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061.今日試合見に来てよかったよ!

 それから星洋野球部は、甲子園常連の黒工相手に大健闘を演じた。星洋ナインは最低限の守備ができていて、ひたむきなプレーで回を進める。そして、勝負どころでは隠し球などの狡猾なプレーもいとわないしたたかさで何とか黒工の猛攻を耐えていた。


 試合はついに九回裏、最後の黒工の攻撃を迎える。ここまで星洋の投手は十本以上のヒットを浴びながら、黒工打線を何とか一点に抑えていた。対する星洋は誠のホームランの後はまばらにしか走者が出ず、二対一で最終回を迎えた。


「この回、また中村君に打順が回るのが怖いわね」


 前夜の下調べのおかげで、伊月はすっかり解説役のような役回りになっていた。


「そうだねえ。あの人だけはどうやっても抑えられる気がしないんだよ」


 柳井も柳井で、試合の中で野球がどんなものなのか大体分かったようで、もう伊月の話にすっかりついていっている。まあ、未だに良く分からない僕にも、黒工の四番を打つ中村がどれだけヤバいかは分かる。


 素人目に見ても、何もかもが違うのだ。身体も段違いに大きければ、一つ一つの動きが力強く、素早い。子供同士の草野球に大人が混ざっているんじゃないかと錯覚するほど、プロ野球のスカウトが注目する逸材のレベルは凄まじいモノだった。


「あいつ、全部ヒット打ってるよな」

「ヒットどころか、二塁打三本に三塁打一本よ」

「ホームランを打たれてないのが不思議だねえ」


 中村の話題を話す僕らを邪魔するかのように、一塁側スタンドからブラスバンドの重厚な応援歌が流れる。黒工も必死らしく、これまでとは声援がかなり大きくなっていた。


 あとアウト三つで勝利。その緊張感から黙り込んで試合を眺めていた僕らだったが、その沈黙を切り裂いたのは、この回最初の打者、黒工の二番打者の切り裂くような打球音だった。打球は転々と左中間を抜けた。二塁打だ。


「ちょっと凛ちゃんこれやべくねっすか!?」

「そんなにヤバいのか?」

「ええ、かなりヤバいわね。九回裏に逆転されると、そこで試合終了なのよ。サヨナラって聞いたことあるでしょう?」


 なるほど、サヨナラってそういう意味だったのか。この回逆転されると星洋の逆転は不可能になるからそこで試合は終わりってわけか。そりゃ大ピンチだな。


 黒工の三番バッターは、初球できっちりとバントを決め、これでワンアウト三塁。そして、この試合目立ちに目立ちまくっているこの男が打席に立つ。


「いやーここで中村君は反則じゃねっすか。ほんとズルくねっすか」

「十中八九、ここは敬遠でしょうけど」

「わざとフォアボールを出して勝負を回避するってアレか」


 伊月の言う通りだった。中村が打席に入ると、キャッチャーの誠は立ち上がり、中村のバットが届かない所に四球、ボール球を要求。中村は一塁に歩いた。これで一死一三塁、ピンチは続く。


「これで一応、内野ゴロならダブルプレーで私たちの勝ちだけれど」

「中村君が帰ってくると負けじゃないか! 実はピンチが広がってるじゃないか!」


 柳井は本当に野球にハマってしまったらしく、見たこともないくらいテンションが上がってしまっている。その矢先、黒工の五番打者に対して、投手が一球目を投げた瞬間だった。


 一塁ランナーの中村が盗塁。打者が空振りし、誠が二塁に送球した。が、送球したように見せただけでそのボールは投手のグラブに収まる。投手がすぐさま三塁に送球するが、間一髪三塁ランナーの帰塁が間に合い、三塁塁審のセーフの声が球場に響いた。


「おい誠! なんでピッチャーに投げたんだよ」

「いや瀬野くん、たぶんあれって投げちゃったら三塁ランナーがホームに突っ込んできてたよ。だから上村くんは二塁に投げたふりをして投手に返したんだよ」

「さすが麗美ちゃん、理解が早いわね」


 普段から言っていることの半分くらいは良く分からない柳井が、すでに野球でも良く分からないことを言いだした件。状況としては一死二三塁。これ以上ない大ピンチだ。いや、この時すでに同点までのシナリオはほぼ完成していたのかもしれない。


 黒工の五番打者は、次の球が投げられた瞬間、バントの構えになった。同時に走り出す走者。それは、教科書に乗せてほしいほどきれいな、僕にでもそれが何なのか分かるような美しいスクイズだった。


 黒工のスクイズは見事に決まり、同点。打球を捕った誠が一塁にボールを投げて二死三塁。誰もがそう思った瞬間だった。


 二塁走者の中村が、その俊足を飛ばして猛然と三塁からホームに飛び込んできた。


「バックホームだ!」


 同点に沸き立つ一塁側の喧騒の中ですら、僕たちに聞こえるほどの大声で誠が叫ぶ。星洋の一塁手は、促されてすぐさまホームに送球。


 ヘッドスライディングの中村。捕球したグラブで中村をタッチする誠。ただ、それは素人の僕から見ても、少しアウト臭いタイミングだった。


 次の瞬間、球審が大きく両手を開き、セーフと叫んだ。


 よく見ると、誠のグラブからボールがこぼれ、ホームベースの前に転がっていたのだ。


「……そんな、マジかよ」

「……ねえ凛ちゃん、これって負けってこと?」

「……そうね。残念だけれど……」


 歓喜に沸き立つ黒工ナイン、そして一塁側。そして、星洋ナインと僕たち三塁側スタンドは、その正反対の、重すぎる雰囲気だった。俯いて動けなくなっている者、人目をはばからず涙を流す者、呆然とグラウンドを見下ろす者。全員が悔しさで固まってしまっていた。


「……あいつ、大丈夫かよ」

「……うん。ちょっと心配」

「……これはちょっと、ね」


 当然、僕たちだって悔しかった。何なら僕は、生まれて初めてここまで悔しいと思ったかもしれない。小学生の頃、ガキ大将に言われていじめに加担するしかなかった悔しさを思い出すほどに悔しかったが、誠を知る僕たちは、それよりも何よりも、誠のことが心配だった。


 誠は誰よりも責任感が強い男である。そのおかげで、クラスメイトから一番の信頼を勝ち取っているし、その責任感を他人に要求しておせっかいを焼いてしまう部分もあったりするが、基本的には僕もそう言うところが友人として好きなところでもある。


 そんな誠が、自分の……言ってしまえばミスで負けたのだ。勝てた試合だったかは分からない。しかし、星洋高校関係者の期待を背負って、四十二年ぶりの甲子園出場の夢を背負って、三年生の最後の夏を背負って務めていた四番キャッチャーの重責。その責務は、あろうことか自分の失態という形で果たせなかったのだ。そんなの、誠が簡単に受け入れられるわけがないというのは、簡単に想像できる。


「ねえ、二人とも!」


 僕たち三人の間にも流れていた重苦しい空気を破ったのは、柳井だった。


「あたし、今日試合見に来てよかったよ! 上村くん、最後は残念だったけど、ホームランも打って大活躍だったしさ! 野球って面白いんだって言うのも分かったし! だからあたし、上村くんにごくろうさま、ありがとうって言いたいよ! みんなで励ましてあげようよ!」


 柳井の頬には、二筋の跡が光っていた。それでも気丈に、飾ることのない笑顔で言う柳井の表情からは、普段の打算からくるものではなく、純粋に誠に対する感謝と、励ましたい気持ちが伝わってくるものだった。


「……そうね。私も信じられないくらい悔しいけれど、今日は見に来てよかったわ。上村くんにはしっかりと感謝を伝えましょう」


 伊月も決意に満ちた表情でしっかりと言葉を返す。二人がそこまで言うのだ。それならぼ、僕だって誠のことを励ましてやらないといけないだろう。


「そうだな。それで、もしあいつがへこんでたら、僕らで喝を入れてやろうぜ」


 なぜなら、誠は僕の、唯一無二の親友なのだ。


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