053.私も私なりに努力してるのよ
波乱の体育祭予選会が終わり、それからの実行委員メンバーの日常は、例によって多忙を極めた。週明けの月曜日から、実行委員の仕事は見事に肉体労働にシフトした。要は、校庭に体育祭で利用するテントや施設を組み上げる仕事に入ったのだ。いよいよ体育祭本番、という感じだが、いかんせん肉体労働は苦手だ。けど、伊月の見事なお母さん力によって、そこまで大きく肉体的負担を抱えることは、ここまではなかった。母は偉大。それをこっちで実感するってどうなんだろうね。
そんな忙しい期間中に、伊月と僕は例によって放課後、生徒会室へ召集されていた。体育祭を週末に控えた、予選会の翌翌週の火曜日のことだ。
「おう、行くぞ」
「ええ。けれど、このタイミングで生徒会室って何なのかしら」
例によって帰りのホームルームが終了し、僕が伊月の席まで向かいぶっきらぼうに声をかけ、また伊月を先頭に歩かせながら会話する。
「全く想像がつかん。てか、さすがに早く設営に戻らねえと松葉先生が怖え」
「……あの人自身は危険行為が伴わなければ、すこぶる常識人なのだけれど」
「でも怒ると怖いだろ」
「否定はしないわ」
他愛もない話をしながら生徒会室に向かっていたが、僕は途中で変な違和感を覚える。これまで伊月が生徒会室に向かうときは、決まって右の眉毛をぴくぴくさせて怒り状態になっていたからだ。だけど、今日の伊月はかなり冷静な状態というか、二年三組の教室にいる時の状態そのままで生徒会室に到着した。
「伊月さんに瀬野くんですね。どうぞ」
生徒会室をノックして、性懲りもなく上から言葉を投げ下す斎藤に導かれて生徒会室に入る。野村先輩は相変わらず偉そうな机の上で居眠りをしているのか、突っ伏したまま動かないし、戸叶先輩は珍しく暇そうに足を組んで黒いふかふかのソファに腰掛けていた。
「ああ、座りな。わりいな、ちょっと野村の奴がダウンしててよ。てかいい加減起きろよな……」
こちらも相変わらずどこか男前な戸叶先輩が、先輩の向かいに並んだソファに掛けるよう促してきたので、僕たちはちょこんと腰掛けた。やっぱりデカいなあこの人。向かい側に座らされた伊月とか、生徒会一緒にやってる野村先輩がかわいそう。いやね、戸叶先輩ほどになるとどうしても目についてしまうんだって。男の性だね。分かるでしょ?
「んー……あれ、伊月さんと瀬野くんじゃないか。なんか失礼な噂でも立っている気がしたんだけど……めんどくさいなあ」
「奇遇ですね。ちょうど私も瀬野くんが失礼なことを考えている頃合いじゃないかと思っていたところですけれど」
二人とも柳井みたいな変な能力発揮するのやめてください。
「奈央ちゃんよ、この忙しい時にせっかく二人に来てもらったんだぜ? さっさと始めようぜ」
髪型が気に入らないのか、ポニーテールにくくったところの位置を両手で調節しながら戸叶先輩が言う。なんか大きさが強調されるな、この態勢。いやいや何見に生徒会室に来てんだ自分。本題本題。
「そっすね。言っちゃアレなんですが、僕らかなり忙しくて。手短にお願いできないですか」
「設営のスケジュールがギリギリで……急かしたくはないのですが、すみません」
うーん。やっぱり伊月が変だ。野村先輩に素直に謝る伊月なんてレアすぎるだろ。まあ穏便に事が進むのなら大歓迎なんだけど、何かおかしいなあ。のどに魚の小骨が挟まって気持ち悪いみたいな、そんな感覚になっちゃう。
そんなことを考えていると、野村先輩が大きく一つ深呼吸して会話を始めた。
「二人ともすまないね。実は、体育祭の運営……になるのかは分からないけど、ちょっと問題があって実行委員と相談がしたいんだ」
「……それは、どういった内容でしょうか? 私たちが協力できるかは内容によるかと」
うん。やっぱり伊月がおかしい。いや、こうあるべき姿ではあるんだろうけど、野村先輩の相談に伊月が笑顔で乗っかるなんて。これまで生徒会を忌み嫌ってきた態度を見せていた伊月とはとても思えないな。
「そうだね。かなり前になるけど、伝統の大盛りかき氷を含めた地域の方々の出店をまとめた案を出してもらったよね。あれがどうにもうまくいかなくてね。伊月さんには悪いけど、今年の体育祭から応援団がなくなって、盛り上がりに欠けるんじゃないかって噂は地域の皆さんにも広がっているようなんだ」
「……すまねえな。何も伊月が悪いって言ってるわけじゃないぜ? 元の案に沿った地域の方々との連携がうまくできない、あたし達に非があることなんだがな」
「ただ、今年はどうにも地域が活性化しきれていないということは事実なんだ」
野村先輩、戸叶先輩に続いて、普段会議に発言することが少ない斎藤までもが口を挟む。
「……そうですね。ただ星洋の体育祭から応援団演武が消える、という話だけを聞くと、地域の皆様がそう感じるのは仕方のないことだと思います」
ことこの生徒会室において、ここまで素直な伊月というのは見たことがない。また何か悪いことでも考えてるんじゃないだろうね? いや、伊月が悪いこと考えてたことなんてあんまりなかったけどさ。
「相変わらず理解が早くて助かるよ、伊月さん。だから、生徒会として出店計画を見直した案があって。こっちにシフトして問題なさそうか、二人に見てほしかったんだよ。生徒会は体育祭に対してはいかなる時でも中立だからね。独断はよくないと思ってね」
野村先輩が言い終わると、斎藤が修正された案を記載したプリントを僕らの前のガラスのテーブルに差し出す。
なるほど。内容としては、体育祭の盛り上がりが欠けていると噂になっていることを想定して、出店の待遇面を強化したような感じか。しかしその分、かなりの予算が追加されている。
羽織先生は僕のリスクヘッジ的思考は長所になりえるとも言っていた。こういう時に発揮するもんなんだろうか。一応、予算面のリスクについて聞いておこう。
「野村先輩、待遇強化はまあ分かるんすけど、追加予算ってどこから出したんですか」
「おお瀬野くん、君もなかなか頭が回るじゃないか。さすが伊月さんに信頼されている委員だね」
「さあ? そこはどうでしょう?」
言いながら意地の悪そうないい笑顔で伊月がこっちを見ていたが、こんな和やかな雰囲気で会議が進んでいるのも逆に違和感だ。まあ、円滑に進むのに越したことはないんだが。これぞまさに円滑会議だね。
「予算については、今年は応援団演武がないからね。彼らの衣装など備品を借りなくてよくなったから、実は湯水のように余っているんだよ」
言われてみればそれもそうだ。特攻服とか袴みたいな変な衣装だったり、その日に限り解禁される染髪のための大量のヘアカラーだったり、応援するための櫓だったり、そういうのが一切合切なくなったんだからそりゃあ予算は余ってるだろうな。
「……そういうことなら、このまま進めていただいて大丈夫だと思います。瀬野くん、ほかに異議はないかしら?」
「いいんじゃねえの」
「そうか。よかったよ。これで予定通りの出店を確保できそうだ。それじゃ解散ね……ふわあ」
「……毎度すまない。ではこちらに」
「おつかれさーん。いい体育祭にしようぜ。設営頑張れよ!」
野村先輩が解散宣言と同時に机に突っ伏して睡眠を始めたので、戸叶先輩のエールに頭を下げ、斎藤に導かれて生徒会室を後にする。
生徒会から出たので、改めて伊月に聞いてみる。こいつは、無理しててもこっちから聞いてやらないと答えてくれないからだ。これも僕たち四人の関係を保つため、ひいては自分のために、だ。
「お前さ、何か無理してたんじゃねえの。野村先輩に何の文句も言わねえなんて」
「……うるさいわね。私も私なりに努力してるのよ。もうこれ以上、体育祭を悪くさせたくないの。そう考えれば、生徒会長さんとやっかみあってる場合じゃないでしょう? 違うかしら?」
いつも通り、伊月は先頭を歩きながら答えた。野村先輩の名前を出さないあたり、まだどこか納得のいかない所もあるらしい。もしかしたら、そもそも伊月は野村先輩のことを嫌っているのかもしれない。それでも、もしそうだとしても。
僕の前を歩く伊月の小さな背中が、いつもよりも大きく感じた。




