040.相応しい人物
斎藤は学生帽から目線にかかるほど長い前髪の隙間から僕たちのほうを見ながら、手に取った数枚のプリントの内容を読み上げ始めた。
「我々星洋高校の歴史において、またその体育祭の歴史において特に盛り上がったとされる年があります。今から三十八年前と、十年前の体育祭です」
確かに過去何回か盛り上がった年があったというのは聞いたことがある気がする。確か松葉先生が、伊月の兄さんが応援団長を務めた年が盛り上がったと、そう言っていたはずだ。そして伊月本人からもオヤジさんや兄さんが応援団長を務めていたとも聞いている。
「三十八年前、第十七回星洋高校体育祭では初めて応援団演武が導入され、しかも完成度が非常に高かったということで、応援団演武の伝統はここから今日に至るまで脈々と受け継がれてきました。この年の白軍応援団長は伊月蓮。この方はあなたのお父様で間違いないですね、伊月さん」
え、何だって? 応援団演武を始めたのが伊月のオヤジさんだなんて初耳だぞ。
「……父さんが応援団演武を始めたというのは知らなかったけれど、伊月蓮が私の父親なのは間違いないわ」
柳井の話も合わせて考える。応援団の行動を制限することが、体育祭を盛り上げてきたオヤジさんや兄さんに対するアンチテーゼになりうるというあの考え方だ。確かに伊月が、オヤジさんが応援団演武を始めたというのを知ったうえで応援団活動を制限し、その上で二人以上に体育祭を盛り上げることができれば、それは二人に対する壮大な復讐になりうる。
だけど、オヤジさんが演武を始めたと言われた当の本人は面食らった様子で、どこか何かを納得したような表情さえ見せていた。この様子では、本当にオヤジさんが応援団演武の伝統を始めたというのは知らなかったのだろう。
「そうか。伊月さん、キミ自身親御さんが応援団の伝統を始めたというのは知らなかったようだね」
その様子を見て野村先輩が口を挟む。柳井の話を聞いているからこそ、この質問の真意がそこにあることも僕にはなんとなく分かる。
「……ええ。本当に知らなかったわ。知りたくもなかったわね」
どこか吐き捨てるように言った伊月を追って、斎藤がまた資料を読み上げ始めた。
「さらに十年前の第四十五回体育祭。この年も紅軍の応援団演武がリニューアルされ、相当に盛り上がったと言われています。この時の紅軍の応援団長が伊月謙、この方はあなたのお兄さんですね、伊月さん」
「そうね。謙は私の兄で、私もこの年の体育祭を見ていたのは覚えているわ。だけど小さなころの思い出ってレベルね。紅軍の演武が一新されただなんて私には分からなかったわ」
伊月はまた右の眉毛をぴくぴくと動かしている。この場にいる生徒会関係者全員が、柳井と、そして直接話に出した松葉先生と同じ疑いを持っているのにはすでに気付いているのだろう。だからこそ、伊月は小さなころ見た体育祭の応援団演武が新しいものだったことは知らなかった、と予防線を張ったうえで、また自分が父や兄に縛られていることに気付き、苛立っているんじゃないだろうか。
「話が早いね、伊月さん。私は理解力の高い生徒が好きだよ。キミを生徒会に入会させたいくらいだ」
「そうね、野村先輩。そろそろ言ったらどうかしら。私が父や兄とは違った方法で体育祭を盛り上げたいという勝手なわがままで、体育祭を私物化していないかどうか確認しようとしているって」
アニメで言えば二人の視線がぶつかるちょうど真ん中で火花が散っているような、そんな映像が想像できるほど伊月と野村先輩のムードが険悪になっている。いつも姉御肌で強気そうな戸叶先輩でさえ少し引いてるんだぜ。僕も気まずくて戸叶先輩の口調真似しちゃうじゃんよ。
「そうだね。私はキミのことをそう疑ってたよ、伊月さん。ただその疑いは晴れた。キミは隠し事ができるような器用な人間じゃない。社長令嬢の仮面を外したその下の姿は、感情をあらわにして喜怒哀楽をはっきり表現する人物だと聞いているよ。野外活動をきっかけに、キミはその仮面を取り払ったそうだね」
「……中立とはよく言ったものね。一体どこまで私のことを調べ上げているのかしら」
あきれたようにため息をついて、伊月は険悪な視線を野村先輩から外して生徒会メンバー全員を見渡しながら言った。実際僕も野外活動のことまで調べているなんて聞いたら少し引いちゃったよ。ちょっと怖い。僕のこと調査されてない? 大丈夫? やましいことは何にもないけどさ。怖いじゃん。
「おっと、勘違いしないでくれないか。私たちはキミと同じように、紅軍団長の中根くんや白軍団長の佐伯くんにも同じくらいの身辺調査をしているよ。生徒会として体育祭を運営するのに、相応しくない人物を重要なポストに置きたくないだけだよ。そして伊月さん、キミは今自分が実行委員長として相応しい人物であることを証明した。キミのお父さんやお兄さんが応援団演武に深く関わっていたことを知らなかったのだから」
「それはどうも。本当にありがとうございます」
皮肉たっぷりに言い放った伊月に対し、また野村先輩はそのゾンビでもびっくりしそうなほど覇気のない目を細めて言葉を返す。
「キミを試すような真似をしていたことは謝るよ。ごめんね。でもこれで、キミの要求を生徒会が受け入れる態勢は整った。美咲も斎藤も異議はないよね?」
「全くありません」
「ねえよ。今のお前は誰よりも信頼できるからな」
戸叶先輩と斎藤は全幅の信頼を生徒会長、野村奈央に向けている。その事実がはっきりと分かるほど二人は野村先輩の意見をこれ以上ないほど全肯定する表情だ。普段のやる気のない野村先輩では心もとないと思っていたが、この二面性は正直想像していなかった。今生徒会長の席に座っているのは、間違いなく星洋高校の生徒会長に『相応しい』人物だ。
「……では、二点目の意見を簡潔に。先ほど野村先輩が言っていたように、応援団活動については非常に多数の問題を含んでいます。特に部活生以外の生徒の応援団への強制参加。これだけは私の『革新』の一つ、皆が楽しめる体育祭へ、という理念に真っ向から対立するものです。期末テストの問題や過度の稽古の問題はありますが、自ら率先して応援団に参加する生徒のみで構成できればこの二点についてはおのずと解消できるでしょう」
「そうだね。実際、中根くんや佐伯くんの成績は非常に優秀だし、強制参加でない生徒たちも応援団のせいで成績が下がった、なんて言わせないようにとても成績がいい。自分から参加するような生徒は意識高く文武両道はできているんだ。問題は強制的に参加させられて過度なストレスにさらされる部活生以外の生徒たちだから、彼らの参加を強制させないのは一つの解決策になりうるね。これについては即刻私から手を打とう。ただ、私は中立の立場だから応援団側から正当な主張があった場合は何もできないこともある。それだけは覚えておいてね」
「ありがとうございます。手を打ってもらえるだけでも前進だと思いますので」
伊月は礼を述べると黒皮のソファから立ち上がり、ぺこりぺこりと三人に頭を下げた。なんだか伊月だけにそれをさせているのが気まずくなって、僕も同じようにぺこぺこと頭を下げる。
「では、いったん私たちはここまでで委員会に戻ります。いい返事を期待してますので」
「ああ、期待してくれ。それじゃ会議終わりね……」
言いながら生徒会長の席に突っ伏して眠りに落ちてしまった野村先輩だったが、僕はその姿にさえ頼りがいを感じるほどになっていた。




