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059.冗談を言っても許される間柄

 目覚まし時計を発明した人は、何を思ってこんなものを作ってしまったのだろうか。こんなものを発明したせいで、我々人類は眠たい目をこすりながら、早朝に眠りから覚めることを強制され、昼まで惰眠を貪ることは怠慢であるという方程式を成立させてしまった。


 けたたましく鳴り響く目覚まし時計が恨めしい。今日は日曜日。休日は休みなので家でしっかり休む主義の僕が、何故早起きしなければならないのか。それは、今日が星洋高校野球部の県大会ベストフォーを決める試合が行われる日だからだ。


 野球部の夏の大会が始まる前から、誠から日曜日の試合があったら見に来てほしいと言われていた。もちろん誠から勝ち進まないといけないという話も聞いていたのだが、そもそも野球部が強い弱い以前に社交儀礼的に見に行くと受け答えしていた当時の僕の報いを、今日この日に受ける形になったわけだ。


 普段から日曜日は昼過ぎまで惰眠を貪る習慣がついている怠惰な僕と、誠との約束があるのだ、早く起きろと叫ぶ、僅かながらに存在する義理人情に厚い僕が脳内で格闘していると、枕元に置いていたスマホが鳴った。


 起き抜けでいまだにピントが定まらない両目でスマホの画面を捉えると、表示名は伊月凛。無視しようとも考えたが、後が怖い気がしたのでいったん電話をとってみる。


『あら、起きてたのね。試合ができる天気になればいいのだけれど』

「……ご挨拶だな。……今、お前に起こされたところだが」

『そんな気はしていたわ。寝起きにスマホを操作するのは、コーヒー二十杯分の寝覚め効果があるそうよ。だからわざわざ電話したのだけれど、目は覚めたかしら? 今日はみんなで上村くんの試合を見に行く日よ』


 例によって伊月が謎のおかん属性を発揮してくれたようだ。たまには甘えてみてこいつがどんな反応するのか見てみるか。


「……あと五分」

『何を言ってるのよ。さっさと起きなさい? 上村くんなんて、もう学校に集合しているころよ? いつもみたいに麗美ちゃんと瀬野くんちに迎えに行ってあげるから、支度して待ってるのよ?』

「……分かったよ」

『ちゃんと支度を済ませておくのよ? 分かったわね?』


 伊月はそこまで言ってようやく電話を切ってくれた。てか、あいつのこの世話焼きおせっかい体質は何なんだ。これって柳井とかにも電話してるのかな? 下手な男子高校生だったら勘違いして伊月凛ちゃんに恋しちゃうレベル。


 要らないことを考えていると、寝起きのスマホ操作の効果なのか目が冴えてきたので伊月に言われた通りに支度をする。リビングの食器棚下段の食糧庫からテキトーに菓子パンを選んで食べて、シャワー浴びて歯を磨いて着替えると、見計らったかのようなタイミングで家のピンポンが鳴った。


「あら、珍しくちゃんと支度をしていたようね」

「……余計なお世話だったよ。ところで柳井はどうした?」


 伊月が二人で迎えに行くなんて言うもんだから、てっきり二人して待ち構えているものだと思っていたが、家の前で待機していたのは伊月だけだった。


「麗美ちゃんは寝坊よ。あの子、あなたほどではないけれど、たまに寝起きが悪いのよ。これから迎えに行くわよ?」


 しっかり柳井の状況を把握しているあたり、やはり柳井にもモーニングコールはしっかりと届けられていたようだ。むしろ、僕だけにそのおかん属性を発揮するほうが伊月らしくないだろう。


「てか、お前顔色悪くねえか」

「……瀬野くんに心配されるなんて、複雑な気持ちになるわ」

「伊月よ、友達って何だっけ」

「こういう冗談を言っても許される間柄のことじゃないかしら?」


 割と人付き合い音痴の伊月にしては、もっともらしい答えだ。伊月も伊月で成長してるってことだろうか。体育祭の前日に伊月や柳井との関係性を考えなおしてからは、特にこういうやり取りが増えたような気がする。僕は僕で、そういう時間が心地よかったりするのに気付いてしまってから、僕は二人を誠と同じように信頼しようと決めたのだ。


「で、実際どうなんだ? 体調」

「……そうね。実は夕べ、色々と調べ物をしていたのよ。野球のルールとか、対戦相手とか調べていたら面白くなってしまって、夜更かしをしてしまったわ」

「そうかよ。勉強熱心なこったな」


 話しながら僕たちは道なりにまっすぐ歩きだす。確か、柳井と喧嘩して学校謹慎処分を受けた時に、このまままっすぐ進むと柳井の家に着くと聞いていた。


「あら、調べていたら本当に面白かったわよ。上村くん、今年は大活躍みたいよ。もうホームランも二本打っていて、前の試合では地域の新聞のインタビューまで受けていたわ」

「何それ。普通にすごくねえか。ちょっと調べてみるわ」

「駄目よ。歩きスマホは危ないわ」

「固いこと言うなよな」

「瀬野くん? 友達っていったい何なのかしら?」

「……分かったよ」


 相変わらずの皮肉で返されて何も言えなくなった僕の様子を察してか、伊月は言葉を続けた。


「今日の対戦相手の黒沢工業高校だけれど……私たちの県では甲子園の常連の強豪校らしいわ。四番の中村君は二年生だけれど、プロ野球のスカウトが注目しているらしいわね」

「それって僕たち見に行って大丈夫なのか? 敢えて言うけど、バカ松尾が言ってたような大差負けしたりしないよな?」

「私もそう思って野球部の勝ち上がりを調べてみたのだけれど……木曜日の試合では県の中堅くらいの高校に七対一で完勝しているみたいよ。おそらくだけど、今年の野球部は結構強いんじゃないかしら」


 それにしてもよく調べたものだ。伊月の成績がいいのは、たぶんこういう気になったことは調べて理解しないと気が済まない性格の所為なのだろう。今気づいたけど、伊月の服装自体も白の半そでのフリフリした上着に薄青のスキニージーンズ、頭には小洒落た麦わら帽と、とても野球観戦を意識したものだ。


「……着いたわね。ここよ」


 僕らとは無縁のはずだった、まさかの野球談議に花を咲かせていたところ、いきなり伊月が立ち止まって、迷わずその目の前の、洋風二階建てのわりかし立派な一軒家のインターホンを押した。その上の表札にはしっかり『柳井雄介・啓子・麗美』と書いてあった。


『はーい』

「伊月凛です。麗美さんを迎えに来ました」

『あらあ凛ちゃん。少し待っててねえ』


 よそ行きに着飾った伊月の声を追ってインターホンから聞こえてくる声は、普段の柳井よりも天真爛漫さにあふれていた。何というか、柳井の声の純度はその隠れた腹黒さから若干の陰りが見えるのだが、インターホンから聞こえた声はその毒気を丸々全部抜き取ったような声だった。


 数十秒の後、洋風家屋のドアが開く。うーん、何というか、カエルの子はやっぱりカエルなんじゃないかとでも言っておこうか。


 魔女の母は、やっぱり魔女だった。そのドアから出てきた存在を端的に表現すると、オシャレなエプロン姿で、茶髪を背中まで伸ばして身長を少しだけ縮め、ちょっとだけお姉さんオーラを足した柳井だった。いや、これじゃ柳井の姉さんだって言われても信じるけどさ、あいつ一人っ子って言ってたし、表札の名前的にもこの人柳井の母さんだよね? 合ってるよね?


「凛ちゃん久しぶりねえ。あとそちらは……彼氏さん?」

『ありえないです』

「あらあ、仲がいいわねえ」

「……瀬野和希です。柳井さんにはいつもお世話になってます」


 いちおう柳井の親なんだろうから、しっかりと自己紹介しておく。いちおう友達の親なんだからしっかりしておかないとさ。いちおうね。


「ごめんねえ。麗美ったら、やっとさっき起きて全速力で準備してるわあ。このままでも何だし、上がっていく?」

「いえ、お構いなく」

「大丈夫す」

「あらそお。ごめんねえ。ちょっと待っててねえ」


 柳井母は言い残すと家の中に戻っていった。ほどなくして、今度は柳井本人が家から登場。


「いやーごめんごめん。寝坊してしまったのだよ」


 柳井なりに反省しているのだろうか、申し訳なさそうに頭を掻きながらやってきた。柳井はかっこいいフォントの英字が印刷された白の半そでパーカーに青のジーンズのショートパンツ、ひざ上まで黒のソックスを履いて蛍光色のオシャレなスニーカーを合わせている。


 ……この絶対領域にどうしても目が行くのは健全な男子高校生の性だよね? 僕も男だししょうがないよね?


「そうね。一応起きてくれたからまだいいのだけれど……そういえば瀬野くん、のどが渇かないかしら?」

「……え? ああ、そうだな」

「凛ちゃんひどーい」


 僕たちはしっかり柳井にジュース一本ずつ奢らせてから、星洋町駅に向かった。道中、また伊月が柳井と野球談議に花を咲かせていたので、なんだか僕も今日の試合が楽しみになってきたのだった。

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