【短編】胸が大きくてよかったことなんて一つもない
「……」
「……」
「それを言ったら、戦争だろうがよ……」
文芸部唯一の男子である俺は、「でしょうね」と思う。女子部員二人の視線は、最も巨乳であり、件の発言者である姉川に注がれていた。
また、ろくでもないことになりそうだ。俺は、今から始まる女同士の醜い争いを思うと、頭痛のせいで文庫本から窓の外へ視線を反らした。
「戦争って、物騒なこと言わないでよ」
「だって、姉川が自分がどれだけ恵まれてるのか理解してないんだもん。争いって、そういうところから産まれるものだよ」
幼児体型の北村が、憤懣やる方ない気持ちを抑えるよう静かに言う。本人は主張し続けているが、男の俺でも確実に分かる。彼女はBカップではないし、なんなら多分Aですらない。
「恵まれてるって、胸が大きいからってこと?」
「決まってるでしょ、姉川。それ、お金持ちが貧乏人の前で『お金があったって幸せじゃない』とか言ってるのと同じだから。お金がないと出来ないことのほうが多いのに、自分は色んなこと知ってて尚不幸だっていうそのクソみてぇな上から目線が!! ああああああああっ!!」
あまりの嫉妬に、セリフの途中で発狂してしまう北村。ぺったんこを極めた低身長の彼女は、まぁ、うん。色んな人間の趣味趣向はさておき。とにかく、彼女の理想からは遠く離れているようなのであった。
「でも、走ると痛いし、夏は蒸れて暑いよ。第一、細い方が色んな服着れたりしていいじゃん」
「巨乳どもは!! これみよがしに童貞を殺す服とか着てんじゃん!! 巨乳を武器にしてんじゃん!! 胸が大きくていいこと自覚してんじゃん!! 最初から恵まれてる奴って、そういうところに気が付かないからズルいって言ってんだよ!!」
「それは……。だって、シャツとかだと膨らむからデブに見られるんだもん。そんなの私があんまりにも可哀想でしょ。だったら、胸を強調する服を着るしかないっていうかさぁ」
「デブに見られたら何が悪いのよ!? いいでしょ!? 巨乳なんだから!! というか、他人にどう思われたってなんのデメリットにもなってないんだが!?」
「かわいいと思われたいって欲は、巨乳だろうが貧乳だろうが多かれ少なかれあるでしょ。こう言っちゃなんだけど、羨ましいからって私をアノニマスから省くのやめてよ」
「ああああああああ!! こんなこと言ってる!! ねぇ、三澤!! 姉川がこんなこと言ってるけど!?」
「……まぁ、別にいいんじゃないの」
三澤は、信じられないくらい興味の無さそうな声色で答えた。しかし、彼女の手に収まっているスマホのブラウザのサジェストに「巨乳 なり方」や「巨乳 後天的」と言った履歴が残っていることを俺は知っている。
もちろん、彼女のスマホを意図的に覗いたわけじゃない。ただ、偶然画面を見てしまっただけなのだ。前に「男子って巨乳以外女だと思ってないでしょ」などという、やたら偏見に満ちた質問を投げられたこともあるしな。
「そもそも、あなたたち同性だからってセクハラ紛いの絡み方してくるでしょ。散々エッチな揉み方したクセに、今更怒ってくる方がズルいよ」
その光景を何度も目の当たりにしている俺としては、第三者の観点から姉川の言い分に軍配をあげたい気分だった。
「……鏑木。あんた、何黙ってんのよ。会話に入ってきてよ」
マズい、飛び火した。
顔が普通に怖すぎるので、とりあえず謝っとこ。
「俺が悪かったです。ごめんなさい、許してください」
「あんた、童貞だし巨乳好きでしょ? 一応聞いておいてあげるけど、姉川のことどうしたいの?」
なぜ、俺が童貞であることがバレているのかも、それを言わなければいけないのかも、謝罪が華麗にスルーされていることも、全部理由が分からなかったが、そんなことはどうでもよかった。
果たして、「姉川のことをどうしたいの?」とはどういう意味なのだろう。百歩譲って、この場合の質問は「姉川のこと好きなの?」だと思うのだけれど。
「あの、何を言っても退学になりそうなんだけど」
「安心して、この部室内で起きたことに法律や倫理は適用されないから」
なるほど。
道理で、今まで俺が酷い目にあわされても三人して無事なわけだ。こいつらの異常性には、今更ながら感服させられる。
「……」
「どうしたの?」
「胸以外に何か褒めるところを探したんだけど、性格が終わり過ぎてて何も見つからなかった」
「おい!! テメェ言いすぎだろ!! こんないい女が他のどこにいるってんだよ!! あぁん!?」
「ぷくく。落ち着きなよ、姉川(笑)」
「事実陳列罪で逮捕しとこか?(笑)」
「hsiwoIveioaOw!!」
多分、俺の知らない星の言葉だった。そうでないのなら、恐らくは今のが人が原初で発声していた鳴き声なのだろう。
それにしても、仲の悪い奴らだと、ふと思う。
ただ、そんなんでも一緒にいないと寂しいくらい他の友達がいないというのは、曲がりなりにも一緒に部活動をしている俺には分かる。三人とも、悲しいくらいに中身が終わってるからな。
「というか、仕方ないじゃん、おっぱい大きく産まれちゃったんだから」
「はーっ!? 開き直りですかぁ!?」
北村の声はデカくて甲高いから、聞いていると耳がキンキンしてくる。
「だってそうでしょ!? 大体、北村と三澤がド貧乳なのって私のせいじゃないじゃん!! はい!! 男共が嫌らしい目で見てくるのも、正直言って何もせず魅了しちゃう私を自覚してんクッソ気持ちいいですけど!? 連中の滑稽な姿だけで白飯行けちゃうくらい笑えますけどぉ!? それがなにか問題あるんですかぁ!?」
「この野郎!!」
「つーか、三澤が気になってたっていうサッカー部の王子様。あいつ、巨乳好きだから。しかも、私みたいな地味巨乳が好みのマニアだから。取っちゃってごめーん!! 全然興味ねーけど!!」
「はああああ!? 嘘ばっかつくんじゃねぇわよ!!」
三澤の嘘の表情が剥がれた。そして、自分のことを地味巨乳とか言っちゃう姉川は、なんというか、そういう映像作品を見ているのだろうかと勘ぐってしまう。
ただし、自分の属性を理解して市場調査を行い自己肯定感を高めているというのは、こう、涙ぐましくて嫌いにはなれない。
「嘘じゃありませーん!! 彼はそういう目で私を見てましたー!!」
「見られただけじゃ証拠にはならねぇだろうが!! そもそも、パット見だけの可能性の方がたけぇよ!!」
「巨乳はね、あまりにも男に見られ過ぎて視線の種類を判別出来るのよ。おほほ、女だけは男が必死で積み上げたもののとなりに一秒で座るとは、実に素晴らしいお言葉ですわーっ!!」
それ、女が言うセリフじゃないだろ。名言もカス女に使われちゃ台無しだ。
「因みに、鏑木もよく私のおっぱいを見てます。童貞のくせに」
「……」
「おいおいおいおい、鏑木。あんた、私が好きなんじゃねぇのか? 前にうっかり相談したら『体型なんて気にしなくても北村は魅力的だ』とか言ってたよなぁ? そんなの、私のこと好きじゃないと絶対に出てこないセリフでhaopwvvzJai0!!」
まだ、文芸部が腫れ物の巣窟だと知らなかったあの頃。一応ガワだけはいい北村にそんなことをポロッと言ってしまったことは事実だ。
もちろん、意図はあった。こんなかわいい子だし、ほんのちょっぴり口説いて見てもいいだろうと計算したところもあった。事実無根で、下心が一切無かったなどと言うつもりはない。
ただし、それは当時の俺の話だ。今の俺ならば、決して、このロリ悪魔に下手なセリフなど言うまい。こうして、事あるごとに引っ張り出してきて脅しの材料にされるのがオチだからな。
「私にも言ってたけどね。『三澤がひたむきなところを好きになる人は多いと思う』って。あんたが好きなの、どう考えても私でしょ」
実際、三澤のテストの成績を見れば、それくらいの褒め言葉は出てしまう。彼女がテスト期間、必死に努力しているのは知っていた。
もちろん、ただ、他の趣味と言えばエグすぎるエロ妄想だけという、彼女の事情を知らなかった当時の俺の気持ちというだけなのだけれど。
「二人とも、それはないよ」
「なんでそんなことが言えるの姉川!?」
「だって、鏑木が好きなのは私だもん」
このデカパイ女まで乱入してきたら収集つかないと思ったけれど、最初から丸く収まるわけがなかったと納得すると俺はヌルくなったペットボトルの緑茶で喉を鳴らした。
「前にね、彼は私の小説を読んで言ったの。『俺もこういう恋愛がしてみたい』って。『姉川はとても純粋だ』って。その時感じた。私の理想を共有しているのは、この童貞なんだって。だから、鏑木は私のカレシなの」
あぁ、あの少女漫画の甘い成分を煮詰めて濾したような超絶メルヘンご都合主義ラブコメのことか。整合性の欠片もない、説得力など微塵もない難解なストーリーのせいで俺の脳が理解を拒み、適当に褒めただけだから当日の記憶丸ごと忘れていた。
……え、カレシ?
「カレシだぁ!? テメー!! 鏑木のクセに抜け駆けするとかふざけんなよ!! お前がカノジョ作るのは私がリア充になったあとだろうが!! お前は一生童貞でいいんだよ!!」
その理論だと、北村も一生リア充になれないということになりそうだが。それはさておき。
「俺も知らない話だ、北村」
「はは(笑) 鏑木、そういうのいいから(笑)高校生にもなって恥ずかしがって否定するとか、鏑木は本当に童貞だねぇ(笑)」
「ジョークじゃなくて、本当に知らないんだよ。三澤」
なんなら、かなりエゴイストだし。穏やかな生活が好きな俺では、正直ついていけません。
「……え? マジ?」
「うん」
「……え? なにそれ、怖い」
静寂に包まれた後でようやく姉川を見ると、彼女は明らかに「やっちまった」といった焦りの表情を浮かべ、顔を真っ赤にしながらプルプルと震えていた。
こんなときでもおっぱいを見てしまう男の本能の、なんと無情なことか。デスクに乗っかって歪な形をしているあれを、便宜上俺は『暴力』と呼んでいます。
「間違えたぁ……」
「姉川の頭の中、本当にピンク色だね」
「恋愛脳が陰キャ拗らせると、妄想ばっかして現実との区別がつかなくなるという良い例ですなぁ」
「う、うっさいなぁ!! なんだよぉ!! いいでひょ!? 別に陰キャが恋しちゃったってさぁ!! 経験少ないと、同じコミュニティに属してるってだけだ大してカッコよくもない鏑木みたいな奴を好きになっちゃったりするんだよ!!」
悲しい。色々と。
「やっぱ、巨乳って人間強度足りてねぇな!! 男に媚びることばっか考えてるからそうなるんだよーっ!! 私たちは自立した『女性』!! ですからぁ!? こんな童貞に意識させられるようなこともないのですよぉ!!」
「キミたち、本当に童貞煽り好きだね」
しかしながら、つらつらと言葉のナイフを吐き散らしながらも、恋心自体を誤魔化したり言い訳したりしない姉川のことを、なんだか嫌う気にはなれなかった。
妙な感覚だ。ぜってー付き合いたくはないけど。こう、庇護欲というものを、自分より哀れだと感じる人間に等しく抱えてしまう俺もまた、人格者などではなく彼女たちと同じクズなのだろう。
なぜなら、それは、還元していくと陰キャな俺たち四人が共通して大嫌いな、上から目線の同情でしかないのだから。
「それで、鏑木。あんた、姉川のこと知っちゃったわけだけど。どうするの?」
「どうもしたくない。聞かなかったことにしたい」
「なんでだ!?」
「付き合いたくなるほど好きではないけど、突き放すほど嫌いじゃないから」
「……ほ、ほらぁ。やっぱり、胸が大きくていいことなんてないじゃんかぁ。こんな童貞すら好きにさせられないんだからさぁ……っ」
「うお(笑)」
「フラレれてて草」
まったく、このペッタンコ共の冷笑主義はどうにかならないものか。
「これ使って何してもいいがら〜」
あまりの必死っぷりに、流石の北村と三澤もドン引きしている。ここまで自分を下げられるのも、恐らく才能なのだろうと俺は好意的な解釈をして可哀想な姉川を認めるしかなかった。
「じゃ、じゃあ、まずはお友達ということで」
「友達ですらなかったの!?」
殺伐とした文芸部室。互いが互いを見下して、寂しさの捌け口に喧嘩をする。故に、ここでの馴れ合いは相応しくない。所詮、腫れ物が寄り集まっただけの仮初の場所なのだから。それすら失うようなことを、俺はしたくないのだ。
例え、どれだけ俺が、巨乳好きだったとしても。
「ところで、北村。あんた、今日の昼休みにリア充グループに話しかけられて吃ってたよね。寝たふりから目覚めるまでのスピード早過ぎてウケたわ(笑)」
「な……っ!! あぁん!? テメー!! 三澤!! あれは本当に寝てたんだよ!! 嘘じゃねぇから!!」
「その惨めさで巨乳ですらないって、あんたら二人して終わってるね」
「「おい!!! テメー!!! 鏑木にすらフラレてるくせに調子こいてんじゃねぇぞ!!!」」
「それとこれとは話が別でーす。別のファクターでしか口撃出来ないあんたらって、やっぱ頭悪いよねー。引き出し少ねーっ!!」
こうして、文芸部の放課後は続いていく。
敗北者たちの吹き溜まりに、青春の香りはしないのだ。
即興ネタ。夏目、性格の悪い女だーいすき。




