中途半端
仲間が一人増えても、授業はいつも通り淡々と進められた。最初の三週間ほどで大雑把なゲーム史を振り返り、今は近年のタイトルを挙げながらそれらの特徴的な要素やヒットの理由について考察する時間となっている。軽く前回までのおさらいをした後、プロジェクターには今日のテーマとなる二つの単語、「Worker」と「Placement」が大きく映し出された。
「労働者を、配置するから、ワーカープレイスメント。このシステム自体は2000年代よりも以前から存在していましたが、ライトユーザーの間でも広く認知されるようになったのは2007年『アグリコラ』の発売が契機といわれています。デザイナーのウヴェ・ローゼンベルクはこれ以降にも多くのワーカープレイスメントゲームを世に出していますが、『アグリコラ』ほど広く、長きに渡って展開しているゲームは他にありません。また、『アグリコラ』以降にリリースされた同系統のタイトルにおいて、多くの場合労働者の配置、効果の発動、労働者を回収して次のラウンドへといった一連の流れが取り入れられている点から見ても、このゲームがワーカープレイスメントと言うジャンルの一般化を進める上で果たした役割の大きさがうかがい知れます。では、その『アグリコラ』とはどんなゲームなのか、と」
先生の操作でスクリーンのページがスライドする。後に続くのは各自がメモを取る音。少人数なだけあって、ふざけたり無駄話をしたりする生徒はいない。内容にさえ目を瞑れば、それは普通の学校で見られるものと何も変わらない授業風景だった。
「舞台は十七世紀のヨーロッパの農村。プレイヤーは農家となって土地を拓いたり家畜を飼ったりしながらより良い農場を作ることを目指します。各自のワーカーをあちこちお使いに出して、食料や資材、家畜や野菜を調達し、自分たちの畑や牧場を大きくしていくと、概要はこんな感じですね。労働者を働かせてその成果を得る、という基本構造が色んなテーマと合わせやすいこともあって、後発の作品には労働者を騎士や軍隊なんかに置き換えて陣取りゲームと複合させたり、単にプレイヤーが取ったアクションをマークするために使ったり、扱いとしてはアクションポイントとほとんど変わらないものがあったり、一口にワーカープレイスメントといってもその表現方法は多種多様になっています」
照明がついて、スクリーンがゆっくり収納されていく。先生は明るくなった教室を見渡し、苦笑して続けた。
「まあ、くどくど説明するより実際やってみた方が早いというのはいつものことだし、坂井くんが早くも限界みたいだし、インストも兼ねてとりあえず7ラウンドくらい試してみようか。じゃあ適当に四、五人のグループに分かれて」
先生の一声で遊人たちは立ち上がり、ちょうど中学校などで給食を食べる時のように近くの者同士机をくっつけ合った。一人事情の飲み込めない健二だけが寝ぼけ眼で辺りを見回す。
「え? 何、どうすんの? インストって」
「インストラクションの略で、要するにルール説明のことだよ。もういいから、とりあえず目ぇ覚まして机こっち寄せろ」
ゲームの授業は最初の1時間弱を座学、残りの時間を実習に使う。開始五分で舟をこぎ始めていた健二への配慮で、この日の実習はいつもより早く始まった。
「はい、そこまで」
一時間半後、六限目終了十分前に金井先生は告げた。
「そろそろ時間だし、そのラウンドで終了にしよう」
「えー、終わり?」絵美は不満そうに先生を見る。「もっと豚とか牛とか色々飼いたかったのにー」
二卓に分かれたゲームはどちらも全14ラウンド中9ラウンド目の終了処理をしているところだった。豚は出たばかり、牛に至ってはまだ特殊な方法でなければ手に入らない状況である。牧畜と繁殖をメインに開拓を進めていた彼女にとってはなんとも不完全燃焼の感は否めない。
「続きをやりたければ状態を記録しといて、ホームルームの後にでもやればいい。もちろん希望があればだけど」
「マジ?」と目を輝かせる絵美。
対して、同卓の健二は、「いや、俺部活あるし」と気乗りしない様子で頭を振る。
「いーよ別に、あんたは部活行けば。どうせ勝てないっしょ、そんな感じじゃあ」
「オメーもっと新入りに優しくしろよ。色々助けてやれって先生のありがたいお言葉があっただろうが」
絵美は小ばかにした笑いを咳でごまかし、甘ったるい声を作って健二の要望に応えた。
「坂井くん、言いにくいんだけどぉ、これもう勝てないと思うから、気持ち切り替えて部活行こ? ドンマイ、泣かないで、生きてればいつかいいことあるよ」
「泣いてねーし死なねーから! むかつくわこいつちょっと調子良いからって。つーか今のは軽いお試しみたいなもんだったし、どうせやるなら仕切り直してやりてえよなあ」
「まあ、そうだな」
遊人が即座に同調したのは、健二と同様盤面の状況があまりよろしくないからだった。全8マスを使った巨大な牧場を計画したまま止まっている健二に比べればまだましだが、畑も牧場もこじんまり、家は木からレンガへ、数も3つにバージョンアップしているものの、家族は二人だけと、どうにも方向性の見えない農場となっている。
もちろん、まだ途中のため最終的な勝敗が決したわけではない。ただ、現時点で得点を計算するなら一位は絵美、最下位は健二でその次が遊人という結果になるのはまず間違いなかった。
絵美と健二が続けるやり直すの押し問答をしていると、教壇の先生が皆に注目を促した。
「はい、片付けながらでいいから聞いてください。レポートはいつもどおりA4二枚以上で、このゲームについて書いてくるように。テーマは自由だけどこっちから例を出すなら『アグリコラ』は何故売れたか、とかそんな感じかな。書けたら職員室の僕か北条先生のところに出してください。期限は、来週の授業が中間テストで潰れるので来週の金曜までということで。ゲームの資料が必要なら実習室にあるから、二、三年生か僕らに声をかけてくれれば一部なら貸し出せます。それからあくまでレポートなので、坂井くん、間違っても感想文なんか書いてこないように」
「何か違うんすか、それ?」
すぐ茶々を入れたがるんだからな、と苦笑した金井先生は、健二のまじめな表情に気づいて真顔になった。
「……マジで言ってる?」
「マジで言ってます。何すかレポートって? どうゆう感じのやつっすか?」
例えるならそれは、幼児が親に向かって「何で空は青いの?」と無邪気な問いを投げかける時のような、茶目っ気やいたずら心などかけらもない澄んだ瞳だった。金井先生は少しの間天を仰ぎ、後ろめたさを感じさせる顔で答えた。
「後で、北条先生に教えてもらって」
申し訳なさそうに言うのは、現代文の北条先生もテスト問題の作成で忙しくしているのを知っているためだった。
畑も牧場も、進歩も職人も家も、何もかもバランス良く手を出し過ぎたのが良くなかったのか。絵美も健二も牧場を大きくすることで目的が被ってた。ならこっちは牧場を完全に捨てて畑を広げた方が良かった、のかも知れない。広げるといってもどうせ全てを畑にするのは難しいだろうし、余った土地で適当に動物を飼って最低限失点をなくすようにすれば、あとは畑に特化した職業と進歩に絞って……。
帰りの電車の中で、敗色濃厚な状況に陥った理由を遊人は考えていた。振り返る一手一手が、全て悪手だったように思えてならない。結局劣勢に陥った原因は遊人自身にあった。これとこれとこれが加点の対象になり、それとそれとそれが減点の対象になる。そんな説明をされたら、なるべく加点が多くなるようにしたいし、減点はなくなるようにしたい。相変わらず極端に失敗を恐れる心が、遊人に良くいえばバランスの取れた、悪くいうなら中途半端な農場を作らせたのだ。
益体もない考え事をしていたら、いつの間にか家の最寄駅だった。開いたまま目を通すこともなかった英単語長をしまい、遊人は慌てて電車を降りる。この時期中間試験を控えている事情はどこも同じらしく、今日は特に遊ぶ予定はない。改札を出て、遊人はまっすぐ家路に着いた。
駅から徒歩十分少々の新興住宅街。そこに軒を連ねる建売の一軒家の一つが相楽家である。両サイドを独身者向けの集合住宅が挟んでいるため一見こじんまりとした印象を与えるが、意外にも日中は日当たり良好な二階建てで、狭いながら軽自動車くらいなら二台駐車できるスペースとささやかな庭を構え、家に面した歩道が広く幅を取っているため、暮らしてみるとそれほど窮屈さや閉塞感はない。平々凡々の会社勤め夫婦が三十そこそこで買ったにしては立派な家だと、生意気にも遊人は思っている。
「ただいまー」
玄関を上がり、リビングを覗いてみる。誰もいない。遊人は弁当箱を流しに出すと、ネクタイを外しながら階段を上がった。
夕飯までの二時間弱、勉強にはもってこいの隙間時間だ。とりあえず『アグリコラ』のレポートを片付け、いや、まずは中間の勉強からだな。ここで楽な方に逃げてるようじゃ進歩がないぞ。そうだ進歩といえば、畑に絞るなら家を改築するより先にかまどとか調理場とか安いうちに取っとく必要があるんだよな。途中で牧場にシフトする可能性があるにしても持ってて損はないはずだし、大きい進歩には限りがあるから、後で欲しくなってもとっくに売り切れてるなんてことも十分にありうるし……。
またまた思考を脱線させながら自室のドアノブに手をかける。と、その時、不意に隣室のドアが開いた。
「おー、おかえり」
姿を現した青年はあくび交じりにいって、遊人と入れ違うように階段を下りていく。部屋着のままで髪にも寝癖が目立つ。今日は一日、外出することなく過ごしたらしい。
遊人は何もいわずその背中を見送った。思い悩むことなどなさそうに見えるその背中を見ていると、恨み言の一つでもいいたくなった。
彼の名は相楽賢人。遊人の二つ上の兄で、今はフリーターのような生活をしている、在宅浪人生である。
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