うっかり
カラカル領主付きの魔術師メリノは、魔力の細かい操作が得意だ。どかんと大技を放つよりも、小技を効果的に駆使して目的を達成することが多い。同僚たちから、器用だなと感心されることもよくある。
思えば、マダラも雑用から料理までなんでもできる器用なひとだ。もしかしたら、そういうところがメリノと相性が良いのかもしれない。
そんな器用なメリノだから、マダラに魔力を与える際も細かく加減を調整することができる。
だが、メリノはたまに「うっかり」魔力量の調節を誤ることがある。
「……っ!」
はっ、と目を覚ました。
急な覚醒だったうえに辺りは真っ暗で、メリノは自分の置かれた状況がすぐには把握できなかった。
「………………」
無意識にぎゅっと握りしめた指先には、敷布の感触。
そろりと目を動かせば、見慣れた部屋。
どうやら自分は、自室の寝台に仰向けになっているようだ。
(…………ゆめ、)
夢を見ていたのだと分かり、先ほどの恐怖は現実ではないのだと理解した。だが、強烈な感情をもたらした記憶は尾を引いたままで、心臓はどくどくと忙しない。
ゆっくりと体を起こし、強張った手で自身の体を抱きしめる。
それで少しは心が静まるかと思えば、まったく落ち着かない。
以前ならきっと、これでしのげていたはずなのに。今は駄目になってしまった。
それは、もっと安心できる腕を知っているからだ。
「……………………マダラ、」
メリノは寝台を抜け出して部屋を出ると、夜の暗闇を進んだ。
迷わず目的の部屋に到着し、その扉をそっと開ける。
できるかぎり静かに入ったつもりだが、それでも部屋の主は目を覚ましていた。さすがに獣騎士は気配に敏い。
「……メリノ?」
聞こえた寝起きのかすれた声に、起こしてしまったことを申し訳なく思いながら寝台へ寄った。
深夜の突然の訪問に不思議そうにしているものの、マダラの顔に不快さはない。そのことに、ほっとする。
「マダラ、起こしてしまってすみません」
「いえ、……どうかしましたか? 少し、顔色が良くないようですが」
体を起こしたマダラが手を伸ばしてくれたので、メリノはそれをきゅっと握った。それだけで、全身に回っていた恐怖が少し和らぐ。
一方でマダラは、メリノの指先が冷たいことに眉を寄せたようだ。
「あの、少し夢見が悪くて、」
「……なにか良くない夢を?」
以前にメリノは、季節風の魔術の影響を受けて不安定になったことがある。だからマダラは、また魔術の影響なのかと心配してくれているらしい。
だが、今回はそういうことではないのだ。
「はい。………………おばけ、が」
「は?」
「おばけが出てくる夢でした。あの、……怖いので一緒に寝てもいいですか?」
「おばけ…………」
マダラはもう一度、おばけ、と呟いた。
そのままなぜだか黙ってしまい、まだ夢の恐怖が拭いきれていないメリノはなんだか不安になった。
もしも断られて、ひとりになったときにおばけに襲われたらどうしよう。
「あの、駄目…………ですか?」
心細さにもう一度問えば、マダラははっとして頷いた。
「あ、ああ。もちろん構いません」
握っていた手を引かれて、寝台の上へ促される。
マダラが毛布を上げて迎え入れてくれるままに、そこへ収まった。
おばけの恐怖から逃れるようにマダラへ体を寄せれば、すぐに腕の中へ囲われた。
「メリノは、その……、おばけが苦手ですか?」
「…………小さいころから、どうにも怖くて」
そうですかと、マダラは妙に静かに囁いた。
メリノにとって、おばけが怖いのは理屈ではないのだ。怖いものは怖い。
そう訴えれば、マダラは宥めるように背中を撫でてくれた。
「……少し、体が冷たいようです。いけませんよ、女性が体を冷やしては」
「ん、マダラが温かいので大丈夫です」
夢の恐怖で、冷や汗でもかいてしまっていたのかもしれない。今はこうして安心できる腕の中にいるから、メリノは気にならない。
だがマダラは、冷たい体が気に入らないのかメリノをますます腕で囲う。おかげで背中も温かい。
そうすると、嫌な音を立てていた心臓もゆったりと落ち着いてきて、どこかへ行っていた眠気が再びやって来る。
「やっぱり、マダラのそばは安心します……」
「ふふ。いつだって、俺はあなたのそばに居ますよ」
「うん、」
マダラが小さく笑う気配があったが、メリノはそのまま、すうっと眠りに落ちた。
すっかり安心して眠ったおかげで、もう、おばけの夢は見なかった。
そんな夜を越えた翌日の夕方。
仕事を終えて帰宅し、夕食まで少しゆっくりしようかとソファで寛いでいたところで、マダラが甘えるように言った。
「メリノ、あなたの魔力が欲しい気分です……」
目を細めて頬を撫でてくるマダラの手を捕まえて、メリノは少し考える。
今ではすっかりマダラに甘くなっているメリノだから、欲しいと言うならあげてもいいかなと思う。
そういえば、昨夜はおばけから守ってもらったのだった。では、少しばかり多めにあげてもいいかもしれない、とも思った。
(それに、なんだか私もマダラを感じたい気分…………)
よし、と心を決めたメリノは捕まえていた手を両手で包み、ゆっくりと魔力を流していく。
じわりじわりと魔力が移動するのを感じながら、そろそろ止めるべきだなと分かった。魔力を送りすぎると、相手を酔わせてしまう。
だがそのとき、「うっかり」メリノの手元が狂い、少し多めに魔力を流してしまった。
「っ、」
すると、思いがけず多くの甘露を与えられたマダラはぴくりと震え、その金の瞳がとろりと甘くとろける。
「メリノ…………」
魔力を送るために握っていた手はそのままに、マダラのもう一方の手がメリノの両手を覆う。
ぐいっと引かれたメリノは、抵抗せずにマダラの腕の中に収まった。
いつもより少しだけ熱いマダラの体に、「うっかり」送りすぎた魔力が酔いの効果を出していることが分かる。
ふう、とマダラが熱を逃がすように吐くため息も、やはり熱い。
「すみません、マダラ。少し、調整を誤りましたか」
申し訳なさそうに見えるよう眉を下げて言えば、すぐそばにある獣の顔が笑みを浮かべた。
「そう……メリノも、うっかりすることがありますね」
「はい、うっかりです。マダラ、大丈夫ですか?」
「……ん、大丈夫です」
腕の中に収まったことで解放された手を、ほのかに染まった頬に当てる。すると金の瞳が細められて、すりすりとすり寄ってきた。
その様子を見たメリノは満足げに微笑み、よいしょと膝に乗り上げた。そうしてその胸に体をあずければ、よりマダラを感じられるようになった。
「……もしかして、これは昨夜のご褒美、なのでしょうか」
「ふふ。どうでしょうね」
少し驚いたようなマダラに、メリノははっきりとは答えない。どちらでも、マダラの好きなように取ればいい。
ひとつ、はっきりしているのは。
「なんだか、マダラを感じたい気分です…………」
するとマダラは嬉しそうに笑った。
「そうですか。好きなだけ、感じてください……」
その口からは牙がのぞいていて、獣の気配が漏れていた。そうなることを望んだはずなのに、少しだけぞくりとしてしまうのはどうしてなのだろう。
だがもちろん、ここで引くようなことはしない。
ついっと取られた指先が、獣の口元へ持っていかれる。
「んっ、」
ぱくりと口に含まれ、甘噛みされた。こうして甘噛みされるのは、首筋がもっとも多いが、指先や他の場所へもされることがある。
「メリノ、俺の…………」
呟かれた言葉は最後まで聞こえなかった。
獣はメリノの指先を口に含んで遊んでいる。痛くはないが、獣の牙を感じた。
そういえば最初のころは、急所に牙をたてられる度に恐怖でいっぱいになっていた気がする。
(でも、今は平気だなあ……)
それどころか、すっかり敏感になってしまった首筋を甘噛みされると、恐怖ではないものが背筋をぞくりと走り、思わず声がもれるくらいになってしまった。
今も、指先を甘噛みされて不快な気持ちは湧かない。
どちらかといえば。
「気持ちいい、かも…………」
「ん? ふふ、気持ちいいですか?」
もれ出た呟きに、指先をいじっていた獣が嬉しそうに笑う。それでもメリノの指を離そうとはしないので、指先でくにくにと唇を押してみた。するとさらに嬉しそうに笑い、舌を出してぬるりと舐めてきた。
「んっ、」
「悪戯な指ですね……」
ますます指に執心する獣に、メリノは少し不満を抱く。
そろそろ、指ではなく違う場所へ目を向けてほしい。
「マダラ、」
そんな気持ちを込めて名前を呼んで見つめれば、金の瞳が細められる。そこに乗る感情は、求められる喜びと満足感。
期待通りに寄せられる獣の唇を受け入れるために、メリノはそっと目を閉じた。
マダラとの関係が深まって、こうしてメリノからもマダラを求めるようになった。
たまにメリノが「うっかり」魔力の調節を誤ることに、マダラは気づいているのかどうなのか。
(気づかれているような気もするけれど、)
まあ、どちらでも構わないだろう。
どちらにせよ、メリノは求め、マダラは応えてくれるのだ。




