3. 獣騎士につかまった
マダラの体調もずいぶんと回復してきた。
「もうすっかり回復したので、今日はあなたの仕事を手伝いましょう」
「え、それはさすがに……」
「メリノ。俺は強いですよ。魔獣の討伐があれば、必ず役に立ちます」
マダラが強いであろうことは、初めて会ったときに倒していた魔獣を見れば分かる。それに獣騎士とは、武神である獣神に仕える者だ。弱いはずがない。
「そう深く考えずとも。お世話になっているので、そのお礼代わりとでも思ってください」
穏やかに微笑んでそう言われてしまうと、甘えてもいいかなという気になってくるから不思議だ。
その日の領内の見回りにマダラを連れて行くと、森の入り口付近で遭遇した魔獣を驚くほど簡単に討伐できた。
発見と同時にマダラが飛び出し、あっという間に剣で切りつけて弱らせてしまったので、メリノはとどめの魔術を放つだけで良かった。
今までにないほど楽に魔獣討伐を終え、メリノはやや呆然として、剣を鞘に収めるマダラを見つめる。
「ね、俺は役に立つでしょう?」
にっこり笑ったマダラは、息もあがっていなかった。
「……あなたは、一緒に仕事をするにはこの上なく適した人ですね。このまま同僚として一緒にサーバル様に仕えてほしいくらいです」
「おや。あなたに求められるのは嬉しいことですが、それは俺の望む関係ではありません」
思わず勧誘してみたが、ばっさりと切られた。
「ただの同僚では、獣神に俺の執着が認めていただけませんからね」
そうして目を細めて獣のような眼差しで見つめてくるマダラを、メリノは以前のようには邪険にしなくなった。
マダラがメリノに執着を示すのが、誰でもいいのではなく、理由のあることだと理解したので、もう少し向き合ってみてもいいかと思ったのだ。
普段のマダラは一緒に居ても楽な人物だった。気の配り方がうまいのか、とても自然に隣に立っている。メリノは本来はひとりの時間を好むが、自分の家にマダラが居ても、今では全く気にならない。
獣のような気配を纏って牙を捧げようとするときには本気で逃げ出したくなるが、普段の紳士なマダラのことは、メリノは好ましく思っている。
一日の仕事を終え、手伝ってくれたマダラにお礼をしたいと申し出たが、マダラは不思議そうに首を傾げた。
「いえ、あなたを手伝っただけですから」
「でも、すごく助かりましたし。普段はここまで簡単に魔獣を討伐できません。感謝しているのです」
「あなたの声で優しく労ってもらえたら、俺は満足ですが」
「いや、それだけでは、さすがに……」
マダラがメリノの声をなぜか気に入っているのは知っているが、感謝の言葉だけではさすがに気が済まない。
するとマダラは少し考えるようなそぶりを見せた。
「…………では、あなたの魔力をもらいたい」
「え、」
「あなたの魔力以上に、俺が欲しいものはありません」
「う、」
先ほどまでのきょとんと目を瞬いた無害な様子から一転、獣のように獲物を狙う獣騎士の気配を放つマダラに、メリノは体を引きかけ、ぐっと踏みとどまる。
これはお礼なのだから、本人が欲しいというものを差し出すべきだろう。
ものすごく迷ったが、けっきょく魔力を渡すことにした。
「……わかりました。では、そうしましょう」
意思を固めてマダラの手を取ると、その手をぐっと引かれて、なぜか抱き込まれていた。
「え?」
「……このまま魔力をください。手ではなくとも、どこかが触れていれば良いのでしょう?」
たしかに魔力を送るには、体のどこかが触れていれば良いのだが、これほど密着する必要性は皆無だ。抗議しようとすると、その気配を察したのかマダラが言う。
「これはご褒美なのでしょう?……どうか、このままで」
さらに抱く腕にぎゅっと力を込められて、メリノはしぶしぶそのままの体勢で魔力を送ることにした。
だがその前にと、マダラへの感謝を言葉にして伝える。マダラが特に気に入っているらしい、努めて優しい声で。
「マダラ。今日は魔獣討伐を手伝ってくれて、ありがとうございました。とても助かりましたよ」
「…………はい」
抱き込まれているのでマダラの表情は見えないが、その声が満足げなので、きっと喜んでもらえたのだろう。
そうするとやはり嬉しくなって、メリノの顔は自然とほころんでしまう。
次は魔力だなと、メリノは目を閉じる。
マダラのことが好きらしいと気づいてしまったので、このような体勢では心乱れるのだが、気持ちを切り替えて集中を高める。
体のどこからでも魔力は送ることができるが、やはり指先からの方がやりやすいので、抱き込まれたままマダラの背中に手を当て、そこから魔力を注いだ。
「…………」
じんわりと、触れた体に魔力が移っていくのが分かる。
するとマダラが、ほうっと熱っぽい息を吐いた。
「……ああ、まったく。あなたの魔力はどうしてこんなに美味しいのでしょうか。いくらでも欲しくなる…………」
「えっ」
その言い方に、なんだか自分が食べられてしまうような錯覚を起こして、メリノは慌ててマダラの体から逃れようともがいた。
マダラの腕が完全に逃げることを許してはくれなかったが、密着した体勢から少し体を離して向かい合うくらいにはなった。
見上げたマダラは嫣然と微笑んでいたが、その口元からのぞくものに、メリノはどきりとする。
「牙……」
「……おっと。失礼しました。あまりに甘露なもので、興奮してつい」
言いながら、いつの間にか牙は引っ込んでいる。
「興奮すると、牙が出るのですか?」
「そうですね。獣騎士になると、牙は自由に伸ばせるようになります。気分が高ぶると、つい制御が甘くなって出てしまうことがありますね。あとは、威嚇するときなどに」
そういえば、負傷したマダラを発見したとき、牙を出して威嚇された気がする。獣騎士になると、そういった獣的な部分も出てくるのだろう。
「それから、牙を捧げるときも」
「え?」
じっと金の瞳がメリノを見つめている。天敵に睨まれた獲物のように、メリノは動けなくなった。
「いつになったらあなたは、俺の牙を受け取ってくれるのでしょうね……」
腰を抱かれたまま、そっともう片方の手で首筋を撫でられる。
「え、あの、」
「そろそろ観念してもいいのでは?俺があなたを諦めることは、決してありませんよ?」
「そんなこと、分からないではないですか」
人の心は変わるものだ。
だいたい、獣騎士の執着というのもメリノにはよく分からない。
牙を受け取れば、その後はどうなるのだろうか。唯一無二の相棒のようなものになるのか。いずれにせよ、メリノの抱く思いとは違うのだろう。俗世を離れた獣騎士たちが、通常の恋愛をするとは思えない。
であるのに、今のような接触過多の距離で相棒にされたら、メリノの恋心は耐えられないだろう。
だからメリノは、適度な距離を保った良き同僚か、今後もう会わないくらいの関係に落ち着きたいのだが。
メリノの頑なな態度に、マダラはやれやれというようにため息を吐いた。
「あなたは、いまだに俺の気持ちを理解してくれていないようだ。……どうすれば伝わるのでしょうか」
眉を寄せて考え込むのは構わないが、できれば首筋を撫でる手をどけてほしいとメリノが思っていると、ひらめいたとばかりにマダラが声を上げた。
「ああ!……こう言った方が分かりやすいでしょうか。俺はあなたの心に惚れています。あなたが好きなのです」
思いがけない言葉に、一拍置いて、メリノはその意味を理解した。
「……すき?」
意図せず顔が赤くなっていくのを感じる。
それを見たマダラは、無邪気に喜んだ。
「ああ、こう言えば伝わるのか。そう、メリノ、俺はあなたが好きですよ」
金の瞳を甘くとろけさせたマダラにそう言われて、メリノは大いに動揺した。
それではまるで、本当に恋しい人に愛を囁くようではないか。獣とお気に入りの餌ではなかったのか。
……メリノの抱く思いと、同じだというのだろうか。
その日から、メリノは自分の感情とマダラの気持ちをうまく整理できず、盛大に混乱した。
メリノは、たぶんマダラが好きだ。
マダラもメリノを好きだと言う。
では、お互いに同じ気持ちを持っているということなのか。
(……本当に?獣騎士の執着とは、そういうもの?でも少なくとも、獣騎士の牙は、ただの愛の告白のように気軽に受け取って良いものではないはずだから、)
混乱している頭では思考があまり働かず、マダラへの態度を決めかねて、つい避けるようなことをしてしまう。
「メリノ、」
「あ、すみません。サーバル様に呼ばれているので、また後で」
「…………」
マダラが近づいてくると、ただでさえ混乱している頭が爆発しそうになるので、言い訳を並べて逃げ出すように立ち去った。
こうしてマダラを避けることがすでに数日ほど続いていて申し訳なく思うが、今はどうかそっとしておいてほしい。
言い訳にした手前、上司のもとへ向かうしかなかったメリノは、ついでに愚痴を聞いてもらうことにした。
「……私を巻き込まないでくれ」
「う、すみません…………」
カラカル領主は、疲れたようにため息を吐いた。
だが心優しい上司は、部下を冷たく突き放したりはしない。
「メリノ、その、お前が混乱しているのも分かるが、あまり獣騎士を無下にしない方がいいのではないか?」
「そんなつもりはないですが……。とにかく今はひとりで考えたいと思いまして」
「ああ、お前にそのつもりはなくとも、向こうがどう受け取るかがな。伝え聞く獣騎士の性質を考えると、避けるのは得策ではないと思うが」
「……まあ、大人げないのは分かっています」
混乱しているとはいえ、同居人を避けるなど、相当に子供っぽいことはメリノも承知している。だが、どうにもマダラを前にすると冷静になれそうにないのだ。
考えると、情けなさにだんだん落ち込んできた。
「……いや、大人げないというか、……不用意に避けていると、おそらく後で大変なことになりそうだというか…………。まあ、あまり思いつめないようにしなさい」
早く家に帰って話し合えと、上司はメリノを領主館から追い出した。
とぼとぼと家までの道のりを歩いていると、同僚に出会った。
「あら、メリノじゃない」
「ミゼット……」
顔を上げたメリノを見て、ミゼットは驚いたように駆け寄って来た。
「ど、どうしたの、しょぼくれちゃって?」
「うん…………」
「やだ、本当に沈んでるじゃないの。なあに?あたしで良かったら、話を聞くわよ?」
同僚の優しさに甘えて、近くのカフェで話を聞いてもらうことにした。
以前にマダラとの騒動に巻き込んでしまったので、ミゼットは大まかな事情を知っている。あれ以来、メリノとマダラのことをからかい気味に見守っている風なのが少し気になるが、なにか良い助言をくれるかもしれない。
それに、家に帰る時間を遅らせたいという気持ちも、少なからずあった。
「……はあ、なるほどね」
「うん…………」
「うーん、サーバル様の言うとおり、獣騎士を相手に避けるのは悪手だと思うわ。後が恐ろしいわよ?」
「……恐ろしいって?」
「……やだ、本当に混乱で頭が働いていないのね。獣騎士を思い詰めさせたら、」
呆れたようにミゼットが話し始めた、そのとき。
「メリノ」
後ろから、切れそうなほどに鋭く硬質な声が響いた。
驚いて振り返ると、そこにいたのは、一切の表情を消し去ったマダラだった。
いつもの王子様のような微笑みは見る影もない。表情はぴくりとも動かず、ただ、座ったメリノを見下ろす金の目だけがぎらぎらと光っている。
それは、メリノが初めて見るほどに獣の気配を強めた姿だった。
とっさにミゼットの方を見ると、マダラのあまりに凶悪な気配に固まってしまっていた。
その様子を見たマダラは、よそ見をしたことを咎めるように、メリノの頬へ手を当てて自分の方へ顔を向けさせる。
「メリノ、俺とは話す時間も無いと言うのに、他の人間とはこうして一緒に過ごすのですか」
「え、」
「俺を意識するあなたは初々しくて悪くないですが」
マダラは金の目を細め、メリノの頬を優しく愛撫する。
目つきは完全に狙いを定めた獣のものだが、その手つきだけはひどく優しくて、メリノの混乱に拍車をかける。
「あまりあなたを怖がらせるのは本意ではないのですが……。だが、俺から逃げるのは我慢できません」
頬から首筋へと、手がするりと移動する。頸動脈を探るように、剣を握る武人の指先が首筋を這う。
「獣は、逃げられると追いたくなるものです。どこへ逃げようと、地の果てまでも追いかけますよ?……その後は、もう逃げないように閉じ込めてしまうかも」
息をのんだメリノは、ただマダラが身を屈めるのを見ていた。
マダラの視線の先にあるのは、メリノの首筋。開いた口に見えるのは、牙。
ゆっくりと近づいた口が、首筋をかぷりと甘噛みするのを認識したところで、メリノは意識を手放した。
目が覚めると、メリノは自室の寝台に寝かされていた。
衣擦れの気配に横を見れば、寝台に椅子を寄せてマダラがこちらを見下ろしていた。その目はもう獣のようにぎらついてはおらず、ただ心配そうにこちらの様子をうかがう、穏やかなマダラであるようだ。
「……マダラ?」
「目が覚めましたか?突然気を失ってしまったので、心配しました。気分はどうでしょうか?」
「……もう、大丈夫そうです」
ほっと息を吐いたマダラがコップに水を入れてくれたので、メリノは上半身を起こして受け取った。その際にも、マダラは自然な動作で起きるのを手助けしてくれた。普段はやはり紳士だ。
「…………ふぅ」
冷たい水が、冷静さを取り戻させてくれるようでありがたい。これからメリノは、マダラと話し合わなければならないのだから。
よし、と気合を入れて、獣騎士と向き合った。
「マダラ、……その、理不尽にあなたを避けてしまって、すみませんでした」
「謝罪をするということは、もう逃げるのはやめたということですか?」
「ええ、きちんと話し合いましょう」
「そうです。あなたが相談するべきは、俺でしょう。他の人間ではなく」
嬉しそうに笑うマダラの言葉に、そういえばとメリノは思い出した。
「あ、そういえばミゼットは?」
「ミゼットさんには、メリノのことは俺に任せてほしいとお願いして帰ってもらいました。あなたのことを心配していましたよ」
「うわあ。今度謝っておかないと……」
以前もマダラとのことで迷惑をかけているので、今度こそ何か美味しい食事でもおごっておくべきだろう。
そこで少し考え込んでしまったのが気に入らなかったらしいマダラに、ぎゅっと手を握られた。
「メリノ、今は他の人間のことより、俺のことを考えてください」
「……そうでしたね」
それではと、メリノはまず最も気になっていたことを尋ねた。
「念のために確認するのですが、あの、私はまだあなたの牙を受け取ってはいませんよね?」
気を失う直前の行為が、もしや牙を捧げたことになるのだろうかとメリノは心配したのだ。
「ええ、あなたの同意なしにそのようなことはしませんよ。……同意してもらえるのであれば、今すぐにでも捧げますが」
「い、いえ!待ってください」
身を乗り出そうとするマダラを、メリノは慌てて押し留める。
「……その、私はマダラのことが好きだと思います。マダラも私のことを好きだと言ってくれますが、それは一体どういう意味でしょうか」
「意味?」
「私の考える好きという言葉と齟齬があるのではと案じているのです」
「……そうですね。俺が言う好きとは、牙を捧げたいということです。そう思うのはあなただけ。だからあなたがよそ見をしたり、まして俺から逃げたりするのは我慢できません。これからのあなたをすべて独占したいし、いつも俺の側に居てほしいし、男としての俺に気持ちを向けてほしいと思っています…………これは、あなたの考えるものとは違いますか?」
すらすらと出てくるマダラの欲求に、メリノはやや圧倒された。
これが獣騎士の執着というものなのか。
そして、男としてのマダラに気持ちを向けてほしいということは、そういうことなのか。
「う、……ちょっと行き過ぎのような気もしますが、概ね違いません」
「では、牙を受け取ってもらえるのですね」
マダラが再び身を乗り出そうとするのを、メリノはなんとか落ち着かせる。メリノがはっきりと好きだと告げてしまったからか、マダラの遠慮がなくなってきているような気がする。いつの間にか、紳士なだけのマダラではなくなっている。
「……私とあなたが出会ってまだ何日も経っていません。だから、簡単にあなたの牙など受け取れません」
「日数など関係があるでしょうか?」
心底不思議そうに首を傾げる相手に心が折れそうになるが、獣騎士とは俗世から離れた者たちだ。こちらの常識をきちんと説明しなければ、歩み寄りは叶わない。
「……いいですか。俗世の人間というのは、思いを育む時間を大切にするものです。あまりにも短い時間で育ったものに、信用を置きません。私はきちんとあなたへの思いを育てたいので、しばらく時間をください」
メリノはマダラに対して好意を抱いているし、マダラもメリノのことが好きだというなら、それに応えたいと思う。
だが、牙を受け取るほどの覚悟があるかと問われれば、即答できない。
なぜなら、マダラと出会ってからまだいくらも経っていないからだ。一生の決断をするには話が急すぎる。
「……なるほど。あなたが俺たちの関係を大切にしたいと思っていることは分かりました。あなたは俗世の人間だから、そちらの慣習に倣うのは当然でしょう。……俺としては今すぐにでも牙を捧げたいところですが、あなたを尊重して、今しばらく待ちましょう」
そっと、伸ばされたマダラの腕に引き寄せられ、囲われる。
「その代わり、逃げることは許しません」
牙をのぞかせて言うマダラのその腕が、獣の檻のようだとメリノは思った。
少し躊躇いながらも、しばらくはそこに身を委ねてみようかと、メリノが目を閉じて寄り添うと、獣騎士は喉の奥で笑ったようだった。
これにて、本編完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました!
また来週末あたりに、マダラ視点の番外編を投稿させていただきます。獣騎士の同僚が出てきたりもするので、よろしければご覧ください。




