(62)奈落の底から這い上がって
目が覚めた時、オレは自分の部屋にいた。
ベッドに横たわり、額には濡れタオルが乗せられている。
足元の布団をどけると、涼しくて気持ちいい。
気分が悪く、熱があるようだ。
キョロキョロしていると、ベッドのふちに突っ伏して寝ていた母さんが目を覚ました。
「ユウ。気分はどう?」
「……よくない、かな」
ふと、一瞬頭痛がして、ある光景が脳内に映し出された。
激しい雨。
稲光。
雷鳴。
人ごみ。
憲兵。
そして……。
「……夢、だよね」
夢。そう、あんな光景は。あんな知らせは。
すべて、熱でうなされたオレの悪夢だ。
そうに決まっている。
だから、きっと——
「母さん……。サラは……」
「……」
母さんは何も言わず、ただ目線を外す。
「……」
それをみてオレは何も言わず——いや、言えず、また布団に倒れ込んだ。
かけ布団にもぐり、涙を見られないようにした。
「ユウ」
「……」
「今はゆっくり、寝ていなさい」
「……うん」
震える声で返事をした。
母さんは部屋から出た。食事の準備だろう。
あの日から半月くらいが経過した。
オレは、例の事件を忘れることができなかった。
部屋から出ず、学校へも行かず。
食事ものどを通らず、何日かに一回、最低限の量を摂るのみ。
体重は落ち、痩せこけて常に体調不良状態だ。
「はぁ……」
布団にもぐり。泣いて、泣いて、泣いて。
疲れては寝て。起きて思い出しては、また泣いて。
すでに涙も喉も枯れた。
それでもあふれ出る感情を抑えることができず、それをひたすらに繰り返した。
そんな日々を繰り返していたが、ある時、日常に変化が訪れた。
俺に来客らしい。いつもの母さんの足音と、もう一つ、聞き慣れない音が聞こえてくる。
ドアの前で話し声が聞こえ、母さんらしき足音が一階に戻った。
何秒か経って、扉が開けられた。
オレは怖くなって、また布団にもぐった。
「ねえ」
「……」
「ねえってば」
それは、あの日の放課後以来聞いていなかった少女の声。
「……」
声の主は、強引に布団を剥ぐ。
「何を——」
その瞬間、アイシャは俺の襟をつかんで壁に押しあてた。
なんて馬鹿力だ、と思ったが、それだけオレの体重が落ちているんだと実感した。
「ねえ!」
過去二回の呼びかけとは違い、三回目には怒りの感情が見られた。
「どういうつもり?」
「……」
オレは視線を落とし、顔を見ないようにした。
「なんで出て来ないの?」
「……もう、嫌なんだよ」
「……」
「あいつが……サラが! もういないってことを実感するのが!」
「……」
「……怖いんだよ!」
「だから、こんな風に閉じこもって?」
「そうさ。逃げてるんだ。怖いから。おかしいだろ? 笑いたきゃ笑ってくれて構わないさ」
「笑え……ないよ……」
襟をつかむ力が、よりいっそう強くなる。
「だからもう放っておいてくれよ。もう嫌なんだよ。サラが居ないのに……! オレはもう……生きたく……」
「バカ!」
その罵声と共に、オレの頬に痛みが。
アイシャの平手打ちだとすぐに分かった。
らしくないと思った。
いつもなら拳が……っ‼
刹那、そんな思考はすべて吹き飛んだ。
「……私を!」
彼女の顔を見た。
そこには、普段の笑顔も、男勝りのガッツも無かった。
「私を……一人にしないでよっ!」
力が抜けていく。
オレの方をまっすぐ見る瞳には、涙が浮かんでいた。
「ユウまでいなくなったら……私は……っ‼」
そうだ。そうだった。
オレはバカだ。
軽率だ。
「アイシャ……」
あまりのショックから、あることを完全に忘れていた。
サラを亡くして苦しんでいるのはオレだけじゃない。
アイシャとて同じはずだ。それなのにオレは、自分も死にたいと思った。
それが、アイシャにもう一つの絶望を与えるのだと気づかずに。
「ごめん、アイシャ」
幼馴染に——それ以上に、愛しき少女に。
「ほんとうに、ごめんよ」
オレは、膝から崩れたアイシャと目線の高さを合わせ、そっと抱きしめた。
それを機に、オレは変わった。
生活習慣を改善し、遊ぶ時と勉強するときのメリハリをしっかりとつけた。
騎士になると決めたからだ。
こんなことになったのはマモノのせいだ。
あいつらさえいなければ、サラが死ぬことはなかったんだ。
そう決めつけて、奴らに復讐をする。
そのためには、今までのオレではだめだと思ったからだ。
絶対にやり遂げる。マモノを滅ぼし
アイシャを二度と泣かせることのないように過ごす。
そう決意し、オレは新たな人生のスタートをきった。




