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036.この傷の話が気にならないか

 体育祭の実行委員活動に積極的な生徒は褒められて当然だと思う。おそらく今この自習室の中にいる生徒たちはスクールカーストが下位だったり、じゃんけんで負けたり、応援団活動から逃れるための苦肉の策だったり、いろんな事情を抱えてやってきているのだろう。


 何故なら、ほかのクラスの生徒たちはあの異様なまでの威圧感を放つ松葉先生の前だというのに、居眠り、手遊び、過剰なトイレ、サボり気味の出席率といやいやながら来ている雰囲気を丸出しにしている。いや、ほんとにモチベーション低すぎるよね皆さん。別にいいけど。


 そんな中我々二年三組の実行委員は何らかの事情はあれど僕も伊月も積極的な参加をしていて、しかも伊月に至っては実行委員長に自ら立候補した。これだけ僕たちは体育祭に貢献しているわけだから、そろそろ羽織先生にも僕の積極的な参加姿勢を評価していただきたいものだ。


 第二自習室の机は相変わらずコの字型の会議仕様に並べられているが、黒板の前のパイプ椅子は撤去され、その代わりに普通の学習用の机が一つ置かれている。その前面には実行委員長の紙が貼られていて、ちょうど会議の中心に伊月が座るような配置になっている。


 そして、黒板に向かって左わきのパイプ椅子に松葉先生がドカッと腕を組んで股を開いたヤンキーみたいな座り方で腰掛けている。基本的には伊月が淡々と会議を進めていくが、何か意見があるときに松葉先生が意見を挟むような形だ。まあ、それ以外に積極的に発言をするのは僕くらいのものだけど。


「では、明日生徒会との会議がありますので、今年も地域でかき氷の出店を募る方向を伝えます」

「まあいいだろう。かき氷がない体育祭はつまらん。俺も在校生だったから分かる」

「そんなもんすか」


 今日も伊月は淡々と会議を進行させていて、松葉先生がご意見番的ポジションで意見を述べる。僕は基本的に挙手しかしない生徒たちに変わって何かと意見を求められた時に答えたり、相槌を入れたりしている。僕よりコミュニケーションとれないほかの生徒達は何か自覚を持ったほうがいいと思うよ?


 今日はひとまず今年も星洋高校名物山盛りかき氷の出店を募るよう決まったところだ。伊月が委員長になってから、そういった体育祭の運営などについて会議することが非常に多い。


「それと、明日生徒会の面々とお会いするので競技案も募集しようと思っています。その中から私と松葉先生、あと一、二名の実行委員を含めて生徒会と話をして決定しようという流れです。どなたか案はありますか?」

「おう、ちょっと待て」

「あら松葉先生、どうしました?」


 伊月がやる気のない委員たちに意見を求めたところで、松葉先生が腕組みをし、右手で顎をさすりながら割って入る。先生はそのまま右手で左の頬、ちょうど古傷が途切れたところを指さして続けた。


「お前たちはこの傷の話が気にならないか」


 いや気になりません。むしろタブーですよね? 絶対に聞いちゃいけない話だと思ってましたし、知ってしまうと後に引けないような気がするので聞きたくないです。聞きたくないです。大事なことなので二回言いました。


「松葉先生、それは要するに危険な競技は避けろ、ということでしょうか」

 伊月も僕と同じように思ったのか、その話を聞かないようにしたうえで先生の話をまとめにかかる。

「まあ聞け。この傷はだな……」

「……あ、僕羽織先生に呼ばれていたの忘れてました」


 絶対に聞いちゃいけない話な気がする。人に歴史あり。つまり松葉先生がこうなるように通ってきた道はまともではなさそうだし、聞いちゃいけなかったような話もあるはずだ。咄嗟にそういう話を聞いてしまうリスクを削除するために、僕は出まかせを言ってしまった。


「瀬野くん、すぐばれる嘘をついてまで先生の話を聞きたくないのかしら」


 そして同じクラスの伊月に嘘だと名指しでばらされる僕。柳井や伊月に懐柔されてからというもの、どうも僕のリスクヘッジ的思考能力の劣化が著しい気がする。少なくとも少し前の僕ならばもう少しましな嘘が言えたと思う。


「おいおいそんなお前らが思うような危ない話じゃねえ。単に俺の子供の時の思い出話だよ」


 むしろ子供のころにそんな傷を負う人生なんてそう滅多にないですよ。いやもうほんと怖い。てか周りの皆さんはいいから早く言って終わらせてくれみたいな空気になってるけど聞いちゃって大丈夫なの? 怖くないの?


「……まあいいでしょう。競技の話をする前に重要なお話のようなので、みんなで聞きます」


 伊月ってすげえなあ。松葉先生と会ってからまだほとんど時間経ってないのにもう辛辣に扱ってる。僕にはできないなあ。


「手厳しいな。まあいい。俺はその日、友達と鬼ごっこをしていた。忘れもしない中一の夏だよ」


 夏に鬼ごっこだなんて、こんなにいかつい先生にも活発に生きていた時代があったんだな。すごい意外。あ、でもバイク事故で一年以上入院してたって言ってたからやんちゃなのも分かるか。


「俺は鬼の奴から逃げるのに必死だった。だから後ろを見ながら走っていたんだよ。そして鬼が俺をあきらめやがったのを確認して前を向いたらよ、目の前にガラス張りの扉があってな。左側頭部から突っ込んでガラスは大破。それでこの傷がついちまったらしい。事故後のことはあまり覚えていなくてな」


 いやー背筋か凍るって言うのはこういう話のことを言うんだろうね。やっぱり松葉先生の話は聞かないほうがよかった。別の意味でだけど。


「……つまり先生、要約すると危険な競技はしないように、ということでよろしいですね」


 また伊月が話をまとめにかかるが、松葉先生は顔の前で右手をひらひらさせて答えを返す。


「ちげえよ全く逆だ。俺はその死にそうな体験をした後生きている実感がわいてくるのを感じたんだよ。この前バイクで事故った時もそうだ。そういうギリギリの体験が俺たちに生命を実感させるんだよ。だから、競技もできれば危険なものから検討したほうがいい。騎馬戦や棒倒しは盛り上がるし危険だから採用だな」


 星洋高校の生徒たちだけでなく教師陣にもやっぱりまともな人間がいない件について。松葉先生の場合、生活指導の教師だし先生方からの信頼も厚いみたいだし、見た目以外はまともだと信じていたが、今その中身までぶっ壊れていたことが発覚した。


「えー……松葉先生? おっしゃられる意味が良くわかりません」

「だから危険な競技こそ採用するべきだと言っている」


 伊月はその発言を聞くと、はあー……と大きなため息をつき、先生に言葉を返す。相当苛立っている様子で、右の眉毛がぴくりぴくりと時計のように一定間隔で動いているのが見える。


「先生。私が掲げた体育祭のスローガンは『革新』です。その中に参加するすべての生徒が楽しめる体育祭に、というのがあります。競技の安全性に沿った議論こそ皆が楽しめる体育祭への一歩だと思いますが」


 伊月の語気はやはりかなり強くなっていた。そんな伊月の様子にたじろぐ様子もなく松葉先生が答える。


「固えなあ伊月は。お前の兄貴もそんなだったよ。頑なに意思を変えず応援団長をやりきったんだが……」

「兄の話は関係ありません。とにかく先生の意見を採用するわけにはいきませんので」


 そんなの誰が考えたってそうだ。危険な目に合ってこそ生きていることを実感できる? そんな理論でけが人が多数発生するような体育祭になってしまったら、それこそ僕らは悪い意味で星洋の歴史に名を残してしまうことになる。そんなリスクはごみ箱にでも捨てておけばいい。


「ならば伊月よ。応援団はどうするんだ。お前の言う『革新』の中には来月の期末テストでの成績を落とさない健全な体育祭も含まれているはずだ。だが俺の見立てだとあいつらの成績は何も変えなければ何も変わらねえ。ガタ落ちするはずだ。お前は地域の皆さんすら楽しみにしている応援団の活動規模を縮小でもさせるのか」


 松葉先生は腐っても星洋高校出の教師だ。この話はいきなり伊月の核心をついたと思う。というより、僕が柳井から話を聞いて心の中に持っていたことそのものを問いかけるような質問。たぶん松葉先生も伊月のことはよく知っていて、羽織先生からも最近のいざこざのことを訊いているのだろう。でなければ、このタイミングでこの話は出てこない。


 松葉先生は伊月が体育祭を私物化していないか早い段階で確認するため、自分の傷の話からこの話題を持ってきたのだ。


「……確かに応援団の成績問題はありますが、地域の方々は応援団演武を楽しみにされています。そのあたりはこれから応援団と話し合いを設ける予定ですが、今のところ規模縮小などは考えていません。というより、今は競技の話のはずでは?」

「ああそうだな。わりいわりい。で、騎馬戦とか棒倒しは当然採用なんだろ?」

「当然却下です」


 その日の競技決めは、夕方の六時過ぎまで続いていた。みんなが帰りたそうにしていましたが僕は頑張りました。はい。


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