039.カリスマ
「本日私たちが持ってきた議題としては二点です。一つは今回の体育祭の競技について。これは先日斎藤君へ資料を渡したかと思いますが」
雰囲気の変わった『生徒会長・野村奈央』にさえ臆することなく、伊月はその特徴的な気の強い視線を正面からぶつけて言う。野村先輩は覇気のない目を細め、少しにやっと笑って言葉を返す。
「はい。斎藤から資料の話は聞いてますし、ざっと目を通させていただきました。松葉先生の猛攻にも遭ったらしいですけど、バランスの取れた競技編成で安心しました」
猛攻という表現に僕は吹き出しそうになってしまったが、野村先輩が引き締めた空気が緊張の糸を切ることを許してくれず、苦笑いするにとどまってしまった。僕たちの正面に座る戸叶先輩や斎藤は、一つの笑みも浮かべずに野村先輩と伊月の話に聞き入っている。
「ひとまずはこれらの競技を取り行うことで決定していいかと思いますが、私以外に生徒会側から何か意見はないでしょうか」
「ちょっと待てよ奈央ちゃんよ」
生徒会側に目くばせしながら言った野村先輩に、戸叶先輩が挙手して意見する。
「最終競技の騎馬戦なんだけど、今時危険すぎて親御さんからのクレームくらい入りそうなもんだぜ。これ、このまま通すってのかよ? 去年も何人かけが人が出たんだろ?」
一貫して生気の宿らない瞳で戸叶先輩を一瞥して、今度は伊月に視線を移して野村先輩が続ける。
「確かにそれもそうですね。伊月さんからは今回の体育祭のスローガンは『革新』だと聞いていますが。昨年けが人が多く問題があった競技を続けることが『革新』につながるのかどうか説明してください」
確かにそこは生徒会からツッコミを受けても仕方ない部分ではある。僕たちも危険な競技を勧めたがる松葉先生の猛攻をしのぎにしのいだはずだったが、最後の最後、どうしてもここだけはしのぎ切れなかった部分でもある。
だけど同時に、僕たちの考える体育祭のプログラムとして一番盛り上がる最終競技として設定したため、ここを承認されなければプログラムごと再構成が必要になるという微妙な立ち位置に収まってしまった。実際僕たちとしてもあまり乗り気ではないが、それでもほかの成功を願うならこの騎馬戦は必ず生徒会の承認を通さなければならない。
何人集まっても柳井の一つの脳みそに敵いそうもない僕の頭をフル回転させている間に、伊月は挙手して野村先輩の問いに対する回答を発言し始めていた。同じ星洋高校の生徒のはずなのにどうしてこんなに頭の回転数が違うんだろうね。悲しくなっちゃうよ。
「はい。確かに騎馬戦が問題をはらんだ競技であることは事実です。しかし、それと同時に毎年の体育祭で最終競技として最も、あの応援団演武よりも盛り上がる競技であったことも事実です。過去の前例に倣い、いい部分に関してはある程度のリスクには目をつぶりそのまま残したうえで、大きなマイナスをそぎ落としそれ以上の価値のある何かを作り上げる。つまり、敢えてこの競技を実行して体育祭をこれ以上なく盛り上げることそのものが、私の掲げる『革新』です」
伊月は相変わらずの意志の強そうな眼光で野村先輩の死人のように曇った瞳を睨み付けていたが、この発言の真意を理解したのか野村先輩の瞳も曇ったままではあるが少しだけ鋭く変化したように見えた。
「……まるで騎馬戦なんかよりももっと大きな問題がこの体育祭にはあるんだ、とでも言いたそうな発言ですね」
野村先輩のこの発言に、戸叶先輩も斎藤も表情をこわばらせている。おいおいどうした皆さん。もっとフランクに行こうぜ。何だろうこの伊月と柳井が喧嘩した時とは違う種類の険悪な雰囲気は。この人たちは伊月の何かやりたいことを警戒でもしてるわけ?
「……その問題についてが本日の議題の二点目として持ってきた内容になるのですが。まずは競技のほうから決めさせていただければと思います」
「いいよ競技はこれで。それで? 伊月さんが考える体育祭最大の問題というのはどこなんだい?」
野村先輩から敬語が消えた。同時に、野村先輩が生徒会長である所以ともいえる凄みが、威圧が、高圧的な圧力が。生半可な意志ならばすぐに折れてしまいそうなプレッシャーが先輩から発せられる。覇気のない瞳が象徴的な女生徒から発せられる圧倒的な覇気に屈服し、僕は発言する意思を踏みにじられつい伊月の横顔に視線を移してしまう。実際、戸叶先輩はこの空気になってから先の発言が気まずいのか、視線を下に落としてしまっている。
これがたぶん、野村先輩の本気で、普段やる気のない彼女が生徒会長として君臨する理由だろう。彼女は間違いなく、ある種のカリスマだと僕は確信していた。
だけど、ふと考えてみれば伊月だって二年三組のカリスマ的存在ではないだろうか。野外活動の時、僕のリスクヘッジに染まった思考回路をショートさせ、羽織先生の人としての心を突き動かし、柳井麗美という魔女を本気にさせ、上村誠の常識すらも超越して僕らの関係性を作り上げた。
それだけにとどまらず、松尾、川村らと同じような伊月と関わりのなかった一般生徒たちにも心配され、関係を構築し、そしてお嬢様の仮面をかなぐり捨てることに成功した。考えてみればあの件は、伊月自身がやりたいことに周りを巻き込み、自分の目指すべき方向へ皆と一緒に進んだような事件だったと思う。
そんなことができる人物がカリスマでなくて何なのだろうか。そう思えば思うほど、彼女の背負ってきたお嬢様の仮面の重さと、彼女自身の才能の高さを自覚せざるを得ない。伊月がすごい奴だっていうのも、やっぱり認めないといけないと思う。認めたくないけど。うん。認めたくない。認めなくていいかな……駄目か。
「野村先輩。敢えて言わせていただきたいのだけれど、あなたは今の応援団の現状を見ていて何も思わないのかしら? それとも見てみぬふりをしているのではなくて?」
伊月はやっぱり伊月だ。自分のやりたいことに周囲を巻き込み、皆と同じ方向を向いて正しい方向へ導ける人物だ。この発言一つ取っても、僕の思考が合っていたと実感できる。この空気になってなお、伊月は会話の主導権を握り、自分の意志で会話を進めることができている。とても発現する気を無くした僕ではたどり着けない領域だろう。悲しいけどね。
「……確かに。応援団参加者の期末テストの成績問題、あるいは強制的な団員募集、そして過度を極めた演武の稽古。あの組織は問題を抱えまくっていると言っても過言じゃないね」
野村先輩が伊月の発言を肯定するような発言を受け、僕から見える右側の横顔の眉毛がピクリと跳ねるのが見える。え、今の発言怒るところ? 伊月さん。
「ならばなぜ応援団の活動を例年通り解禁したのかしら? 私の『革新』をそこまで理解してもらえているのなら、解禁日時をせめて今日のこの会議の後に決めることさえできたはずよ」
伊月の発言に、今度は野村先輩が生きる意志に乏しい瞳を鋭くして伊月を睨み返すようにして答える。
「ちょっとちょっと。私は何もあなたの意見に賛同しているとも言っていないし、だからと言って応援団に思い入れがあるわけでもない。あくまで中立の場所からキミたちの成り行きを見ている、というのが一番正確な立ち位置だろうね」
野村の意見を聞いている間、また伊月の右眉はぴくりぴくりと何度か跳ねていた。伊月は相当苛立っているらしい。柳井と喧嘩した時以来かな、こんなぴくぴくしてるの。
「……中立であるならば、一方的に例年通りの活動を許可するのではなく、その前に一度実行委員と応援団で会議の場くらいは設けていただけてもよかったのではなくて? それすらもせず中立だなんて片腹痛いわ」
「……それなら、私がどれだけ中立を保っていたか説明させてもらおうか。それでもあなたが何か言いたいことがあるのであれば、しっかり聞かせてもらうよ。斎藤、例の資料をお願い」
「はい。では僕から事の成り行きを説明させてもらいます」
斎藤の独特の語り口は、いつもよりも僕たちの怒りの琴線を逆なでしているように感じた。




