小話:就寝時の攻防
マダラに牙を捧げられてから、メリノの体に大きな変化はない。牙を打ち込まれたであろう場所を見てみたが、傷跡などもまったく残っていなかった。
あのときメリノの意識はぼんやりしていたから、もしかして牙を受け取ったのは夢だったのだろうかとも思ってしまいそうなくらいに、何もない。
だが、変わったこともある。
就寝前の、マダラの部屋でのおしゃべりの時間は、あれからも続いている。
「メリノ。今日も、お疲れさまでした」
「マダラも、お疲れさまです。今日の見回りは何匹か魔獣が出て、少し大変でしたね」
「ええ、この時期は魔獣の活動期ではないはずなので、珍しいことでしたが」
「でも、あそこで退治できてよかったです。マダラのおかげですね」
獣騎士は俗世の権力とは関わらないから、通常であれば領主の仕事を手伝うことはない。マダラがカラカル領の見回りをしてくれるのは、メリノのためだ。
それをきちんと理解して感謝を忘れてはいけないし、そのマダラの行動が自分への好意からくるものだと思えば、嬉しさがある。
「マダラ。いつも、ありがとうございます」
「あなたの住む場所ですからね、構いません」
お互いに少しだけ杯を掲げて、微笑み合った。
こくりと杯の中身を口に含めば、酒精の熱さが鼻に抜ける。今夜は冷えるからと、そこそこに強いお酒を選んだのだ。おかげで体が温かい。
「おや。この酒は、初めて飲むような気がしますが?」
「いつだったか、モズさんにもらったものですよ。受け取ったまま忘れていたのを、棚から見つけまして」
「モズに…………」
悪戯好きの友人の名を出されて、マダラは警戒するように酒瓶を睨む。
「そんなに警戒しなくても、大丈夫そうですよ? 酒札を見るに酒精が強そうだったので、今夜にぴったりだなと開けてみました」
「……今回は問題ないようですが、モズから渡されたものに油断は禁物です」
相変わらず、マダラの中でのモズの評価がひどい。だがそれが獣騎士ふたりの仲の良さの証のようで、メリノはくすくすと笑いながら頷いた。
「ふふっ。そうですね、気をつけます」
「……本当に、用心してくださいね」
メリノの態度にマダラは少し不満そうだったが、実際のところ今夜のお酒は美味しいものだったので、やがて機嫌を直していた。
こんなふうに、しっとりと静かな夜の雰囲気の中で一杯のお酒を片手に語らうのは、メリノのお気に入りだ。
今日もそんな穏やかな時間を終えてメリノが席を立ったところで、マダラに手を取られた。
「メリノ」
「…………駄目ですよ」
名前を呼ばれ、すぐにメリノはその意図を察した。マダラの甘えるような声に、頷いてしまいそうになる自分をぐっと押し止めて、メリノは否定を返す。
するとマダラが、悲しそうに眉を下げた。たぶん演技だが、その表情はメリノの心をいくらか刺激してくる。
「なぜですか?」
「明日も仕事です。それに、明日はいつもより早めに領主館へ行く用事があります。それぞれの部屋でゆっくり寝ましょうね」
「それでは、休みの前日しか一緒に眠れません」
「まあ、そうですが………………」
牙を捧げてからというもの、マダラはメリノと一緒に寝たがった。
マダラの言い分では、本当は以前からずっと一緒に眠りたかったらしい。今までは我慢していたが、もう牙を捧げたのだから遠慮する必要を感じないとのことだ。
メリノとしても、マダラと一緒に眠るのは好きだ。
あの頼もしい腕に包まれていると、おばけの恐怖も飛んでいくくらいに安心感があるし、恋人のそばは心地いい。
それに牙を受け取ったからには、マダラの望むことはなるべく叶えたいとも思う。
思うのだが。
「……マダラと一緒に寝台に上がると、ゆっくり眠れそうにないので」
「メリノの就寝時間はきちんと確保するよう努めます」
「いや、普通に寝かせてください」
「メリノ。俺は今まで、よく我慢していましたよね?」
「………………」
「俺はもう、メリノがいないとぐっすり眠れません」
「……………………」
この話し合いはきちんと決着をつけないと、後で痛い目をみる。
以前に、もう知りませんと部屋へ引っ込んでみれば、マダラがメリノの寝台にもぐりこんできたことがある。あの後の攻防がまた、ひと騒動だった。
どうしたものかと黙り込んでいると、マダラが、握っていたメリノの手をくいっと引いた。
「メリノ、俺はあなたを感じて眠りたい。牙を捧げた相手に触れていると、その繋がりをより深く実感できて、とても幸せな気分になれます」
「……それは、分かる気がします」
今、こうして手を取られているだけで、メリノもマダラとの繋がりを感じる。恋人に触れられているのとはまた別の、不思議な安心感があるような気がした。
「だからメリノに触れていると、よく眠れます。先ほど、明日は早いと言っていたでしょう? 寝坊させるようなことはしませんよ。朝、きちんと起こしてあげますから」
「……………………」
明日の朝、仕事に遅れないように起きられるなら問題ないという気がしてきた。メリノがどれだけ毛布から出たくないと駄々をこねても、マダラはちゃんと起こしてくれるだろうから。
うろうろと視線をさ迷わせたメリノを、マダラがじっと見つめてくる。薄暗い部屋の中で、金の瞳が艶やかな輝きを放っていた。
メリノが目を合わせれば、その輝きがとろりと甘くなる。
「ね、メリノ?」
握っていた手が離れ、ゆっくりと腕を広げられてしまえば。その腕の中の心地よさを知っているから、メリノはつい引き寄せられてしまう。
体を寄せたメリノを、マダラは満足げに抱きしめた。
捕まえたというように背中へ回された腕を感じながら、メリノはせめてもの抵抗とばかりに、呟く。
「……今日は、一緒に眠るだけです」
「はい」
「明日以降のことは、また話し合いましょう」
「ふふっ。そうですね」
いかにも理解ある恋人のように返事をするマダラがなんだか気に入らなくて、メリノはすぐそばにあった首筋へ噛みついた。
「っ、…………メリノ、なかなか刺激的なお誘いですね?」
衝動的に噛みついてしまったが、首筋はまずかったかもしれないと気づいても、後の祭り。
嬉しそうに笑う獣に抱き上げられて、メリノは寝台へ運ばれることになった。
牙を受け取ってから、変わったこと。
それは、マダラの遠慮がなくなってきたことだ。獣が我慢をしなくなった。
そしてメリノにも、それを拒否する明確な理由が見当たらないため、ずるずると受け入れてしまいがちなのだった。




