029.なんか今日みんなおかしくね
「ホントにあんたは毎日毎日うっさいわね……叩くわよ?」
ぱちん、と教室に響く平手打ちの音。僕たちの一日は、松尾が伊月に一発をもらうところから始まるように戻っていて、僕自身この光景に懐かしさすら覚えている。それは決して野外活動の件の感傷に浸っているわけではなく、物理的にどうしても懐かしさを覚えてしまうのだ。
野外活動の後、ほどなくゴールデンウィークがやってきたが、その間僕は季節外れのインフルエンザにかかってしまい、この一週間、連休含めてひたすら自宅に引きこもっていただけだったのだ。だから、どうしても朝の子の恒例行事には懐かしさを感じてしまったというわけだ。
「あれれーおかしいぞー。まーた瀬野くんが伊月さんのこと見てるー」
「お前も毎日毎日うるせえな」
自席に座って毎日変わらぬ光景を眺めていた僕の視界に、茶髪のショートボブが揺れる。黒基調に白のラインが入ったセーラー服は、星洋高校公認の学生服だ。柳井が僕に毎朝茶々入れに来るのも恒例行事だ。
「上村くんはどおしたのー?」
「あいつ部活忙しいんだとよ。大会が近いとか」
「三浦さんとはうまくやってるのかねえ」
「知らねえし聞いてもねえし興味もねえ」
「おお五七五調。即興川柳だねえ」
柳井は話しながら僕の前のナントカさんの席に座っていた。その茶髪頭は落ち着きなく左右に揺れていて、何かしらテンションが上がっているのだろう。変なアクセントも少し出てたし。
「麗美ちゃん、瀬野くん、おはよう」
「はよ」
「凛ちゃんおはよーう」
伊月は僕と柳井に話しかけるようにして机の傍に寄ってきた。
野外活動の後に僕ら四人の間に変化があったことといえば、誠の部活が忙しくてなかなか離せなくなってしまっていることと、柳井と伊月がお互いのことを下の名前で呼びだしたことくらいだろうか。それ以外は特に変化なく、僕たちが必死で守った関係性は、もはや日常になりつつあった。
ただ、柳井のテンションが高い件もそうだが、教室中が何か浮かれているような空気はある。伊月が松尾を叩く音もいつもより大きかった気がするし、なんだかクラスメイト全員がそわそわしていて落ち着きがないような感じがする。それがなんだか不気味で、連休が終わってから僕が復帰するまでに何かあったのか勘ぐってしまう。
「なんか今日みんなおかしくね」
「あら。あなたにも空気を読むなんてことができるのね」
ふふっと笑いながら伊月が言葉を返す。
「あれだよ凛ちゃん。瀬野くん休んでたから忘れてるんだよ」
するとみんながそわそわするのも当然、と言った表情で柳井も返してくる。
「あら、せっかく私と一緒に……」
「凛ちゃーん、それ言わないほうが面白いー。とりあえず、朝のホームルームが終わるまでには分かると思うよー」
「……それもそうね。言わないでおこうかしら」
二人が結託して何か企んでる件。
「いや教えろよ」
「やだー教えなーい」
さて、考えてみよう。野外活動が終わってゴールデンウィークも消費した。次の大きなイベントと言えば体育祭。今が五月上旬だが、六月の頭に体育祭があるのだ。それくらいなら柳井ほど回る頭を持っていない僕にだってわかる。
だが、体育祭とこの浮足立った空気は関連付けが上手くできない。そもそも、紅組と白組を分ける程度の振り分けさえあれど、野外活動みたいに班分けをするわけではないのでここまで浮足立つ理由も分からない。
「……いやいや教えろよ」
「あたしね、同じこと二回言うおばかさんって結構嫌いなんだ。瀬野くん知ってた?」
めっちゃ笑顔でめっちゃうれしそうになんてこと言うんですか柳井さん。僕のリスクヘッジ的思考によって鍛えられたメンタル削るって結構なことだと思うよ。
「今の時期なんだから、体育祭の何かであることは分かっているわよね?」
「……まあ、そこまではな。ただ、言っちゃなんだがインフルでずっと休んでたわけだしな、それでなくてもいつも体育祭実行委員だからこの時期に浮足立つ理由も分からん。そもそも去年までは周りの空気なんて気にしてなかったし」
今度は伊月が会話に入ってくる。その伊月に分からない理由になるだろう事柄を二、三伝えてみた。
「何というのかしら……悪しき風習? 壊すべき伝統? みたいなものがあるのよ。体育祭には」
「そうなのだよ瀬野くん。あたしはいつもこれをどう回避するかですっごい頭使うんだよ」
ちょっと何言ってるか分からない。てか全然分からない。そんな伝統があるなんてこと、体育祭実行委員である僕の耳には届いていない。ただ、それが原因になってみんながそわそわしているのだろうか。
「でも、麗美ちゃんが言う通りまずは朝のホームルームね。そこで何かしら話があると思うわ、羽織先生から」
なんでか伊月は羽織先生から、のところを強調して、自席に戻っていった。そして、目の前の柳井もナントカさんの席から立ち上がり、
「いやー本当に億劫なのだよ。また今年もこの時期かあ……瀬野くんは去年どうやったの? まあ後でいいや」
言い残して自席のほうへ去っていった。
柳井が自席についたころ、教室前の扉が開いて、小柄なボサボサ黒ロングが教室に入っている。白シャツと黒のスラックス、その上に白衣。その服装で、女性としては残念な厚みが分かってしまっていて、その絶壁左のポケットからは赤と白のパッケージのタバコが透けている。
羽織先生はそのまま教卓に肘をつき、両掌に顔を乗せて生徒名簿を読み上げ、出席確認して続けた。
「えー……その……あれだ。体育祭実行委員会含め、今日から……あれだな。体育祭に向けての活動が全面解禁される。それと……あれだ……あれだよ。応援団活動に参加する者は、普段の学校生活に支障が出ない程度にな」
体育祭活動が解禁。実行委員や応援団の活動が今日から始まるということだが、これを聞いた一部生徒たちが盛大にため息をついたり、肩を落としたりしてしまっている。そして、彼らは体育祭の実行委員ではない。なぜなら僕が実行委員だからだ。
だから多分、応援団活動に何か問題があるのだろう。
実際、星洋高校の応援団活動は全国的にも有名だ。その日に限り染髪が許可され、服装も制限がなくなる。だから、特攻服みたいな服装をして髪型もあり得ない感じで応援するような、一見柄が悪いようにも見えなくもないのが応援団だ。
だが、例えば応援合戦の演武であったり、競技時の応援というのは、一糸乱れぬ統制が取れており非常に見ごたえがある。そのギャップによって知名度を獲得し、体育祭は星洋町の中でも知る人ぞ知る一大イベントとなっているし、全国的にも知られるようになっているのだ。
そんな応援団に何か問題があるのだろうか。柳井は僕に去年どうやったの? と聞いてきたが、何がどうしたのか聞いていないので質問の意図が分からない。
「おい……お前だ。瀬野、聞いてるか」
「……すみません」
羽織先生にかけられた声で現実に戻る。
「えー……何だ……そうか。それで、体育祭実行委員は今日から活動開始だそうだから、瀬野と伊月は放課後第二自習室へ行くように。いいな?」
よくねえ。なんで伊月がついてくるんだ。いや伊月がついてくること自体は悪くないんだが、なんでそんな話になっている。あいつ保健委員とか何かだっけ?
「わかりました」
「……へい」
釈然としないまま、僕は伊月に続いて先生に返事をしていた。




