■第三五夜やん:妖精(エルフ)の騎士(中)
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そして、ふたたびオレだ、トビスケだ。
なにしてるんだって?
いやすまねえ、正直どうしたらいいのかわからなくて固まっちまってる。
想定していたよりも事態は、はるかに最悪だった。
萌杉と護衛の他にはもう儀式関係の三下寝言師くらいだろうと思ってたんだが……甘かった。
やつらが近年急速に勢力を拡大することに成功した理由。
質の高いネタを精製し、常習性の強い同人誌を生産することに成功した理由。
それがキョートの闇を牛耳ってきた最凶の寝言師集団:夜狩流の棟梁、夜狩・雲桟九斎に起因していた事実を、突き止められなかったのは最悪中の最悪だった。
眼前でドンドン進行して行くエリスを異世界にしちまう弾丸の製造工程を呆然と眺めるしかない。
手だけは習い性で無意識に動くが……ちきしょう、これ、手詰まりなんじゃねえのか?
いや……ひとつだけ……考えつかないこともないが……これは試していいものなのか?
そんなオレの葛藤を嘲笑うかのように、ヨガリの爺の手が止まった。
ふー、と深い溜息が聞こえる。
「萌杉さま、エルフの姫騎士のための言弾──いま、たしかに仕上がりましてございます」
「!」
杉材の膳に和紙が敷かれ、そこに輝いていたのはこの世のものとは思えぬ禍々しきオーラを発する弾丸だった。
まさに欲望の集大成。
だが、オレはそのあまりの完成度に目を奪われ、動けなくなってしまった。
オレのなかの寝言師の血が、震えているのだ。
畏怖に。
そして、残酷な知的好奇心に。
「おおおおおお、なんと見事な。さすがは夜狩・雲桟九斎殿。すばらしい! なんともすばらしい! では、すぐにそれをここへ! 早速にも儀式を完成させ、我々の桃源郷へと旅立とうではないか!」
「然り。しかし、これは扱いに細心の注意を払わねばならぬ品。まず、わたくしめが寝言銃に装填いたしますれば……はい」
「うむ、よいようにしてもらいたい」
護衛の帳の向こうから身を乗り出し、頬を上気させ萌杉が命じる。
御意、とヨガリの爺が頷き、重寝言銃に弾を込めるのと、怒声とともにアイツが飛び込んでくるのは完全に同時だった。
「エリースッ!! トビスケーッ!!」
ドンドンドンドンッ、弾倉に残された弾丸を萌杉に叩き込みながら、ゲンが儀式場に転がり込んでくる。
いやオマエ、なんでオレの名前を呼ぶんだよ! という焦りがオレを正気に戻した。
オレが侵入してるのモロバレになるじゃねえか。
あげく、ゲンの叩き込んだ言弾は、案の定玉座に張り巡らされた対言語闘争用の防御スクリーンに防がれてしまっていた。
「やれやれ、騒がしいネズミだ。柔毛ダイスケ。そうか、オマエが不肖の元弟子:トビスケの相棒か」
蚊とんぼかうるさいハエを払うような仕草で、ヨガリの爺が言った。
「無駄だ無駄だ。オマエらごときの稚拙な弾なぞ……命の篭らぬ弾丸でわしの防壁が貫けるものか」
「やってみなけりゃわかんねえだろうがっ」
爺の挑発にゲンはリロードを試みるが……護衛たちが銃口を向ける方が速かった。
もし、制止の言葉がなければ、ゲンは蜂の巣になっていたかもしれない。
「やめよ。丁度良いところにきたではないか……柔毛くん。キミとは一度、ゆっくりと話をしたいと思っていたのだよ」
声は意外な男から発せられた。
玉座に座り、エリスを跪かせた萌杉十三がその主だ。
「よーう、萌杉サン。うちのエリスにずいぶんな仕打ちをしてくれたそうじゃねえか」
四つの重寝言銃の銃口を向けられたまま胸を張って立ち、ゲンが受けて立った。
「オレからの話は極めて単純だ。そのコを離せ。さもなけりゃ、ここにいる全員を掲載不可能な状態にしてやンよ。エリスを、オマエらの薄汚い欲望の犠牲になんか、させやしねえぞ」
「はっはっはっ! なんという威勢の良さだろうか。これだけの敵に囲まれて、なお愛しの姫のために戦おうとは。なるほど気高い騎士道精神というわけか。いやいやいやいや、恐れ入った」
毛ほども恐れなど入った様子も見せずに萌杉は笑う。
「なるほど、キミは騎士というわけだ。この囚われの姫さまの」
そう言いながら萌杉はエリスのおとがいに指を這わした。
じゃらり、と首輪に結びつけられた太い鎖が鳴る。
くっ、と汚らわしいものから逃れるようにエリスが顔を背けようとするが……果たせない。
「なるほど、嫌われたものだ。もう、キミの心はあの騎士とともにある、というワケだね? ふむん、しかし……しかしだ、柔毛くん。わたしはキミのなかに、わたしと同じものを見ているのだよ」
「なんの話だ? 寝言は寝てからにしろよ、この外道」
ゲンのとりつくしまもない反論に、萌杉は目を細め、指にはめた指輪を旨そうにしゃぶってから言った。
あ、あのバカでかい宝石、飴ちゃんなんだ。
「キミのことはいろいろと調べさせてもらった、と言っているんだ、騎士くん」
するととても興味深い事実が浮かび上がってきた。
そのとき萌杉の顔に浮かんだ笑みは、まさに悪魔めいていたとしか形容の方法がないものだった。
「柔毛ダイスケ。出身地:オーサカ。一時期トーキョーで寝言師の仕事をしていたが、オーサカ帰郷時に異世界衝突に遭遇し戻れなくなった。それ以降、寝言師は廃業し、駄菓子屋兼寝言銃使いで糊口をしのいでいる……ここまではいいかね?」
「それが……どうした?」
ゲンがいぶかしげに眉根を寄せる。
まだわかっていないようだね、と萌杉が笑みを広げた。
嫌な予感がした。
「では、ここからだ。家族とは異世界衝突事件の際に死別。天涯孤独の身。かつてつき合っていた女性は存在するも、現在にいたるまで未婚……つまり、キミに奥さんはいない。いたこともない」
え、とエリスが視線を上げたのはそのときだ。
まっすぐなエメラルド色の瞳が、ゲンを凝視していた。
「おかしな話じゃないかね、エリス。彼はキミにあの服を渡すときどう言った? そう、自分の嫁、つまり奥方のものだ、とそう言ったのだろう? キミが教えてくれたんだ」
そして、アレはじつに、そうじつにすばらしいものだったよ。
萌杉は言う。
アレは最高の趣味だ、と。
一方で、指摘を受けたゲンは青ざめ、震えていた。
どうして、というエリスの視線から逃れることもできずに。
「つまり、だ、柔毛くん。キミは彼女に、このエリスくんに投影したのだ。自らのファンタジーを。それも極めてセクシャルで、フェティシズムな」
いいかね、と萌杉は指を振り立てて言った。
エリスにレクチャするように。
「我々の業界にあって『オレの嫁』とは、大変にセクシャルな意味合いを持つ隠語なのだよ。よくよく考えて見たまえ……嫁、というのは自分の奥方に使う言葉では本来ない。それは自分のムスコの妻となった女性に対し、息子の両親が用いる言葉なのだ。転じて、この隠語の意味は、つまりジョニー的なサムシング……わたしが彼女に甲冑をまとわせるのと、なにがちがうというのかね?」
意味はわかるだろう?
レーティング的な配慮をわざわざ表現に持ち込む萌杉の話術は、ひとことで言えば淫靡だ。
完全に勝ち誇った表情の萌杉は、ゲンに向かって言った。
「どうだね、柔毛くん。キミはわたしと結ぶべきだとは思わないかね? キミもまた同じ欲望をエルフに対して抱く者……我々の同志なのだ。行こうではないか。我々の桃源郷へ。そして、見目麗しきエルフの姫君たちの上に君臨しようではないか」
「…………」
ゲンの口からはもう反論がなかった。
きつく引き結ばれた口元とは対象的に、瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
「ゲン……ほんとうなの? コイツの言っていることは……ぜんぶ……ぜんぶ本当なの?」
そして、同じようにエリスの声も虚ろだった。
無理もない。
わずか一週間ばかりのことだが、寝食を共にし、死線を潜り抜け、友情を、もしかしたら愛情も育んできた相手との始まりの絆が──偽りだったのだとしたら。
はらわたを焼かれるような痛みをオレは幻覚していた。
エリスの受けた心の傷と、ゲンのそれを同時に感じて。
たしかに始まりは偽りだったかもしれない。
だが、それでも、互いが潜り抜け積み重ねた現実の時間は本物だった。
憧れはいつも「偽り」の側から始まる。
だけど、それを「本物」に育てるのは「行動」だ。
行い、だ。
ゲンは、だからこそ、いますべてをかなぐり捨ててここにいる。
けれども、それを言葉でどう伝えればいいのかわからず、オレは立ちすくむことしかできない。
「そうだ、エルフの姫よ……キミはどのみち男たちからの欲望によって搾取されるしかない存在なのだ。見たまえ、キミが信じ愛した騎士の姿を……彼も例外ではなかったのだ」
ちがう、とオレは反論しなかった。
言葉では変えられない、証明できないというのなら、行うしかないではないか。
そう気がついたからだ。
「こうなりゃ、やるしかねえ。違いを見せるしか……ねえ」
左脇に吊るしたホルスターにこっそり手を伸ばし、切札を装填した寝言銃を引き抜こうとした、その瞬間だった。
「いいや、トビスケ。おぬしも同じ。いや、おぬしこそ、まさに同じ穴のムジナよ」
背後からかけられた声に、オレはびくり、と身を震わせた。
夜狩・雲桟九斎。
そいつは知っていたのだ。
もうすっかり見抜かれていたのだ。
オレがここにいることは。
「ひさしぶりだな、我が弟子よ」
昏い穴蔵から響いてくるような声で、ソイツはもう一度、オレを呼んだ。
トビスケよ──おまえこそ、同じ穴のムジナなのだ、と。




