18、物言えば唇寒し秋の風
仕立ての悪魔ブリエルさんは俄然やる気に満ちた様子で「お任せください!」と息巻いた。イドラのお屋敷の中でなら、妖精達相手に行われるお茶会なら、これまでそれほど華美な装いは必要なかった。エチケットをきちんと守ってさえすればよかったが、さすがに皇太后様のお茶会にお呼ばれして、いつも通りというわけにはいかないだろう。
「ダイヤモンドを砕いて散りばめますか。それとも蚕の悪魔たちにこの世の人では身につけられない絹を織らせましょうか。海の悪魔たちに言って真珠を海中からかき集めますか」
「え、えぇっと。相手に見くびられないくらいの華やかさでいいんですが」
「あははは、はははは。奥様。我らが敬愛するアゼル奥様。なにを寝ぼけたことをおっしゃられるので?貴族の装いというものは武具でございますと初日に申し上げたでしょう?お忘れで?ただそこに立つだけで相手を圧倒し蹂躙してこその美。慎ましく可憐に控えめでありながら見る者に自らの醜さを自覚させ平伏させるくらいあって当然でございましょう?人の描く絵画が物言わずとも人の心をかき乱すように。奥様は我らが女主人様でございます」
ごくごく当然、世の条理であると悪魔がもっともらしい顔で言う。私に宛がわれた部屋の奥にある大きな衣装部屋が「我が城」と言うブリエルさんはキラキラと金に輝く髪のとてもきれいな悪魔だった。屋敷の悪魔達の着ている者は皆ブリエルさんのデザインだそうで、「女主人様のご衣装をお任せ頂けるなど、あまりに恐悦至極に存じます」と感極まって大泣きしたプロ意識の高い悪魔だ。
私の色の好みは特になく、悪魔だからかどこかからか仕入れた情報で「なるほどなるほど、このお茶会の「決まり事」は。なるほどなるほど。招待状に書かれていないとは、あまりに無礼な!」とブツブツ呟かれ、額に青筋を浮かべていたけれど、くるり、とこちらに顔を向けるときにはいつものにっこりと、接客大好き僕悪魔、という顔だった。
「中々に面白そうなお茶会でございますね。悪意でこの悪魔屋敷の女主人を貶められるなど思い上がれるその可愛らしさに、わたくし、思わずにっこりと笑みがこぼれて仕方ありません」
「……お、穏便に……」
「ははは、あはははは。悪魔にも矜恃というものがございますので。えぇ」
よくわからないが、皇太后様の招待状は悪魔の目から見ても無礼千万だったらしい。
……よくもうちの奥様に、と、まだ見ぬ皇太后様への敵意を募らせているのはブリエルさんだけではなく、リーリム夫人やレヴィアタンの三姉妹も同じだった。
なんとなくだけれど、彼ら悪魔は礼儀作法、相手を尊重することを知っている。そしてそれを自分たちが踏みにじる事が悪魔の悪意だと言いながら、私に対してそうした振る舞いをしたことがない。彼らは人間以上に礼儀作法を心得ていて、そして、人間が自分たちに礼儀を失することをとにかく……キレる、ようだ。
相手は私に喧嘩を売ってきているだけなのだし、そんなに彼らが怒ることもないだろうと甘く見ていた私が悪かった。
「全力で我らが奥様を!!貴婦人に!」
ふぁいと、おー!と、心が一つになる悪魔の使用人さんたちに、私は「よ、よろしくお願いします…」と頭を下げた。
*
わぁ。無礼。
招待状に書かれたのは私が離婚を突きつけられた王家のお庭の一角だった。
リーリム夫人に教えられたマナーでは入り口で招待状を渡せば、案内人が会場となっている広場まで連れていってくれるはずだと言われたけれど、……案内、無し!!
「……あの」
「……」
王室の使用人さんたちは皆、私が話しかけても一切反応しない。最初は私が見えていないのかとすら疑った。だがあまりにも無視され続けるので「マッチ売りの少女」を臨場感たっぷりに語ったところ、数名が「うっ……うっ…あんまりだ」と立ったまま泣き出してしたので、まぁ、見えてはいるらしい。
煙突掃除の少年の話でも続けてしようか、というところでふと視界が陰った。
「彼らに敵意や悪意はない。あるのはただ王室への忠義心だ。見逃してくれないか?」
「神獣さん」
「やぁ。日の高いうちに見える貴女も美しいな」
「屋敷の皆が全力で着飾ってくれたので」
にっこりと、茶色い髪の神獣ソドムが私の背後に立っていた。こう、無言で、全く気配なく人の後ろを取る。あっさり人の首を落とせる人外に寒気がしないわけでもないが、まぁ、それはそれ。
神獣さんは別に口説いているわけではない。何度か顔を合わせて知ったが、とても純粋な生き物だ。花が目に止まれば愛でるだけ。そこに人間が込めるような感情が一切無い。
神獣さんが現れたので、周りの人たちがさっと姿を消した。自主的にと言っていいのか、神獣さんは周囲をちらりと見渡して目を細めただけだが。
「可哀想に。皇太后にいじめられているのか」
「心臓をくれと言ってこないので、私の中ではまだ見ぬ皇太后様の方が神獣さんより安全判定です」
「はは。そうか。だが女人同士の諍いは恐ろしいと聞く。皇太后、それに私。ここに我が友がいない以上、貴女はどう己の身を守るつもりだ?」
「……」
一応、私はアザレア・ドマではないという判定を神獣さんは下されて、それで王様の殺害指令からは対象外にしてくれたと思ったが。まだ諦めていなかったのかと一瞬身構え、体ごと振り返ってみて、私はこめかみを軽く手で押さえる。
「なんです、その格好」
「王家の者たちは私を見世物のように飾り立てるのが好きでな」
にこにことこちらの発言を面白そうに聞いている神獣さん。私でもわかる仕立ての良すぎる礼装に金銀財宝を身につけて歩く王家の宝物庫の擬人化かというくらい。
「あぁ。トイプードルに服を着せるみたいな…」
「それが何なのかは知らないが、獣であると予想するぞ」
「良いじゃないですか。獣扱い。あるいは愛玩動物。お好きなんでしょう?そういう風に扱われるの」
「……やや、語弊があるような気はするが。なぜかな」
私が納得して頷くと、神獣さんは少し困ったような顔をした。
お好きでしょうに、と私は呆れる。自分より遙かに弱い存在に、とるに足らない存在に、首輪をつけられあれこれ指図されて、それをにこにこと従っている。
脆弱な人間が神とさえ扱われる獣を顎で使えていると、愚鈍に思い上がれているのを眺めて楽しんでいる。
そう私は判断した。なぜかって。私の知る、悪魔たちがその真逆だからだ。
イドラの屋敷にいる悪魔たちは、イドラの力に平伏して忠誠心を持って仕えている。だからイドラが喜ぶだろうと、私にもよくしてくれる。命じられていること以上に行動し、貢献しようとしているのがよくわかる。
だというのに神獣ソドムにはまるでやる気が感じられない。
初代皇帝との誓いにより、などというのなら、王家を「かつての友の子ら」とでも愛でるのなら、もっと真剣に、それこそ我が子を見るような目をするだろう。
私は理由を説明しなかったが、神獣さんは大きな片手で自分の口元を覆い何か考えるようなそぶりをした。私は皇太后様のお茶会に行かなければならないので、さっさと放って、多分あっちかな、と思う方へ行こうとしたけれど、その腕を神獣さんが軽く掴む。
「そう急ぐものでもないさ」
「……まだ何か」
「あいにく私は貴女の味方になれないのだが、それでもここから悪意の巣まで、貴女をエスコートするくらいはしても良いだろう?」
良くはないし、嫌なのだけれど、私の答えなど神獣さんは気にしていなかった。
さぁ、と肘を差し出して、私がそれを取るまでにこにことじっと、山のように私の前に立つ。
あぁなるほど。
本来は、人を従わせる立場の存在で、有無を言わさぬその態度が実によく似合っていらっしゃる。




