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■第三八夜やん:絶対☆異世界


「エリスッ!! オレだ、ゲンだッ!! 返事をしてくれッ!!」


 周囲を圧する異音──世界の誕生と崩壊、そのせめぎあいが巻き起こす壮大な交響曲シンフォニーに負けじとゲンが叫ぶ。

 だが、エリスには届かない。

 まぶたが小さく痙攣けいれんを繰り返すだけ。

 

「あきらめるな! 繰り返せッ!!」

「おう! 任せろ!」


 オレの声に、ゲンも叫ぶ。

 だいじょうぶだ、コイツの心が折れてない限り、まだ希望はある。

 ある……はずだ。

 

「ムロキ! しばらくエリスを引っ張っていてくれ! 甲冑を解体していく!」


 オレは怪物化した萌杉もえすぎとヨガリのジジイの融合体に対し、呪符フダで解呪を試みながら、エリスの肉体を覆う枷、つまり重甲冑を取り外しにかかった。

 この甲冑は鋼鉄製だ。

 以前、エリスは話してくれた。

 “冷たい鉄”はエルフ族の《ちから》を奪う、と。

 さらにいえば、全身を覆う拘束具としての甲冑はエリスに「姫騎士」という呪術的属性を付加している。

 それは萌杉もえすぎの思い描いた歪んだ欲望──妖精姫騎士ようせいききし陥落世界との符合であり、両者の間に強い関係性を発生させているのだ。

 風水でいうところの「見立て」と、概念はすこぶる近い。

 山塊や川の流れを玄武や青竜といった四神獣に見立てる都市計画などは、キョートを例に上げるまでもない。

 ならば、エリスに姫騎士という属性を与えている甲冑を引き剥がすことで、少しでも敵との間に生じている関係性を弱めることができるのではないか。 

 そう考えたオレは、粘液に濡れヌルヌル滑る甲冑の留め金を悪戦苦闘しながらひとつずつ外していった。

 

「う……うん……」


 この位置からでは、鎧のすべてを外すことは不可能だ。

 だが、胸部と背中を覆う装甲を取り外し、ご丁寧に着込まされた分厚い鎧下ギャンベゾンの胸元を緩めてやると、エリスはやっとまともな息をしてみせた。

 ごぽり、ごぶり、と取り外した甲冑のなかからは醜悪な粘液が滴り落ちる。

 

「エリスッ!! 目を、目を覚ませッ!! ここから、出るんだ!!」


 血眼になってゲンが叫んだ。

 わずかだがエリスの肉体が、こちらに還ってきたからだ。

 

「もっとだ、ゲンッ!! もっと、彼女の心を揺さぶる言霊をぶつけろッ!! 心が震えることで人間はようやく、その在処を知ることができるんだッ!! いま彼女は歪みきったニンゲンの欲望に囚われ、自分の心の所在を見失っている! だから、オマエの言霊で揺さぶって、その場所を教えてやれッ!! 認識はすなわち認知だ。宇宙が認知されることで存在しているのと同じように、心はそこに生じるッ!!」

「ああ、ああッ!!」


 自分でもなにを言ってんだかわからねーが、オレはむちゃくちゃな論理でゲンを鼓舞した。

 なにしろ、いま、エリスの肉体ではなく、心に触れることができる男はゲンを除いていやしない。

 

「エリス! エリス、聞いてくれッ!! えーと、その……オマエといたこの一週間、メチャクチャだったが……オレは、ほんとうに楽しかった。いつものくすんだオーサカの街が色づいて見えた。クッコローネとのチェイスやドンパチも、冷や汗が出たが、充実してた。太陽の歩く塔に挑んだとき……どうしても、あの女を……オマエを……いや、キミを守らなければならない、って感じたんだ──それで」


 もっと、もっとだ。

 オレを振り返り「これでいいのか」と確認してくるゲンをオレは焚きつける。

 パッション、情熱パッションだッ!!

 実際に呼びかけには劇的な効果が確認できた。

 エリスのまぶたの痙攣が激しくなる。

 意識が覚醒に近づいている証拠だ。

 ガンバッテッ! と横でムロキが拳を握って激励した。

 

「ええと、その、だ。それで、キミがこっちに還ってきたら、見せたいものがある。連れていきたい場所がある。例えば、オレとトビスケのお気に入りのお好み焼き屋だ。むかし、なんとかってドラマのロケ地になったこともあるんだぜ? そんでもって、駄菓子だ。キミはまだ、ぜんぜん駄菓子を知らない。通天閣でビリケツさんに……昇るのはいまは無理か。それで」


 いいぞ、いい。

 確実にいい反応が返ってきている。

 ムロキの表情がそれを物語っている。

 このプロセスに関しては、コイツこそ第一人者だからな。

 こいつはまさに魂振り、そして、魂結びの儀だ。

 続けろッ、続けろッ、オレはハンドサインでゲンの背中を押す。

 

「それで、オーサカ城の石垣を見にいこう。どでかい堀があってさ。冬場は水鳥たちの天国なんだ。ツルハシやキョーバシのアーケード街もいい。雑多で猥雑だが……きっと気に入ってくれると思う。バザールは阿倍野だけの特権じゃねえんだ。真っ昼間から酒を呑んでさ、串カツ片手にふらふらして、立ち呑み屋をハシゴする。ウメダのダンジョン攻略やそこからの戦利品を扱うカッパ横丁も面白いぜ? それともミナミの看板通りでウェーイするか? ドウトンボリには飛び込んじゃダメだぜ? それから……」


 いや、ええと。

 それまで良い調子にまくし立ててたゲンが、なぜか言いよどみ、オレとムロキを交互に見た。

 え、なに?

 そのときのオレは必死すぎて、アイツの気持ちをちっとも察してやれなかった。

 照れていた、いや……恥じていたんだ、ゲンは。

 

「いや……ほんとは、いちばん、キミを連れていきたいのは……ある場所なんだ。オレの故郷の裏山みたいなところでさ……でっかい吊り橋があって。その、なんていうか……キミと出合ってから、急に思い出した。キミの心を、心のなかの風景を見たとき……そっくりだ、って思ったンだ」


 だから、とゲンは続けた。

 

「だから……すまない。すまなかった。そうやってオレを心のなかにまで迎え入れてくれたキミにオレは嘘をついていた。オレには妻は、奥さんはいない。過去にもいなかった。女性と関係を持つのは初めてじゃねえけど……とにかく、キミを騙すようなマネをした」


 許してくれ。

 そう言って深々と頭を垂れるアイツの姿を、オレはなんでだろうか、カッコわりーとはまったく思わなかった。

 逆だ、むしろ逆。

 どっちかっていうと、姫に心を捧げる騎士のように、見えた。

 たぶんそれは極限の精神状態が見せた幻覚の一種だったと思うんだが。

 ムロキのヤツが胸に手を当てて、瞳をうるませていたのは、たぶん間違いじゃない。

 

 そして、奇蹟が起きた。

 

「ゲ……ン?」

 

 それまで血の気を失っていたエリスの唇がにわかに色づき、小さく、ほんとに小さくだが、アイツの名を呼んだんだ。

 

「ヤッた」


 だが、オレは上げかけた歓声を慌てて飲み込まなければならなかった。

 

「わたしを……騙してた、の?」


 かすれて途切れ途切れの声で、エリスが訊いたからだ。

 それは細い細い切れてしまいそうな糸みたいな声だったが、銀の針となってゲンの心臓を刺し貫いた。

 

「すまない。嘘をついた。キミに」


 厳密にはそうではないが、ゲンは己の行いに責任を取るつもりだなのだ。

 はっきりと認めた。

 

「じゃあ、アレは……あの服は……ダレのもの、なの?」


 いまその質問はよしてくれ、と聞いているオレのほうがアイツを庇いたくなるような問いが救うべき姫君の口から漏れた。

 すうううっ、とゲンは深く息を吸う。

 丹田に《ちから》を込めるようにして答えた。

 

「オレの……空想上の……理想のヒトのためのものだ」

「お話の、なかの、ヒト?」

「……そうだ」

「いまでも、ゲンは、そのヒトが、いいの?」


 エリスの瞳が開かれた。

 だが、エメラルド色の瞳は虚ろで、ここ(・・)を、ゲンを見てはいない。


「エルフなら……あなたの理想のエルフなら……そのヒトがいいの?」

「エリス……なにを、なにを言ってる?」


 問われたゲンの困惑が、オレには手を取るようにわかった。

 いまオレが話しているのは……ホントにエリスなのか?

 そういうすがりつくような問いを含んだ瞳が向けられる。

 

 オレは答えられない。

 ただひとつだけ。

 いま、ここにいるエリスは、エリスでもあるし、そうでもない状態にあるのだということだけはわかった。

 認知、これは認知の問題だ。

 

 奇しくも先ほどオレがゲンのヤツを鼓舞するのに使った言葉のなかに、オレは答えを見出している。

 宇宙とは認知されることで存在している、という戯れ言を、だ。 


 そうか、とさらなる理解に辿り着く。

 ヨガリのジジイが萌杉もえすぎの欲望とハイエルフとしてのエリスを使い実現しようとしたアーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)。

 それをヤツは「希望」と呼んだ。

 つまり、そこには「可能性がある」と言ったのだ。

 どんなものにも変化する、それゆえにどんな願望をも叶え得る「可能性」。

 

 いま、まさにエリスは「その状態にある」のだ。

 

 だとしたら。

 オレは答えを得た。

 だが、だからこそなにひとつ言葉にできない。

 

 オレがいまここでゲンに与えた助言がその可能性をねじ曲げてしまうかもしれない、と知ったからだ。

 

 だから、オレにできたことは同じく血走った瞳で、ゲンを見つめ返すことだけだった。

 ゲンのヤツがオレの様子からなにを察したのか、それはわからない。

 ただ、そっとエリスの側に屈みこみ、言葉を続けた。

 

「エリス、オレは」

「あなたの心のなかに、べつのヒトがいるのは、知ってる」


 ぎゅ、っとゲンが胸を押さえた。

 図星を突かれた、という顔。

 血の気が完全に失せて。

 

「な、なにを、言うんだ……アレは、あの服は……こう、もっと曖昧な願望で……男ならだれでも」

「嘘。また、わたしに嘘をつくのね」 

「エリス、なぜだ、どうしてそんなこと」

「わかるわ、ゲン。だって、だって、わたし、読んだもの。あなたの書いた、おはなし」


 ゲンの呼吸が止まったのがわかった。

 ぴしり、と固まる。

 周囲の空気とともに。

 

「ば、ばかなこというな。な、なぜそんなこと」

「わからないと思うほうが、おかしいよ、ゲン。だって、だって、あなたの書いたお話は、突き立ったんだよ……わたしの、こころ、に。どうして、わからないなんて、おもうの」


 だから、だからこそ、わたしはここに、オーサカに来たんだよ?

 喚ばれて。

 喚び合って。

 引かれ合い、かれ合って。


「こたえて、ゲン……わたし、あなたを責めているんじゃ、ないの」


 おねがい。

 途切れがちなエリスの言葉は、詰問ではなかった。

 どうしてオレはこのときまで、それに気がつかなかったのか。

 

 これは、これは……懇願こんがんだ。

 

「いまなら、ひとつだけ、あなたの《夢》を、かなえて、あげられる」


 ぞっ、と総毛立つのが自分でもわかった。

 そうか、と。

 理解がオレの全身を粟立たせた。

 

 エリスは。

 このお嬢さんは。

 

 ゲンの《ねがい》を、閉じこめ押し殺してきた心の奥底の理想を。

 叶えようとしてやっているんだ。

 

「あのヒトに、あなたが本当に望んだ彼女・・に、わたし、なってあげられるよ?」


 とっくの昔に、このお嬢さんは。

 ゲンが自分に嘘を吐いていたことなんて気がついていて。

 自分が、ゲンの理想ではないことなんて、知っていて。

 それなのに、自分のために命を張って戦ってくれた騎士に、なにひとつ渡してやれるものがないことがわかったから──。

 だから。

 

 だから、いま、この最期のときに、その男の理想に成り果てようと。

 

 ゲンが瞳を閉じた。

 それこそ目が潰れるほど強く。

 耳を塞ぐ。

 

 両目から血のような涙が流れる。

 流れて落ちる。

 咆哮ほうこうが、追い詰められた獣のような叫びが、ゲンの喉から迸った。

 

 腹の底のものを、すべて吐き出し尽くすような雄叫び。 


 長く長く続いたそれ。

 声が嗄れるまで吼えたゲンが、荒い呼吸に肩を上下させる。

 

 それから、ふらふらともう一度、エリスの側に跪き、言った。

 

「まえにも言ったな、エリス──人間の男、舐めンな」


 オマエ、だ。エリス、オレが欲しいのは、オマエだけだ。

 

 その言葉を、たぶんオレは聞かなかった。

 周囲を圧する轟音で、聞き取れるはずがないじゃないか。

 

 だのに、それなのに、どうしてわかったのか、って?

 そりゃオマエ。

 

 決まってんだろ?

 還ってきたからさ。

 ゲンが長年想い続けてきた理想のヒトではなく。

 たった一週間だが、オレたちと何度も死線を潜り抜けてきた、エリスが。

 

 ふたりは固く抱擁しあう。

 もう、言葉は、いらねえ。

 

 行いを伴った言葉だけが、ヒトの心を打つ。

 オレはふたりの姿に言霊の神髄を見出していた。

 

「兄さんッ!! 危ないッ!!」


 だから、ムロキが声をかけてくれなければ、その攻撃を躱せなかっただろう。

 

「くっ」


 スレスレで身を躱せば、衣服の端を持っていかれる。

 

「なんだ、こりゃあ!!」


 そして思わず叫んでいた。

 だってそうだろ?

 制御基盤であるエリスを失ったアーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)が、それを取り戻そうと腕を伸ばして来やがったんだ。

 人類の醜悪な戯画カリカチュアとしか表現しようのない多関節のそれが、まるで尾を引くミサイルのように飛びかかってくる。

 

 くそっ、ここまで、ここまで来たのにッ!!

 《ちから》を使い果たしたエリスを庇うゲンは身を躱すこともできない。

 このまま、このままではッ!!

 

 そうオレが諦念しかけたときだった。

 

「テンガ一流極限奥義ッ!! 秋葉原秘忍伝アキハバラヒニンデン職務質問ショクムシツモン不可避フカヒィイイイイイイイッ──!!」

「ジョンウー流銃舞ガンブキワミッ!! 男友凱歌ダンユウガイカ二丁弾倉無限ニチョウダンソウムゲンンンンンンッ──!!!!!」


 凄まじい剣風と銃弾の嵐が、オレたちに襲いかかる魔手の群れを叩き落とした!

 

「な、お、おまえら?!」


 乱れ飛ぶ異世界の破片と硝煙の向こうから姿を現したのは、なんと、あのヤロジマンたちではないか!

 

「なぜ、どうして?!」

柔毛にこげんダイスケ。話は聞かせてもらったッ!! すべてなッ!!」

厄紋ヤクモンタツヒコ……オマエ、どうして」

「ようやく名を憶えてくれたようだな」


 フフフ、と本人はニヒルと信じる笑いを浮かべて、タツヒコが言った。

 

「なあに、アンタの告白に、ハートを撃ち抜かれちまってね」

「な、なぬっ、こ、告白ッ?!」


 そうよ、と話に入ってきたのはヤロジマンNo.2の交奇知マヂキチガイではないか。

 

「オッサンも彼女いなかったくせに、さ。タツヒコの胸の落書き……あれは優しさだったんだな」


 マテ。

 まったくオレには話が見えねえが、ヤロジマンふたりは、ゲンの過去の所業を盛大に勘違いして話を続ける。

 

「そして、救うべき女のために己のすべてをさらけ出し……いや、それだけじゃねえ。叶えようと思えば叶えられた己の欲望と、その選択肢を前にしながら……アンタは突っぱねた。意地を通し、ホントに大切なものを守り抜いた」

「オレたちは、その背中に……真のオトコを見たんだゼ」


 ものすごい感動的に盛り上げてくれるふたりに、オレはアハアハ、と外野で笑うしかない。

 ゲンのやつは、赤面のあげく、怒ればいいのか恥じればいいのか礼を言えばいいのかわからなくなって、硬直してしまっている。

 

「ともかく、ここに長居は無用だぜッ!!」

「立てよ、柔毛にこげんダイスケ。オレたちが手を貸してやるッ!!」


 そして痛い感じの仕上がりを見せてしまった若者ふたりがゲンに手を貸すのと、失った腕を再生させ怒り狂ったアーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)の残滓が掴み掛かってくるのは同時だった。

 

「走れーッ!! オマエらーッ!! 心臓が破れるまで!! 中年の足が砕け散るまで、走れーッ!!」


 オレは叫び、撤退を促す。

 全員がためらいなく従った。

 

 オレたちは走る。

 オレたちの居場所へ向かって。

 

 還るべき場所──オレたちの絶対☆異世界:オーサカへ。

 

 

 

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