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037.革新するべき悪しき伝統

 ああ、疲れた。


 昨日の夕方まで続いた体育祭の競技についての会議のせいで、今日の僕は心底疲れている。というか、もうあの会議は松葉先生と伊月と僕とで成り立っているようなもので、体育祭は二年三組プラス生活指導プレゼンツみたいになっている。ほんとによそのクラスの方々は参加に消極的で困っちゃう。


 危険の高い競技を勧めまくる松葉先生を伊月と僕でなんとか言いくるめて無難な競技を採択したが、それでも最終競技として伝統の騎馬戦だけは採用せざるを得なかった。まあ騎馬戦がない体育祭は盛り上がらないだろうから、リスクにも目をつぶろう。玉入れや玉ころがし、綱引きなどクラス全員参加の競技数も満たした。


 あとは長距離短距離中距離の各種トラック競技や、走り高跳びや砲丸投げ、走り幅跳びなどの陸上競技の決勝を体育祭の本選で行うことが決まり、またそれらの競技の予選会の日程など事細かく三人で決定した。ほかの連中は正に競技などが議決されたタイミングで拍手をする機械と化していた。それでも参加してこないことに彼らの意地を感じるね。


 そんな昨日からの今日だったので、繰り返すようだが僕は疲弊しきって今日の朝を迎えている。いつもより登校する足取りも重い気がしたし、教室のドアなんていつもより何倍もずっしりとしているように感じた。


「瀬野くんおはよーう……って今日は酷い顔だねえ」


 登校するといつものように柳井が僕の席の前のナントカさんの席に足を組んで座っていて、こちらに向けて右手をひらひらさせている。しかし、その周りに立つ人たちの組み合わせは見慣れないものだ。


「瀬野くん、あなた大丈夫なの? 疲れてるでしょう?」

「瀬野ちゃん、その顔はヤバいっしょ」


 柳井の向こう側に立っていたのは川村さんとバカ松尾。二人を見てたじろいだ僕を、柳井が屈託のない笑顔で手招きする。


「いやーみんな体育祭実行委員の瀬野くんに相談があってだねえ」

「えーなにそれめんどくさい」


 面倒になりそうだと思ったとたんに某生徒会長の顔が目に浮かび、その先輩みたいな否定の言葉が勝手に口をついた。


「めんどくさいとか言うなよな。オレらだって真剣なんだぜ」


 松尾がぶーぶーと不満を言えば、


「私たちにとって面倒な話だし、お互いさまってことで聞いてくれるかしら?」


 川村さんもクールな瞳をこちらに向けて左手を腰に当て、どこか格好良く言い放つ。


「単刀直入に言えば応援団の話なのさー」


 そして柳井がトレードマークの茶髪のショートボブを揺らしていまだに手招きをしながら言ってくる。どうやら僕が相談に乗るまで三人が僕を解放してくれる様子はないので、観念して自席につく。


「で? わざわざ三人で相談ってなんだよ。一実行委員の僕じゃなくて実行委員長様の伊月に言えばいいだろうに」


 僕の発言を聞いて、松尾や川村さんは確かに、と納得しそうになった様子だったが、柳井だけはにへっと例の気味悪い笑い声を一瞬上げ、全てを見透かすようなまん丸い瞳で僕を捉える。


「応援団の話を凛ちゃんにするのはあんまりよくないと思うよ? 違う? 瀬野くん」


 確かに柳井の言うことには一理ある。というより、柳井がそう言うのなら伊月に応援団の話を持ち掛けるのはよくないということだ。今、僕たちが伊月がどんな気持ちで実行委員長をやっているかイマイチ分からない以上、彼女が応援団を潰す、つまり親父さんや兄さんへの復讐、というのは言いすぎかもしれないけど、そんな機会を与えてしまうのはよくない。


 ただでさえ伊月は応援団なるものに、私怨にも似た感情を持っている様子だったのだ。


「そう言ってもよ、内容によっては結局僕から伊月に伝えなきゃダメでしょ」

「うーん、そうなんだよねえ……」


 川村さんや松尾は僕たちが何の話をしているのか分からない様子で、気まずそうにしている。とりあえず、三人の悩みが何なのか聞いてみよう。


「で、どうしたのみんな揃って」

「あの応援団の奴らだよ瀬野ちゃん。あんな毎日夜まで居残りさせて帰らせないなんてひどくねえ?」

「松尾くんじゃ説明が下手だから補足するけど、帰宅部でまだ応援団に参加していない生徒は参加すると言うまで先輩方が教室から出さないように監視しているのよ。教室から出たければ参加しろ、という強制的な勧誘ね」

「あれは凛ちゃんが言うようなみんなが楽しめる体育祭からは真逆の行為だとあたしは思うのだよ、瀬野くん」


 この話が事実であるならば、伊月が言っていた話の通り、応援団のシステム自体にとんでもない問題がある。そして、伊月の言っていた悪しき伝統というのは事実で、彼女が私怨で応援団をどうにかしようとしていた訳ではないことの証明にもなる。


 つまり、この話は伊月に持ち出して何ら問題がないということだ。伊月がしっかりと事実を事実として捉えて応援団活動を改善しようとしているのならば、伊月自身がしっかり体育祭全体のことを考えて行動しているということになるからだ。


「あー……僕もその話は伊月から革新するべき悪しき伝統で諸悪の根源だ、みたいな感じで聞いてたからな。そのうちあいつがどうにかするだろ。委員会の中でもあいつは『革新』のスローガンに沿っていろいろやってるから、様子見だけしてくれねえか」


 考えて発言したつもりだったが、松尾と川村さんは不満顔だ。


「えー、それじゃあ今日だって帰れねえじゃねーか瀬野ちゃんよ」

「愛弓……加藤だって、優しい性格に付け込まれてもう応援団に参加してしまった後なんだけど」


 ただ、柳井だけはその回転数の著しく高い頭脳をフル活用して、状況が読めたらしく、一瞬あの背筋が凍るほど恐怖を覚える悪い笑顔を浮かべ、そして屈託のない笑顔に戻った。


「んー、それなら直接凛ちゃんに言っちゃったほうがいいかなあ。てかちゃんと一回凛ちゃんと話したいし」


 おそらく柳井の頭の中で僕が伊月に話て問題ないと判断したその背景までしっかりイメージができているのだろう。僕が私怨ではなく事実を伊月が言っていたと納得したところや、あるいは伊月の本音の部分までもこの魔女には見えていてもおかしくはない。


「麗美ちゃん、瀬野くんおはよう。それに今日は川村さんに松……まつ……ええっと……あなたまで」


 毎日無駄に絡みに行ってるのに名前を覚えてもらえていないという悲劇が目の前で起きました。まあそんな冗談はさておき、ちょうどこのタイミングで伊月が登校してきたのにも意味を感じる。ここは多分柳井に任せたほうがいい。伊月の扱いは、もはや柳井に任せるのが正解を導くのに一番早いのだ。


「凛ちゃんおっはよーう! ちょうど凛ちゃんの話をしていたのだよ」

「そうね。ちょっと応援団の件で瀬野くんと話していたんだけど、ちょうどあなたに話したほうがいいかもって」

「……オレ席に戻るわ……」


 松尾はさすがにショックを受けた様子だったが、だからと言って何のためにここにいたのか自分で自分のことが分かっていたのだろうか。よくそんな頭脳で星洋に入れたな。


「それで、何の話かしら?」

「昨日お前が言ってた応援団の被害者の会の方々が柳井でありバカ松尾であり川村さんだよ」

「そうだそうだー応援団を撤廃しろー」

「さすがに撤廃までは言いすぎなんじゃないの」


 そんな松尾の様子を気にすることもなく伊月が話を進めるので、とりあえず僕たちはここまでの流れを簡単に説明する。


「……あまり話が読めないのだけど、結局あなたたちは昨日応援団の先輩方に放課後遅くまで拘束されてた、という話かしら?」

「そうなのだよ凛ちゃん。さすがに疲れちゃってねえ」

「あんなやり方は許されないわね」


 ひとまず女性陣が話し始めたので僕は黙りこんでおく。三人で話すのなら伊月の席に移動してほしいんだが、という空気を醸し出しながら授業の支度のために学生鞄から教科書類を引き出しに移動させる。


「そうよね。あの前時代的で非効率なやり方には私も辟易としていたの。というか、今日生徒会の方々とまた会議があるから、そこで何らかの案を提示するつもりよ。だから、すぐには改善できないと思うのだけど、あと数日我慢してくれないかしら?」


 やはり伊月はこの件についてどうにかしようと考えていた様子だ。ただ、これは伊月が親族を超えようという妄想に取りつかれて生み出した被害妄想のようなものではなく、事実に基づいた『革新』の一歩なのだと思う。それなら、僕も委員会活動に積極参加している以上、伊月を応援するしかない。


「……じゃあ僕からも言っておくよ。それで力になれるか分からんが」

「……ありがとう。愛弓みたいに、強制的に参加させられている生徒もいるって伝えておいてね」

「あと何日かの我慢だねー、んじゃああたしも入らないように頑張るよー」


 ちょうど話が終わったところで、朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。委員会が始まってから、ほんとに一日が長い気がする。今日も長い長い一日が始まるなあ……。


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