新茶酒と共に
メリノがマダラに牙を捧げられてしばらく後。
休日の午後、ふたりで街へ買い物に出ていたところで。
「メリノ、こちらへ」
不意にマダラに腕を引かれ、メリノはその背に隠された。
視界を覆う背中を見つめてみれば、少しだけマダラの気配がとげとげしい。
(今度はなんだろう……?)
牙を受け取って以来、こういったことがたまにある。
どうも今のマダラは、メリノが他の人間と関わるのがあまり愉快ではないらしい。これは牙を捧げた直後の獣騎士としては当然のことで、牙の相手を自身の領域内から出すことを嫌がるのだという。
(獣はなわばりに敏感なものだし、仕方ないかな…………)
このように他の人間を威嚇するのは、牙を捧げてからしばらくすれば通常は治まるものらしく、ひとまずメリノは受け入れている。今日のように街へ出て買い物をするにも、店主とのやりとりはすべてマダラが行い、メリノは喋らない。
だがひどいときは、挨拶の笑顔を向けただけで他人を威嚇するので、すぐに窘められるようにとメリノはマダラの手をぎゅっと握っている。メリノの関心が自身にあると分かれば、獣はとりあえず大人しくなるからだ。
この、やや手のかかる威嚇期間がどのくらい続くのかは、獣騎士にも個人差があるようだ。
(こういうときこそ、ルーセットさんに相談したいのになあ)
マダラの牙を無事に受け取ったことも、直接会って報告したい。だが残念ながら、今のところメリノはルーセットに会えていない。
ルーセットはオランの獣騎士の仕事にいつも同行していると言っていたし、今は忙しいのかもしれない。
マダラの背中を前にして、あれこれメリノが考えている間に原因が近づいて来た。
「よっ、マダラ!」
「…………モズ、」
呆れたようなため息と共に聞こえた名前に、メリノは、おやと顔を上げた。
「マダラ、久しぶりだな」
「先日、あなたたちに呼び出されましたが」
「ははっ。あれはずいぶんと前だろう。あれ以来、マダラは仕事にも出て来ないんだものなあ」
マダラは牙を捧げて以来、ずっとメリノの側から離れない。
仕事に行く様子もないので尋ねてみれば、本人いわく、獣神から休暇をもらっているとのこと。
獣騎士の執着は獣神の影響によるところが大きいから、かの神は牙の相手に関することであれば大抵のことは許してくれるらしい。だからこの休暇も、快く許可されたのだとか。
(モズさん、もしかしてマダラに会えなくて寂しかったのかな……)
マダラの背から少しだけ顔を出してみれば、なんだかモズの眉が下がっているようにも見えた。この獣騎士は、本当にマダラのことが大好きなのだろう。
マダラを独占してしまって悪かったかなあと申し訳なく思っていると、モズがメリノに視線を合わせて、にやりと笑った。
「メリノも久しぶりだな。……実は、これが手に入ったんで持って来た」
「そ、それは…………!」
モズの掲げた酒瓶に、メリノが目を見開く。
見覚えのある、濃緑の酒瓶とそこに貼られた白抜き文字の酒札。
「そうだ。これは、マーモット領の新茶酒だ」
やはり、とメリノの目が輝いた。
マーモット領の新茶酒は、この時期にしか作られない希少なお酒だ。お茶の名産地であるマーモットの領民たちが身内で楽しむことを目的として作るため、市場にはほとんど出回らない入手困難な幻の銘酒。
メリノは一度だけ飲んだことがあるが、新茶の香りが豊かなとても美味な一品だ。そのときも、持ち込んだのはモズだった。
「しかも今年のは、特別に出来がいいらしいぞ。俺はこの酒を、三人で飲もうと持って来たんだがなあ」
モズの言葉に、メリノは握っていたマダラの手を、力いっぱいにぎゅうっと握りしめた。
「マ、マダラ! 新茶酒ですよ、飲みましょうっ」
「……………………はあ、分かりました」
メリノが勢い込んで言えば、マダラはため息を吐きながらもしぶしぶ頷いてくれた。
モズを連れて家へ戻り、それぞれがソファに落ち着いて。ではさっそく飲もうかというとき。
マダラが、ひょいっとメリノを抱えて膝に乗せた。
「えっ」
「メリノ、あなたの席はここです」
有無を言わせずマダラの膝の上に横向きで置かれてしまい、メリノは困惑した。
「いや、モズさんもいるのに何を、」
「俺の膝に乗ってくれないなら、モズにはここで帰ってもらいます」
それを聞いて、悪戯が大好きで面白そうなことには乗らずにおれないモズは、にやにやと笑った。
「ははーん。そうなったら俺は、新茶酒も持ち帰るしかないなあ」
「………………」
貴重な新茶酒と、羞恥心。どちらを取るべきか。
メリノはしばし迷ったが、ここは自宅で他にひとはいない。そして相手は、あのモズだ。多少のことは気にしないだろう。
「…………わかりました。ここで飲みましょう」
「はははっ、そうこなくっちゃな!」
こうして飲み始める前にひと悶着あったが、メリノは無事に二度目の新茶酒を味わうことができた。
口に含んだ瞬間に広がる、やや苦みのある爽やかな新茶の香り。幻の銘酒はやはり素晴らしかった。
この美味しさの前には、マダラの膝の上だという羞恥も消えていくようだ。
「美味しい…………」
「ええ、本当に」
「ははっ、喜んでもらえて良かったよ」
それから、希少な新茶酒をどうやって手に入れたのかということを、モズは楽しそうに話し始める。
他にも、メリノたちのここ最近の話だったり、ルーセットたちの近況を聞いたりと、お酒の入った三人の会話は盛り上がった。
「なあ、メリノ……」
そんな中で、ふと、モズが悪戯っぽく笑ってメリノへ手を伸ばした。
「モズ」
低い獣の声が、メリノのすぐ近くで響いた。
するとモズは分かっていたように、ぱっと手を戻す。
「……くくっ。悪い悪い、冗談だ」
「冗談でも、メリノに触れれば容赦しませんよ」
単なる脅しではないというように、マダラの瞳が細められる。
大丈夫だとは思うが、メリノは念のためにマダラの手を取って握っておいた。少しだけ、マダラの気配が緩む。
「牙を捧げたばかりの獣騎士がどういうものか、もちろん分かっているさ。それはオランのときに体験済みだ」
「…………まさか、あのときのルーセットに触れたのですか?」
「ああ。どんな感じか興味があったからなあ」
どうやらモズは、牙を捧げられたばかりのルーセットに、持ち前の好奇心から触れてみたらしい。
今のマダラを見ていれば、当時のオランも相当に威嚇していただろうというのは想像がつく。だからこそ、よけいに興味を引いたのか。
「いやあ、本気のオランはなかなかだったなあ。一撃は軽いが、なんといっても素早いもんだから、避けるのは骨だった。ルーセットが止めてくれなければ危なかったかもな」
「オランも災難な…………」
はははと笑うモズに、反省の色はない。
そういえば以前にマダラから殺気を向けられたときも、まったく気にした様子がなかった。
このひとは本当に好奇心の塊なのだなと、メリノは改めて思った。
夕方。
新茶酒を飲み干してすっかりいい気分のモズを、家の外までふたりで見送る。
「いやあ、楽しかったな。また来る」
「もう、しばらくは遠慮してください」
「ははは、そう言うなって」
けっきょくメリノを膝の上から降ろすことがなかったマダラも、モズと話しているときは楽しそうにしていた。マダラだって、モズのことを気の置けない友人だと思っているのだ。
マダラがメリノを最優先に考えてくれるのは嬉しいが、やはり友人は大事にするべきだと、後で言っておかなければ。
友人と楽しそうにしているマダラを見るのも、メリノにとっては楽しいことだ。
「メリノ」
「はい?」
マダラとじゃれていたモズが、不意にこちらを向いた。
「マダラのことを頼むな」
突然にそんなことを言われて、メリノは少し驚いた。
本当に、モズはマダラのことが大好きだ。
「はい、任せてください」
言われずともそのつもりだとメリノが微笑んで答えれば、モズは満足そうに頷いて帰っていった。
「獣騎士の捧げる牙 番外編」の本を作りました。(「獣騎士の牙を受け取った」までを収録。)
ウェブ再録に加えて、書き下ろしもいくつか入っています。
ご興味ありましたら、2022年5月4日の活動報告をご覧ください。
もしくは、直接BOOTHのページへどうぞ(^^)
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