の成せるワザです」
「そおかあ? 喧嘩するのはやっぱり仲が悪いんじゃねえか?」
「兄さんは、男女の機微に鈍すぎマンです」
「あーもー、坂はキツイし、道は悪いし、連れはうるせーし」
「うるせーのはオメーだよ、トビスケ。運動不足なんだ。ここで解消してけ」
オレの声をどうやって聞きつけたのか、ゲンのヤツが笑いやがった。
「だー、もう、オレは頭脳労働専門だからしてさー。あとどんぐらいあんだよ、この山道」
「もうちょい、もうちょいだぜ」
「さっきからそればっかりじゃねーか、なーもー飯食おうよ。腹減ったし、オレ。あとこの弁当、メチャクチャ重てーんだよ。金の延べ棒でも入ってんのかよ」
「しょーがねーな。ホントは橋のとこまで行ってからにしようと思ったんだけどな」
「いや、そっちのエルフのお嬢さんのお腹も、同じだとおもうゾ」
オレの提案を聞きつけたのは、こんどはゲンではなく、エリスのお腹のほうだった。
ぐぅううううううう、とけっこうな大音量で鳴るのが聞こえた。
「な?」
エリスが両手を拳に握りしめ、耳まで真っ赤になる。
オレたちの爆笑が、山中に容赦なく響き渡る。
けっきょくオレたちは途中にあった休憩所の廃虚のあたりで昼飯を食うことにした。
「メニューはなんだ?」
「おにぎり、です」
「おお、なつかしいな。ムロキのおにぎり! バンパク記念公園の脇で食べたのを思い出すな!」
「あのジャンボなヤツな」
オレが担いでいた荷物を開くとゲンの言葉通り、ドデカイ握り飯が二十個ほども現われた。
「……なんつうか、ほんとに握り飯だけだな。ダイナミックというか」
「ボディにずしんと来るヤツにしときましたでボディ」
ゲンが同情の表情でオレを見る。
だから言っただろ、重てーんだってッ!!
「オカカに梅干し、シャケにキャラブキ、あと兄さんの大好物、きな粉!」
「え? この黄色いのきな粉なのか? トビスケ、女の趣味もアレだが、食い物も変わってるよな。あ、それでオレのとこのきな粉玉の余ったきな粉、持って帰ってたんだな?」
「じゃっっかあしいわッ!! うめーんだよ、砂糖とちょっとだけ塩足したきな粉を握り飯にまぶして食うの。だいたいこりゃあ、昔の田植えのときの伝統的な食いもんなんだよッ!!」
「ほんとかあ? おまえ、けっこう間違えておぼえてるからなあ」
「いーから、食って見ろよ! 文句はそれから言え!」
いぶかしげな表情でゲンは一口齧る。
それから目を剥いて答えた。
「や、これ、うまいわ」
「だろ? 良く考えればおはぎの餡抜きの味なんだよ。まずいわけねーってな」
「伝統だな。そーいや、ここを昇って橋を渡った対岸を下ってくとさ、あんだよな。古い神社が、さ。イワフネ神社、ってーんだが」
ぱくぱくと握り飯を食べながらゲンは言った。
オレも遠慮なく食う。
お、キャラブキ、やったね!
「そりゃあれか、天孫降臨とか、アメノトリフネとか、あのへんと関係あったりすんの?」
「直に関係あるかどうかはわからねえが、やっぱりアメノイワフネも空飛ぶ船だったらしい」
「空飛ぶ、フネ?」
神話なのかSFなのかよくわからない話の流れに、エリスが食いついてくる。
このエルフのお嬢さんは、いまやこっちの世界の物語に夢中だ。
「あー、そうなんだよ。どうもオレたちの國の神さまたちは、そういう空飛ぶヤツやら天からかけられた橋……軌道エレベータみたいなもんだったんかねえ……から降りてくんのが好きで、さ」
「ほんとかどうかわからねえが、イワフネ神社の社の地下には潜り抜けると転生を果たせるという洞穴があってだな」
「転生!! おもしろそうだ! ゲン、探検しよう!!」
「マジか、おい、どうするトビスケ?!」
「いや、オレ暗くて狭いのダメだし、オマエらだけで行け」
「えー、兄さん、一緒にいきましょう! 転生☆完了ッ、しましょう!」
「ぜったい、ヤダ」
とまあそんな感じで、食事を終えたオレたちはふたたび山道を登り始めたわけだ。
「でも……あのふたり、ほんとに仲良いんですよ」
唐突に話を振ってきたのはムロキだった。
オレはメガトン級の弁当の重量から解放され、足取りも軽く新緑を楽しむ余裕を取り戻していた。
「え? ああ? そうかあ?」
「んもう、ほんっとにニブチンなんですから、兄さんは。見てください、互いがそっぽ向いてるくせに、手だけはあんなにギュッと」
「あ、ほんとだ。オマエ、ムロキ、見るとこ見てるな」
「よしっ、わたしたちも負けずに仲の良いところを見せつけましょう!」
「ごめん、ちょっとうんこしたくなってきた」
背後でムロキが仏頂面になるのがわかったが、生理現象なんだよ、しょーがねーだろ!
というわけで、オレは草むらへと身を潜める。
ゲンとエリスは気がついた様子もなく、ゆっくりと坂を登っていくが、まあ、ちょうどいいだろ。
道は迷いようのない一本限り。
あとで追いつくことは容易だ。
それに……まあ、ロマンチックを提供するのも相棒としてのサービスだ。
オレはうんこだが。
「んもう、兄さんたらっ」
なんかムロキがぷりぷりと怒っている声が聞こえたが、オマエそこで待ってるなよ!
こっちはブリブリなんだからな!
※
ぐるり、と山中を巡る道を上りきると、途端に視界が開けてくる。
そして、立派な吊り橋が。
ここに来るのは、いったいいつ以来だろうか。
ひとりで来るような場所じゃねえし、トビスケとふたりっきりってーのもぞっとしねえ話だから、もしかしたら、八年くらいは空いてるかもしらねえ。
おう、オレだよ、ゲンだ。
しかし、久しぶりの故郷ってーのは、なるほどなかなか悪くねえな。
特に新緑の季節は、紅葉のころと並んで、山々がいちばん美しい時期なんだ。
このへんの山は標高こそたいしたことないが、深くてな。
いざここに立って見ると、あの日、抱いた感想は間違いではなかったという確信が湧いてきた。
似てる、って言ったろ?
どこにって?
決まってる。
エリスの心のなかの森に。
特に、いま目の前にある立派な吊り橋は、あの日オレが体験した深層の森の投影の光景に、そっくりだった。
人工物の上から本物の葛が巻き付いて……もう、完全に瓜ふたつだ。
「ここは……わたしは……ここを知っているぞ……ゲン」
そして、オレが抱いた印象とまったく同じ答えを、エリスがくれた。
「だろ?」
「そうか、ここか? ここなんだな? オマエがわたしに見せたかった故郷の橋、というのは!」
エリスの瞳が本物のエメラルドみたいに、五月晴れの光を受けてキラキラと輝く。
きれいだ、と素直に思ってしまう自分の心を、いまのオレは恥ずかしいとは思わない。
「どうする……渡ってみる、か?」
「お、おう」
ホントはこんなに長時間メンテナンスもされていない吊り橋を渡るってーのは、野外活動ではご法度なんだが……たぶん大丈夫だろう。
オレは葛の網を潜り抜け、エリスの手を取った。
うん、ぜんぜん大丈夫だな。
むしろ、葛が巻き付いて、強化されてる感しかない。
「すごい、すごい、すごい、すごい!」
エリスの子供みたいな感想が、うれしい。
連れてきて良かった。
「ほんとに、わたしの故郷のようだ!」
歩みを進めるにつれ、エリスのはしゃぎっぷりは子供のものから、遠い異郷の地で故郷の風景に出逢った旅人のものになっていった。
ああ、ああ、と自然にその瞳から涙がこぼれ落ちる。
そうか、ああ、そうか、とエリスがひとりごちる。
しきりになにごとか、納得した様子で。
どうした? とオレは問うたが……その答えはもう、わかっていたんだ。
心のどこかで。
「わかったんだ。ゲン。わたしとオマエが、出逢った理由が。どうして、わたしとオマエだったのか、が」
聞かせてくれ、とオレは無言で促した。
うん、とエリスが頷く。
でも、言葉はいらなかった。
オレたちは心の奥に、とてもとても深い場所に、同じ風景を持っていたからだ。
「トビスケたち、こねえな。なにやってんのかな」
互いの理解が導いたあたたかすぎる沈黙があんまりに面映ゆくて、オレは相棒の心配をするフリをした。
エリスに背中を向けて見返る。
そっ、とその背中にぬくもりが寄り添ってきた。
オレは羽織ってきた革ジャンのポケットに手を差し入れる。
渡すべきか、渡さざるべきか。
言うべきか、言わざるべきか。
ずっと迷ってきた四ヶ月だった。
だけど、今日わかったんだ。
オレには、ホントに、コイツしかいない。
コイツじゃなきゃ、ダメなんだ。
すううう、とオレは息を吸い込んだ。
あの邪教の神殿のようなアーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴの底で、エリスに告白したように。
覚悟を決めた。
振り返りながら、言う。
「エリス、お願いだ。オレと結婚し、」
だが、オレは最後まで言葉を言い切ることを許されなかった。
なぜかって?
振り返ったとき、もう、彼女はそこにはいなかったんだ。
幻だったみたいに。
《夢》だったみたいに。
異世界のものは、そのままでは長くこちらに留まっていることはできない。
いつかトビスケが言ったその理屈を、オレはすっかり失念していたんだ。
※
「んもう! 兄さんのせいなんですからね!」
「だーかーらー、しょうがないっていってんだろ! 出るもんは出るんだよ!」
「兄さんは、いつも出しすぎなんです!」
オレとムロキは山道を足早に登る。
いやあ、オレだトビスケだ。
出た。
出過ぎた。
事前におにぎりを五つも食ったからな。
快食快便は健康の秘訣!
とまああんまり下品な方向に振ってると運営さんも黙っちゃいないから、このネタはもうこのへんにしておくが。
ゲンのやろう、うまいことやりやがったかな?
あ? そうそう、告白だよ、エリスに、な。
なにをこそこそ隠れてやってんだかしらねーが、まるっとお見通しなんだっつーの。
つかもう、ぜったいおっけいに決まってんのに、手順がとか、相互の理解が、とかアイツはへんなとこで律義だからなあ。
そんなことを思いながらニヤニヤしてたら、ムロキに頭を叩かれた。
ちがいますー、オマエのボディ揺れなんか見てませんー。
「って、おおおおお、すげー、すげー、すげーな、これがアイツの故郷の風景かよ!」
吊り橋とか、正直まったく期待してなかったオレが言うんだから間違いねえ。
こりゃ一見の価値ありよ。
真っ青な青空と新緑を切り裂いて、その橋はあっちとこっちを結んでやがった。
「いや、マジに異世界に続いてそうだな、こりゃ」
「いいなあ、こんなところで告白されたいです」
「おめえは、まず、相手を見つけねえとだめだろ、イテッ! ちょ、痛いって、なんでなぐるか?! マテマテ、オマエ、ゴリラ並のパワーなんだから、グーはやめろ!」
とかそんな感じでボコボコにされながら、橋のたもとまで辿り着いたオレは橋の真ん中に人影を見つけた。
空を見上げて、特に動きはない。
お、こりゃ話がまとまったみたいだな。
「ムロキ、いくか」
「兄さん、なんだか、様子がへん、です」
ムロキが目を細めて遠くを見る仕草をした。
よくわからんが行ってみるか。
ゆらゆら橋は揺れるが、がっちりとした造りで想像よりたいしたことはない。
だが、たしかに妙な具合だった。
どうもオレにもゲンしかいないように見える。
しかも、タバコふかしてるぞ、アイツ。
「おい、どうしたよ、相棒。なんだまた喧嘩か? エリスは?」
努めて軽く訊いたオレに、ゲンは同じように軽く答えた。
「帰った」
「はあ? 帰ったってどこに?! オレたちいま、こっちから来たんだぜ?! すれ違いようがねえぞ?!」
「ちがう、そうじゃねえよ、トビスケ」
「なにがちがうってーんだ?! おい、ゲン……オマエ、なんで泣いてんだよ?」
「バーカ、こりゃ汗だ。今日はあんまりにもおてんとさんがいい感じで、空と緑が眩しすぎるぜ」
「ゲン?」
「帰った。還って行ったんだよ、トビスケ……彼女がいるべき場所へ。ここが、こここそが接点だった。むこうと、こっちの。異世界と現実の。見立てだ、トビスケ。《門》は必要ない。心と心が結びついた者同士、そして、そいつらと結びついた風景……それさえあれば、通じる。通じるんだ。そして、」
そして、とゲンは言った。
涙が、もう隠せないで。
声が、もう震えて。
「彼女の故郷が喚んだ。オレより強く、還ってこいって、だから、だから」
オレは呆然と立ち尽くすしかない。
まさか、ほんとうに、そうなのか。
現実を理解できずに。
※
「おーい、ゲン、おめえいつまで寝てるんだ! もう、おてんとさま、高くになっちまったぞ!」
さらにときは流れた。
オーサカの盛夏ははっきり言ってジャングルだ。
暑い、熱い、蒸し暑い!
エアコンなんてけっこうなものが期待できない現代のオーサカでは、まさにすべてが蒸し風呂状態。
頼みのツナの扇風機も、もう完全にぬるい空気をかき混ぜてるだけだ。
「あー、すまねえ。ちょっと酒を抜くのに風呂浴びてたんだ」
奥の台所兼浴室から声がする。
「オマエ、ちょっと最近、酒量が心配だぞ! また正体なくすまで呑んだんだろ?!」
「るせーな、頭がガンガンするから静かにしろよ」
「わるいけど、勝手にあがるぞ!」
「そのへん、麦茶あるから勝手にしろ」
へいへい、とオレは返事して、駄菓子屋の棚から二、三品勝手に摘むと、狭苦しい座敷に上がり込んだ。
あのあと、けっきょくエリスは帰ってこなかった。
しかたない。
本来、異世界の存在は、こちらでは長く存在を留めてられないのだ。
現界しているにはなにか、目に見えないリソースを消費する必要があるのだろう。
彼女は還っていったのだ。
自分の居場所に。
ただ、取り残されたゲンは、そうはいかなかった。
オレたちの前では気丈に振る舞ってはいるし、寝言銃使いの仕事もこなしている。
ただ、やっぱり、どうしても忘れられないらしい。
ド忘れくん使うか、とオレは提案してみたが。
「すまねえ、トビスケ。それはできねえ」
と一蹴された。
当然だがな。
「しっかし、バカみてーにあちいな。今年も最高気温更新だとさ。このままじゃ、オーサカはアフリカみたいになるぞ! 暑すぎてセミも鳴けねえ、蚊も飛べねえ、とかなんだこりゃ?!」
だからオレにできることと言ったら、こんなバカみたいな話題を振ることだけだ。
「頭に来るから、温度計は捨ててやったよ!」
そして浴室から返ってくるゲンの捨て台詞にも、最近すこし張りが戻ってきたように感じていたのだ。
気がついたのは、だから、たぶん偶然だった。
麦茶をグラスに注いだオレの目に、それは飛び込んできた。
真っ青な空を背景に立つ、美しい──エルフの女性。
文庫本だ。
それがちゃぶ台のうえに無造作に置かれていた。
へえ、なんだろうか。
最近、ゲンが元気を取り戻してきたのと、なにか関係があるのか。
手垢で汚れたそれはいかにも古本然としていて、しかし、読み手の愛情をありありとうかがわせる一品だった。
オレがそれに手を伸ばし、ぱらりぱらり、とめくったときだ。
「あの……ごめんください……」
暑いので空けっぱなしにしておいた玄関にヒトが立ち入る気配がした。
「はいよ、ただいま」
そしてタイミングの良いことに、家主が出てきた。
ラムネの瓶を抱えている。
よしよし、ちゃんと仕事する気概が戻ってきたな。
オレはそれを良いことに読書にいそしむことにした。
へえ、エルフと人間の恋物語に、なんだかヒコーキとか飛行船とか絡んでくるのな?
ふうん、とか思った瞬間だった。
ガラガラガラガラッ、と盛大な音がした。
ありゃラムネが土間に落ちる音だ。
なにやってんだよ。
オレは片づけに加勢すべく、店内に降りた。
書籍をちゃぶ台において。
そこで呆然と立つゲンを見ることになる。
もちろん、一秒後に、オレもそうなるのだが。
真白なワンピースとつば広の帽子をかぶって立っていたからだ。
彼女が。
「すまない……本を探していたら、なんだか、こんなことになってしまって」
銀の鈴を鳴らすようなその声を、オレたちが忘れられるわけがない。
どこかで、扇風機の風に、ページのめくれる音がした。




