■第三六夜やん:妖精(エルフ)の騎士(下)
「おまえこそ、同じ穴のムジナではないか」
「なん……だと」
かつての師匠:ヨガリの爺から投げつけられた揶揄に対するオレの反論は、ほとんどうめきだった。
立ちすくんでしまっていたオレは、いくら混乱の場にあったとして、傍目にも不審だったに違いない。
信者たちがオレのフードを引きむしる。
「おまえの名を聞いたときから、必ず来ると思っていたぞ」
核心めいて言うヨガリの爺の言葉は、きっと嘘じゃなかった。
オレが潜入してくること、そして、すでにこの場にいることは、すでにヤツには露見していたのだ。
ゲンの野郎がバカでかい声で名前を呼んだから、ではない。
「死を装い、敵の裏をかく──この手口は儂が伝授したものだ、トビスケ。弟子は師を越えられぬ。悲しいが、それが定めというものだ」
淡々と諭すような言葉だが……そこには魔性が宿っている。
これが寝言師の総本山、キョートのクラマに本拠を構える夜狩流総帥:夜狩・雲桟九斎だ。
バケモノじみた重圧は、錯覚ではない。
語る言葉のひとつひとつが、すでにして寝言。
コイツはヒトのカタチをした幽世との接点、そのものだ。
「キョートで隠居したってハナシを聞いたんだが、な」
「バカを言うな。異世界衝突は予期されていたことだ。古く陰陽師と呼ばれた連中の多くが天文博士でもあったように。我々、寝言師は世界の歪み、異世界との接点に常に目を光らせておる。そして、あの日、この國のカオスが集約されるオーサカの地にそれが激突することを突き止めたのだ」
「てめえ……ッ!! 知ってて、見過ごしたのかッ?!」
「バカはおぬしよ、トビスケ。我々、寝言師はこの世の影を渡ってきたのだ。表立って動くことなどできぬ。それに例え政府機関に働き掛けたとて、いったい誰が信じようか。異世界が衝突してくる、だと? それこそ寝言もたいがいにしろと一笑に伏されるがオチよ」
それにわしらごときが束になってかかったとて、異世界を望む心は変えられん。
薄い能面のような笑みを張り付けて、ヨガリの爺は言った。
「このような大規模な異世界衝突──《門》を経由しない衝突事故が起るほどに、この國の現実は歪み、人心はカタストロフィを望んでいた、ということだ」
「なん……だと?!」
「考えてもみるのだ、トビスケ。この國の歴史のなかで、いまほど転生や転移といった逃避のための物語が隆盛したことがあったか? あるまい。物語は現実そのものではないが、確実に現実の、それも読者が心の奥底で望んでいる願望の投影なのだ。おまえにはもう、わかるはずだ」
ぐ、とヨガリの爺の言葉にオレは詰まった。
それはオレが気がつきながら、目を逸らしてきた事実そのものだったからだ。
「だが……それだけじゃない、それだけじゃないはずだ。現にいまこのオーサカでは、異世界に現実を破壊されながらも、そこに足をつけて生きる連中がいるじゃねえか!」
「苦しい言い訳だ、トビスケ。この実に荒唐無稽な馬鹿馬鹿しい世界が成立しているのはなぜか。考えたことはないのか? インフラもまともに機能しない、行政機関も警察機構もマヒ状態。明日の食い扶持にも事欠くような、バラック建築の群れ。それが九年も……どう考えても持つはずがない。だが、この都市はいまも厳然として、ここにある。なぜだ?」
なにがそれを可能にしてきた?
薄暗い儀式場、フードの奥の暗がりでヨガリの目が金色に光っている。
「それはすでにこの都市が半分、異世界だからだよ、トビスケ。霞を食って生きる仙人のようなものだ。そうでなければ、これほど寝言が《ちから》を持つものか。つまり、いまのオーサカの現状とは、そこに暮らす連中の願望にほかならん、というわけだ」
ヨガリの言葉に、オレは……これまで拠り所としてきたものを砕かれ、膝を屈しそうになっている。
『異世界と直結しちまった現実なんてモノは、もしかしたら、もうすでにでっけえ寝言以外のなにものでもねえのかもしらねえな──』
エリスを拾ったあの雪の晩、それはオレ自身が胸のうちでつぶやいた言葉だった。
「すばらしいとは、思わんか」
そして、ヨガリの爺のセリフがまたオレを撃ち抜いた。
「すばらしい……だと?」
「そうだ、トビスケ。いまのこのオーサカの現状は、確実に、最高に、すばらしい。なぜならば、これこそが人々の願望の結果、その結晶だからだ。地上に降ろされた理想郷の姿だからだ」
「冗談きついぜ、ジジイ。どこがだ。日銭稼ぐためにドンパチ覚悟で汗だくになって駆けずり回る。それこそ漫画みたいな世界のなかで。これのどこが理想郷だってんだ!」
「だが、そこには充実がある。漫画のように、アニメのように、突拍子もない事件が毎日のようにあちこちで起り、東西奔走して一日が終わる……そして、それでもつじつまが合う。一度体験したならば、社畜の人生にはだれも戻りたいとは思わぬよ」
なによりも、とヨガリは続けた。
「なによりも、そこには希望があるのだ、トビスケ。物資的には恵まれているが、希望だけがない國とほかのすべてが欠乏しているが希望だけはある國と、いずれがしあわせか、というような問いかけを昔の小説家がしていたが」
「希望? 希望だと?」
「そうだ、トビスケ、希望だよ」
この都市ではどんな荒唐無稽もまかり通る。
寝言師たちが跳梁跋扈し、寝言銃使いたちが暴れ回るこの都市では、な。
「せいぜい、ヒトの人生をねじ曲げて小銭をちょろまかすのが関の山だぜ」
「強がりはよせ、トビスケ。ならば、なぜ、この儀式を最後まで見届けたのだ? どうして、この姫騎士陥落の弾丸を完成させた?」
それはおまえが、わたしと同じものを見て、感じている証左にほかならない。
「これが、いまから巻き起こす反応が、世界を変えるところを見たい、とおまえ自身が望んでいるからだろう?」
ちがう、と反論すべきだっただろう。
だが、いまやオレはわからなくなっていたのだ。
ヨガリの言う暗い欲望が、オレ自身のなかにないのか、と問われたら──否定しきれない。
べつにエルフの姫騎士たちを蹂躙しまくりたい、とかそういうのじゃない。
むしろ、逆だ。
オレは、ほんとうに世界が変えられるのかを……見たいのだ。
それはすべての寝言師が、いや、創作に携わる連中が心の奥底に隠し、捩じ伏せてきた欲望ではないか。
他者に影響を与えられない作品になど、なんの価値もない。
ひるがえって見れば、それは「他者を変えたい」という欲望にほかならないではないか。
ヨガリはそこに囁くのだ。
「感動の師弟対決もすばらしいが……ヨガリ殿、そろそろ、本番といこうではないか」
そして、完全に勝ち誇った様子で、萌杉が言った。
「おお、そうでしたな。この青二才たちに思い知らせるには、まず行いから、ですな」
ヨガリの爺がフードをとり、好々爺然とした表情で萌杉を仰ぎ見る。
その手に握られた、姫騎士陥落のための弾丸の込められた寝言銃。
一方、オレは切札の込められたそれを、ホルスターごと信者にむしり取られた。
抵抗は無意味だ。
「さあ、それを、はやくこちらに」
「はい」
萌杉とヨガリの爺、ふたりが言葉を交わすのと、それは完全に同時に起った。
ドンッ、と銃声が鳴り響き──弾丸が萌杉の眉間を貫く。
そして、
「あ?」
それが萌杉が人間として発した最後の言葉になった。
GAAAAAAAAAAAAAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA──ッ!!
叫びがエクトプラズムのように半物質化してその口と言わず鼻と言わず、ありとあらゆる穴から飛び出した。
それはあっというまに無数の腕に成長し、萌杉だったものの肉体を割破り、内側にあったものを表出させていく。
人間が、架空世界に投げ込んできた欲望の顕現、とそれを言ってよいのか?
剥き出しの欲望が映像化されたならば、それはきっとこのような姿をしているだろう。
ヒトがヒトのこころのカタチを視覚でとらえることができないのは、きっと救いなのだ。
それはひとことで言えば醜悪の極みであり、同時に、畏怖を憶えさせるほどの凄惨な美でもあった。
「ウワアアアアアアア、ああああああああああああ!!!!」
萌杉の四方を固めていた護衛たちが断末魔に似た悲鳴をあげる。
爆発的な勢いで異化してゆく萌杉の肉体が、彼らを取り込んだからだ。
散発的な抵抗を連中は見せるが……焼け石に水だ。
それは自身の肉体を絵の具とし、世界を、現実をどんどんと塗り替えていく。
萌杉が、いや、ヨガリの爺が望んだ世界へと。
信者たちは展開する光景を視ただけで心をやられて、白痴化してしまった。
「なんだ、なんだ?! なにをしやがった、ジジイッ!!」
「おちつけ、トビスケ。制御は可能だ。そのように仕込んだ。いまは展開期に過ぎない。撃ち込まれた言弾を媒介にして《門》から流入した超次元のエネルギーが安定するために、この世界の現実を一部書き変えているに過ぎない。そのためにワザワザ異世界の存在であるエルフの娘ではなく、欲望の主のほうに弾丸を撃ち込んだのだからな」
「なん……だと?! てめえッ……人間に、欲望の主に? な、なにが狙いで、こんなことを」
オレはワケがわからなくなって狼狽える。
ただひとつ理解できるのは、萌杉の思惑と、ヨガリの爺の思惑は似ているようで異なっていた、ということだけだ。
「過程は同じなのでな。利用させてもらったまでのこと」
「なんだと?! どういうことだッ?!」
「言っただろう、トビスケ。このオーサカはすでにして半ば異世界なのだと。人々の理想が具現化した理想郷だと」
「???」
「阿呆面をさらすな、それでも儂の弟子か。考えてもみろ。どうしてそんな荒唐無稽が成立するのか。どうして、こんな無茶がまかりとおるのか。それは、この都市全体が、巨大なエネルギーを得ているからだよ」
どこからか、もうわかるだろう、おまえには。
ふたたびオレと正対して、ジジイは問うた。
もちろん、そのときにはすでにオレにも正解はわかっていた。
「《門》……だと、そう言うのか」
「正解だ、トビスケ。つまるところ、この都市全体と、そこに暮らす住民たちそのものが《門》から強力なエネルギーを引き出し続けているのだ。それが異世界衝突現象後に頻発する怪異の正体なのだ」
世界を変え得るほどのエネルギー。
すばらしいと思わんか?
だが、それをもっと高次元に、限定的に、高い出力で実現したモノが、オーサカにはあったのだ。
ヨガリの目が、笑みのカタチになる。
オレはしらず、答えている。
「アーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)」
「いいぞ、いいぞ、流石は我が弟子だ。察しが良い」
まさか、とオレは目だけで問うている。
そうよ、とジジイは笑みを広げた。
「あの巨大な太陽の歩く塔を動かし、強力無比のアーティスティック・エクスプロージョン光線(通称:アイエー砲)を発生させる動力源。なぜそれが実現できたのか? それは塔そのものの極められた芸術性とその内部に描かれた生命の樹が、《門》から異世界のエネルギーを汲み上げていたからなのだ!」
「それじゃあ、まさか、てめえ──自分の《ちから》でアーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)をここにもう一基造ろうと……」
オレは三度、言葉を失う。
ヨガリのジジイのほとんど狂気とも言える発想に。
気がつけば全身が総毛立っている。
とてつもない恐怖と──ありえないほどの期待に。
もし、もしもこれが完全に理論化されたならば……世界が変わる。
いや、オレたちの手で、変えられる。
その確信に触れて。
「どうだ、トビスケ。これならば! これならば! 一個人の狭い願望だけではない! いくらでもいくらでも叶えてやることができるのだ! 制御された異世界の《ちから》をいくらでも汲み上げて! 世界は変わるぞ!」
「……だが、《ちから》を吸い上げられる異世界はどうなる? 世界に無限のものなどない。オレたちの世界を理想郷にするために……別の世界を、それは侵略することなんじゃないのか?」
「おまえは、いつまで夢想家でいるつもりだ、トビスケ。我々の世界の歴史を学ばせたのはなんのためだ? 古来より戦争が絶えなかった理由は? 植民地政策とは? 核エネルギー開発を危険と知りながらも推進してきたのはなんのためだ? その果てに、あるのだよアーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)は。そして、あのエルフの娘には、その制御装置となってもらう。ハイエルフの──半永久の寿命を使ってな」
ヨガリがオレに歩み寄りながら、言う。
「同志になれ、トビスケ。儂とともに、世界を変える者となれ」
言いながら、ジジイはオレの額に貼り付けられていた呪符を剥ぎ取った。
「忘却の呪符……強制的に辿り着きえた結論から逃げたな、トビスケ? おまえは昔からそうだった。絶対に勝てる狡猾な手を自ら封じる悪いクセがあった。だが、もう必要ない。これからは、いくらでも、いくらでも、望むだけ《ねがい》を叶えることができるのだぞ? 異世界に赴く必要はない。まさに『異世界が来い』の時代なのだ」
それを成し得た者こそが世界を変革し、導く。
まさに“救世主”として。
「だから、同志になれ」
ジジイが勝利を確信してオレに言い寄った。
そして、オレはすべてを思い出している。
ジジイがオレから忘却の呪符を剥ぎ取ったからだ。
だから、言った。
「……断る。願い下げだぜ、ジジイ」
オレが答えるのと、ジジイの顔から表情が抜け落ちるのと、銃声が鳴り響くのはほとんど同時だった。
もうすでに半分アーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)となりかけた堂内に、銃声が弔鐘を思わせて轟き渡る。
「あ、あ、あ、あ、なん、だ、これ、わ──」
ごとり、とヨガリのジジイの枯れ枝めいた右手から、寝言銃が滑り落ちる。
切札が放たれた銃口からは硝煙が。
撃ったのは、オレじゃない。
そして、かくり、と膝をついたジジイの口から。
こんどは、どす黒いものが吹き出して来やがった。




