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033.今日もいい朝ね?

 ぱちん。今朝もクラス中に響き渡る、松尾の頬がぶたれる音。相変わらずの松尾だ。今日も登校直後の伊月にセクハラまがいの絡みで突撃し、見事撃退されたようだ。なんかもうほんとに、馬鹿だなあ。ここまでこの言葉が似合う人間も珍しいと思う。ほんと尊敬するよ、悪い意味でだけど。


「……いい朝だな。いつもよりも音が甲高い」

「あいつもよく懲りねえなあ」

「ほんっとに松尾くんつまんないなあ。おばかさん」


 僕が皮肉交じりに言った一言に対し、すでに僕の机に集合していた誠と柳井が言葉を返す。


「そう言えば凛ちゃん、今日の全校集会でお話しするんだっけ。めっちゃ楽しみぃー」

「あいつ大丈夫か、ちょっと動きが固そうだが」


 話題は今日の全校集会の話に切り替わる。誠や柳井が今朝僕の席に集まった時、念のため二人には話しておいた。誠なら気の利いた一言をかけられるだろうし、柳井ならば自分の掌の上で転がすことによって緊張から解放できそうな気がしたからだ。え、いつからそんな気が利くようになったんだって? いつからだろうね。はは。


「……大丈夫だろ、あいつがこの程度で緊張する女かよ」

「いや分かんねっすよ瀬野くん。気が強いわりに繊細っすよ凛ちゃん」

「まああいつもカズと一緒で俺ら以外の人間はカボチャか何かにしか見えてねえだろうし大丈夫だろ」


 僕と誠は大丈夫じゃね? なんて思っていたが、いつも通り伊月が僕の席に来ようとしたが盛大に自分の椅子に引っかかって倒してしまい、全クラスの注目を浴びていた。しかもそのあと椅子を拾おうとかがんで起き上がるときに自分の机で頭ぶつけて、両手で頭を押さえてかがみこんでしまった。


「……大丈夫だろ、うん」

「どう見ても大丈夫じゃねえ」


 その様子を見ていた柳井は笑顔のまま固まってしまっている。誠の言う通り、伊月はどう見ても大丈夫じゃない、緊張しまくりの状態だ。あんな傍若無人極まりない本性をしているくせに、一丁前に緊張するんだなあ。そりゃ僕だってカボチャ何百個の前で話すなんて、考えただけで緊張するだろうね。僕が全校生徒の前で話すことなんてないだろうけどさ。


「みんなおはよう。今日もいい朝ね?」

「……お前、なにもなかったように来てんじゃねえ」

「うるさいわね。いつもと違うことがあったから無理やりいつも通り登場しただけじゃない」


 伊月自身がいつも通りというだけあって、伊月は本当にさっそうと僕の席までいつも通りの感じでやってきた。さっき盛大に椅子倒して机で頭打ったような様子は微塵も感じられない。でも見ちゃったもんね。しばらくこのネタでいじり倒してやろうか。


「凛ちゃん凛ちゃん、何でまた実行委員長なんかなっちゃったの? お父さんが実行委員長だったとか? それでお父さんに負けたくないから実行委員長になりたかったとか? そんな話もあったりだとかとか?」


 状況に柳井が一石を投じる。僕は伊月の兄さんが応援団長をしていたことはまだ二人には話していない。時期が来たら伊月から話すべきだと思うからだ。だけど、柳井はすでにそれに近い答えを出している。


 僕が昨日一日感じた違和感も、柳井から見れば簡単に理由を導き出せるということだ。これじゃあ柳井が本当に魔女とか化け物の類だと言われたって、僕信じちゃうと思うよ。昨日一日の努力を二秒で消さないで。


「う、麗美ちゃん……そうよね、あなたに隠し事なんかしても無駄よね。というか、隠そうとしていた訳でもないのだけど」

「伊月よ、そういうのなしだぜ。お前俺たちには困ったことがあったら話すって言ってたよな。今じゃないなら今じゃないでいいけどよ、そのうちでもいいから話聞かせてくれよ」


 柳井が柳井なら、誠も誠だ。相変わらずの頭の固さを発揮して、伊月にも悩みがあったら話せと迫る。これは誠の悪癖だろうけど、この余計なおせっかいというか、こういう部分にも何度か助けられたことがある手前強く言えない。


「何よ上村くんまで。まあいいわ。私の兄さんなんだけど、以前体育祭の応援団長をしていたのよ。とりわけこの回は体育祭も盛り上がったらしいわ。だから私も応援団長……は難しいから、実行委員長として体育祭を盛り上げようと思ったのよ。別に兄さんに負けたくないとか、そう言うのは無いわ」

「ふーん、本当かなあ。ま、今はまだそういうことにしといてあげるー」


 話を聞いた柳井は少し腑に落ちない様子で伊月に言葉を返す。そんな柳井を見て、伊月の表情は一瞬申し訳なさそうに引きつるが、すぐに笑顔で僕たちに言葉を返す。柳井の一言って聞いた本人にとっては的確に重たかったりするからね。どういうことかはわからないけど、伊月にはちょっと重い一言だったのだろうね。


「だからあなたたちも、私に協力して頂戴?」

「ま、俺にできることがあればなあ」

「もちろんあたしも協力するでっさ!」

「……僕は実行委員真面目にやるから」


 全員が言葉を返すのを見て、伊月は笑顔で自席まで去っていった。



  ◇   ◇   ◇



「んもーあの子は本当に世話が焼けるなあ。どうにかならないもんですかねえ瀬野くんよ」


 羽織先生の気だるくなる朝礼が終了し、僕たちは校庭に集められていた。二年三組はちょうど朝礼台に向かって真ん中左くらいの位置で、僕は男子の中では真ん中くらいの身長だ。ちょうど身長順に並ぶと、柳井が僕の隣に立つ形になるので、並びながら話しかけられたような状況だ。


「お前、やっぱさっき伊月と話しただけであいつの考えてることが分かったのかよ」

「分からないよ? でも理論立てて考えて推測することはできるよ?」


 柳井はたまにそれって同じ意味じゃねえの? ってことをわざわざ違うよーとか言い出すことがある。そもそも話す言葉の半分くらいしか理解できないのに、こういう発言がさらに僕たちを混乱させるのだ。まあ、柳井の考えてることを理解しようとすること自体が無駄なんだけどさ。


「たーだねえ……いまいち確証がなくてさあ。ま、この全体朝礼で凛ちゃんが応援団縮小するーとか言い出したら大体考えてることは分かるかな」


 僕がインフルエンザから帰ってくると、クラスどころか学校全体が体育祭ムードになっていたが、それ以来どうも応援団の悪いうわさしか聞かない。その上伊月が応援団縮小する、と言いだす可能性が高いと柳井が言う。


 そして、伊月の兄さんは応援団長として体育祭を盛り上げていた。ここから導き出される結論とは何なのか。さすがの僕でも、柳井にここまでヒントを出してもらえば大体の結論は出せる。僕だって腐っても星洋高校という進学校の一生徒なのだ。


「つまりあれか……応援団に頼らずとも体育祭を盛り上げることができれば、あいつの中で兄さんに勝った、みたいな自己満足が得られるってことか」


 柳井のほうを見て、小さな声で言う。さすがに内容が内容だけに、他人に聞かれてしまった場合のリスクはかなり高い。なので柳井にだけ聞こえるように、そっと答えを確認した。すると、柳井の顔がびっくりしたように見開き、次いでいつもの天真爛漫な笑顔に戻る。


「さすが瀬野くんは面白いねえ。そこまで勝った負けたがどうとは言わないけどさ、それに近いようなことは考えてるんじゃないかなって思うよ」


 なるほど。伊月凛という女が歩んできた人生は、ショーケースの中で誰にも見てもらえるような、ひときわ光り輝く高価な宝石のような人生だったのだろう。


 その光を見ただけで、皆が大騒ぎする。だけど、高価だからこそ皆がその光を見るだけで、その本質を見ようとしたり、購入して自分のものにしようとしない。


 これを人間関係に例えなおすなら、伊月凛という人間としての本性を誰も見ようとせず、お嬢様としての伊月凛をアクセサリーとして自己満足の中だけに取り入れるということで。そして、誰もが社長令嬢としての伊月は敷居が高いと感じているから、深くかかわって自分たちと対等な友人関係を結ぼうとはしないということになるだろう。


 そんなつまらない人生を強要してきた親父さんへの抗議。兄が体育祭を盛り上げた方法を封じ、その上で別の方法で体育祭を盛り上げる。これが今、伊月の中を占める大きな感情なのではないだろうか。


 だから、応援団の規模を縮小したうえで体育祭を盛り上げようなんてことを考える。まあ、柳井の推測をもとに考えるのはおかしな話かもしれないが、ここまで考えさせるほど柳井麗美の計算能力は並外れていて、彼女の言うことは結果として今まですべて正しかったのだ。


 そんなことを考えている間に、退屈な校長の話は終わり、今まさに伊月が朝礼台に上がろうとしていた。


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