057.今時アナログの写真なんて粋なこったな
体育祭が終わってほどなくして、衣替えの季節がやってきた。
男子は白地のシャツに黒のスラックス、女子は白地に青色のラインが入ったセーラーに水色のスカートと、ここ数日の暑さとは反比例するように我ら生徒の服装は清涼感あふれる物に変わっていた。
体育祭という一大イベントの後に控えるのは期末テストだ。ちょうど梅雨が明けた頃に行われるその試験は、例年であれば応援団活動の煽りを受けて皆が非常に低調な成績をたたき出すらしいので、僕も去年はいつもの角の立たない学年三十位くらいの位置を狙うため少し自重して勉強していたのだが、今回は応援団活動が中止になったせいでそういう影響は考えにくいのでそれなりにちゃんと勉強しなければならない。
珍しく朝からそんな物思いに耽りながら講義棟三階奥の隅に位置する二年三組教室まで登校すると、教室前に大きな人だかりができていた。
「おー瀬野ちゃんじゃん。はよー」
「瀬野ちゃんおはよう」
珍しく朝からバカ松尾と細川のコンビに話しかけられた。松尾は夏服をチャラく着崩して、校則ギリギリだった茶髪もさらに明るくなっている。その反面、細川は優しそうな雰囲気にそぐわない大きな体に、しっかりと夏服を着こなしていた。
「何なのこれ。何があった」
僕はこの二人と話すことはいまだに敬遠しがちだが、ことが事なので聞いてみた。
「写真だよ写真ー。おれ凛ちゃんの写真いっぱい買おうかなー」
「たまに松ちゃんの無神経さがうらやましいときがあるけどさ、まあそう言うこと。体育祭の写真販売だって」
たぶん細川は好意を寄せている相手の写真を堂々と買える無神経さのことを言っていて、すなわち細川にも好きな人がいるってことになるが、この二人とは別に対して仲良くもないので話は広げずに、ふーん、とだけ返す。
「瀬野ちゃんは欲しい写真無いの?」
「まだ見てねえから分からん」
「ああ、瀬野ちゃんはそっち側か。気楽でいいね」
「え? どういうこと?」
さすがに細川も星洋高校の生徒だ。僕の受け答えからきっちり好意を寄せる相手がいないことを行間を読んで察したようだが、どうやってこの高校に入学したのかいまだに理解できない松尾には、同様に行間など理解できるはずもなかったようだ。
やいのやいの言いながら二人が教室に戻っていったので、昼食時の惣菜エリアと同じように人がある程度捌けるのを待ってからその写真販売とやらを見てみる。
それは今時珍しい、アナログ写真の販売だった。そういえば、生徒会との体育祭の出店計画の話し合いの中で、地域の写真屋さんからこのデジタルの時代だからこそ、ということでアナログフィルムの写真販売を出店したい希望があったと聞いていたのを思い出す。
教室外側の窓には黒地の画用紙に数十枚の写真が並べて貼ってある。全て二年三組の生徒が映っている写真で、確かに僕もなぜか一人の時にカメラを向けられたので早く帰ってほしくてピースサインを向けた記憶があるし、実際その写真も並んでいた。
特に興味はなかったが、つい数十枚の写真をざっと一瞥する。すると、その中にちょうど伊月が机に座っている僕と話している写真があった。隣に松葉先生が見きれているので、多分伊月が借り物競争で僕のところに来た時の写真だ。
僕と伊月が話しているところを初めて客観的に眺めた気がする。そりゃあ写真屋さんも取りたくなるだろうし、佐伯先輩が僕に嫉妬するのも少しわかる。
僕と伊月は、こんな仲良さげに話していたのか。知らなかった。
体育祭の前日、僕は伊月や柳井との関係性を見直したいという欲求に気が付いた。多分、それ以前から、そして多分、柳井と二人で話すとき、誠を抜いた三人で話すときもこんなに楽しげな雰囲気が出ているのだろう。
「あれあれー? 瀬野くんはやっぱり凛ちゃんとの写真狙いですかー?」
うおおびっくりした! マジで心臓止まるかと思ったじゃん。いきなり現れていきなり変な話題振るのやめてください柳井さん。そしてこういう話題の時に屈託のない笑顔をこっちに向けるのもやめてください。いつどす黒く染まるか怖いんだって。
「……本当にびっくりするから音もなく忍び寄るのほんと辞めてくれ」
「えー、あたしは普通に話しかけてるつもりなんだけどねえ。それで、本当に凛ちゃんとの写真狙いなの? そこんとこどうなの? ねえねえ?」
「……仮にも僕が恋愛感情で伊月のことを気にしてると思う? この僕が、だぞ?」
「んー、確かにそれもそうかなあー」
あまりにも柳井がねちねちと聞いてくるので、げんなりして投げやりに言葉を返す。その態度も相まってなのか、柳井は納得した様子で話題を切り上げてくれた。
「おう、カズに柳井じゃないか。おはような」
「お、練習お疲れさん。おはよ」
「おおー上村くん。あたしはキミの登場を心待ちにしていたのだよ」
ちょうど話題が切り替わるタイミングで誠が僕らの会話に割って入ってくれた。
野球部の夏の大会を控え、朝練のため誠は相当早く登校しているようだった。体操服の胸のところに書いてあるのと同じ、『SEIYO』のダサいフォントのローマ字からなるエンブレムが印刷されたエナメルバッグと、多分金属バットが収納されている細長い人口皮のケースを肩から下げ、きっちりと夏服を着込んだ誠からは、清涼感のある石鹸の香りがする。おそらく朝練後に部室棟でシャワーを浴びてきたのだろう。しかし男から香る石鹸の匂いとかマジでいらねえ。ほんとに誰得なんだろうね。誠とは一番仲はいいけど僕にはソッチの気はないので。これ大事なところ。テストに出ます。
「なんだよ柳井。お前に待たれてるとかある意味恐怖だぞ」
「上村くんも分かってきたねえ。さてさてー、あたしたちの目の前にあるこの写真たちを見て思うことはないかね?」
他人の色恋沙汰を楽し気に、無邪気に、そして狡猾に蹂躙する柳井に対し、嘘の類を言うことは自殺行為だ。何故なら、人類が持ち得る限りで最高の性能を持つコンピュータ並みの性能を発揮する柳井麗美の脳内回路は、その嘘の情報からでさえも正しい情報、それも本当に他人に言いたくない答えにまでたどり着いてしまうからだ。誠、僕からアドバイスできることがあるとすれば、その問いには必要最低限の情報を正直に話すのが一番だってことだけだ。
「写真? ああ、今時アナログの写真なんて粋なこったな」
「上村くーん、とぼけるにしてもそれは本当につまんないよ」
「……おい柳井、お前も可愛いほうの女子なんだからその変な笑い方はいい加減やめたほうがいいと思うぜ。俺もとぼけて悪かったけどよ」
怖いから敢えて柳井の表情をうかがうような真似はしなかったが、きっといつものどす黒いほうの笑みを浮かべているのだろう。とりあえず、僕に被害が及ぶ前に誠のほうの話題に進ませてやろう。これは逃げじゃなくて戦略的撤退だからね。
「こういう時の柳井には何を言っても無駄だって」
「……まあカズの言う通りだよな。正直に言うと、朝練で早朝に登校できる特権を使って誰にも見られずに三十七番の写真を予約しましたよ。どうだ? 悪いか!?」
写真の右上隅には小さなシールで番号が振られていて、どうやらその番号を予約表に記入して羽織先生に提出することで写真が購入できるシステムらしい。僕も柳井も、誠の供述通り三十七番の写真を見ると、誠とほわほわした雰囲気の、黒髪おさげの女生徒が何かの競技でゴールする瞬間の写真だった。
「だよねえ。上村くんならこの三浦さんとのシーンは絶対外さないよねえ。あたしは草葉の陰から応援してるよー」
「……ちなみにいつから気づいてた?」
「え? 借り物競争で上村くんが借りる側の時にさ、三浦さんと走ってるのも見てたしさ。それに、ゴールした時写真屋さんに撮られてるなーってのも見てたし。写真自体は今初めて見つけたよ」
「……お前ほんとに悪魔みたいな女だな」
「いや悪魔てか魔女な」
「やだなあ二人とも、そんな褒めないでくれよう」
「あら、みんな揃って楽しそうね。おはよう」
誠の恋路の話がひと段落着いたところで、今度は伊月が登校してきた。その佇まいから黒基調の冬服もよく似合っていたが、白基調の夏服も彼女の美しさを際立たせている。柳井、誠、僕の順でまばらに伊月に挨拶を返したところで柳井が続けた。
「凛ちゃん凛ちゃん、実は上村くんがね……」
柳井は事の一部始終を、誠の横やりをかわしながら伊月に伝えた。
「あら、それはいいことじゃない。そういえば、三浦さんとの話があると聞いていたのだけれど、まだ上村くんの口からは聞けていなかったわね」
「ああ、すまねえな。タイミングが合えばとは思ってるんだが部活が忙しくてよ」
確かに誠は夏の大会前ということで、朝も昼休みも放課後も野球部活動に駆り出されっぱなしだ。先日まで僕も伊月も体育祭実行委員の活動があったので、実はこうしていつもの四人になる時間というのは最近ではかなりレアになってしまっている。
「大会終わるまでは無理だろ。僕だって応援はしてるけどな、しばらくほっといてやれよ」
「んー、まあそれは仕方ないかなー」
「……そうね。仕方ないわね」
「あれれー? 今度は凛ちゃんが何か上の空だぞー?」
何度も言うが、柳井の欠点は面白いと思ったことにしか興味を持たない所だと思う。今、その矛先は残る我ら三人の恋愛事情と言うところに向いているらしく、今度は伊月がその標的になったようだ。
「べ、別に何も見てないわよ?」
「凛ちゃんさ、さすがにそれは何か見てるって自白してるようなもんだと思うよ? あたし凛ちゃんがおばかさんにならないか心配になっちゃうよ?」
「で? 何番の写真を見てたんだ?」
自分の恋愛事情を掘り返された仕返しだろうか、誠も柳井に追随して伊月に問い詰める。
「最初に断っておきたいのだけれど、瀬野くんが気になったわけじゃないわ。写真の中の瀬野くんの行動が意外すぎて今日は雪が降るんじゃないかと思っただけよ?」
「……それでも瀬野くんの写真を見てたんだねえ」
「麗美ちゃん? どうしたら黙ってくれる?」
「うわあ、凛ちゃん怖いよー」
どす黒い笑み伊月凛バージョンは本家本元の柳井すら恐怖させる大迫力でした。ほんと何なのこの二人ほんと怖い。
「それで、二十一番の写真だけど……」
伊月に言われて全員がその写真に注目する。それは、僕が写真屋さんに早く帰ってほしくてテキトーにピースサインを出した写真だった。
「……瀬野くんが……ピースサインって……」
「可笑しいでしょう?」
「……確かにこの梅雨前に雪が降ってもおかしくねえなこりゃ」
「お前らは僕のことを何だと思ってるんだ」
「ああ……あれだ……あれだよ。お前らこそ今何時だと思ってるんだ。朝のホームルームだぞ。そうだな……早く席につけ。それと……なんだ。おはよう」
またしてもいきなりぬぼっと現れた羽織先生に促されて、おはようございます、とまばらに返事をしながら僕たちは教室に入り、各自席へと散っていった。




