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短編の歴史

バス停

作者: 猫乃つづり
掲載日:2019/05/14

(あっちょっと今日は無理かも……)


今日は大学の講義も一通り終わり、新しい一年生の初の履修した授業は全て、終わったので、図書館で少し、過ごして、


バス停に書いてあるダイヤを見て、なぜ、その通りじゃないのか、嘆息する。

ダイヤ通りじゃないならば、どうして、こんな曖昧な時間にするのだろうとイライラする。


(しまったなぁ、時間も中々ある)


季節は春であるから、朝は比較的冷涼な感じではあるが、昼から夕方にかけて、暖かくなるのだが、僕はどうしてもそれが、暑いように感じてしまう。

植物はどうなのだろうか?

桜の木や山々の木はどう感じているのだろうか?と考えてしまう。

もしかしたら、高校の時、生物で習ったように、どんな生き物も、元はひとつの小さな塊から、派生してるものだから、元を辿れば同じであり、言い換えれば兄弟だ。


だから、多分、東京とかの都市の街路樹はきっと蒸しっとした暑さにバテてたのではないか、そして、今年の夏に対して、人が気持ちを持っているように、植物もやはり、憂鬱な気分を持ってるのではないだろうか?と思わず考えてしまう。


そうして、頭の中でこんな風に、私が空想にふけっていたり、目の前の現象に対して、色々頭を巡らせていると


「あの、すいません、ここに来る途中、バスって来ませんでしたか?」


私はふと、声をかけられて、『焦ってしまう』。(表向きは動揺を悟られないようにかつ、不満を表には出さないために笑顔で答える)


なぜ、『焦ってしまうのか』理由は簡単、私は元来、人が苦手だからだ。

それには、私自身の性格も関係しており、よく人から理屈っぽいとか言われたり、また、人と合わそうと考えてないから、改めて人生を齢20歳で振り返るのも早いと思うが、浮いていたように思える。(まぁ、だからといってこれも自分の持って生まれたものだから致し方ないのだが)


話を戻す、今はおばあさんに聞かれたことを答えねば……

私は、相手を不安にさせないように、努めて明るく、親しみを込めてふるまうように言った。


「いや、来ませんでしたよ」

「あっそうですか」


そして、会話が終わろうとしていた。

でも、私は自分自身、願ってもなく、こんなことを口にする。


「えっと、三時十五分に来るバスは来ましたか?」


思わず、しまったなぁと思った。

だって、ここで会話が終われば、その時間はもっと別のことに使えただろうになんて、思うからだ。

例えば、ゲーム(しかし、家でゲームした方がいい)とか、小説執筆(Web)とか、インターネットで英語の勉強とか、エトセトラエトセトラ


エトセトラとは言うが、上記三つぐらいが私にとっての、そのような時間に充てる時の行動だ。


先ほど、述べたイライラするとは、

矛盾してるように思えるのだが、

しかし、ここで注意、

こんなことをしても、

本当は心のそこでは、

バスを待ってるのだから、

ゲームは負けて、

小説執筆は文が崩壊し、

英語の勉強はおぼつかなしにと、

この時間は本当にどうしようもなく、

それはまるで外国を真似て仕事の効率化を計ろうとして失敗した

哀れな会社と同じようなものだ。


じゃあ、なぜ、スマホを操作してしまうのかは、

人の視線が怖い、もしくは、関わりたくないのだろうと私は思う。

人間は元来、群れを成して生活してきた。

だから、孤独を哀れみ、孤独を恐れる。

特に、日本には顕著なものである。

最近では、そういうのはなくなってはきているようだが、たぶん、まだ、学生(高校生まで)は一人で過ごす人に対する目が厳しいかったように思うし、集団行動を強制的に強いられる。

その時の私はとてつもなく嫌だった。

そして、無理をして、まだ、どうやって振る舞っていいかわからなかったから、よく知り合った人からは、「話さないとダメだよ」とか、集団行動の必要性を自分は正しいと思う、活動家のごとく、己の正義を語られたときは、今、思えば、反吐が出る。

その言葉に従ってみたけど、やっぱ、無理だった。


やはり、人間とは己の自我に、自分自身に聞いて、行動するのが人間であって、誰かの言葉通りに動くのは、人間ではなく、機械のように思えてならない。

やっぱり、これからも集団に例え、属するようなことがあっても、自分自身の考えは持っておきたい。

しかし、政治とかはそのようなものさえもねじ伏せる独裁者の娯楽なようなものだと、感じてしまうから。

もしかしたら、昔も今も文化や言語は違えども、性質は同じように思える。


とまぁ、話を戻そう。

今、自分は不意にも話しかけてしまった。

もし、若くて自分と同年代の学生ならば、話しかけず、

そのまま、スマホを見て、語学の勉強をすることに重きをおいていただろう。

(ちなみに、小説執筆は、落ち着いたところでないと、いいものはかけないと思う。

もし、書けたとしてもメチャクチャだと思うから……)


でも、なぜか、私の頭の中の好奇心的なもの、自分の気になることは聞くという、いわば、自分の個性の一つであるものが、発動してしまった。

(これを俗に、記者魂と言えるなら、私は記者になろうと考えるだろうか、まぁ一理あるなと思うが、メンタル的にきつそうだなぁとも思うので、避けたいと思う。)


すると、おばあさんはうなずきながら、


「来なかったですよ」


と、言ってから、


「まぁ、時間はもう、こんな時間になってるのに、遅いわ」


と言って、私も同じようなことをいう。


「ここのバス停はいつも遅いですよね」


と、うなずくように私は言うと、おばあさんは、そうよねぇと

うなずき、


「もう、私、三時十五分ぐらいのバス待ってるけど、来ないわ」


「そうなんですか」


と言って、ここのバスの愚痴をそのおばあさんと言い合った。

なんだか、一人が好きな人間でも、心なしか、人との会話は楽しいと少し思った。

でも、それははかなくも崩れてしまう。

そのあとがめんどさいことになろうとは……


「ところで、貴方は学生さん?」


その問いに私は答える。

苦労の一年間を懐かしくそして、心の教訓にすると、

心に刻みながら


「はい、今年で一年生です、まぁ一浪してたんですけど」


ちょっと自分のことを紹介するのは正直恥ずかしかったから、嘘をいうよりは本当のことをいった方がいいと思ったので、言った。すると、おばあさんは声をハキハキさせて


「私にはね、孫が二人いてね、娘がその子達のために働いて働いて、本当に大変そうだよ」


どうやら、話を聞くに、おばあさんの娘夫婦は共働きで、夫の方は学校の先生で、娘さんは保育園の先生をやっているらしく、そして、子供二人は多分、高校生ぐらいで、大変、大変と言っているというのを聞いた。

そして、


「やっぱり、親には感謝しないといけないよ、それが一番の親孝行だから」


私はその言葉にハッとする。

不意に涙が出そうになる。

私の中の失ってしまった心の時計の中の部品がカチッとハマるような音が聞こえたのだ。

今、生きてるお母さん、そして、二年前に亡くなったお父さん、

両親にしてもらったことは、当たり前のことではない。

本音を言えば、子供を育てることはイライラが溜まるもので、

多分、私はいや、子供はさんざん、親を困らせてきたものだ。

かくいう、私もそうだったから、

何で、それでも育てるかっていうと


「愛してるからだよ、だから、感謝しなきゃいけないよ」


愛してるからか、そうなのか?とまだ、心の中で思ってるのは、まだ、自立していないということなのだろう。

その感情になるのは、子供を持った人にしかわからない、

人には様々な悩みがある。

そして、その悩みは自分にしか、わからない。

その様子は悩んでるのがわかるように見えれば、その弱音を見せたくなくて、明るく振る舞っているのかもしれない。

だからこそ、自分が両親にしてやれることは感謝だと教えてくれた、おばあさんに感謝したい。


でも、まだ、話はそこでは終わらなかった。


「まだ、時間があるね」

「そうですね」


私は変わらず、相づちを打つ。


「勉強ができるって幸せなことだよ」

「そうですか?今の時代も大変ですよ」


私は見知らぬ人であったのに、なぜか、親しくなったように感じていたので、それは安心感から、こんなことを口にする。


すると、おばあさんは目を見開いて


「とんでもない」


と言って、続けて


「私の時代は戦争があって、若い頃は奉公に出かけてたからね」


「えっ!?」


と思わず、私の口から心臓が出たのかと思うほど驚く

さらには


「その頃は車なんかは珍しくて、馬車とかが通ってたよ」


「そうなんですか!?」


私は驚きの言葉を口にする。

教科書では知っていたのだが、まさか、生の証言人が存在するとは思いもしなかった。


「ええ、そうだよ、昔は車なんて考えられなかったよ」

「今じゃこんなにも、便利になったもんですよね」

「そうよねぇ」


と、相づちをいれる。

お婆さん、それでも、バスはまだ、来ない。


春の日差しが、夏の蒸し暑さと同じく、不快に感じる。

バス、まだ、来ないのか……と。


しかし、不思議と私は、そのお婆さんと話すことには、嫌な気がしないような自分もいた。

話しているうちに打ち解けあうとはまさにこの事か、いや、向こうの方が結構おしゃべりさんなだけなのかもしれないが。


「ところで、私って何歳に見える?」


「えっ?」


いきなりの、話題転換に困る俺、相手はお婆さんであるが、女性だし、間違えたら、怒られるのかもしれないと不安が頭を覆う。


しかし、黙ったままだといけないので、思うままにいった。


「えっと、たぶん、79歳だと思います。」


すると、私の肩を叩いて、


「違うわよ、私、実は84歳なのよ」

「えっそうなんですか」


俺は驚いた、年としては若く見られたことに、なんだか、眼鏡の奥に映る瞳は嬉しさの光が見えた。


「戦後何年になったと思う?」

「うーん」


言われて、ハッとする、何年になるっけと考えた自分に危機感を感じた。

平和というのは当たり前であって、感謝するに値するものではないと、思っていた自分がいたのかもしれないということに。


「戦後74年」


「戦後74年……」


前にも、このような話を年配の人と話したのかもしれないということを頭のなかで思い出す。

浪人時代、甘えを断ちきって、合格に向けて前進していた。

夏のある日、私は寮長の貼っていた海上自衛隊の船のポスターを見て、それを見ていた僕がかっこいいと言ったのをかわきりに、寮長とそれについて話したのだ。

それとは、寮長はかつて、海上自衛隊の自衛官をしていて、戦後の海の機雷を処理する掃海艇に乗って任務を遂行したりと色々な話を聞かされたが、やはり、戦後74年と経ったとしても、寮長達にとっては、身近なものだったと語っていた。


私にとっては、歴史に起こった出来事だと、失礼かもしれないが、他人事のようにさえ思えるが、お婆さんや、寮長さん達にとっては、肌身で感じてるのだろうと思えた。


だから、私は戦争というものの怖さを他人行儀にできてしまおうと、ゲームの中だけでしょと場違いな考えを持ってしまいそうだったのが怖かった。


「とりあえず、私みたいなお婆さんと出会えたのをきっかけに覚えなきゃ駄目よ」

「はい、わかりました」


僕は戦後74年だと、このお婆さんとの出会いをきっかけに心に刻む。

間違えたら、肩を今度はキツく叩かれちゃうかもっとか考えてみっちゃったりした。


「私ね、夫の病院の見舞いで時々、このバスに乗って行ってるの」

「そうなんですか」


なぜ、彼女が、このバス停に来たのかは理由があることを知った。


「私っておしゃべり、夫は寡黙だから、なんかうるさい、うるさいとか、」


おしゃべり、確かに最初は、話すことはないのだろうと思って、バスを無言のまま、待つのかとも思ったが、思いの外、たくさん話すことができたのは、彼女のおかげでもある。


話すことは、めんどくさいこともあるが、時として、知識を得るのとは別の心の交流も大事なのだと思った。


「全然、大丈夫ですよ、……」


本人は嫌々だと言ってるかもしれませんが、内心は、好きなのかもしれないですよっとか、言ってみたかったが、恥ずかしかったので言わないでおくことにした。


代わりに


「僕な結構、楽しかったですよ」


人生の考え方、世界の考え方、平和の考え方、色んな考え方の視点が少し、切り替わったような気がする。


「バスが来たね、あっという間だったね」

「ですね、あと、ありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ」


そのあとは別々の席に座り、話すことはもうなかったが、

お婆さんとの会話はなんだか、平和ってありがたいなぁと、自分の今、ここで小説や、趣味を楽しむことができることは幸せなんだなと思った。


明日もバスが私を迎えに走ってく、

私は遅れずについていき、大学で勉強する

帰ってきてクタクタにながらも勉強する

そして、私を労いに迎えにくる、

その生活がいつしか実を結ぶことを考えて、頑張るのみだ。


(空がキレイだなぁ~)


あの日のバスから見えた空は清々しく、晴れ晴れとしていた。


























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