■第二三夜やん:シルバーバレット
「どうしてコイツが切札だと言い切れる。ゲン……いいか、確認しておくぞ。《門》に寝言は効く、たぶんな。だがな、よく聞けよ。エリスを元いた世界へ返すには、投じる寝言は、正しくエリスが属した世界の風景と物語でなくちゃあならねえ。これは……どうなんだ? エリスの綴ったものならわかる。だが、こいつは……おまえの筆致だ。そうだろ?」
なのになぜこれが、エリスの世界の物語だと断言できるんだ?
オレは慎重に言葉を選ぶ。
手渡された草稿を叩きながら。
ゲンはコイツを寝言化して、言弾にし、あまつさえそれを太陽の歩く塔の動力源、つまりアーティスティック・エクスプロージョン・ドライヴ(通称:AED)にぶち込む、とのたまいやがった。
ノリだけで試すにはあまりに危険な賭けの申し出。
近づくだけで一苦労な太陽の歩く塔に乗り込み、その心臓部:AEDにそれをぶち込む、とか正気の沙汰じゃない。
当然オレは、要点を確認した。
うっかり死ぬくらいでは済まない計画だったからだ。
下手を打つと世界が消し飛ぶ級の企み。
だが、ゲンは不敵に笑うと言ったんだ。
あとで考えたら、アイツがあんな笑い方をするときは、照れ隠しだったんだな。
「トビスケ、説明しなかったか。オマエと分かれて別行動してた間にオレがどんな体験をしたか。エリスが異世界に食われかけたのを止めたあと発動した魔法のことを」
「魔法? あー、深層の森の投影だっけか?」
「アレはエルフたちが心の奥に宿す心象風景が現界したもの。強く心に焼きついている帰るべき森の姿なんだそうだ」
オレにもようやく話が見えてきた。
エリスが帰るべきエリスの世界と一番深く根っこで繋がっている場所の風景。
ゲンはそこへ立ち入りを許され、記憶と体験を持ったまま現実へ帰ってくることができた初めての人間なんだ。
異世界の姿を覗いて帰ってきた唯一の生還者。
その体験から綴られた幻想小説。
なるほど、それはたしかに有効かもしれない。
あ、いま、だったらエリスが書いたら良いんじゃないかって思ったな?
残念だが、それは無理な注文だ。
文字が書ける、文章が書ける、というのと物語を書く、ということの間には大きな違いがある。
こいつはオレの私見にすぎないが……文章が書ける、というのは誤解なく相手にものを伝達できる、というのがひとつの基準だが、物語、となると話が大きく違う。
あえて、誤解を恐れずに言おう。
読み手を騙すことができる。
物語というほんとうはどこにも存在しないはずの絵空事を持って、まるでそれが実在したかのように、ヒトの感情を操ることができる。
それが「物語が書ける」という言葉の本来の意味だ。
そして……ゲンの草稿にはそれがあった。
「……当然だが、ゲンよ。これ、読ませてないよな、エリスには」
「ああ。もちろん」
うん、と確認してオレも頷いた。
ひとつには、寝言化されていなくともゲンの物語とエリスの親和性のことがあった。
ありていにいうと、もう一度、異世界化現象が起きるかもしれないということだ。
その場合、エリスを核に「同じ世界がもうひとつ生まれる可能性がある」ということで、正直、なにが起るかわからない。
きっとよくないことが起るであろうことだけは確かだが。
もうひとつは、この内容を読んだとしたら……エリスはきっとあの本の作者がだれなのか気がついてしまうだろうから。
それならそれでいいのかもしれないと、オレなんざ思うんだが……ゲンの望みではそれはないからな。
バンパク公園に至る手前でオレは車を降り、廃虚と化した一角で墨を練った。
助手のゲンは火を熾し、降り積もった雪のキレイなところだけを集めて溶かし、墨を溶くための水をこしらえた。
オレはというと、廃虚の一室にかろうじて残っていた畳を引っ張り出し、ホコリを払い落としてから即席の製作現場とした。
タタミ二畳のふきっさらし。
頭上を走る高架の下で世界の命運を変えようか、という一発をこしらえるハメになった。
「雪ぐぞ」
「おう」
ゲンに告げると、茶わんに入れられた筆がさし出された。
オレはそれを受け取ると練り終わった硯にゲンの草稿をかざし、まだ水しか含ませてない筆で丁寧に文字を拾い集めて落とした。
オレが筆でなぞるたび、草稿から文字が生き物のように硯に向かってちゃぽんちゃぽん、と落ちていく。
その様を遠巻きに覗いていたエリスが目を真ん丸にして驚愕した。
無理もない。
こいつはもう、ホントの昔かたぎしかやらねえ寝言師の奥義だ。
ぱしゃり、ばしゃり、と活きのいい魚がそうするように文字たちが硯のなかで跳ねるじゃねえか。
「活きがいいな。さすが書き下ろしだ」
「手間ぁかけるな。これが夜狩流の雪ぎか。次第は聞いてはいたが、見るのは初めてだぜ」
「オレもここまでしたのは十年……いやそれ以上昔のことだ」
雪ぎは寝言の精度を格段に上げる。
だが、そうと知りながら多くの寝言師たちがこの技を試したがらないには、もちろん理由があった。
消滅するのだ。
代償に。
草稿そのものが。
もっと極端な話をすれば、そのへんで売買されている書籍をネタにすることだってできる。
当然、雪がれた本からはごっそり物語が抜け落ちてしまう。
盗作、とオレたち寝言師が言ったなら、それは自作のものではない物語を雪いで完成度を高められた品のことだ。
しかし、たとえキチンと自作されたものであろうと、物語の草稿そのものが消えさってしまうことには変わりがない。
長く読み継がれるべきものとして生まれてきた本たちと寝言の間に、もし大きな差異を指摘しろ、というのならそれは──寝言は「使用され、消滅することを運命づけられた物語」なんだ、という一点に尽きる。
だれかに投じられ、効果を発揮したなら消えてしまう定めの物語。
物語を描くことに魅入られたことのあるヤツだったら、きっとわかってもらえるだろうと信じて話すが……生業とはいっても、なかなか、忸怩たるもんがあるんだぜ、これでも。
せめて草稿くらい、残してやりたいってーのが本音なんだよ。
だから、多くの寝言師たちが精度が上がるとわかっていながら意識的にか、無意識にか雪ぎを避けたがる。
弟子には伝えない師匠も多い。
けれども、この一発で世界を変えようかという今日この日このときにあって、オレはしくじるわけにはいかなかった。
「かまわねえか」と問うたオレに「当然だ」とゲンは答えた。
だからいまオレはこうして、物語を寝言化するために筆をとっている。
迷いはない。
いや、そもそも迷う必要もない。
行き先は筆が、墨が、知っていた。
言葉があり、文字があった。
図像があり、セリフがあった。
駒割り、ふきだし、感嘆符。
リズムがあり、歌詞があり、ときには歌で。
紙の白と墨の黒。
陰陽が交わり合を成す。
寝言は解放だ。
なにの?
物語の。
己のなかに蓄積されたすべての経験が。
己のなかに播種されたあらゆる妄想が。
翼を持った鳥のように、群れになって。
渦を巻いて。
筆先から。
ただの道具から、いまやオレ自身の先端となって。
迸り出る。
気がつくと、書き終えたオレは畳のうえで天を仰ぎ。
荒い息を吐いている。
かたわらでは、書きつけられた寝言の乾燥を待つゲンが、魅入られたようにそれを覗き込んでいる。
どうだ、とは問わない。
ほんとうに成し遂げたときはわかるからだ。
ゲンの吐く息の白さがすべてを表していたからだ。
こうして、この世に消費されるために生まれ出でた一発の言弾を懐に呑み、今日、オレたちは太陽の歩く塔に正対する。




