仕返し失敗
最近、メリノは気になっていることがある。
「マダラ。けっきょく、牙の捧げ方に関して何も教えてもらっていないのですが」
「おや、牙の作法は獣騎士にのみ伝わるもの。実際に捧げるまでは、あなたといえど教えるわけにはいきませんよ」
「で、でも、痛みは無いのですよね?」
「ふふ。痛くないようにしますから、安心してください」
「…………本当に?」
「大丈夫ですよ。…………たぶんね」
「たぶん!?」
声を上げたメリノに、マダラは愉快そうに笑って冗談だと言った。
抗議のために腕をばしばしと叩くと、なんの謝意もこもっていない謝罪をくれる。
「………………っ」
メリノが気になっているのは、このことだ。
最近のマダラは、牙の作法に関して、どうもメリノを怖がらせて楽しんでいる節がある。
しかしメリノは牙を捧げられるのが本当に痛いのかどうか、それなりに不安を持っているので、なかなか精神的な負担になっているのだ。
もしこれが続くようであれば、いくらマダラのことが好きとはいえ、いつまで経っても牙を受け取る覚悟などできるとは思えない。
そもそも、からかわれているようで少し気に入らない。
そこでメリノは、第三者に意見を聞くことにしたのだった。
「……私を巻き込まないでくれ」
信頼できる相手に相談をと思い訪れた領主館で、話を聞いた上司は頭を抱えて机に項垂れた。
「でも他に相談できる相手が思い浮かびませんでした……」
「同僚や友人がいるだろう」
「う、でも、できれば男性が良かったのですが、……先日、男性の同僚としばらく立ち話をしただけで、その場に居なかったはずのマダラになぜか知られてとてもねちねちと責められたので、後が怖いというか」
「……そうか。獣騎士だものな。まあ、上司である私なら許容範囲ということなのか」
カラカル領主であるサーバルには、マダラもそれなりに敬意を払うつもりがあるらしく、関りを責められたりはしない。
それはメリノが、サーバルは親のように思って尊敬している上司だと、懇々と説いたおかげもある。
「……まあ、私はお前から話を聞いただけで、本人に会ったわけではないからな。どうしても意見が偏ってしまうだろうが、」
「構いません。何かご意見があればお願いします」
「……その、私くらいの年齢から見れば、まあ、微笑ましいやりとりだなとしか思えないぞ」
領主のサーバルは独身ではあるものの、一度結婚しているので、今は壮年期の後半という年代だ。人生の先輩から見れば、メリノを悩ませるこの問題が微笑ましく思えるというのか。
にわかには納得できずに黙り込んでしまったメリノに、上司はさらに言葉を添えた。
「おそらく、今は獣騎士も浮かれているのだろう。獣騎士が牙の相手を見つけるというのは、大きな幸いだというからな。しばらくすれば収まるのではないか?」
「マダラが浮かれている……。確かに、最近は機嫌が良さそうではあります。……しかし、そうだったとしても、このままやられっぱなしというのもなんだか悔しいです。今後の関係性のためにも、やはりいくらか反撃しておいた方がいいでしょうか」
「いや、やめておいた方がいいと思うぞ…………」
上司はそう言うが、このままマダラの好き放題にからかわれ続けるのは良くない気がした。マダラは獣の部分が強そうなので、一度上下関係が固まってしまうともう変えられないのではないかと、メリノは危惧している。
マダラのことは好きだが、いいようにされるつもりは無いのだ。
やはりサーバルに相談すると方向性が固まっていいなと、メリノは力強く頷いた。
上司に相談した翌日。
メリノはマダラに魔力を与えていた。
恋人という関係になった今では、マダラが望むならと、メリノはたまに魔力を与えるようになっていた。ただ、魔力は与えすぎると相手を酩酊状態にしてしまうので、そこだけは注意するようにしている。
「…………っはぁ、」
魔力をしばらく注いだところで、マダラが熱っぽいため息を吐いたので、これ以上は危ないとメリノは判断し、魔力を止める。
だがそこで、魔力を注ぐために繋いでいた手をマダラが握り締めてきた。
「メリノ、もっとください…………」
握られた手は熱く、こちらを見つめる金の瞳は明らかな欲に濡れている。
「……いけませんよ。これ以上は、あなたを酩酊させてしまいます」
「構いません。あなたに酔うなら、望むところです」
マダラはうっとりと目元を染めて、握ったメリノの手を頬に擦りつけている。
これはすでに酔い始めているのかもしれない。
「いいえ。私の魔力はマダラには刺激が強いようですから、これ以上はいけません。あまり我がままを言うようなら、もう魔力はあげません」
きっぱりとメリノが拒否すると少し拗ねたような顔をしたので、うっかり少しだけ絆されて、マダラの好きな柔らかい声で優しく言葉を重ねた。
「いいこでいたら、また明日もあげます。だから今日は我慢しましょう。ね?」
ついでに握られたまま頬に擦りつけられている手で、マダラの頬を撫でておく。
その感触に気持ちよさそうに目を細めた後、マダラは何かを思いついたようで、にやりと笑って言った。
「……でも、こうしてあなたの魔力に慣れておいた方が、牙を捧げるときもうまくできそうです。メリノも、痛くない方がいいでしょう?」
ここにきて不安をあおるようなことを言われて、メリノもいい加減、頭にきた。
「……分かりました。では、残念ながらマダラの牙は受け取れませんね」
「は?」
相手がその気なら、こちらも多少の脅かしは構わないだろうと思っただけで、メリノはもちろん本気ではなかった。
「私は痛いことは好みませんので」
これでマダラも少しは反省すればいいのだと、席を立とうとしたメリノはしかし、握られた手を振りほどこうとして逆にぐっと引かれ、気が付けばマダラの膝の上に座るような状態で腕の中にいた。
メリノは何が起こったのかすぐには理解できず、目をぱちぱちと瞬いた。
「え?」
「…………メリノ、俺は以前にも言いませんでしたか? あなたの考えを尊重してすぐに牙を捧げることはしていませんが、」
握られた手に力を込められ、もう片方の腕は腰にしっかりと回され、びくともしない。
メリノが状況を把握して冷や汗をかいている間に、マダラはその秀麗な顔を触れるほどの距離に近づけて囁いた。
「逃げることは許さない、と」
重い囁きを落とされ、至近距離に迫った顔を見つめれば、その瞳は先ほどとはまた様子を変え、獲物を前にした獣のようにぎらぎらとしたものになっていた。さらにその口からのぞいた牙まで見えて、メリノは言葉を失う。
「ああ、忘れてしまった? ……では、思い出させてあげましょうか」
真っ直ぐに首筋を狙われ、柔らかな場所にかぷりと牙をたてられる。
「んっ、」
この甘噛みは、ちょくちょくマダラにされる行為だ。軽くとはいえ急所に牙をたてられるのは、恐怖以外のなにものでもない。
だが以前は牙をたてられるだけだったのが、今はなぜか温かくぬめったような感触もある。
「マ、マダラ? もしかして、舐めて……!?」
「ん? ふふふ…………」
まさかと思いメリノが勇気を振り絞って言及すると、マダラはわざとらしく、ちゅっと音を立てた後、首筋から顔を離した。
再び目の前に戻ってきた王子様のような顔が、獣のような油断のない目で笑い、極上の獲物を前にしたように上唇を舐めている。唇からのぞく舌が妙に艶めかしい。
獣のようでありながら壮絶な色気を放っているマダラに、メリノは顔を赤くして絶句してしまう。
そんなメリノの様子に、獣はさらに笑みを深め、そっと唇を寄せてきた。
押し付けられたものを無意識に拒んで唇を引き結んでいると、悪戯を咎めるように掴まれた手にぎゅっと力をこめられた。思わずびくりとして力が抜けたところをやや強引にこじ開けられ、すぐに口づけは深いものになる。
腰に回された腕がぐっと熱い体を寄せてくるのに、メリノは唯一自由な片手で必死にマダラにしがみつくしかなかった。
「で、メリノ? 先ほどの言葉は取り消してもらえるのですよね?」
「……先ほどの?」
まだ息の整わないメリノは、マダラに髪を梳かれながら、その腕にくたりと寄りかかって細い声で返事をした。
「俺の牙を受け取れない、という言葉です」
「ああ、……あれは、あなたが最近、どうにも意地の悪いことばかりするので、少し仕返しができればと思っただけで、」
少し仕返しがしたかっただけなのに、さらにその倍以上に反撃されてしまった。
このままではよくないことになるはずだったが、何か考えられるほどの余裕はない。今は、先ほどの熱を逃がすのでいっぱいいっぱいだ。
「意地が悪かったですか?」
マダラが心底意外そうな顔をするので、メリノはむっとして睨みつける。
本人の腕の中から睨んでも迫力はないだろうから、言葉も付け足す。
「私が牙の捧げ方に関して不安を抱いているのを知っていながら、マダラはそれを楽しんでいる節がありました。からかわれているようで、気持ちのいいものではありません」
「…………なるほど。確かに俺は、あなたの不安な表情が可愛くて、ついそういった言動をとっていたかもしれませんね。それがあなたを不快にさせたなら、謝ります。すみませんでした」
今までの謝意のない謝罪とは違い、今度はきちんと誠意が感じられた。そうなると、意地を張っていても仕方ないので、メリノは態度を軟化させるしかない。
「……もう、しませんか?」
「あなたを不快にさせるようなことは、慎みましょう」
「…………それなら、今回は許します」
メリノが小さく呟くと、マダラはほっとしたように、ありがとうございますと笑ってメリノの頬に口づけた。
「しかし、メリノがそれほど牙を捧げられることを不安に思っていたとは、気づきませんでした」
「え、あれだけ訴えていたのに……?」
「来るべきときまでに気分を高めるための、作法なのかなと」
「そんなわけありませんよね!?」
やはり獣騎士とは認識のずれがあると、メリノは再確認した。今後は、この認識のずれから大きな問題が起こらないように、もっと対話をしていく必要があるだろう。今のところメリノは、マダラから逃げ出すつもりはないのだ。
「うーん、しかし、牙の作法については、本当に説明することはできないので、俺に任せてくださいとしか言えません」
「任せて大丈夫ですか……?」
メリノが不安そうな面持ちで見上げると、マダラは艶やかに微笑んで、メリノの唇に親指を当て、先ほどの行為を思い出させるように横に滑らせた。
「ふふ、大丈夫。俺は、うまいでしょう?」
ここで、なにが、とは聞かない。
「痛くないように、しっかり準備して、あなたを十分にとろかしてから、優しく捧げますから」
もうこれ以上聞いても、マダラから情報は得られそうにない。
であれば、マダラに全幅の信頼を置けるようになるまで牙は受け取らなければいいのか。
それとも、先日会った獣騎士の同僚ならば、もう少し何か上手に説明してくれるだろうか。
逃がそうとした熱を再び灯されかけ、メリノはまとまらない思考に疲れてしまい、開き直ってマダラの胸に顔を寄せてそのまま腕の中で眠りに落ちた。
けっきょく、牙の件はうやむやのままだ。




